2019年4月1日月曜日

ネットがない時代に一世を風靡したチョコレートドリンク

前回は、広まることに興味がない人が作り出したティラミスが、広まることにすべてをかけてる人と出会うと、どういうことが起きるか、という一例をちょっと知りました。
今ではティラミスの考案者を名乗る人がアメリカにまでいるそうです。
今回は、イタリアを代表するチョコレート・ドリンクの話。
1つめは、トリノのビチェリンbicerinです。


有名なので今さらと思っていたのですが、『サーレ・エ・ペペ』の記事を読んでびっくり。
なんとビチェリンのリチェッタは、現在でも極秘にされているんだそうです。
ネット上にあふれるビチェリンの情報は、いったい何なんでしょうか。
これからは、極秘のリチェッタなんて都市伝説になるかもしれないですね。
極秘にしたのは権利を守るだけでなく、広まって変化するより、伝統を絶やさないことを最優先にした結果でしょうが、ネット社会にどう対抗していくのか、興味深いです。

もう一つはミラノのチョコレートドリンク、バルバイアーダ。
考案者は、1800年にスカラ座の向かい側にオープンしたイタリアで最初のカフェの1つ、カフェ・デイ・ビルトゥオージのカメリエーレ、20歳そこそこのドメニコ・バルバッリア。
当初の飲み物の名前は彼の名前からバルバッリアータbarbagliata。
これが大当たりして、彼は一財産築き、カフェを数軒所有するほどになりました。
名前もBarbagliaから、もっとお洒落なBarbajaへと改名しました。
ドリンクの名前もバルバイアーダbarbajadaとなります。

でも、一番すごいのは、彼のこの後の人生。
200年後の現在、彼はイタリアのカリスマプロモーターとして世界中に知られているのです。
詳しくはwikiをどうぞ(こちら)。

バルバイアーダは最初のカプチーノと言われています。


カメリエーレからここまで成功するなんて、ホットチョコレートでも大ヒットすると人生が変わるんですね。
ちなみに私は毎朝ヌテッラをパンに塗りながら、これを考え出した人に感謝しています。
結局、まだネットがない時代でも、誰かが勝手に世に出したものがどんどん広まり、世間の支持を得れば、その勢いは個人の手に負えるものではなくなるんですね。
トリノやミラノのような北イタリアの大都市は、その傾向がイタリアでも一番最初に現れる場所なのかも。

ビチェリンの極秘のはずのリチェッタも、カメリエーレの人生を変えたバルバイアーダのリチェッタも、日本語訳を「総合解説」に載せました。

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“イタリアのホットチョコレート”の記事とリチェッタの日本語訳は「総合解説」2017年1/2月号に載っています。
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