2017年2月2日木曜日

パルマの宮廷の主役

バジリカータのおばあちゃんのパスタの次は、パルマの宮廷のドルチェ。
パルマの宮廷というと、ファルネーゼ家やマリア・ルイーザ女公の宮廷だそうです。

マリア・ルイーザは、ナポレオンの妃だった人です。

ナポレオンは、戴冠式の肖像画で有名なジョセフィーヌと離婚して、オーストリア皇帝の娘のマリア・ルイーザと結婚します。
そしてナポレオンが失脚した後の1814年、マリア・ルイーザはパルマの大公になります。
そのあたりの波乱万丈でぐしゃぐしゃの人生は、wikiでどうぞ。

2014年は、彼女がパルマの大公になってから200周年の年。
パルマ市は、パルマ市民に一番愛された大公、マリア・ルイーザの、こんな動画を作りました。




ファルネーゼ家は、最初にパルマの大公となった家系。
パルマのテアトロ・ファルネーゼ。
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ローマのパラッツォ・ファルネーゼは、ローマ法王も出したファルネーゼ家の威光が感じられるルネサンスを代表する建物。
ミケランジェロも雇われて建築に携わりました。
現在はフランス大使館。
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かつてパルマを訪れた時は、パルマの歴史など何一つ知らず、生ハムとパルミジャーノしか知らなかったけど、かつての宮廷文化の名残のような品の良さはびんびん感じました。
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次回はパルマのドルチェの話です。


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パルマのドルチェの記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年11月号に載っています。
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2 件のコメント:

  1. お久しぶりです。インフルの後風邪で気が付いたらこの記事、見逃しでした。パルマのマリア・ルイジアの館は今は記念館になっていて公開されています。館の色は淡い黄色、これはウィーン、ハプスブルグ家の色だそうです。場所もパルマの中心地。彼女が着ていた着物や持ち物が展示されパルマ市民から愛されていたことがわかります。また、私が勉強した大学院の建物はパルマから30分ほどのコロルノにあり、ここはマリア・ルイジアが夏の宮殿に建て替えたお庭が素敵なお城。確かこの辺は世界遺産に登録申請中とか。毎日このお城の中での授業でした。1年間んでみてファルコーネ家はもちろんのこと、マリア・ルイジアがいかにパルマの街に深く関わっていたかを感じました。
    italiamama

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  2. italiamamaさん
    パルマは何の知識もなく行きましたが、カフェが素敵で気に入りました。
    ハプスブルグとか、ウイーンとかの影響を受けているのは感じましたが、イタリアの歴史もほとんど知らない頃に行ったので、もったいないことしました。
    ほんとはイタリアの歴史は複雑すぎて、勉強しても全く頭に入らないんですけどね。
    インフルエンザですか。
    もう体調は大丈夫ですか?
    お大事に。


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