2009年7月30日木曜日

カスティリオン・デル・ボスコ

今日はワインの話。
『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事の解説です。

今回取り上げるのは、カスティリオン・デル・ボスコ Castiglion del Bosco 。

最近注目を集めているモンタルチーノのワイナリーで、代表的なワインはブルネッロ・ディ・モンタルチーノ・“カンポ・デル・ドラゴ” Campo del Drago ”。
hpはこちら


エノロゴはチェチーリア・レオネスキさん。
この人

カスティリオン・デル・ボスコは何と言っても、
「あのフェラガモのワイナリー」
というのがうたい文句。

フェラガモと言えば、イタリアが誇る有名ファッションブランドの一つですよね。
本拠地のあるフィレンツェには、フェラガモ博物館もあります。

フェラガモは、カンパーニア生まれのサルヴァトーレ・フェラガモさんが一代で築き上げたブランド。
15歳でアメリカに渡り、ハリウッドスター御用達の靴職人として大成功。
その後イタリアに戻り、フィレンツェで開業。
1960年に没した後は、妻や子供たちが事業を受け継ぎ、今では同族経営の会社として、手広く事業を展開しています。


カスティリオン・デル・ボスコを経営するのは、サルヴァトーレ・フェラガモ氏の末息子で、フェラガモUSAの社長、マッシモ・フェラガモ氏。

彼がカスティリオン・デル・ボスコを手に入れたのは2003年のこと。

『クチーナ・エ・ヴィーニ』のインタビューで彼は、
「カスティリオン・デル・ボスコとフェラガモのブランドは、まったく別のものだということを、皆さんにはぜひ知ってもらいたい」
と言っています。
でも、それは無理な話ですよねえ。
誰もが、「フェラガモのワイン」て記憶しますって。

マッシモさんはこうも言っています。

「ブルネッロを造るという楽しい冒険は、冗談から生まれたようなものでした。
友人たちの小さなグループで、ぶどう畑と賃貸用の田舎家のある農園を買いたいと思っていたところに、たまたまカスティリオン・デル・ボスコを手に入れる機会が巡ってきたのです」

冗談から始まったという話は、成功したワイナリーの裏話としては、よくあることです。
友人たちと農園を買おうと思っていたというのも、まあそう珍しい話ではありません。
でも、たまたま機会があって手に入れたというその土地が、“1,700ヘクタール”ですよ!
ニューヨークのセントラルパークの5倍で、モナコ公国の9倍ですよ!
しかもモンタルチーノと言えば、世界遺産ヴァル・ドルチャの一部ですよ!
そんな場所でこれだけ広大な土地を買うって、どんだけ話がでかいんですか。
こりゃもう完全に、セレブの世界の話ですよ。
何が楽しい冒険ですか。

しかも、さすがはバリバリの実業家。
その広大な土地を手に入れて、さっそく、まったく新しいビジネス展開を思いついちゃったんですねー。
つまりこの土地を、イタリアのワイン業界では初の“会員制クラブ”にしたんです。

詳しいことは知りませんが、なんでも、会員はこの土地を所有する株式会社に投資して、この土地の別荘、ホテル、ゴルフ場などを利用し、かつ、ワインなどから上がった利益の配当を受ける、というシステムのよう。

世界遺産になっている場所でゴルフ場やワイナリーの権利を所有して、しかもそのワインが極上品とくれば、きっと世界中のお金持ちは、ちょっと趣味で投資してみようか、なんて気にもなるってもんです。
お見事ですねー。
さすがはフェラガモ魂。
私だって、もしどこかの大金持ちの親戚が遺産でも残してくれたら、ちょっと一口買ってみようかなんて気になっちゃいますよ。

土地の価値を高めるためにマッシモ氏が取った戦略の一つが、モンタルチーノで最高のワインを造れ!というもの。
フレスコバルディのエノロゴ、ニコッロ・ダッフリット氏を顧問に迎えるなど最高のチームを揃えて、本腰を入れて取り組んでます。

ワインの品質が資産の価値に結びつくとしたら、経営者としては手が抜けないですよね。
消費者にとってもいい話。
この世界的な不況の時代に、実業家が造る新しいブルネッロがどう進化していくのか、なかなか面白そう。


カスティリオン・デル・ボスコの施設の一部。
撮影してる人は会員さんですかね。





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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2008年2月号
“カスティリオン・デル・ボスコ”の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年2月号、P.38に載っています。


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2009年7月27日月曜日

アイモ・エ・ナディア

今日はミラノの有名レストランの話。
『ア・ターヴォラ』の記事の解説です。

店の名前は、イル・ルオーゴ・ディ・アイモ・エ・ナディア。

アイモとナディアというご夫婦の店。
夫婦と言うと、普通はどちらか一方がシェフでどちらかがサービス担当、というケースが多いですが、この店は二人ともシェフ。

2008年、店の厨房にて
中央がアイモさん、その左がナディアさん。


アイモ・モローニ氏は、1934年トスカーナで生まれ、第二次大戦後にミラノに移りました。
お母さんはトスカーナの貴族の家の料理人だったそうです。
アイモさんは13歳で皿洗いから始めたバリバリの生え抜き料理人。
自分の店を持ったのは、1955年のこと。
“ダ・アイモ”という店でした。
すでにナディアさんもいました。
そしてその後、店名を現在の“アイモ・エ・ナディア”に変えて、場所も現在の場所に移ります。
現在、ミシュランでは2つ星を獲得しています。

50年もの間名声を保ち、そして75歳の今なお現役(調理は若手に任せているようですが)というのは、ほんとにスゴイ!
しかもその間、夫婦はいつも一緒。
アイモさんは奥さまのことを、恋人で友人で一番難しい客、と言っています。
おしどり夫婦ですねえ♪


アイモ・エ・ナディアの料理の特徴は、まず、超高価なものや奇をてらった食材ではなく、けれども選び抜いた食材を使うということ。
さらに、それらは深く考えられた、斬新で洗練された方法で料理に仕上げられているのに、なぜか懐かしさやぬくもりを感じる、ということ。
それは、1965年から出しているという店の名物料理、“葉玉ねぎと唐辛子のスパゲッティ”にも表れています。

こんな料理

一見、地味なスパゲッティですよね。
でも実は・・・、
このスパゲッティは、以前このブログで紹介したこともある“セナトーレ・カッペッリ”という硬質小麦を使ったものです。
薪で焼いたパンのような香りと、煮崩れしない腰の強さが特徴。
葉玉ねぎは、赤玉ねぎで有名なカラプリアのトロペア産。
これを千切りにして、ローリエ、にんにくと一緒に野菜のブロードで炒め煮にします。
火から下ろしたら生唐辛子を少量加えて辛味をプラス。
スパゲッティを入れた後、マンテカーレに加えるパルミジャーノはストラヴェッキオ。
一緒にパキーノトマトも加えます。
そして仕上げに散らす香草はバジリコ。
他にタイムとプレッツェーモロも入っています。


店のhpでは、この葉玉ねぎのスパゲッティを含むいくつかの料理が紹介されています。


こちらはアイモ・エ・ナディアの料理集。
表紙の料理、パッションフルーツに詰めた“サンレモエビのマリネ”もスペチャリタの一つ。




アイモ・エ・ナディアに食事に行くラッキーな機会に恵まれたら、葉玉ねぎのスパゲッティとサンレモエビのマリネを味わうのをお忘れなく。



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関連誌;『ア・ターヴォラ』2007年2月号
サンレモエビのマリネを含む“アイモ&ナディア”のリチェッタは、「総合解説」'07&'08年2月号、P.16に載っています。


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2009年7月24日金曜日

ベビーフェンネル

今日はベビーフェンネルの話。
『サーレ・エ・ペペ』の記事の解説です。

ベビーフェンネルは、イタリア語では、フィノッキオ・ベビー finocchio baby 、ベビー・フィノッキオ、またはフィノッキオ・ピッコロ。



ケンタッキーのファーマーズマーケットのベビーフェンネル
photo by toddmundt


スズキのベビーフェンネル添え

帆立貝のベビーフェンネル添え

ベビーフェンネルのピクルス


『サーレ・エ・ペペ』では、カステッロ・マルヴェッツィ(ブレッシャ)のシェフ、アレッサンドロ・カッポット氏が、“子牛頬肉のボッリート、赤ワインソース”の付け合わせに、アルデンテにゆでたベビーフィノッキオを添えています。


地中海生まれの野菜、フィノッキオ。
日本では全然メジャーになれませんが、アメリカではベビーフィノッキオを市場で売ってたりするんですねえ。

ヨーロッパではどうなんでしょう。

現在、ヨーロッパのフィノッキオの約90%は、イタリアで消費されているんだそうです。
実は、フランス、スイス、ドイツ以外では、ヨーロッパでもそれほどメジャーじゃなかった。


フランスに本拠を置く大手種苗会社Clauseのイタリア支社長が言うには、
「フィノッキオの未来はベビーにかかってる」らしいです。

この会社、イタリア以外の国にもフィノッキオを広めようとして取った作戦が、フィノッキオのチビ化。
ミニ野菜は、イギリスでヒットしたのがきっかけで欧米中に広まったんだそうです。
このブームに乗っかろうと言う訳ですねー。

ベビーフィノッキオのセールスポイントは、
「味は普通のフィノッキオと同じで、しかも結球部分は全部食べることができるので、捨てる部分が少ない」

ただし欠点は、コストが普通のフィノッキオよりかかること。

現在イタリアでは、Clause以外にも2社がベビーフィノッキオの開発に取り組んでいて、小さいものでは1個80gぐらいからあるようです。

イタリア生まれのベビーフィノッキオは、はたしてヨーロッパを制覇することができるのでしょうか。
そしていつの日か、日本までたどり着くんでしょうか。



動画は、フランス出身でボストン在住のシェフ、ジャッキー・ロベール氏が作るスズキのグリルのベビーフェンネル添え。
ベビーフィノッキオとカルチョーフィをトマトソースに入れて蒸し煮にしています。






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関連誌;『サーレ・エ・ペペ』2007年2月号
“シェフ~アレッサンドロ・カッポット”のリチェッタは、「総合解説」'07&'08年2月号、P.12に載っています。


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2009年7月21日火曜日

カンパーニアのリゾット

今日はリゾットの話。
『サーレ・エ・ペペ』の記事の解説です。

リゾットというと、北イタリアの料理というイメージ。
米作地帯であるロンバルディアやヴェネトのプリーモ・ピアットとして、よく知られていますよね。
ミラノ風のサフランのリゾットとか、ヴェネチアのイカ墨のリゾットとか。



黄色いリゾット・アッラ・ミラネーゼ, photo by brocha



そして黒いイカ墨のリゾット。これはサンフランシスコ郊外のレストランの一品
photo by mswine


じゃあ、ナポリやシチリアなど、南イタリアのリゾットというのはどうでしょう。
・・・・・。
うーん、あまり見かけないかも。

そんな、南イタリアではあまり印象に残らないリゾットですが、『サーレ・エ・ペペ』では、カンパーニアのリゾットというのを一品紹介しています。

“リゾット・ブルシャート Risotto brusciato”。




赤いリゾットです。
赤と言うか、トマト色ですね。
“ブルシャート”とは、「焼けた」という意味の“ブルチャート”の方言だと思われます。
赤く焼けたような、赤銅色のリゾットです。

そう言えば、トマト色のリゾットというのは、あまりないような・・・。
サルトゥやアランチーニのように、パイで包んだり揚げたりする時は赤いリゾットも使いますが、チキンライスやパエリヤのような、外見が赤い米料理って、それほどメジャーではない気がします。

このリゾット・ブルシャート、材料がいかにも南イタリア。
トマトソースだけでなく、カチョカヴァッロも入っています。

作り方は、

材料4人分
 米(アルボーリオ)・・300g
 カチョカヴァッロ・スタジョナート・・200g
 トマトソース・・1リットル
 バジリコ・・4枚
 プレッツェーモロ
 EVオリーブオイル
 塩、こしょう

・カチョカヴァッロを小角切りにし、オリーブオイル大さじ5で揚げて焼き色をつける。
・ここに米を入れて2~3分炒め、沸騰したトマトソースをかけて1~2㎝上まで覆う。
・塩で調味し、残りのトマトソースを加えながら煮る。ソースの水気がなくなったら湯を加える。
・仕上げにプレッツェーモロのみじん切り、ちぎったバジリコ、こしょうを散らして混ぜる。


トマトソースの代わりに、裏漉しトマトをゆるめに煮詰めたもので煮るリチェッタもあります。


北のイメージのあるリゾットも、トマト色になるとすっかり地中海料理に変身しますねー。
これに鶏肉が入れば、チキンライスにかなり近いかも・・・。
と思ったら、『サーレ・エ・ペペ』で、鶏肉とトマトソースのリゾットも紹介していました。
ヴェネト地方の“リゾット・アッラ・ズビッラーリア Risotto alla sbirraglia”という一品です。





“ズビッラーリア”とは、イタリア語で「警官」という意味の“ズビッロ”という言葉が語源。
この料理の場合は特にオーストリア人の警官のことを意味していて、彼らがこのチキンリゾットが大好きだったことからこう呼ばれるようになったとか。

作り方は、まず、玉ねぎなど香味野菜のみじん切りをバターとオリーブオイルでソッフリットにし、小さく切った鶏肉(レバーを加える場合もあり)を加えて炒めます。
ここにトマトソースとブロードを加えてしっかり煮ます。
塩味を整えたら米を加え、ブロードをかけながらリゾットに煮ます。
仕上げにパルミジャーノでマンテカーレ。

リゾット・アッラ・ズビッラーリアは言いにくいので、英語ではチキン・リゾットと呼ぶみたいですね。



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関連誌;『サーレ・エ・ペペ』2007年2月号
“リゾット”のリチェッタは、「総合解説」'07&'08年2月号、P.2に載っています。


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2009年7月16日木曜日

ババのリチェッタ

今日はババのリチェッタ編。


ナポリのパスティッチェリーアのババ, photo by by skinnydiver


まずは、『ラ・クチーナ・イタリアーナ』のリチェッタ。
こちらで紹介されています。
ババの大きさは色々ですが、これは小型で、ホイップクリームで飾るバージョンです。

Il Babà

材料:16個分
 小麦粉・・250g
 生イースト・・12g
 バター・・125g
 牛乳・・40g
 砂糖・・25g
 卵黄・・3個
 バニラパウダー・・1袋
 レモン、塩
 型用バターと小麦粉

シロップとトッピング
 砂糖・・400g
 水・・750cc
 ラム酒・・200g
 あんずジャム
 ホイップクリーム

・小麦粉150gとぬるま湯85ccで溶いたイーストを混ぜて約30分発酵させ、残りの小麦粉、塩少々、バニラパウダー、砂糖、レモンの皮のすりおろし、卵黄、柔らかくしたバター、牛乳を加えてニーダーでこねる。
・弾力のある均質の生地になったら覆いをし、2倍の大きさになるまで発酵させる。
・台に移してさっとこね、16個に丸めて型(バターを塗って小麦粉をまぶしておく)に入れる。
・30分発酵させ、170℃のオーブンで30分焼く。
・ラム酒、砂糖、水を5分沸騰させてシロップにする。
・ババが熱いうちに型から出してあんずジャムを塗り、シロップに浸す。
・ババを半分に切り、たっぷりのホイップクリームで飾る。



・生地を少量ずつ取り分けて型に入れる作業は、前回紹介した動画の職人さんのように、むにゅっと押し出してポイッと入れるのが正統派のよう。

・ある職人さんは、小麦粉はマニトバ粉がいいと言っています。

・ナポリのパスティッチェリーア・スカトゥルキオでは、シロップ(配合は秘密らしい)に15~20分浸したら、まるでスポンジのように水気を絞るんだそうです。
それでも魔法のように元の形に戻る!
シロップには、カンパーニアのリキュール、ストレーガを加えているという話も。


ストレーガ, photo by kyz


スカトゥルキオのババは1個1.30ユーロ(約180円)。



次は、『Specialita' d'Italia』のリチェッタ。

材料:6個分
 小麦粉・・350g
 生イースト・・40g
 溶かしバター・・200g
 牛乳・・150cc
 砂糖・・20g
 卵黄・・6個
 卵白・・6個
 塩・・一つまみ

シロップ
 砂糖・・500g
 水・・1リットル
 ラム酒・・40cc
 レモンの皮のすりおろし・・1個分

・温めた牛乳少々でイーストを溶き、小麦粉を少しずつ加える。これを2倍の大きさになるまで発酵させる。
・卵黄、バター、砂糖を軽く泡立つまでホイップする。卵白と塩を堅く泡立てる。発酵させた生地に泡立てた卵黄を加え、さらに卵白適量を加えて適度な堅さにする。
・生地を小さな型か直径26㎝の型に入れ、2倍の大きさになるまで発酵させる。180度のオーブンで40分焼く。
・水に砂糖を加えて沸騰させ、弱火で10分熱してシロップにする。冷めたらラム酒とレモンの皮を加える。
・ババを皿にあけてシロップをかける。皿に落ちたシロップは再びババにかける。
・アマレーナのジャム、ホイップクリーム、生のいちご、ザバイオーネなどを添えてもよい。


この方法だとアルコールは飛ばないですねー。
シロップを火から下ろす直前にラム酒を加え、熱いシロップをババにかけて冷めたら仕上げに少量のラム酒を散らす、というリチェッタもあります。

『ヴィエ・デル・グスト』では、ナポリのババのお勧めの店として、スカトゥルキオと、もう一軒、こちらも老舗のカッラトゥーロを紹介しています。
これがカッラトゥーロのババ



よく見たら、ババの上にプルチネッラが乗ってスフォリアテッラを食べているという、ナポリの街角の看板, photo by Kliò


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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年2月号
“ババ”の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年2月号、P.31に載っています。


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2009年7月13日月曜日

ババとナポリの関係

ババの話、その2です。


ナポリを代表するパスティッチェリーア、スカトゥルキオのババ
photo by francescominciotti


元ポーランド王レシチニスキが、フランスのロレーヌ公国で、クグロフからババを考え出したのは1740年代のこと。
このお菓子が、いったいどうしてナポリ名物になったのでしょうか。

当時のイタリアは、フランス、スペイン、オーストリアにあちこちを支配されて、その運命をもてあそばれていた時代です。
列強は、あっちを取ってはこっちを手放し、の繰り返し。
イタリアのどの地方がどの国の支配下にあるのか、もうごちゃごちゃで何が何だか・・・、という状況でした。


そもそも、レシチニスキがポーランドの王位を放棄し、その見返りにロレーヌ公国を与えられたのは、1733年に始まったポーランド継承戦争というのが原因でした。
フランスに後押しされたレシチニスキと、オーストリアやロシアが味方についたフリードリヒ・アウグスト2世が、ポーランドの王位をめぐって戦ったのです。
実はこの戦争が、ババがナポリの名物ドルチェになるそもそものきっかけでした。

最初レシチニスキは劣勢で、ロシア軍によってポーランドから追い払われ、フランスに亡命します。
ところがここで、スペインがレシチニスキの味方に付きました。
スペインは、オーストリアに取られたナポリとシチリアが欲しかったのです。
そして目論見通り、ナポリとシチリアの占領に成功します。

1738年、和平が成立して、領土の再編が行われました。
その結果、レシチニスキはポーランド王位を放棄し、オーストリアの勢力下にあったロレーヌをもらいます。
それまでロレーヌ公だったフランツ・シュテファンは、トスカーナ大公国を与えられました。
スペインはナポリとシチリアを取り戻し、その代わりに、パルマ公国をオーストリアに譲りました。
シロウトには、誰が得をして誰が損をしたのか、まったく分かりませんねー。
こういうのを丸く収めると言うんでしょうか。


そしてナポリですが、ここは13世紀からスペインの支配を受けていました。
ちなみに、この間のナポリの扱いは、植民地。
スペインに搾取されて、いわゆる「貧しい南部」となっていく下地が作られていきます。

ポーランド継承戦争後にナポリの支配者となったのは、カルロ7世。
後のスペイン・ブルボン朝の王様です。

スペイン・ブルボン朝というと、スペインなんだか、フランスなんだか、よく分からない名前ですねー。
実は、フランス・ブルボン朝のルイ14世の孫が、スペイン王として即位したために生まれた王朝なんです。
フランスとは血の繋がりがあったんですね。
現在のスペイン国王も、スペイン・ブルボン家の方なんだそうですよ。


スペインのおかげて敗北を免れた元ポーランド王。
元ポーランド王を口実に、ナポリを取り戻したスペイン。
その元ポーランド王が考え出したお菓子が、スペインが支配するナポリに伝わったのは何の因果か・・・。

ババは、まずナポリの支配階級の間に伝わりました。
富と権力をがっちり握っていた彼らの屋敷では、モンズーと呼ばれるお抱え料理人が料理を作っていました。
“モンズー”とは、フランス語の“ムッシュー”の南イタリア訛りです。
南イタリアの支配階級は、フランス風の料理が大好きでした。
そのため、料理人もフランスから呼び寄せたりしたんですね。
彼らがナポリにババを伝えたとする説が、有力のようです。


ババの話、次回はリチェッタです。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年2月号
“ババ”の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年2月号、P.31に載っています。

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2009年7月10日金曜日

ババ

今日はババの話。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。

ババ babà はナポリの名物ドルチェ。
特徴は、可愛いきのこ形。
でも外見とは裏腹に、アルコール度の高いラム酒のシロップをたっぷり吸い込んだ大人な味。
私の場合、何も知らずに生まれて初めてババを食べた時、フィレンツェのパスティッチェリーアの店内で酔っ払いになったという、人には言えない過去があります。



ババのラム酒シロップ漬け, photo by mararie



ババは名前からしてインパクトがあるドルチェですよねー。
イタリアの人は“ババ”をどんな風に発音するのか、ちょっと聞いてみてください。
ナポリのパスティッチェリーアのババとスフォリアテッラ作りの動画です。
見事というか、かなりイタリア~ンな手さばき!






この動画では、ババと言う名前は、『千夜一夜物語』のアリババからつけられたのではなく、ポーランド語で「おばあちゃん」という意味の“ババ”という言葉が語源ではないか、と言っています。
確かに、このドルチェの由来を考えるとポーランド語と言うのもありだけれど、「おばあちゃん」じゃ夢がないなあ。

ババは、なかなか壮大な背景を持つドルチェです。
何しろ、生みの親はポーランド王ですからねー。
正確には、王位を放棄した元ポーランド王。
スタニスワフ一世レシチニスキ(1677-1766)という人です。
こんな人→wiki

この人、王位を放棄した代償に、現在のフランス北部のロレーヌ地方にあたる、ロレーヌ公国を与えられました。
フランスに移り住んだ彼は、甘いものが好きだったようで、毎日お菓子を食べていました。
ロレーヌ地方の名物菓子と言えば、クグロフ。


photo by distopiandreamgirl


当然ながら、かなりの割合で、王様の料理人が作るデザートはこのクグロフです。
いくらおいしくても、毎日食べていると飽きてくるのは仕方のないこと。
しかもクグロフは発酵生地で、パサパサしていて喉に詰まる。
王様はクグロフをマデラ酒に浸してみました。
しっとりはするけれど、味が今一つピンとこない。
インパクトがないんです。
地元のワインでも試してみましたが、ロレーヌ地方の冬は寒いので、ワインでは物足りない。
体が暖まるような、もっと強いものが欲しい!

そしてとうとう見つけたのが、ラム酒です。
カリブ海生まれのサトウキビの酒。
インパクトはバッチリです。

冷静に考えれば、元王様は、ラム酒に浸すことを考え付いただけなのですが、この時以来、ババはポーランド王が考案したお菓子、というロマンチックな宣伝文句を手に入れたのでした。

ババという名前は『千夜一夜物語』のアリババから取った、という説には、実際には有力な根拠はないようです。
現代人から見ると、アラビアンナイト=ディズニー=子供向き、といったイメージもある『千夜一夜物語』を、いい歳をした王様が好きだったというのも、ちょっと不自然。
でも、『千夜一夜物語』が初めてフランス語に訳されてヨーロッパに伝わったのが18世紀始め、ということを考えると、ちょうどその時代に生きていた元ポーランド王が、アリババの話がお気に入りだったというのもあり!と思えてきます。

ただ、この説の弱点は、じゃあなぜ“アリババ”ではなくて“ババ”なのか、という疑問にすっきりした答えがない、ということ。
『ヴィエ・デル・グスト』では、「ナポリの人はアリババからアリを取ってババと呼んだ」と書いています。
でもこれは、「アリババが語源」説が前提の話ですね。

元ポーランド王がクグロフに手を加えた新しいお菓子は、イタリアのナポリとフランスのパリの二つに分かれて進化を遂げました。
ナポリではババとなり、パリではサヴァランとなります。

ババの話、次回に続きます。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年2月号
“ババ”の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年2月号、P.31に載っています。

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2009年7月8日水曜日

ラディッキオ、その2

今日はラディッキオの話、その2です。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。



左の丸いのはラディッキオ・ロッソ・ディ・キオッジャ、右の長いのはラディッキオ・ロッソ・ディ・トレヴィーゾ・プレコーチェ, photo by Jeremy Cherfas


ラディッキオ・ロッソ・ディ・トレヴィーゾ・タルディーヴォは、「冬の花 fiore d'inverno 」、というのがキャッチフレーズ。
11月に、最低2回は霜をかぶった後に収穫されるんだそうです。
でも、収穫してすぐに出荷するのではなく、その後数週間かけて軟白栽培するということは、前回の動画でご覧の通り。

この栽培方法が発見された経緯ははっきりしていませんが、言い伝えによると、19世紀末、ある農民が、家畜小屋に忘れ去られていたラディッキオを見つけて外側の葉を取り除いてみたところ、中から柔らかくて若い葉が出てきたのがきっかけだったとか。
つまり、ラディッキオは一度収穫しても、中心から再び芽が出てくる。
そしてその若い芽は、外側の葉に覆われているために光を浴びず、柔らかくて白くなる、ということを誰かが偶然発見したわけですね。


ラディッキオ・タルディーヴォの掃除の仕方を体験中






そう言えば、バッサーノのホワイトアスパラガスにも、似たような言い伝えがありました。
時は1545年、北イタリアのトレントで、カトリック教会の公会議という大きな会議が開かれた時のことです。
この会議には、各地から司教たちが集合しました。
司教たちは、主にヴェネチアを経由してトレントまでやって来ます。
ヴェネチアとトレントの中間にあったのがバッサーノの町。
農民たちは、これは商売のチャンスと大喜びです。
町を通る司教の一行に、アスパラガスを売って一儲けしよう、と考えたのです。
ところが、誰の行いが悪かったのか、突然ひょうが降って畑のアスパラガスがやられてしまいます。
みんながっくりしている中、諦めきれない一人の農民が、土地の中に埋まっていたために被害を受けなかったアスパラガスを掘り起こしてみました。
するとそのアスパラガスは、真っ白でとても柔らかく、上品な味をしているではないですか。
これだー!
という訳で、バッサーノの農民たちは、その白いアスパラガスを司教たちに売ってみることにしました。
結果は、売行き上々で大成功です。
しかもトレント公会議は、なんと20年も続いたんですねー。
その間に、バッサーノのホワイトアスパラガスの評判は、あちこちに広まっていったのでした・・・。


話が横道にそれました。
最後に、ラディッキオ・ロッソ・ディ・キオッジャ(トレビス)のリゾットのリチェッタをどうぞ。
『サーレ&ペペ』2007年1月号の、うずらをのせたリゾットです。
ワインレッド色が不思議なムードを出してますが、赤ワインは一滴も入っていません。




ラディッキオ・ロッソのリゾット、うずら添え Risotto al radicchio rosso con quagliette panna e salvia

材料:6人分
 米(カルナローリ)・・280g
 掃除したうずら・・4羽
 玉ねぎのみじん切り・・大さじ1
 ラディッキオ・ロッソ・ディ・キオッジャ・・小1個
 セージ・・2枝
 ブロード・ディ・カルネ
 生クリーム・・大さじ2
 おろしたパルミジャーノ・・40g
 白ワイン
 バター・・160g
 塩、こしょう

・うずらの中と外に塩、こしょうをし、セージ2枚を詰める。バター80gと残りのセージで表面を焼き、蓋をして180度のオーブンで35分焼く。20分焼いたところで生クリームを加える。
・うずらの焼き汁を漉して塩、こしょうで調味する。
・玉ねぎをバター40gでしんなり炒め、米を加えて炒める。ワインをかけてアルコール分を飛ばし、熱いブロードをかけながらリゾットに煮る。
・10分煮たところでみじん切りにしたラディッキを加える。
・リゾットが煮上がったら火から下ろし、残りのバターとパルミジャーノでマンテカーレする。
・リゾットを皿に盛りつけてうずらをのせ、うずらのサルサをかけてセージで飾る。




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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年2月号
“ラディッキオ”の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年2月号、P.29に載っています。


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2009年7月3日金曜日

ラディッキオ

今日はラディッキオの話。
クレアパッソでもうすぐ配本の『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。

ラディッキオは、チコリの仲間。
うんとおおざっぱに言えば、チコリの仲間の中で葉が赤いものをラディッキオと呼びます。
イタリアでは、チコリの仲間の中で最も多く栽培されているのがラディッキオ。

ラディッキオの語源は、「根」という意味の“ラディーチェ”。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事によると、イタリア人は、“ラディッキオ”という音の響きから、軽快でしゃきしゃきっとしたイメージを感じるのだそうです。
パリっとしたみずみずしい冬野菜、といったところでしょうか。

チコリは、地中海地域では文明の誕生と共に知られていた植物。
ラディッキオは、15世紀頃にヴェネトに伝わったチコリの一種を改良して作られたものだそうです。


ラディッキオにもいくつか種類があり、それぞれに、誕生した町の名前がついています。

まず、キャベツのような球形のラディッキオ、
ラディッキオ・ディ・キオッジャ
日本でもこの形はおなじみですよね。
1930年代生まれでラディッキオの中では一番新しい品種ですが、今ではイタリアでもっとも多く栽培されているそうです。
つまり、栽培しやすい品種として作られたのでしょうね。


photo by topquark22


ずんぐり形のラディッキオ・ディ・ヴェローナ

白地に赤い斑入りの花のようなラディッキオ・ヴァリエガート・ディ・カステルフランコ
見た目と同じでデリケートな味。

白菜形のラディッキオ・ディ・トレヴィーゾ・プレコーチェ
苦味が強いタイプ。

そして、ラディッキオのスター、ラディッキオ・ディ・トレヴィーゾ・タルディーヴォ


photo by mararie


ラディッキオ・ディ・トレヴィーゾには、プレコーチェとタルディーヴォの2種類があります。
“プレコーチェ”とは「早生」という意味で、秋の初めに市場に出てきます。
“タルディーヴォ”は「晩生」という意味で、11月の霜をかぶってから登場します。


様々あるラディッキオの中でも、やはり目が釘付けになるのがラディッキオ・ディ・トレヴィーゾ・タルディーヴォ。
美しい形ですよねえ。
この形は、独特の軟白栽培によって作られます。

イタリアには、カルド・ゴッボやホワイトアスパラガスのように、高度な軟白技術によって作られる野菜がいくつかありますが、このタルディーヴォもその一つ。

タルディーヴォの場合は、冬になって収穫したら、根を湧き水に漬けるという方法です。
この水はトレヴィーゾ地方の川からやってきた水で、適度な温かさを保っています。
この水を吸ったラディッキオは、株の内側から新しい芽を出して、白くて柔らかい葉を作ります。
この部分がタルディーヴォの食用部分です。


その様子がよく分かる動画をどうぞ。
英語です。

まず最初に、種を取るために良い株を選んで埋め換え、花を咲かせて虫に受粉させ、出来た種を夏に畑にまきます。
冬が訪れてラディッキオが最初の霜をかぶったら、収穫します。
そして根を、水温10~12度の川からの水に20~25日漬けます。
すると株の中では新しい芽が出て・・・。






様々な改良や手間をかけて作られたラディッキオ。
こういう圧倒的に美しい形を造り出すセンスは、イタリア人ならではですねえ。

ラディッキオの話、次に続きます。


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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年2月号
“ラディッキオ”の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年2月号、P.29に載っています。


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