2017年1月30日月曜日

バジリカータのノンナの手打ちパスタ

今日のお題は前回のブログでもちょっと話題が出た話。
総合解説」の“バジリカータのノンナのパスタ”の記事のビジュアル解説です。

人気ブロガーが、子供の頃、大好きだった家庭料理の思い出を語るという記事で、今月は、いつもバジリカータの民族衣装を着て祝日のパスタを作るおばあちゃんの思い出。
食べるだけでなく、おばあちゃんがパスタを打つ姿を見るのが好きだった、という話、分かるなあ。
私もフィレンツェのイタリア語学校に通っていた時、下宿先のおばあゃんがお昼を作るのを眺めているのが大好きでした。

さすがにフィレンツェのおばあちゃんは民族衣装は着ていなかったけど、バジリカータでは、どんな衣装を着るんでしょうね。
というか、イタリアの民族衣装というと、必ずバジリカータの昔の農民の暮らしが引き合いに出されるような気がするのですが、気のせいかなあ。

バジリカータの伝統・風習
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バジリカータは、イタリアの典型的な農民の暮らしが、手つかずのまま残っている、最後の理想郷のような場所ですね。
料理や暮らしの情報は、観光立国イタリアにあっては驚くほど少ないですが、何物にも汚染されていない純粋な姿が垣間見られそう。

バジリカータのパスタ作り。
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バジリカータのパスタはプーリアのパスタに似ています。
典型的な南イタリアのパスタで、セモリナ粉と水の生地、3D的な立体的な形にします。
これは見ているのが楽しいパスタですね。

次も典型的なバジリカータのパスタ、フジッリ。
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そしてこれらのパスタに欠かせないチーズがペコリーノ・ディ・フィリアーノ。
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パスタを作るおばあちゃんの横で、食事の準備時のおじいちゃんの役目は、チーズをおろすことだけでした。





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“バジリカータのノンナのパスタ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年11月号に載っています。
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2017年1月26日木曜日

ブレッシャ風パスタ、カゾンチェッリ

今日のお題は、ロンバルディアの詰め物入りパスタ第2弾。
カゾンチェッリです。

前回のトルテッリがイタリア中どこにでもあるメジャーなパスタだったのに比べて、カゾンチェッリはあまり聞かないですねえ。
どちらもラビオリ(詰め物入りパスタ)の一種で、この種のパスタは、たいてい、その形が名前の由来。
たとえばラビオリは中世の「小さな」かぶ。

Ravioli


トルテッリは「トルタ」。

Tortelli verdi

では、カゾンチェッリは?
「総合解説」でも説明していますが、「小さな靴」とか、「チーズ(カゼウス)」とか、いろいろな説があります。

A big plate of casoncelli


やはり家庭料理がルーツのイタリア料理はマンマの数だけリチェッタがあるわけで、どれが正しいと決めつけるのは不可能。

確かなのは、カゾンチェッリはロンバルディアはブレッシャやベルガモのパスタで、祝日のご馳走の一つとして昔から食べられていた、ということと、
ソースにはセージバターとパン粉が使われる、ということぐらい。

詰め物入りパスタは、祝日に食べるご馳走パスタ。
さらに、今月の「総合解説」の“バジリカータのノンナのパスタ”という記事でも紹介していますが、祝日に、家族のためにおばあちゃんが手作りするパスタは、イタリア人にとっては家庭の味の最たるもの。
幸せな温かい家族の子供の頃の思い出として、誰の胸にも染み込んでいるようです。

「総合解説」でカゾンチェッリがお勧めの店として紹介されている店のカゾンチェッリ。
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ブレッシャも観光客が押し寄せる街ではなさそうですが、落ち着いた北イタリアの都会的な街ですね。
ブレッシャのPV。
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こちらも「総合解説」のカソンチェッリがお勧めの店の1つ。
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“カソンチェッリ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年11月号に載っています。
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2017年1月23日月曜日

イザベラ・デステとマントヴァ


今日のお題は、カボチャのトルテッリ。

イタリアでカボチャと言えば、マントヴァのカボチャ。
甘くて水分が少ないのが特徴。
外見を見る限り、一般的な西洋カボチャです。

Zucca mantovana

マントヴァはロンバルディア州南部の、ヴェネトとエミリア・ロマーニャの間に打ち込まれたくさびのような形をした地方。

今月の「総合解説」のグルメガイドでもマントヴァを取り上げているので、詳しくは後日また。




今回は、マントヴァカボチャの名物料理、カボチャのトルテッリの話。

こんな料理。
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トルテッリはイタリア中どこにでもあるパスタ。
マントヴァではクリスマスイブの夜に、必ず食べる伝統料理です。
記事には、
「甘さと塩気のデリケートな組み合わせという珍しい味は、マントヴァ市民が大好きなルネッサンス料理の貴重な名残」
とあります。

マントヴァ料理のキーワードは、イザベラ・デステとゴンザーガ家。
イタリア料理は家庭料理がルーツといつも言っていますが、マントヴァ料理は珍しく、使っている食材は質素でも、生まれは貧しい農民料理ではありません。

イザベラ・デステとゴンザーガ家、マントヴァについての話は、こちら(wiki)でも読んでいただければ大雑把なところはイメージできるでしょう。

レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたイザベラ・デステ(1500)。

[ V ] Leonardo da Vinci - Isabella d'Este (c.1500)


彼女の二つ名は「ルネッサンスのファーストレディー」

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ルネサンスの流行の発信者でグルメだった人です。
カボチャのトルテッリのリチェッタを考え出したわけではないけれど、宮廷料理の流行発信源となった人なので、この料理にも何かしらの影響を与えているはず。

最後に、記事でこの料理を食べるなら、お勧めの店として紹介されている店の中から、マントヴァの店の動画をどうぞ。
スローフードのプレシディのサルーミの盛り合わせ、カボチャのトルテッリ、予約がお勧め。





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“カボチャのトルテッリ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年11月号に載っています。
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2017年1月19日木曜日

パスタ・アッラ・グリーチャ


今日のお題はイタリアの国民的パスタソースの一つでも、かなり地味な存在のソース。
アッラ・グリーチャです。
別名アマトリチャーナ・ビアンカと呼ばれます。
トマトが入らないアマトリチャーナ。
つまり、トマトがイタリアに広まる前に作られていたパスタです。

主な材料は、グアンチャーレとペコリーノ。
かなりシンプルなパスタなので、グアンチャーレの味によって大きく左右されます。
ベーコンで代用すると違う味になります。
安いグアンチャーレが手に入りにくい場所では、広まらなかったパスタソースですが、
グアンチャーレが料理には欠かせなかったローマでは、今月の「総合解説」に載せたような、面白いエピソードがたくさん生まれた、庶民の暮らしに密着したパスタソースでした。

ところで、この『クチーナ・イタリアーナ』の地方料理の記事は、無名の市民の、その料理にまつわる思い出を紹介するシリーズです。
なので、グリーチャという名前の由来とかいった小難しいことは、徹底してスルーしています。

で、今月は、どんな思い出が紹介されているかというと、ローマの、文字に書かれたメニューやハウスワイン以外は誰も注文しないようなトラットリアで、プレジデンテと呼ばれていたカメリエーレがいた店で、“私”が食べたリガトーニ・アッラ・グリーチャのことです。
それは、これまで食べたこともないくらい美味しかったのだそうですよ。

“グリーチャ”はラツィオの羊飼いの主食で、すぐにてきる、安いのにとてもボリュームがあるパスタです。
フォークをがつがつ差し込んでむしゃむしゃ食べて(私は2分で食べたそうです)、ハウスワイン(定番はフラスカーティ・スーペリオーレ)で流し込むようなパスタだったのです。





主役のグアンチャーレは塩漬けして熟成させた豚の頬肉の脂身。




それにしても、ローマの名物カメリエーレがいる店は、カメリエーレのテンションについていければ、常連さんたちの中にすぐに溶け込めて、楽しいですよね。





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“パスタ・アッラ・グリーチャ”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年11月号に載っています。
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2017年1月16日月曜日

ラグー

寒いですねー。
総合解説」13/14年11月号発売しました。
最初に取り上げるのは、ラグーです。

イタリア料理のラグーは ragù。
フランス料理のラグーは ragout。

ragoutは小さく刻んだ材料の煮込み料理。
それがragùになると、肉、香味野菜、ワイン、トマトがベースの煮込んだソース。
イメージ的には、前者がシチューで後者がミートソース。

アメリカ系イタリア料理の影響で、ミートソースのイメージのラグーは、ラグー・ボロニェーゼのこと。
「総合解説」には5種類の地方のラグーを載せましたが、挽肉を使っているのは2種類でした。

「総合解説」によると、ragùは、歴史がまだ200年しかない若い料理。
その歴史をちょっと遡ってみると、その前身は、ragout、つまり煮込み料理(stufato)です。

煮込み料理と言うのは、硬い肉を食べやすくするために考え出された調理方法。
かなり昔からあります。
そこにトマトが加わって、ラグーと呼ばれるようになりました。

イタリアのラグーには2つの大きなグループがあります。
一つはボロニェーゼ、またはエミリアーノ。
もう一つはナポレターノ、または南伊風。
前者は挽肉を使い、後者は塊肉を使います。後者の肉はセコンドとして食べます。

ラグーをかけるパスタは、中部イタリアでは手打ちのタリアテッレ、ラザーニャ、グラミーニャ、ガルガネッリ、トルテッリーニなど。
一方面白いことに、ナポリでは細くて長い麺にラグーをかけるのは冒涜とみなされます。
ラグーには、マッケローニ、ペンネ、折ったジーティなどの硬質小麦の太くて短い麺。

こうしてみると、スパゲッティにミートソースをかける習慣は、イタリアにはない、ということがよくわかります。

そして、ナポリ人がどれほどラグーにこだわっているかがよくわかるものとしていつも引き合いに出させるのが、エドゥアルド・デ・フィリッポ監督でソフィア・ローレン主演の、親子3世代の愛情物語、1959年のコメディー映画『土曜、日曜、月曜』のラグーの喧嘩のシーン。
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言ってることがなんとなくわかる不思議なシーン。
ソフィァ・ローレンておばちゃん同士の喧嘩しててもキレイ。


ジーティのラグー・ナポレターナ
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最後に、世界的に評価されているモデナのラ・フランチェスカーナのシェフ、マッシモ・ボットゥーラ氏の名言を。

ラグーの正しいリチェッタなど存在しない。
正しい食材と地域性があるだけだ。
クラシックな伝統料理なので、オリジナルな創作は成功したためしがない。
美味しいラグーを作る秘訣は、最高の肉を使う。
トマトは少し、マンテカーレする時のパルミジャーノはたっぷり、それだけだ。




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“ラグー”の記事とリチェッタの日本語訳は、「総合解説」13/14年11月号に載っています。
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2017年1月12日木曜日

コウイカのジミーノ

今日はリグーリア料理の話。
総合解説」10月号、2つ目の地方料理の話。

コウイカのジミーノです。

ほとんど知られていない料理ですよね。
だいたい、日本ではコウイカの料理が一般的って話、聞かないし。

イタリア料理をかじった人なら、コウイカはイタリア語ではセッピアで、セピア色(黒褐色)の語源でもあり、イカ墨のパスタなどに使われるイカ墨はコウイカの墨のこと、ということぐらいは知ってますよね。

そこにさらに、リグーリアではコウイカはサバやイワシと同じ大衆魚の一つ、という情報を加えてください。

Cuttle Fish, Sydney Aquarium


そもそも家庭料理がルーツのイタリア料理には、ゴージャスで高価な食材を使うものはほとんどなく、むしろ、節約上手な主婦がやりくりして作る料理が中心。

この料理はトスカーナ料理としても知られていますが、今回は珍しくマイナーなリグーリア目線のリチェッタです。

まず、リグーリア料理の特徴は、
「質素だがとても独創的」
「海と山に挟まれた狭いやせた土地を有効利用する才能が発揮された料理」
「作物は野菜が主体で、穀物と香草も少々あり、肉はほとんどなく、あったとしても家禽肉」
「しかし、海からは魚が大量に獲れた。
特にサバ、イワシ、カタクチイワシ、イイダコ、コウイカといった大衆魚が中心だった」

どうですか、リグーリア料理のイメージ、湧いてきましたか?
このたくさん捕れるコウイカとビエトラを組み合わせた料理という訳です。
「ジミーノはアラビア語のsaminが語源で、魚がベースの料理にかける野菜のソースのことを意味した」
「コウイカ、バッカラなどの魚にビエトラやほうれん草を加えて煮る料理」
コウイカはビエトラと相性が良いようです。

たくさんあるバリエーションの一つとして、今回は乾燥ポルチーニ入り。

まず、香味野菜のみじん切りをソッフリットにし、戻したポルチーニ、イカ、ワイン、トマト、香草を加えて煮ます。
さらに硬い茎を取り除いたビエトラの葉を加えて煮ます。
これをガーリックトーストの上にかけてサーブします。

リグーリアのコウイカの旬は春、ポルチーニは秋には生を使う、ビエトラの代用野菜はカタローニャやチーメ・ディ・ラパ(ブロッコリーレイブ)、イタリアで食べる時はこのくらいの予備知識があったらばっちりです。
仕上げに、リグーリア料理のエンブレム的食材、松の実を加えれば、トスカーナ料理との区別がより明確になりそう。

最後にコウイカではなくヤリイカのイン・ジミーノの動画をどうぞ。








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“コウイカのジミーノ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年10月号に載っています。
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2017年1月5日木曜日

バローロを旅する

2017年も無事に始まりました。
今年もよろしくお願いします。
今年はレンズ豆食べてないので、小金が貯まりますようにという祈願をしていないのが、ちょっと残念。

今年は何の話題から始めようかなあ。
久しぶりにワインなんてどうでしょう。

現在販売中の「総合解説」で取り上げているイタリアグルメ旅の目的地はバローロ。
イタリアで最も名門と言われるワインですので、新年の話題にふさわしそう。

Barolo

イタリアワインに興味がある人が旅行先に選ぶなら、トスカーナのキアンティかピエモンテのバローロあたりが人気ありそう。
上の写真のバローロ城に行ったことのある人も大勢いるのでは。

それでは記事のヴィジュアル解説を始めます。

記事には、バローロを造ってバローロの文化を確立させたのは、ファッレッティ女侯爵、ジュリア・コルベルト・ファッレッティとあります。
こんな人。
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ファッレッティ家はアルバ出身の有力な金融業者でした。
なるほど、お金持ってたんですねえ。
ジュリアの肖像画もたくさん残っています。

ファッレッティ家が遺産を処分して土地を手に入れ、ぶどうの栽培とワイン造りを始めたのが、バローロワインの始まり。
あの城をバローロ城と名付けたのがバローロの侯爵になったファッレッティ家。

女侯爵は、後のイタリア王家サヴォイア家ともお付き合いがあって、カルロ・アルベルト王とバローロのエピソードなど、「王のワイン」と呼ばれる根拠となる話にも事欠きません。

この王様がバローロが好きだったというエピソードは解説をお読みください。

ただ、カルロ・アルベルト王はサヴォイア家の分家の家系。
イタリア王国の前身、サルデーニャ王国の王様でイタリアの王様ではなかったんですねえ。
道理で、あまり聞いたことないなあ、何やった人だっけ・・・、という印象。
実際、その治世はあまりぱっとせず、結局晩年はポルトガルに亡命しているんですねえ。

カルロ・アルベルト
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なんてこと言ったら、トリノの人に怒られそうです。
1848年に憲法を発布して議会制を導入するなどした自由主義思想を持った王様。
でも、時代は1848年革命の真っ只中。
この年はヨーロッパ中で革命がおこりました。
イタリアも例外ではなく、むしろイタリア統一運動へとつながる激熱の革命の日々へと突入していきました。
そんな革命の気運の中で起きた第一次イタリア独立戦争でイタリアを背負って戦っていたのが(主な敵はオーストリア)、カルロ・アルベルト王だったんですね。
結局は負けるんですが、とにかく、この王様がバローロを気に入ったという逸話から、王様のワインというキャッチコピーが生まれたようです。

イタリア統一運動の重要人物だったんですねー。
大変失礼いたしました。

最後に「総合解説」でバローロのお勧めホテル・レストランとして紹介している店の動画。

ロカンダ・ネル・ボルゴ・アンティコ




リストランテ・ボヴィオ







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ストトラーダ・デル・ヴィーノの旅“バローロ”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年10月号に載っています。
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