2018年7月2日月曜日

ケツァルコアトルの贈り物、モディカのチョコレート

今日はモディカのチョコレートの話。
このブログでも度々取り上げているモディカのチョコレートですが、
中米生まれのチョコレートがシチリアに伝わったのは歴史の必然だったのかもしれません。

まず、チョコレートの歴史を語るときのキーワードは、
アステカ。

アステカでは、カカオはケツァルコアトルという神の贈り物、という神話が語り継がれていていました。
ケツァルコアトルと言えば、その中二病のような名前がカッコイイ、羽の生えた蛇の姿の神様。
でも、カカオを盗み出して神々の怒りをかい、サボテンの酒で酔わされてアステカを追われたんだとか。

アステカでは、カカオが大事に育てられました。
カカオは生産できる地区がとても限られた植物です。

アステカはどこにあったかというと、現在のメキシコです。

神話によると、ケツァルコアトルが逃げるときに通ったのは中米の太平洋側で、その途中にあった街、タバスコに最後のココアの種を伝えたそうです。
タバスコは現在、メキシコのカカオの一大生産地です。

そう言えば、シチリアはサボテンが雑草のように道端に生い茂っています。
メキシコと環境が似ているのでしょうか。

1521年、アステカ帝国は、スペインによって滅亡します。
アステカの都市はスペイン風に再建築され、植民地となります。
そして300年の支配を耐えて独立したのがメキシコです。

アステカ滅亡時、スペインは繁栄の時代を迎えていました。
シチリアもスペインに支配されていたのです。
そして、スペイン人によってカカオがモディカの伯爵領に持ち込まれました。
アステカのカカオをすりつぶしてペーストにする技術も、シチリアの修道院に伝わりました。
そして1746年以降、モディカのドルチェリアで、カカオのペーストにブラウンシュガー、バニラ、シナモンなどが加えられるようになりました。

モディカのチョコレートの砂質の舌触りは、カカオペーストを低温で練る、コンチングという作業を行わないので、あの、普通のチョコレートとは全く違うものになります。

コンチングの技術を考案したのはスイスのリンツ・チョコレートのロドルフ・リンツさんです。

コンチングを行わないと、砂糖が溶けないで粒状のままなので、あの独特のざらざらした舌触りになるのですね。

カカオからチョコレートまで
 ↓


普通のチョコレートは、発酵、乾燥、袋詰までは昔ながらの方法ですが、
ヨーロッパのピカピカの工場についた途端に現代的な製法に変わります。

コンチングをしないモディカのチョコレートは、ピカピカの過程なしで、昔ながらの伝統的な製法で作られています。
このアステカの味が癖になるんですよ。

今日のお勧め本
“Guido Tommasi cucina regionale”シリーズ
ラ・クチーナ・シチリアーナ




モディカのチョコレートを使った豚肉料理のリチェッタがあります。
チョコレートを溶かしながら肉を焼き、マルサラでフランベして煮ます。

余談ですが、先日、BSで『山猫』を放送していましたね。
ティンバッロが、“山猫のティンバッロ”と呼ばれてとても有名になった映画(もちろん原作も)です。
シチリアの貴族とイタリア統一時代の島の空気がヴィスコンティ監督の美しい映像で伝わってきて、相変わらず素晴らしかった~。



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“モディカのチョコレート”の記事の日本語訳は、「総合解説」2016年2月号に載っています。
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