トマトソースのリチェッタを探していて、『スパゲッティ・アモーレ・ミオ』という本を思い出しました。
乾麺のパスタの本で、今時イタリアでも珍しい、スパゲッティのリチェッタ集です。
イタリア料理アカデミーは、イタリア料理について、あらゆる難しい研究を地道に続けていて誰もが一目置いているイタリア料理界のご意見番です。
数々の本も出しています。
パオロ・ペトローニ氏
そんな彼のスパゲッティの本は、やっぱり学者らしい難しい話もあるのですが、“アモーレ・ミオ”という副題の通り、普段から自分が食べている大好きなスパゲッティを広く紹介しよう、という気持ちも溢れ出ていて、彼の本にしては珍しく、とてもわかり易くて読みやすい本です。
本の冒頭には、スパゲッティの歴史のような多少は学問的な話もあります。
リチェッタ目当てだと読み飛ばされる可能性もあるのですが、きのう、偶然にも、その中に「パスタとトマトの出会い」という章があるのを発見しました。
ちょうどそのテーマでブログを書いていたので、早速訳してみます。
スパゲッティは14世紀始めから、リグーリアのパスタ製造業者のおかげでイタリア北部に広まりだしていた。
一方で、ナポリで一般的になったのは、意外なことに1500年頃のことだった。
ナポリで、パスタは長い間贅沢品だったのだ。
最初のパスタ製造業は、ずっと後の1840年にTorre Annunziataで始まった。
トッレ・アンヌンツィアータは、ナポリの少し南のベスビオ山とティレニア海に挟まれた街。
パスタ製造業で今も有名。
当時ナポリ人は、野菜やブロッコリーのミネストラが大好きで、“マンジャフォーリアMangiafoglia”と呼ばれていた。
一方で、“マンジャマッケローニmangiamaccheroni”と呼ばれていたのはシチリア人だった。
ちなみにイタリア料理の一番有名な絵画は、“マンジャファジョーリ”。
豆好きなトスカーナの農民の食事を写実的に描いた傑作。
何世紀もの間、パスタはブロードやミルクでゆでて、バターやラード、チーズ、たっぷりのスパイスで調味していた。
時には砂糖やシナモンで甘くすることもあった。
これらのことから推察できるのは、本当のパスタの成功は、トマトのアメリカからの到着によって引き起こされた(18世紀始め)、ということだ。
トマトソースについて書かれた最初の本は(まだパスタがない時代だったが)、
ナポリで1694年に出版された『lo Scalco alla moderna del marchigiano Antonio Latini』だ。
ここに書かれている“Salsa di pomodoro alla spagnuola”が最初のリチェッタだ。
おーっと、ここまで読んでびっくりです。
実は、イタリア料理アカデミーの本、『スーゴとソース』
の中に、このトマトソースのリチェッタを見つけて、気になっていたのです。
トマトソースを色々調べてみたのですが、そんなに代わり映えのしないものが多い中、スペイン風トマトソースは、その名前からして強烈に印象に残っていました。
でも、なんのことだかわからず、スルーしていたのでした。
まさか1694年に出版された初めて書かれたトマトソースのことだったとは。
これは早速訳してみます。訳は次号の「総合解説」に載せます。
さらにずっと後の1773年有名な本『il cuoco galante, del napoletano Vincenzo Corrado』にもトマトソースは登場します。
でも、まだパスタは登場しません。
パスタとトマトを結びつけた最初の本は、1779年の『La cucina teorico pratica Ippolito Cavalcanti, duca di Buonvicino』で、最初のリチェッタは、“Vermicelli co lo pommodoro”でした。
つまりこのことは、パスタが現代の食べ物、ということを物語っているのです。
やっぱりペトローニ先生の本は小難しいなあ。
ほんのちょと訳すだけでもぐったりです。
続きは明日。
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