パヴィアのもう1つの歴史的料理、こんども王様が主役です。
その料理はパスクアのコロンバ。
王様はランゴバルドのアルボイーノ王です。
パヴィアはランゴバルドの王国の首都でしたもんね。
でも、コロンバはヴェローナのドルチェじゃなかったっけ。
こちらのページによると、19世紀末にヴェローナで誕生した、とされています。
そのルーツはエジプトやギリシャの異教徒の甘いパン。
キリスト教の普及に伴って各地の習慣と混ざり合い、
19世後半にイーストが導入され、アーモンドやフルーツのカンディートなど材料もリッチになって、現在のヴェローナのパスクアのコロンバの原型の姿になります。
そして人気が出てどんどん普及し、やがてヴェローナの製菓業のアルティジャナーレ化や工業化を象徴するドルチェになりました。
と、これはヴェローナのコロンバの歴史。
これとは別に、コロンバはロンバルディアのドルチェだという説もあります。
アルボイーノとコロンバの話は有名なので、特に詳しい説明はありませんでした。
原文にあったのは、ただ、「アルボイーノ王をなだめたドルチェ」とだけです(「総合解説」2019年1/2月号P.39)。
パスクアのコロンバについては伝説がいくつか伝わっていますが、パヴィアに関する説は、
こちらのページによると、こんな話です。
アルボイーノ王はゲルマン民族のランゴバルド族の王。
ゲルマン民族は北からやってきてローマ帝国に侵入し、東ローマ帝国崩壊のきっかけとなった民族。
イタリアでは、蛮族barbariと呼ばれています。
netflixのドラマbarbari↓
グラディエーターを始めとして蛮族対ローマの戦いは、ドラマになる。
蛮族という呼び方からして、どんなに野蛮で残虐な民族なんだろう、と想像しちゃう。
パヴィアは東ゴート王国と東ローマ帝国の戦いの舞台になります。
そんな時代の西暦572年、アルボイーノ王に率いられた蛮族のランゴバルド族がパヴィアにやってきます。
パヴィアは街を要塞化してランゴバルドに抵抗します。
アルボイーノに街は包囲されますが、街は3年間耐えしのぎました。
こちらのページによると、
アルボイーノは他のゲルマン民族を虐殺したことや、妻に父親の骸骨で酒を飲ませようとしたなど、残虐な伝説が残されている人物。
最後は結局妻に暗殺されます。
虐殺した民族の王の娘、ロスムンダを妻にし、父親の骸骨で酒を飲ませようとした話はアルボイーノ王の残酷さを証明する話として有名。
そんな彼は、包囲戦の3年間で、伝説的な名馬だった愛馬も倒れ、パヴィアに対して、ボッコボコにしてやるぞこるあ、と、何度も脅しをかけていたそうです。
そんな激おこプンプンのおっかない王様に、パヴィアのある年老いたパン屋が、焼きたての香ばしいコロンバを差し出して、「明日はパスクアですよ。このドルチェが鳩の形をしているのは平和のシンボルだからです。お願いです。街をお救いください」
と話しかけたのです。
すると、愛馬が生き返るという奇跡がおきました。
翌日、彼は街に課した賠償金、宝石、12人の少女を受け取りに来ました。
すると少女の一人が、私の名はコロンバで、私の父は年老いたパン屋です。
残りの11人も王のためのコロンバです。と語りかけました。
これには王の心も溶かされ、少女たちをパヴィアから開放したそうです。
ふう、長い話でした。
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