2024年4月17日水曜日

フェラーリと聞いて思い浮かぶのは、車?それともシャンパン?

今日はイタリアを代表するスプマンテメーカー、フェラーリの重要人物、カミッロ・ルネッリという人物の話。波乱万丈で劇的な人生ですよ。転生もののアニメの原作になりそう。

フェラーリ・トレント

カミッロはフランス出身で。1703年にヴァンドーム侯爵の軍隊の一員としてトレンティーノ地方にやってきて、そのまま住みつきます。
侯爵はルイ14世の宮廷にシャンパンを紹介した人物と言われていますが、トレンティーノでは城を燃やした侵略者として知られています。
トレンティーノとシャンパンのつながりが始まりましたねー。トレンティーノと言えばドイツとつながりが強そうですが、意外にもフランスともつながっていたんですね。
それから200年後に第一次世界大戦が始まります。ハプスブルグ家の家臣だったカミッロは、当時39歳。トレントで果物を輸出する会社を経営し、シチリアで柑橘果実を仕入れてウイーンの上流階級に売っていました。
オーストリアと戦うことを拒否したカミッロは、一時チェンブラ渓谷に身を潜めます。しかし、出頭したものは実の安全を保障するという通達が出て、軍に入隊します。でも、そこで与えられたのは、自殺的な任務でした。
大怪我を負って、家族に消息も告げられないまま3年間を病院で過ごしたカミッロは、戦後奇跡的に家に帰りつきます。日本だったら横溝正史のミステリーの主人公がたどりそうな人生。クリスティーのミステリーにもよくこんな経歴の人物が登場しますねー。
彼がドイツとオーストリアの貿易で設けた大金はすでに紙屑となっていました。なんとか城の管理人の仕事を見つけますが、子供たちは学校をやめて働きに出なくてはなりませんでした。
カミッロの三男ブルーノも、薬屋に見習いとして入ります。そしてあっという間に店長になります。後にフェラーリのカンティーナを買い取って世界的なブランドにするビジネスの才能がすでに芽生えていたのです。

ここからブルーノのターンです。
フェラーリ・ブルーノ・ルネッリ・リゼルバ。

彼は1927年21歳で2年間の兵役を終え、仲間と一緒にワインを売る店を始めます。2年後には単独でパスティッチェリーアを始めます。そして結婚し、トレントでは「ルネッリの店で合おう」というのが人々の挨拶になります。
店はグルメのたまり場で、ブルーノは常に最高のワインやドルチェを用意していました。第二次世界大戦後、ブルーノはスプマンテ、当時の呼び方ではシャンパン(1947年まではイタリア産でもシャンパンと呼ぶことができた)に取りつかれて、彼の店のすぐ近くに住む70歳代の紳士の店を毎日訪れています。その人物こそが、ジュリオ・フェラーリでした。
こんどはジュリオ・フェラーリのターンです。


ジュリオ・フェラーリはアディジェの農業学校に通った後、フランスでワイン醸造学と発酵学を勉強して、シャンパンの本場で働いています。
1952年には製造したスプマンテを家の前で販売していました。流行には無関心で、ひたすら最高を追求したため、値段は驚くほど高かったのです。アスティ・スプマンテが2.4クローネだった時代に、フェラーリのスプマンテは4クローネし、2400本の注文があった時も、「うちはレモネード屋ではない」と断ってしまったそうです。
ジュリオは66歳の時に32歳年下の女性と結婚し、生涯子供がいませんでした。73歳の時に自分の宝物のカンティーナを誰に継がせるか思い悩み、北イタリアの主要カンティーナを巡ってみます。しかし、結局適任者は見つからず、とうとう、カンティーナを現金で売りに出します。しかし、その売値は、パネットーネで有名なアンジェロ・モッタでさえ購入を断念するような高い値段でした。
当初ジュリオは、ブルーノ・ルネッリに対し、「彼はワインのことは知っているが、醸造者ではない」と、否定的でした。結局商業会議所が仲介に入って、正しい人物、ルネッリが選ばれたのでした。
ルネッリに調達できた金額は売値の半分で、残りは手形の山ができました。契約をしたのは1952年の11月。ブルーノはすぐに生産量を2万本に増やし、19521年には手形を清算しています。
1965年、86歳でジュリオ・フェッラーリは他界し、ブルーノ・ルネッリは1973年に66歳で亡くなります。ブルーノはその5年前にすでにカンティーナを5人の子供たちの手に渡しています。フェラーリの生産量は年々増え、1962年には6万本、72年には30万本、82年には100万本、92年には300万本、フェラーリ創業100周年の2002年には450万本に達します。
この記事は、『ア・ターヴォラ』誌、2002年7月号に載った記事を訳したものです。
その数百何本のうちの1本を飲んだ私は、メトド・クラッシコのスプマンテ自体よく知らないド素人で、アスティ・スプマンテ大好きな大の甘口派。フェラーリの瓶内再発酵を完全に甘く見ていました。トレント・クラッシコ・ブリュットが、こんなにブリュットなんて聞いてないよー状態。それ以来パドセのスプマンテが苦手になり、トラウマ級の体験として刻まれました。でも、ジュリオ・フェラーリの頑固な生き様を知ると、苦くても超一流の味かも・・なんて考えるようになりました。

フェラーリ・トレントはF1の公式スプマンテ


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