週末に郵便局に行ったら、荷物を出す人より、飴をもらいに来たハロウィンウォークラリーの子供たちのほうが多かった。
男の子も女の子も、カボチャ色のちっちゃなバケツを下げて小さな町を巡って、夢中で飴を集めて回ってました。
見てるこっちまで楽しくなりましたよ~。
こういうイベントは、地元の商店街が、どれだけ本気を出すかにかかってるんだなあ。
とろこで、前回は、プッタネスカの話題でしたが、その発祥地とされているのはイスキア(諸説あり)という話でした。
偶然ですが、今月の「総合解説」のグルメガイドに取り上げた場所はイスキア。
イタリア人しか知らないイスキアの魅力って、なんでしょう。
行った気になるヴィジュアルツアーの始まりです。
イタリアの歴史の話をすると、ギリシャ人、アラブ人、ノルマン人、スペイン人、フランス人など、様々な民族に支配された、という話が必ず出てきます。
イスキアも数々の民族に支配されたようなのですが、『サーレ・エ・ペペ』では、そのへんのところはまるっと省略して、最終的に島を支配したのはバカンス客だったと、スマートに落としています。
この島は、イタリア人に人気のバカンス地。
その理由は、温泉。
記事でこの島のキーワードとなっているのは、温泉、貴族、農民。
イスキアには温泉の水源が100か所以上あるそうです。
しかも、古くから薬効があることが知られていて、みんな体の悪いところを治すために温泉に浸ったのだそうです。
次は、貴族。
記事では、「イスキアの歴史が詰まった要塞化した小島」と紹介されている、アラゴン城のある“スコーリオ”。
城は今では廃墟となっていて、軍艦島みたいです。
城の現在の所有者は一部をホテルとして改装中。
動画はこちら。
記事によると、この島の主役は、ルネッサンス最大の女性詩人のヴィットリア・コロンナ侯爵夫人(1492-1547)。
あのミケランジェロと芸術的な親交があった人です。
初めて聞く名前かもですが、wikiに詳しいことが紹介されています。
こちらのページ。
彼女のお陰で島は芸術家や知識人のサロンのようになったのだそうです。
ミケランジェロとの親交を紹介する動画もたくさんあります。
例えば、こちらのページ。
イタリアでかなり人気のある人のようです。
下の動画は、ヴィットリアの墓を探すドキュメントの予告編。
なんと、ミケランジェロが作った墓がイスキアのアラゴン城にあるのでは、という、ダヴィンチコードもビックリの壮大なミステリー。
イスキアって、なかなか素敵な島ですねー。
最後のキーワード、農民とイスキア料理の話は次回です。
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グルメガイド“イスキア”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年9月号に載っています。
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2016年10月31日月曜日
2016年10月27日木曜日
プッタネスカの考案者
今日から「総合解説」9月号のビジュアル解説です。
最初の記事は、イタリアの国民的パスタソースの1つ、プッタネスカの話。
この料理、とても美味しいけど手軽に作れて、人気ありますよね。
なのに、なんでこんな名前。
という訳で、この料理の由来です。
諸説あるのですが、どれも決定的証拠がないので、どれを信用するかは、あなた次第、という状態。
『サーレ・エ・ぺぺ』の記事も、これだ、という決定打はないので、諸説をいくつか紹介というスタンスです。
まず最初の説は、
ナポリ料理のバイブルと言われる料理書、
ジャンヌ・カローラ・フランチェスコーニ著『La Cucina Napoletana』の中に、
この本のルーツについての記述があるそうです。
ジャンヌ(1903-1995)はナポリ生まれの作家で、ナポリ料理の権威と見なされていた人です。
信頼できるナポリ料理の本を、イタリアで2番目に書いた人。
1番目の本は、イタリア料理史に残る歴史的な本とされているので、2番目でも十分すごいこと。
ゆたかなナポリの食文化を研究して本にまとめるという偉業は、高く評価されています。
この人の本に書いてあったことは、イタリア人にとってはかなり信用できる情報と言えそうです。
彼女によると、このソースを考え出したのは、画家でジャンヌの親密な友人だった、エドアルド・マリア・コルッチ(1900-1975)、という人物だそうです。
コルッチはイスキア島生まれでした。
こんな絵を描く人です。
このソースは彼のスペチャリタだったそうです。
でも、数年前にイスキアの日刊誌、『イル・ゴルフォ』(webページはこちら)が発表した説によると、プッタネスカの考案者は、コルッチの甥の建築家で、イスキアでレストランとナイトクラブを経営していたサンドロ・ペッティなんだそうです。
このレストラン、リストランテ・アルベルトのwebページに、現経営者(創業者の孫)が、プッタネスカ誕生の経緯をサンドロから聞いたという話が載っています。→こちらのページ
それによると、1949年の夏の終わり、夜遅くに、彼の経営するナイトクラブRangio Felloneに、1組のカップルが食事に訪れました。
ところがあいにく、その晩は食材を使い切っていて、残っているのはトマト4個とオリーブとケッパーが数粒。
puttanataみたいなのしかできないけど、と断って、その材料でパスタを作ったのだそうです。
puttanataは、お上品に言えば、ろくでもないもの、お下品に言えば、くそみたいなもの。
でも、それじゃあメニューに載せられないので、ちょっとお上品にputtanescaと言い換えて、メニューに載せたのだそうです。
サンドロは、このソースのリチェッタをレストランのシェフに伝授しました。
すると、シェフはすっかり気に入って、すぐに店のメニューに取り入れたのだそうです。
聞いてみると他愛もない話ですが、誰でも考え付きそうなシンプルなこのソースがここまで広まったのは、娼婦風という名前のインパクトにあったのでは、とも思えます。
そうそう、アメリカ人のアーサー・シュヴァルツの、ナポリのスペイン地区の売春宿のオーナーが、手早くできるこの料理を客にふるまったという説も、それなりに説得力ありますねえ。
でも、puttanataのダジャレでputtanescaにした、っていう説は、カンパーニアの人ならいかにも考えそうな話じゃないですか。
現在のリストランテ・アルベルト
↓
こちらはブッタネスカ誕生の地とされるナイトクラブで開かれた映画祭のパーティー。
ちなみに設計したのはサンドロ。
↓
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“パスタ・アッラ・プッタネスカ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年9月号に載っています。
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最初の記事は、イタリアの国民的パスタソースの1つ、プッタネスカの話。
この料理、とても美味しいけど手軽に作れて、人気ありますよね。
なのに、なんでこんな名前。
という訳で、この料理の由来です。
諸説あるのですが、どれも決定的証拠がないので、どれを信用するかは、あなた次第、という状態。
『サーレ・エ・ぺぺ』の記事も、これだ、という決定打はないので、諸説をいくつか紹介というスタンスです。
まず最初の説は、
ナポリ料理のバイブルと言われる料理書、
ジャンヌ・カローラ・フランチェスコーニ著『La Cucina Napoletana』の中に、
この本のルーツについての記述があるそうです。
ジャンヌ(1903-1995)はナポリ生まれの作家で、ナポリ料理の権威と見なされていた人です。
信頼できるナポリ料理の本を、イタリアで2番目に書いた人。
1番目の本は、イタリア料理史に残る歴史的な本とされているので、2番目でも十分すごいこと。
ゆたかなナポリの食文化を研究して本にまとめるという偉業は、高く評価されています。
この人の本に書いてあったことは、イタリア人にとってはかなり信用できる情報と言えそうです。
彼女によると、このソースを考え出したのは、画家でジャンヌの親密な友人だった、エドアルド・マリア・コルッチ(1900-1975)、という人物だそうです。
コルッチはイスキア島生まれでした。
こんな絵を描く人です。
このソースは彼のスペチャリタだったそうです。
でも、数年前にイスキアの日刊誌、『イル・ゴルフォ』(webページはこちら)が発表した説によると、プッタネスカの考案者は、コルッチの甥の建築家で、イスキアでレストランとナイトクラブを経営していたサンドロ・ペッティなんだそうです。
このレストラン、リストランテ・アルベルトのwebページに、現経営者(創業者の孫)が、プッタネスカ誕生の経緯をサンドロから聞いたという話が載っています。→こちらのページ
それによると、1949年の夏の終わり、夜遅くに、彼の経営するナイトクラブRangio Felloneに、1組のカップルが食事に訪れました。
ところがあいにく、その晩は食材を使い切っていて、残っているのはトマト4個とオリーブとケッパーが数粒。
puttanataみたいなのしかできないけど、と断って、その材料でパスタを作ったのだそうです。
puttanataは、お上品に言えば、ろくでもないもの、お下品に言えば、くそみたいなもの。
でも、それじゃあメニューに載せられないので、ちょっとお上品にputtanescaと言い換えて、メニューに載せたのだそうです。
サンドロは、このソースのリチェッタをレストランのシェフに伝授しました。
すると、シェフはすっかり気に入って、すぐに店のメニューに取り入れたのだそうです。
聞いてみると他愛もない話ですが、誰でも考え付きそうなシンプルなこのソースがここまで広まったのは、娼婦風という名前のインパクトにあったのでは、とも思えます。
そうそう、アメリカ人のアーサー・シュヴァルツの、ナポリのスペイン地区の売春宿のオーナーが、手早くできるこの料理を客にふるまったという説も、それなりに説得力ありますねえ。
でも、puttanataのダジャレでputtanescaにした、っていう説は、カンパーニアの人ならいかにも考えそうな話じゃないですか。
現在のリストランテ・アルベルト
↓
こちらはブッタネスカ誕生の地とされるナイトクラブで開かれた映画祭のパーティー。
ちなみに設計したのはサンドロ。
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“パスタ・アッラ・プッタネスカ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年9月号に載っています。
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2016年10月24日月曜日
「総合解説」最新号
今月はちょっと遅くなりましたが、9月号の「総合解説」、発売になりました。
今月は、なぜかパスタ関連の記事が多かったです。
料理も、バカンス地を連想させる料理から、秋の食材の料理へと、変化しています。
イタリアの9月は、バカンスの最後の名残、というイメージなんですね。
楽しい夏の思い出を、もう少し引っ張りたい、というような気分にぴったりの料理は、リグーリア料理。
もうさっさと秋に浸りたいなら、ロンバルディア料理。
という具合で、料理も大急ぎで北上中です。
おまけでこの時期の話題。
ハロウィーン文化とは関係なさそうなイタリアですが、
アロウィーンは年々定着しているみたいですね。
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今月は、なぜかパスタ関連の記事が多かったです。
料理も、バカンス地を連想させる料理から、秋の食材の料理へと、変化しています。
イタリアの9月は、バカンスの最後の名残、というイメージなんですね。
楽しい夏の思い出を、もう少し引っ張りたい、というような気分にぴったりの料理は、リグーリア料理。
もうさっさと秋に浸りたいなら、ロンバルディア料理。
という具合で、料理も大急ぎで北上中です。
おまけでこの時期の話題。
ハロウィーン文化とは関係なさそうなイタリアですが、
アロウィーンは年々定着しているみたいですね。
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2016年10月20日木曜日
イタリアのビール
今日はビールの話。
スローフードのイタリアビールのガイド本、『ビッレ・ディ・イタリア2015』の発売に寄せた、『クチーナ・エ・ヴィーニ』誌の記事を訳して「総合解説」にのせました。
それによると、今やイタリアのビールは世界的知名度を得て、新しい伝統となりつつあるそうです。
イタリアのビールの特徴は、個性豊かな土壌から生まれる、オリジナリティーや発想力に溢れた醸造。
イタリアのビールブームは熱狂的に沸き上がって、情熱に支えられて成長し、現在は醸造、流通の分野でも重要な産業になっているのだそうです。
外国からの需要の増大が生産増にも結び付きました。
特に、ここ数年の注目は南のビール。
ちょうどいい機会なので、2015年版で、カタツムリマークを与えられた、高評価の作り手を紹介しがてら、本の見方を説明します。
まず、
カタツムリマークは、地域や環境に配慮しながらイタリアのビールの品質向上に貢献するような上質ビールを造っているメーカーに与えられます。
例えば、有名なところでは、ピエモンテのバラディン。
評価は、ビッライオ(醸造者)、ビッリフィーチョ(醸造所)、ビールの総評、個別のビール評価
に分かれています。
「(ビッライオの)テオ・ムッソはイタリアの(あるいは世界の)ビールの歴史を造った」
と高評価。
「バラディンのビールのスタイルは、エレガントでバランスが取れ、料理と組み合わせやすい。
ホップの流行を過度に追うことはせず、上品だが、デリケートすぎることもない。
注目を集めにくい“普通の”ビールでも、バラディンのビールは、いわばビールのマイルストーンになっている」
バラディンのビールは12種類。
特に、スロウ(生産地や生産者の歴史を感じさせる)、クオティディアーナ(シンプルで飲みやすい)、グランデ(ぜひ飲んでほしい素晴らしい風味)の特徴があるビールには、各称号が付いています。
バラディンの場合は、ノラというビールがグランデ評価。
ビール名の横にある●は、ビールの色を表しています。
ノラは濃い琥珀色。
さらにその隣はアルコール度。
その隣のAのマークは上面(alta)発酵の意味。
さらに隣のRは再発酵という意味。
ノラを語るティオ・ムッソ氏。
↓
ガイドの評価は、
エキゾチック、熱く、魅力的。
エジプトの精油ミルラやしょうがの風味がモルトと完璧に調和。
モルトには貴重なカムット小麦を使用。
独特の風味が長く残る。
このガイドを片手にイタリアビールを飲むと、うんちくを語れそう。
プーリアのグランデ・ビールの作り手の一つ、B94。
↓
同じくプーリアの注目の醸造所、ビッラノーヴァ。
↓
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“ビッレ・ディ・イタリア”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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スローフードのイタリアビールのガイド本、『ビッレ・ディ・イタリア2015』の発売に寄せた、『クチーナ・エ・ヴィーニ』誌の記事を訳して「総合解説」にのせました。
それによると、今やイタリアのビールは世界的知名度を得て、新しい伝統となりつつあるそうです。
イタリアのビールの特徴は、個性豊かな土壌から生まれる、オリジナリティーや発想力に溢れた醸造。
イタリアのビールブームは熱狂的に沸き上がって、情熱に支えられて成長し、現在は醸造、流通の分野でも重要な産業になっているのだそうです。
外国からの需要の増大が生産増にも結び付きました。
特に、ここ数年の注目は南のビール。
ちょうどいい機会なので、2015年版で、カタツムリマークを与えられた、高評価の作り手を紹介しがてら、本の見方を説明します。
まず、
カタツムリマークは、地域や環境に配慮しながらイタリアのビールの品質向上に貢献するような上質ビールを造っているメーカーに与えられます。
例えば、有名なところでは、ピエモンテのバラディン。
評価は、ビッライオ(醸造者)、ビッリフィーチョ(醸造所)、ビールの総評、個別のビール評価
に分かれています。
「(ビッライオの)テオ・ムッソはイタリアの(あるいは世界の)ビールの歴史を造った」
と高評価。
「バラディンのビールのスタイルは、エレガントでバランスが取れ、料理と組み合わせやすい。
ホップの流行を過度に追うことはせず、上品だが、デリケートすぎることもない。
注目を集めにくい“普通の”ビールでも、バラディンのビールは、いわばビールのマイルストーンになっている」
バラディンのビールは12種類。
特に、スロウ(生産地や生産者の歴史を感じさせる)、クオティディアーナ(シンプルで飲みやすい)、グランデ(ぜひ飲んでほしい素晴らしい風味)の特徴があるビールには、各称号が付いています。
バラディンの場合は、ノラというビールがグランデ評価。
ビール名の横にある●は、ビールの色を表しています。
ノラは濃い琥珀色。
さらにその隣はアルコール度。
その隣のAのマークは上面(alta)発酵の意味。
さらに隣のRは再発酵という意味。
ノラを語るティオ・ムッソ氏。
↓
ガイドの評価は、
エキゾチック、熱く、魅力的。
エジプトの精油ミルラやしょうがの風味がモルトと完璧に調和。
モルトには貴重なカムット小麦を使用。
独特の風味が長く残る。
このガイドを片手にイタリアビールを飲むと、うんちくを語れそう。
プーリアのグランデ・ビールの作り手の一つ、B94。
↓
同じくプーリアの注目の醸造所、ビッラノーヴァ。
↓
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“ビッレ・ディ・イタリア”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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2016年10月17日月曜日
イタリアの塩田
今日はイタリアの海塩の塩田の話です。
過去に何度か取り上げていますが、イタリアでは、約20軒の塩田が現在もあるのだそうですが、大量生産をしているのは4つ。
つい最近取り上げたのは、一番北にあるチェルヴィアの塩田。
にがり成分が少ない“甘い”塩で有名な、ドルチェにも使われる塩です。
パルミジャーノ・レッジャーノにも使われています。
チェルヴィアの塩田
↓
特に、手作業で収穫して昔ながらの製法で少量だけ造られるリゼルヴァ・カミッローネとサルフィオーレの塩は品質の高さで有名。
サルフィオーレの解説
↓
プーリアのマルゲリータ・ディ・サヴォイア塩田はヨーロッパ最大の塩田。
↓
この地区の塩は塩化ナトリウムの割合が最大で、味も比較的中庸。
トラーパニの塩はIGP製品の認定を受けています。
スローフードの保護食材にもなっています。
この塩は他の塩と比べてカリウムとマグネシウムの含有量が多いので苦みが強く、塩化ナトリウムの割合が少ないのが特徴です。
高い安全性から、長期保存用の食品の塩漬けに使うのに最適と考えられています。
トラーパニとパチェーコの塩田と、近くのマルサラ(エットーレとインフェルサ)の塩田のある地域は、風車が名物のシチリアを代表する塩田。
↓
マルサラの塩田 ↓
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“イタリアの塩田”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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過去に何度か取り上げていますが、イタリアでは、約20軒の塩田が現在もあるのだそうですが、大量生産をしているのは4つ。
つい最近取り上げたのは、一番北にあるチェルヴィアの塩田。
にがり成分が少ない“甘い”塩で有名な、ドルチェにも使われる塩です。
パルミジャーノ・レッジャーノにも使われています。
チェルヴィアの塩田
↓
特に、手作業で収穫して昔ながらの製法で少量だけ造られるリゼルヴァ・カミッローネとサルフィオーレの塩は品質の高さで有名。
サルフィオーレの解説
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プーリアのマルゲリータ・ディ・サヴォイア塩田はヨーロッパ最大の塩田。
↓
この地区の塩は塩化ナトリウムの割合が最大で、味も比較的中庸。
トラーパニの塩はIGP製品の認定を受けています。
スローフードの保護食材にもなっています。
この塩は他の塩と比べてカリウムとマグネシウムの含有量が多いので苦みが強く、塩化ナトリウムの割合が少ないのが特徴です。
高い安全性から、長期保存用の食品の塩漬けに使うのに最適と考えられています。
トラーパニとパチェーコの塩田と、近くのマルサラ(エットーレとインフェルサ)の塩田のある地域は、風車が名物のシチリアを代表する塩田。
↓
マルサラの塩田 ↓
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“イタリアの塩田”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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2016年10月13日木曜日
パレルモのスリートフード、スフィンチョーネ
8月号の「総合解説」には、ストリートフードの記事が2つあります。
バカンスの季節の夏は、イタリアではストリートフードの季節なんですね。
でも、方言で食べる(by チッチョ・スルターノ)と表現される通り、通りすがりの観光客には、ちょっと敷居の高い食べ物です。
今回解説に載せた料理は、まずパレルモのスフィンチョーネ。
なんと、一番有名なシチリア料理だと言う人もいます。
パレルモのストリートフードにしては珍しく、内臓は入っていません。
パレルモ風フォカッチャ、またはパレルモ風ピッツァです。
クリスマスの定番の食べ物なんだそうです。
生み出したのは修道女と言われています。
なんのトッピングもない質素なパンを、お金をかけずにクリスマス用のゴージャスなパンに変身させた、ということでしょうか。
スフィンチョーネの語源はラテン語でスポンジという意味。
おそらく、パン生地の柔らかさを表しているのでしょう。
このスタイルで売るのが伝統的。
ピッツァ生地に玉ねぎ入りトマトソースを塗ってアンチョビとカチョカヴァッロを加えて焼きます。
シンプルで経済的なのに、美味しそう。
スフィンチョーネはパレルモ限定のストリートフードですが、パレルモ近郊のバゲリアという町にはバリエーションの一種が作られていて、スファンチョーネ・バゲレーゼとか、スフィンチョーネ・ビアンカと呼ばれています。
バゲリアでだけ造られている珍しいスフィンチョーネです。
パレルモ風とは全く違うと力説していますが、その違いは両方食べないとわからないなあ。
それにしても、シチリアの人はパン粉が好きですね。
パスタに散らすのはよく見ますが、パンをパン粉で覆うとは、すごいアイデア。
パレルモでスフィンチョーネを食べたくても、あのオート三輪に出会えるかどうかは不確かなので、スフィンチョーネを売っていて、ガンベロ・ロッソの『ストリート・フード』でも高く評価されている人気の店を1軒、ご紹介します。
店の名前は、Panificio Graziano /via del Granatiere 11。
ネットの評価は上々で、パレルモで一番美味しいカットピッツァの店、かつ一番美味しいスフィンチョーネの店として知られています。
中心地から離れていて観光客には知られていないのですが、店は地元の人で一杯なんだそうですよ。
スフィンチョーネの王様や~という投稿もありました。
それにしても、パン生地にトマトソース、アンチョビ、チーズをのせたフォカッチャとなると、どこでパレルモらしさを出すのでしょうか。
材料を見る限り、唯一、パレルモ特産と言えるのは、カチョカヴァッロですかね。
カチョカヴァッロには、カチョカヴァッロ・シチリアーノという分類があって、その中の一種が、カチョカヴァッロ・パレルミターノというチーズです。
カチョカヴァッロは、モッツァレッラと同じ、パスタ・フィラータのチーズですが、熟成させるので辛みなどが生まれます。
パレルモに行く機会があったら、パニフィーチョ・グラツィアーノまで出かけてパレルモで一番美味しいスフィンチョーネを食べて、ちょっと足を延ばして東隣のバゲリアに行って、スフィンチョ―ネを食べ比べる、というのはどうでしょう。
ちなみに上の動画では、下記の5軒の店を紹介しています。
i forni storici di Bagheria: Buttitta, Liga, Lo Presti, Ragusa, Varisco
どの店も高評価のようです。
とろこで、そもそもバゲリアってどんな街?
パレルモ県ではパレルモに次いで人口の多い街だそうです。
『ニューシネマパラダイス』で知られるジュゼッペ・トルナトーレ監督の故郷。
『シチリア!シチリア!』は監督が故郷を舞台に撮った映画。
さらに、パレルモのベッドタウンだったおかげて貴族の館がたくさん残っていることでも有名。
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“ストリートフード”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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バカンスの季節の夏は、イタリアではストリートフードの季節なんですね。
でも、方言で食べる(by チッチョ・スルターノ)と表現される通り、通りすがりの観光客には、ちょっと敷居の高い食べ物です。
今回解説に載せた料理は、まずパレルモのスフィンチョーネ。
なんと、一番有名なシチリア料理だと言う人もいます。
パレルモのストリートフードにしては珍しく、内臓は入っていません。
パレルモ風フォカッチャ、またはパレルモ風ピッツァです。
クリスマスの定番の食べ物なんだそうです。
生み出したのは修道女と言われています。
なんのトッピングもない質素なパンを、お金をかけずにクリスマス用のゴージャスなパンに変身させた、ということでしょうか。
スフィンチョーネの語源はラテン語でスポンジという意味。
おそらく、パン生地の柔らかさを表しているのでしょう。
このスタイルで売るのが伝統的。
ピッツァ生地に玉ねぎ入りトマトソースを塗ってアンチョビとカチョカヴァッロを加えて焼きます。
シンプルで経済的なのに、美味しそう。
スフィンチョーネはパレルモ限定のストリートフードですが、パレルモ近郊のバゲリアという町にはバリエーションの一種が作られていて、スファンチョーネ・バゲレーゼとか、スフィンチョーネ・ビアンカと呼ばれています。
バゲリアでだけ造られている珍しいスフィンチョーネです。
パレルモ風とは全く違うと力説していますが、その違いは両方食べないとわからないなあ。
それにしても、シチリアの人はパン粉が好きですね。
パスタに散らすのはよく見ますが、パンをパン粉で覆うとは、すごいアイデア。
パレルモでスフィンチョーネを食べたくても、あのオート三輪に出会えるかどうかは不確かなので、スフィンチョーネを売っていて、ガンベロ・ロッソの『ストリート・フード』でも高く評価されている人気の店を1軒、ご紹介します。
店の名前は、Panificio Graziano /via del Granatiere 11。
ネットの評価は上々で、パレルモで一番美味しいカットピッツァの店、かつ一番美味しいスフィンチョーネの店として知られています。
中心地から離れていて観光客には知られていないのですが、店は地元の人で一杯なんだそうですよ。
スフィンチョーネの王様や~という投稿もありました。
それにしても、パン生地にトマトソース、アンチョビ、チーズをのせたフォカッチャとなると、どこでパレルモらしさを出すのでしょうか。
材料を見る限り、唯一、パレルモ特産と言えるのは、カチョカヴァッロですかね。
カチョカヴァッロには、カチョカヴァッロ・シチリアーノという分類があって、その中の一種が、カチョカヴァッロ・パレルミターノというチーズです。
カチョカヴァッロは、モッツァレッラと同じ、パスタ・フィラータのチーズですが、熟成させるので辛みなどが生まれます。
パレルモに行く機会があったら、パニフィーチョ・グラツィアーノまで出かけてパレルモで一番美味しいスフィンチョーネを食べて、ちょっと足を延ばして東隣のバゲリアに行って、スフィンチョ―ネを食べ比べる、というのはどうでしょう。
ちなみに上の動画では、下記の5軒の店を紹介しています。
i forni storici di Bagheria: Buttitta, Liga, Lo Presti, Ragusa, Varisco
どの店も高評価のようです。
とろこで、そもそもバゲリアってどんな街?
パレルモ県ではパレルモに次いで人口の多い街だそうです。
『ニューシネマパラダイス』で知られるジュゼッペ・トルナトーレ監督の故郷。
『シチリア!シチリア!』は監督が故郷を舞台に撮った映画。
さらに、パレルモのベッドタウンだったおかげて貴族の館がたくさん残っていることでも有名。
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“ストリートフード”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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2016年10月11日火曜日
カリアリ
今日は「総合解説」のグルメガイドから、カリアリのビシュアル解説です。
独特の方言があるサルデーニャ。
そのサルデーニャの言葉で城という意味のカステッドゥと呼ばれるカリアリ。
サルデーニャ島の南の端にあるこの町のキーワードは、丘。
歴史地区の中心にあるのが、城壁に囲まれた城がそびえる丘。
城の周囲に町が広がっています。
カリアリの城
↓
城があるカステッロ地区の丘の上からは、ふもとの港や海まで見渡せます。
カリアリは海に囲まれた町です。
ふもとには、イタリア最大の屋内市場があるサン・ベネデット地区、長く続く砂浜など、まったく別の顔が。
海の街、カリアリ
↓
アサリのフレーゴラや、ズッパ・ディ・ペッシェのサ・カッソーラが名物なのはこの一角。
市場でお買い物。
↓
アサリのフレーゴラ
↓
さらに、海岸には、生ウニを売る店もでています。
地元の白ワイン、ヌラーグスDocを飲みながらどうぞ。
もうバカンスのシーズンは終わったのに、まだバカンスの気分を引きずっている人は、ウニのパスタにサルデーニャの白ワインを添えて食べたくなる。
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“カリアリ”のグルメガイドの日本語訳は、「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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独特の方言があるサルデーニャ。
そのサルデーニャの言葉で城という意味のカステッドゥと呼ばれるカリアリ。
サルデーニャ島の南の端にあるこの町のキーワードは、丘。
歴史地区の中心にあるのが、城壁に囲まれた城がそびえる丘。
城の周囲に町が広がっています。
カリアリの城
↓
城があるカステッロ地区の丘の上からは、ふもとの港や海まで見渡せます。
カリアリは海に囲まれた町です。
ふもとには、イタリア最大の屋内市場があるサン・ベネデット地区、長く続く砂浜など、まったく別の顔が。
海の街、カリアリ
↓
アサリのフレーゴラや、ズッパ・ディ・ペッシェのサ・カッソーラが名物なのはこの一角。
市場でお買い物。
↓
アサリのフレーゴラ
↓
さらに、海岸には、生ウニを売る店もでています。
地元の白ワイン、ヌラーグスDocを飲みながらどうぞ。
もうバカンスのシーズンは終わったのに、まだバカンスの気分を引きずっている人は、ウニのパスタにサルデーニャの白ワインを添えて食べたくなる。
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“カリアリ”のグルメガイドの日本語訳は、「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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2016年10月6日木曜日
国民的パスタソースとパスタ・リゾッタータ
先日、“アーリオ・オーリオ”について調べた時に読んだスローフードの“リチェッテ・ディ・オステリア”シリーズの『パスタ』の中にあった言葉、sughi nazionaliが、ずっと頭に引っかかっています。
正確には、スーギ・ディ・パスタ・ナツィオナーリ。
訳すと、国民的パスタソース、という意味です。
イタリアの国民的パスタソース。
当然、日本でもよく知られていて、いわゆるイタリア料理のイメージを代表するパスタソースです。
イタリア料理を語る上で、もっとも基本となるものです。
さて、あなただったら、何を挙げますか?
本に書かれていたのは、ラグー・アッラ・ボロニェーゼ、アマトリチャーナ、カルボナーラ、ペスト・ジェノヴェーゼ、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、カーチョ・エ・ペペ、フレッシュトマトとバジリコ、アッラ・マリナーラ、ヴォンゴレ、プッタネスカ、ノルマといったラインナップ。
日本でも人気のものばかりですね。
北から南までありますが、主にラツィオとカンパーニアの伝統パスタソースです。
これらの伝統的なものの他に、もっと新しい、アッラ・コンタディーナ、アッラ・ボスカイオーラ、アッラ・アッラッビアータなどがあります。
さらに歴史的に見れば、イタリアのパスタソースには、トマト化という大きな転換期がありました。
1例を挙げれば、グリーチャにトマトが加わってアマトリチャーナになったようなことです。
イタリアのパスタソースには、野菜のソースという独特の分野もあります。
カルチョーフィ、ファーヴェ、ファジョーリ、ズッキーネ、フィオーリ・ディ・ズッカ、メランザーネ、ブロッコリ、チーメ・ディ・ラパ、チコリエッレといったイタリア野菜や、カポナティーナ、ケッパーとオリーブなどです。
国民的パスタソース、面白いテーマですね。
今後、「総合解説」で取り上げてみようかな。
販売している料理書の中から、国民的パスタソースのリチェッタを集めて訳す、というのはどうでょしょう。
少し先になると思いますが、急にやる気が出てきました。
需要があるといいのですが。
ソースの話をしたら、切っても切れないのがパスタの話です。
最近、リチェッタを訳していてとても目につくのが、パスタをリゾットと同じテクニックで作る料理です。
アーリオ・オーリオやカーチョ・エ・ぺぺのようなシンプルなソースの基本のテクニックですが、最近では、グランシェフの料理を中心にあらゆるパスタに広まっています。
パスタの一番新しいトレンドかも、と感じています。
パスタ・リゾッタータ
↓
リゾッタータには、イタリア人が求めるパスタの特徴が表れていると感じています。
この作り方だと、パスタからでんぷんが溶け出て、煮汁にとろみがつきます。
ただし、でんぷんがたくさん溶け出せばいい、という訳ではありません。
例えば、イタリア人がリゾットに使うのは、わざわざでんぷんの量を少なくしたアルボーリオやカルナローリといった品種の米です。
パスタをゆでる時にパスタからゆで汁に溶け出る成分は、ソースの味にも影響します。
さらにゆでる温度や長さなど、ゆで方によって溶け出る成分にも違いがあります。
何が溶け出るかは、麺を何度で何時間乾燥させるか、何製のダイスを使うかなど、パスタの製法や原材料によっても違います。
ゆでた時に麺がどれだけでんぷんに覆われているかなんて、考えたことなかったけど、パスタのゆで方の話になると、イタリアではでんぷんという言葉がキーワードになっているような気がします。
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正確には、スーギ・ディ・パスタ・ナツィオナーリ。
訳すと、国民的パスタソース、という意味です。
イタリアの国民的パスタソース。
当然、日本でもよく知られていて、いわゆるイタリア料理のイメージを代表するパスタソースです。
イタリア料理を語る上で、もっとも基本となるものです。
さて、あなただったら、何を挙げますか?
本に書かれていたのは、ラグー・アッラ・ボロニェーゼ、アマトリチャーナ、カルボナーラ、ペスト・ジェノヴェーゼ、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、カーチョ・エ・ペペ、フレッシュトマトとバジリコ、アッラ・マリナーラ、ヴォンゴレ、プッタネスカ、ノルマといったラインナップ。
日本でも人気のものばかりですね。
北から南までありますが、主にラツィオとカンパーニアの伝統パスタソースです。
これらの伝統的なものの他に、もっと新しい、アッラ・コンタディーナ、アッラ・ボスカイオーラ、アッラ・アッラッビアータなどがあります。
さらに歴史的に見れば、イタリアのパスタソースには、トマト化という大きな転換期がありました。
1例を挙げれば、グリーチャにトマトが加わってアマトリチャーナになったようなことです。
イタリアのパスタソースには、野菜のソースという独特の分野もあります。
カルチョーフィ、ファーヴェ、ファジョーリ、ズッキーネ、フィオーリ・ディ・ズッカ、メランザーネ、ブロッコリ、チーメ・ディ・ラパ、チコリエッレといったイタリア野菜や、カポナティーナ、ケッパーとオリーブなどです。
国民的パスタソース、面白いテーマですね。
今後、「総合解説」で取り上げてみようかな。
販売している料理書の中から、国民的パスタソースのリチェッタを集めて訳す、というのはどうでょしょう。
少し先になると思いますが、急にやる気が出てきました。
需要があるといいのですが。
ソースの話をしたら、切っても切れないのがパスタの話です。
最近、リチェッタを訳していてとても目につくのが、パスタをリゾットと同じテクニックで作る料理です。
アーリオ・オーリオやカーチョ・エ・ぺぺのようなシンプルなソースの基本のテクニックですが、最近では、グランシェフの料理を中心にあらゆるパスタに広まっています。
パスタの一番新しいトレンドかも、と感じています。
パスタ・リゾッタータ
↓
リゾッタータには、イタリア人が求めるパスタの特徴が表れていると感じています。
この作り方だと、パスタからでんぷんが溶け出て、煮汁にとろみがつきます。
ただし、でんぷんがたくさん溶け出せばいい、という訳ではありません。
例えば、イタリア人がリゾットに使うのは、わざわざでんぷんの量を少なくしたアルボーリオやカルナローリといった品種の米です。
パスタをゆでる時にパスタからゆで汁に溶け出る成分は、ソースの味にも影響します。
さらにゆでる温度や長さなど、ゆで方によって溶け出る成分にも違いがあります。
何が溶け出るかは、麺を何度で何時間乾燥させるか、何製のダイスを使うかなど、パスタの製法や原材料によっても違います。
ゆでた時に麺がどれだけでんぷんに覆われているかなんて、考えたことなかったけど、パスタのゆで方の話になると、イタリアではでんぷんという言葉がキーワードになっているような気がします。
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2016年10月3日月曜日
日伊国交150周年とジュビレオ
今日はイタリア便りです。
それではsegnalibroさん、どうぞ~。
初めてイタリアの地を踏んだといわれる日本人の肖像画を、昨年、ミラノで見せていただく機会に恵まれました。
16C後半、キリスト教を学ぶため、九州から派遣された天正遣欧少年使節団の一員、伊東マンショの肖像画です。
2014年にその存在が発表されたときには、イタリアの新聞にも取り上げられました。
当時、日本の王のご子息御一行様がいらっしゃったとヴァチカンで大歓迎を受け、ヴェネチアでは巨匠ティントレットの息子、ドメニコ・ティントレットに肖像画を描いてもらったようです。
ティントレットの絵は暗いイメージがあるのですが、息子の絵も同じなんですね。
この絵は、ミラノの元貴族が所有していたのですが、財産分けの際、修復家に4カ月かけて綺麗にしてもらい鑑定をお願いしたところ、後ろにMANCIO ITO の文字が判明。
所有者も、まさかこれが日本人であるとは思っていなかったのだとか。
芸術に疎い私が見ても、日本人にもティーンエイジャーの若者にも見えないこの肖像画は、想像していたより大きくて、彼らがその後たどった運命を思うと、感慨深いものがありました。
今年は日伊国交樹立150周年だそうで、その記念行事の一環として、この絵が日本で特別公開されています。
東京国立博物館と長崎での展示を終え、現在は宮崎県立博物館にて10/16まで里帰り中です。
・・・こういうお知らせは、もっと早くするものですね、すみません。
イタリアで大歓迎を受けた天正遣欧少年使節団が、どんな食卓を囲んだのか気になるところです。
16Cのイタリアでは、手を洗うとか、フォークを使って中央の大皿から食べ物を取るということが習慣になりつつあったそうです。
スペインからリヴォルノに到着したのが3月。
リヴォルノ風バカラは食べたのかな、とか、ローマではカルチョフィを食べたかも、などと妄想するのは楽しいです。
さて、今年はカトリック教徒には大切な年、ジュビレオと言われる聖年でもあります。
先日、相方は地元教会の主催するジュビレオツアーに行って来ました。
ローマ4大バジリカを巡り、ヴァチカンでは水曜のミサに参加、アッシジに寄って帰ってくるという、1週間のツアーです。
教会付属の施設に宿泊。
最低限のものはそろっていて清潔だったそうですが、ローマではテレビがお部屋になかったと、不平を言っていました。
秋になり体重が増えてしまった相方、お食事も教会付属の施設内なので、きっと痩せて帰って来るだろうと思っていたら、見事に増量して帰宅しました。
プリモやセコンドはそれぞれ2種類から選ぶのだそうですが、家庭的なお食事がなかなか美味しかったようで、プリモの後にビス(bis)プリモ、セコンドの後にまたビス・セコンドと2回ずつ食べ、その後はドルチェも食べていたのだとか。
ジュビレオツアーで贖罪を受け、キレイな体で帰って来るのを期待していましたが、全くもって、煩悩からの解脱はできなかったようです。
食欲の秋、私も太らないように気をつけなくちゃ。
教会のツアーに参加するというのは一般的なことなんでしょうか。
信心深いんですねえ。
私は、学生時代にバックパック旅行した時(すんごい昔だけど)、イタリア各地の教会の宿泊施設を利用させていただきました。
大部屋だけど、格安だったなあ。
外国人旅行者だけでなく、家族が入院したので長期の付き添いできた、などのイタリア人もいました。
イタリアの教会のおもてなしは、じわーっとあったかいなあと思いましたよ。
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それではsegnalibroさん、どうぞ~。
初めてイタリアの地を踏んだといわれる日本人の肖像画を、昨年、ミラノで見せていただく機会に恵まれました。
16C後半、キリスト教を学ぶため、九州から派遣された天正遣欧少年使節団の一員、伊東マンショの肖像画です。
2014年にその存在が発表されたときには、イタリアの新聞にも取り上げられました。
当時、日本の王のご子息御一行様がいらっしゃったとヴァチカンで大歓迎を受け、ヴェネチアでは巨匠ティントレットの息子、ドメニコ・ティントレットに肖像画を描いてもらったようです。
ティントレットの絵は暗いイメージがあるのですが、息子の絵も同じなんですね。
この絵は、ミラノの元貴族が所有していたのですが、財産分けの際、修復家に4カ月かけて綺麗にしてもらい鑑定をお願いしたところ、後ろにMANCIO ITO の文字が判明。
所有者も、まさかこれが日本人であるとは思っていなかったのだとか。
芸術に疎い私が見ても、日本人にもティーンエイジャーの若者にも見えないこの肖像画は、想像していたより大きくて、彼らがその後たどった運命を思うと、感慨深いものがありました。
今年は日伊国交樹立150周年だそうで、その記念行事の一環として、この絵が日本で特別公開されています。
東京国立博物館と長崎での展示を終え、現在は宮崎県立博物館にて10/16まで里帰り中です。
・・・こういうお知らせは、もっと早くするものですね、すみません。
イタリアで大歓迎を受けた天正遣欧少年使節団が、どんな食卓を囲んだのか気になるところです。
16Cのイタリアでは、手を洗うとか、フォークを使って中央の大皿から食べ物を取るということが習慣になりつつあったそうです。
スペインからリヴォルノに到着したのが3月。
リヴォルノ風バカラは食べたのかな、とか、ローマではカルチョフィを食べたかも、などと妄想するのは楽しいです。
さて、今年はカトリック教徒には大切な年、ジュビレオと言われる聖年でもあります。
先日、相方は地元教会の主催するジュビレオツアーに行って来ました。
ローマ4大バジリカを巡り、ヴァチカンでは水曜のミサに参加、アッシジに寄って帰ってくるという、1週間のツアーです。
教会付属の施設に宿泊。
最低限のものはそろっていて清潔だったそうですが、ローマではテレビがお部屋になかったと、不平を言っていました。
秋になり体重が増えてしまった相方、お食事も教会付属の施設内なので、きっと痩せて帰って来るだろうと思っていたら、見事に増量して帰宅しました。
プリモやセコンドはそれぞれ2種類から選ぶのだそうですが、家庭的なお食事がなかなか美味しかったようで、プリモの後にビス(bis)プリモ、セコンドの後にまたビス・セコンドと2回ずつ食べ、その後はドルチェも食べていたのだとか。
ジュビレオツアーで贖罪を受け、キレイな体で帰って来るのを期待していましたが、全くもって、煩悩からの解脱はできなかったようです。
食欲の秋、私も太らないように気をつけなくちゃ。
教会のツアーに参加するというのは一般的なことなんでしょうか。
信心深いんですねえ。
私は、学生時代にバックパック旅行した時(すんごい昔だけど)、イタリア各地の教会の宿泊施設を利用させていただきました。
大部屋だけど、格安だったなあ。
外国人旅行者だけでなく、家族が入院したので長期の付き添いできた、などのイタリア人もいました。
イタリアの教会のおもてなしは、じわーっとあったかいなあと思いましたよ。
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