2010年6月17日木曜日

マルコ・ポーロ伝説の真実?

スパゲッティの歴史編、その4。

ちょっと話は戻りますが・・・
イタリアのパスタがどうやって誕生したのかについては、中国から伝わったという説と、アラブから伝わったという説が有名ですよね。
一番有名な「伝説」は、1279年に中国からイタリアに戻ったマルコ・ポーロが麺を伝えたという中国由来説。
でも、中国説はイタリアでは簡単には受け入れられないようです。
特にスパゲッティのルーツとは、誰も思っていない雰囲気。

たとえば、マルコ・ポーロの話は、アメリカのパスタ業界がアメリカにパスタと硬質小麦の栽培を根付かせるために作ったおとぎ話なんだそうです。
しかも、『The Oxford companion to food 』(Alan Davidson,Tom Jaine著)によると、それは1929年に『Macaroni Journal』というアメリカの雑誌に掲載された長文の広告で、完璧に冗談のつもりで書かれた内容なんだそうです。

そもそもこの話は、イタリアではマルコ・ポーロが戻るまでパスタは一切知られていなかったということが前提になっています。

それによると、マルコ・ポーロは1人のイタリア人の船員と共に東シナ海を航海していました。
この時点で、喜望峰の発見より数世紀前に?という疑問が浮かびますねえ。
水を補給するために上陸した時、女性たちがなにやら生地を練っている姿を見た、と船員が報告してきました。
そこでマルコ・ポーロと船長は、その様子を再現するように言います。
その船員の名前が、なんとマカロニMacaroni。
本では、「これを読んで冗談だと思わない人はいないはずだが、この話の何かが大衆心理のつぼをとらえてしまったようだ」と分析しています。

まったく、こんなどうしようもない話をみんな真剣に議論していたのかと思うと、軽く怒りがこみ上げてきますよねえ。

このMacaroni Journal、アメリカパスタ協会が発行していたもので、現在はPasta Journalというタイトルになっているそうです。
アメリカパスタ協会のサイトを見たら、「誰がパスタを発明したのか」というトピックがありました(こちら)。
そこには
「マルコ・ポーロが極東からイタリアにパスタを伝えたという有名な伝説がありますが、紀元前4世紀のエトルリアの遺跡にパスタを作っていたと思われる痕跡が残っています」
という説明が載っています。
Macaroni Journalの話は完璧にスルーですねえ。

イタリアのデルヴェルデのサイト(こちら)では、
「中国で栽培されていた小麦は軟質小麦なので、乾麺には適しません。
だからマルコ・ポーロの話は何かの誤った解釈から生まれたのでしょう」
という説を載せています。
これを書いた人も、Macaroni Journalの話を知ったらブチ切れそうですよ。


中国起源説は否定的な話がいくつも出てきますが、一方で、アラブ起源説とは、どういうものなのでしょうか。

イタリアのパスタとアラブの関係を伝える最古のものとして知られているのは、1154年頃の文書です。
書いたのは、Al-Idrisiというアラブ人(正確には北アフリカのベルベル人)の地理学者。
地中海諸国を旅した後に、シチリア王に招かれて、1145年頃にシチリアの宮廷に仕えるようになりました。
当時のシチリアは、ヴァイキングことノルマン人によるノルマン朝シチリア王国の時代。
彼を招いた王様は、シチリア王国の初代の王、ルッジェーロ2世。
当時のシチリアは、イタリア人、ノルマン人、アラブ人など様々な民族によって構成されていました。


その文書の内容は次回に。



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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2008年6月号
“パスタ”の記事の解説は「総合解説」07&08年6月号に載っています。

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