ヴァルテッリ―ナの次は、秋に最も輝くエノガストロノミアの丘、ランゲです。
ピエモンテのランゲ・アスティ県とクーネオ県にまたがる丘に囲まれた円形劇場のような地方。正面はリグーリアの海の方を向いている。
ランゲはイタリアのネオリアリズモを代表する作家、チェーザレ・パヴェ―ゼの出身地なのでこの地方を舞台にした傑作も残している。
ランゲ地方はユネスコの世界遺産に登録されたが、世界遺産にする活動を始めたのは2006年のこと。今は、ランゲ地方というと、世界遺産の話題がまず出てきますが、当時は純粋にランゲの文化が評価されていました。ランゲは豊かな歴史と芸術が埋もれた地方で、何世紀にも渡る人間の労力の結晶でもありました。
それが、おかしくなったのは、この地方で高級なワインが生み出され、世界遺産にもなったことあたりがきっかけでした。
1960年代まで、ランゲ地方は豊かさとは無縁の土地でした。それが、バブルを迎えたのです。
農民はポレンタに毎日同じアンチョビをこすりつけて食べるような生活で、移民として出ていく人も多かった。それがバローロ地区は1ヘクタール当たり75万ユーロ(1.2
億円)の値段がつくようになった。ランゲではぶどう畑がどんどん増え、森やヘーゼルナッツの林が消えていく。世界遺産になると、ぶどう畑だけがより一層注目されて、この事態に拍車をかける可能性がある。外国資本の新しい建物による景観破壊を阻止するべきだ、という声もあった。
世界遺産になるということは、単純に良いことだけではないようです。
(CIR2022年11月号)の記事(P.29)には、
「この地方は、居酒屋の本場。ランゲの秋の食文化には、この伝説の丘の魂が宿っている。先祖の知恵はユネスコの世界遺産のワインとトリュフの丘のオステリアや星付きレストランの料理に表れている。この地の料理はかまどとカンティーナの間から生まれた」とあります。
例えば、バー二ャ・カウダはこの地方の農民の宴会料理。
タヤリンtajarinは、15世紀のランガ・ロエーロとモンフェッラートの農家で乳母が食事の世話をする習慣から生まれた。tajarinという名前は、タリアリーニtagliariniやタリエリーニtaglieriniの方言がイタリア語化した言葉で、タリオリーニtaglioliniとは違う。材料は同じだが、タヤリンはもっとてをかけた上質のもの。ランゲの貧しい農民がトリュフと出会って豊かになるとこのメタファーでもある。
ランゲ地方の中心地はアルバ。チョコレートや白トリュフで知られる町。
ランゲ地方の中心部は、ランゲを世界中に知らしめているワインの産地。ランゲのワインの主役はバローロとバルバレスコだが、他にもまだたくさんの主役級が作られている。
さらにランゲ地方の町には素晴らしいリストランテが散らばっている。
バローロとバルバレスコ
まずはこの地方の大雑把な説明でした。
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