今日は今月の「総合解説」でリチェッタを紹介した料理の中で、一番美しかった料理の紹介です。
ミラノの カッシーナ・クッカーニャのレストラン、ウン・ポストのニコラ・カヴァッラーロシェフの一品。
店のwebページはこちら。
その料理は、勝手に名付けるなら“有機野菜のラグーの手打ちスパゲッティ”。
料理の写真は(こちら)。
『サーレ・エ・ぺぺ』5月号の表紙を飾っています。
表紙の写真はほんとにきれいです。
第一印象は、確かにカラフルだけど、それは色鮮やかな野菜を使っているからだろう、と誰もが思うはず。
有機野菜のスパゲッティは、最近ありがちなメニューですしね。
確かに、ブロッコリー、パプリカ、紫玉ねぎ、にんじん、ズッキーニ、黒オリーブ、ミニトマトと、カラフルな食材をたっぷり散りばめています。
でも、全体の色調が、やけに濃厚だと思いませんか。
どんなに鮮やかな野菜も、スパゲッティのベージュ色と絡むと、色味がとたんに薄まってしまいますが、このスパゲッティは、例えていうなら、蜷川実花さんの作品のような鮮やかさ。
そう、この華やかさの秘密は、スパゲッティにあったのです。
このスパゲッティには2種類の小麦粉、にんじんジュースとターメリック、卵白が入っています。
オレンジと黄色を加えた麺は、見事に野菜の色を引き立てています。
この色彩センスは、おしゃれなイタリア人ならではだなあ、と感心しました。
この料理を作ったカヴァッラーロシェフ。
彼がシェフを務めるミラノの話題の有機野菜のトラットリア。
ウン・ポスト。
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“ニコラ・カヴァッラーロ”シェフのリチェッタの日本語訳は、「総合解説」13/14年5月号に載っています。
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2016年3月31日木曜日
2016年3月28日月曜日
小麦粉とイタリア料理
このところ、硬質小麦の話を読むことが多く、つくづく、イタリアは硬質小麦がよく育って、水が豊富で粉を挽く水車小屋がたくさんあったおかげで、パスタが生まれて、ひいてはイタリア料理が世界中に愛されることになったのだなーと強く感じています。
硬質小麦だけでなく、パスタ、ピッツァ、パン、ドルチェへと広がるイタリアの小麦粉の世界。
でも、イタリア料理が世界的になったことには、もう一つとても大きな要因があると思います。
それは職人魂です。
今月の「総合解説」の“パンとテロワール”の記事は、私の中で、その印象を決定的にしました。
『ガンベロ・ロッソ』のこの記事は、こう始まります。
「昔はもっとシンプルで簡単だった。
主役は3人。
農民が種をまき、粉屋が粉にして、パン屋がパンにした。
それが70年代頃から、何かが変わった。
集約農業の到来だ。
種は研究所で交配して掛け合わされ、粉はパン用、ピッツァ用、ドルチェ用にミックスされ、酵母は化学的に作られて冷凍乾燥し、2時間程度で発酵した・・・
幸いなことにここ数年、パンの後ろで何が起こっているのかを理解しようとする傾向が生まれてきた。
それは市場の流通の外にあるような小さな業界だが・・・、
例えるなら、小麦畑に面したかまどがある農場、大地に足をつけたパン屋、匠たちを結びつける粉屋、すべての断片を管理する協同組合だ」
小麦を育てる農民がいて、それを粉にする粉屋がいて、焼き上げるパン屋がいて、彼らがどんなに腕が良くても、大量生産して化学的、機械的、効率的に処理されていくシステムでは、画一化されていくだけです。
この環境から抜け出せるのは、確かに、小麦畑の中に粉ひき小屋を建てたと胸を張る粉屋のような、既定の流通の外にある存在に違いありません。
農家とシェフを結びつける粉屋、小麦がどのように栽培されるのかや栽培している農家のことをもっと知りたいと語る、メディアにも注目される巨匠、スーパーの小麦粉より安い値段で有機栽培小麦粉を販売する革新的メーカー。
イタリアのパン業界は、小さな職人のヒーローたちが支えているんですね。
小麦畑の中の粉屋として挙げたムリーノ・マリーノと、古代小麦のエンキル。
↓
イタリアのパン業界の巨人、ガブリエレ・ボンチは、カットピザの店に次いで
イタリア最高の小麦粉と天然酵母のパン屋も始めた。
↓
今も現役のウンブリアの石臼で挽く古い水車小屋の小さな粉屋。
ムリーノ・マリーノ、ラツィオの小麦の有機栽培農家、シチリアのムリーノ・デル・ポンテと共同で小麦粉の新製品の開発に取り組んでいる。
紹介しきれない興味深い粉屋さんやパン屋さんが、イタリアにはくさんあります。
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“パンとテロワール”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年5月号に載っています。
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硬質小麦だけでなく、パスタ、ピッツァ、パン、ドルチェへと広がるイタリアの小麦粉の世界。
でも、イタリア料理が世界的になったことには、もう一つとても大きな要因があると思います。
それは職人魂です。
今月の「総合解説」の“パンとテロワール”の記事は、私の中で、その印象を決定的にしました。
『ガンベロ・ロッソ』のこの記事は、こう始まります。
「昔はもっとシンプルで簡単だった。
主役は3人。
農民が種をまき、粉屋が粉にして、パン屋がパンにした。
それが70年代頃から、何かが変わった。
集約農業の到来だ。
種は研究所で交配して掛け合わされ、粉はパン用、ピッツァ用、ドルチェ用にミックスされ、酵母は化学的に作られて冷凍乾燥し、2時間程度で発酵した・・・
幸いなことにここ数年、パンの後ろで何が起こっているのかを理解しようとする傾向が生まれてきた。
それは市場の流通の外にあるような小さな業界だが・・・、
例えるなら、小麦畑に面したかまどがある農場、大地に足をつけたパン屋、匠たちを結びつける粉屋、すべての断片を管理する協同組合だ」
小麦を育てる農民がいて、それを粉にする粉屋がいて、焼き上げるパン屋がいて、彼らがどんなに腕が良くても、大量生産して化学的、機械的、効率的に処理されていくシステムでは、画一化されていくだけです。
この環境から抜け出せるのは、確かに、小麦畑の中に粉ひき小屋を建てたと胸を張る粉屋のような、既定の流通の外にある存在に違いありません。
農家とシェフを結びつける粉屋、小麦がどのように栽培されるのかや栽培している農家のことをもっと知りたいと語る、メディアにも注目される巨匠、スーパーの小麦粉より安い値段で有機栽培小麦粉を販売する革新的メーカー。
イタリアのパン業界は、小さな職人のヒーローたちが支えているんですね。
小麦畑の中の粉屋として挙げたムリーノ・マリーノと、古代小麦のエンキル。
↓
イタリアのパン業界の巨人、ガブリエレ・ボンチは、カットピザの店に次いで
イタリア最高の小麦粉と天然酵母のパン屋も始めた。
↓
今も現役のウンブリアの石臼で挽く古い水車小屋の小さな粉屋。
ムリーノ・マリーノ、ラツィオの小麦の有機栽培農家、シチリアのムリーノ・デル・ポンテと共同で小麦粉の新製品の開発に取り組んでいる。
紹介しきれない興味深い粉屋さんやパン屋さんが、イタリアにはくさんあります。
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“パンとテロワール”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年5月号に載っています。
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2016年3月24日木曜日
サルデーニャのパン
今日は今月の「総合解説」から、サルデーニャのパンの話です。
なんといっても一番有名なのは、パーネ・カラザウ。
↓
でも、パンはサルデーニャの食文化の重要な主役の一つです。
これ以外にも実に様々なパンが作られています。
サルデーニャのパンの特徴は、バリエーションが豊富なことと、硬質小麦粉のパンであること。
イタリアには、ピッツァを筆頭としてグリッシーニ、フォカッチャなど、個性豊かな色々なパンがありますが、これらは軟質小麦粉のパンです。
硬質小麦粉、つまりセモリナ粉のパンとなると、硬質小麦がたっぷり実る産地であることが条件なので、南イタリアに限られます。
伝統的な硬質小麦粉のパンの代表は、プーリアのパーネ・ディ・アルタムーラ。
↓
大型で香ばしい皮の中にふんわりしたクラムがたっぷり詰まったパニョッタタイプのパンは、サルデーニャにもあります。
代表的なのはチヴラージュcivraxiu。
地方によって呼び名は様々。
軟質小麦粉とミックスさせることもあります。
チヴラージュ
↓
ごつくて素朴な大型パンです。
パーネ・カラザウとチヴラージュは、同じセモリナ粉のパンとはいえ、外見は全く違いますね。
それは、パンが作られた目的が違うからです。
チヴラージュは、家庭で毎日食べる日常用のパンで、パーネ・カラザウは、羊飼いが羊を追う仕事に持っていくための軽くて日持ちするパンでした。
さらにサルデーニャにはもう一つ、宗教の儀式に使うパンがあります。
コッコイcoccoiなど。
↓
はさみで切り込みを入れて複雑な形にするのが特徴。
今回、記事を訳していて初めて知ったのは、パーネ・カラザウの発酵温度と気泡の関係。
パーネ・カラザウは、一度焼いて膨らませた生地を上下2枚に切って、さらにこれ(ピゾスpizosと呼ばれます)を1枚ずつ焼く、という、複雑な手順で時間をかけて作るパンですが、発酵させたパン生地を、パンパンに膨らむように発酵させながら、さらに表面は紙のようにマッ平らに、気泡の膨らみもなく焼き上げて、2枚にきれいに分かれるようにするには、気泡が少なくなるように高温で発酵させることが必要なのですねー。
生地を包む布は地元の羊の毛で作ったウールの布なんだそうですよ。
パーネ・カラザウ作り。
↓
この記事は『サーレ・エ・ぺぺ』の記事です。
豊富な写真付きで、解説に載せきれなかった写真もあるので、この2014年5月号はお勧めです。
在庫あります。
個人的に『サーレ・エ・ぺぺ』はイタリアの料理雑誌の中では、このところ、地方料理の記事が一番充実していて、お勧めです。
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“サルデーニャのパン”の記事は、「総合解説」13/14年5月号に載っています。
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なんといっても一番有名なのは、パーネ・カラザウ。
↓
でも、パンはサルデーニャの食文化の重要な主役の一つです。
これ以外にも実に様々なパンが作られています。
サルデーニャのパンの特徴は、バリエーションが豊富なことと、硬質小麦粉のパンであること。
イタリアには、ピッツァを筆頭としてグリッシーニ、フォカッチャなど、個性豊かな色々なパンがありますが、これらは軟質小麦粉のパンです。
硬質小麦粉、つまりセモリナ粉のパンとなると、硬質小麦がたっぷり実る産地であることが条件なので、南イタリアに限られます。
伝統的な硬質小麦粉のパンの代表は、プーリアのパーネ・ディ・アルタムーラ。
↓
大型で香ばしい皮の中にふんわりしたクラムがたっぷり詰まったパニョッタタイプのパンは、サルデーニャにもあります。
代表的なのはチヴラージュcivraxiu。
地方によって呼び名は様々。
軟質小麦粉とミックスさせることもあります。
チヴラージュ
↓
ごつくて素朴な大型パンです。
パーネ・カラザウとチヴラージュは、同じセモリナ粉のパンとはいえ、外見は全く違いますね。
それは、パンが作られた目的が違うからです。
チヴラージュは、家庭で毎日食べる日常用のパンで、パーネ・カラザウは、羊飼いが羊を追う仕事に持っていくための軽くて日持ちするパンでした。
さらにサルデーニャにはもう一つ、宗教の儀式に使うパンがあります。
コッコイcoccoiなど。
↓
はさみで切り込みを入れて複雑な形にするのが特徴。
今回、記事を訳していて初めて知ったのは、パーネ・カラザウの発酵温度と気泡の関係。
パーネ・カラザウは、一度焼いて膨らませた生地を上下2枚に切って、さらにこれ(ピゾスpizosと呼ばれます)を1枚ずつ焼く、という、複雑な手順で時間をかけて作るパンですが、発酵させたパン生地を、パンパンに膨らむように発酵させながら、さらに表面は紙のようにマッ平らに、気泡の膨らみもなく焼き上げて、2枚にきれいに分かれるようにするには、気泡が少なくなるように高温で発酵させることが必要なのですねー。
生地を包む布は地元の羊の毛で作ったウールの布なんだそうですよ。
パーネ・カラザウ作り。
↓
この記事は『サーレ・エ・ぺぺ』の記事です。
豊富な写真付きで、解説に載せきれなかった写真もあるので、この2014年5月号はお勧めです。
在庫あります。
個人的に『サーレ・エ・ぺぺ』はイタリアの料理雑誌の中では、このところ、地方料理の記事が一番充実していて、お勧めです。
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“サルデーニャのパン”の記事は、「総合解説」13/14年5月号に載っています。
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2016年3月22日火曜日
「じゃがいも」
今日は、クレアパッソのスタッフ、segnalibroさんのイタリア便りです。
それでは、よろしくお願いしまーす。
去年の秋、初めて隣町Oreno産のじゃがいもを買いました。
それまで知らなかったのですが、毎年9月にはじゃがいも祭りを開催しているほど、じゃがいも作りに力を入れているようです(写真はお借りしています)。
土を落とそうとタワシでゴシゴシすると、皮までむけちゃうほど新鮮で、ホクホク。
12kgも買ってしまってどうしようかと思いましたが、おいしくてあっという間に食べちゃいました。
イタリアに来たばかりの頃はどれを買っていいか分からず、お店でじゃがいもを選ぶのにも一苦労。
日本でメークイン系や男爵系があるのと同様に、イタリアにも煮崩れしにくいパスタ ジャッラとホクホク系のパスタ ビアンカがあると知りました。
これはパスタ ビアンカ、ケネベックという品種でした。
さて、数年前からミラノでは、こんなフランチャイズ店が増えてきました。
アムステルダム チップス。
ベルギー人が聞いたら、気分を害してしまいそうなネーミングです。
じゃがいもは店内で洗ってカットし、2度揚げするのがおいしさの秘訣だそうで、いつも観光客や地元の人で賑わっています。
揚げたてのポテトには、14種類あるソースの中から、1つを選んでかけてもらいます。
ホームページによると、じゃがいもはオランダ産のビンチェという品種。
オランダ産のフライヤーを使い、ピーナッツ油で揚げているそうです。
飲み物はLa Trappeというオランダビールがラインナップされており、ますますお腹いっぱいになること間違いなしです。
ところで、イタリアに来て不思議だったことの一つが、なぜポテトサラダのことをインサラータ ルッサ、ロシアのサラダだと言うのだろう、ということ。
友人のロシア女子に聞くと、ロシアでは年越しにポテトサラダを食べるのが定番になっているくらい伝統的なお料理なのに、Wikiではオリヴィエ サラダ、とかいうフランス語風な名前になっていてけしからん、と、プリプリ怒っていました。
曰く、ロシアのポテトサラダは、イタリアのものよりお野菜の具がたくさん入っているそうです。 ルーマニア女子も、ポテトサラダのことをロシアのサラダと言い、ルーマニア版ではお肉とキュウリのピクルスを必ず入れると言います。
ペルー女子も、ポテトサラダのことをロシアのサラダと言い、ペルー版はバルバビエトラ(ビーツ)を加えるのが定番だと教えてくれました。
ポテトサラダのことをロシアのサラダと呼ぶ国は多いようですが、調べてみると、フランスのサラダとかイタリアのサラダと呼ぶ国もあるようです。
世界ポテトサラダ選手権なんて開催されたら、お国柄が出て面白そうですね。
クレアパッソでご購入いただける地方料理の本La Grande Cucina Regionale italianaシリーズのロンバルディアでは、最初に掲載されているレシピがインサラータ ルッサです。
ポテトサラダは16C初め、ミラノのスフォルツァ家からポーランドに嫁いだボナ・スフォルツァ妃が、イタリアのルネッサンス文化と共にポーランドに持ち込んだのが始まりかも・・・などという、楽しい妄想を掻き立てられるような注釈もついています。
じゃがいもがヨーロッパに伝わったのはおそらく16C半ばで、広く栽培されるようになったのは更に後の時代ですが、昔の人々も、もしかしたらポテトサラダを食べていたのかも、などと考えるのは楽しいです。
ボナ・スフォルツァは、バーリ公爵とカラブリアのロッサーノ王女の称号を持っており、ポーランドから帰国後、人生の終焉はバーリで迎えています。
カラブリアのロッサーノの町はシ―ラ台地のふもとにあるのですが、シ―ラ台地の標高1200m付近で栽培されるじゃがいもは、現在、シ―ラのじゃがいもとしてIGP認定を受けています。 やっぱり、もしかするとすると、ボナ・スフォルツァがこのじゃがいもでポテトサラダを・・?(笑)
この地にじゃがいもがもたらされたのは19Cに入ってからのようですが、水も空気も澄んだこんな高地で育つじゃがいもは、おいしいに違いありません。
土壌はミネラル分を多く含み、一日の寒暖差も大きいため、他の土地で育つじゃがいもに比べると澱粉質が高く、丈夫なものが収穫できるのだそうです。
ミラノ近郊でよく見かけるのは、ボローニャのじゃがいもDOP。
南のじゃがいもは見かけないなぁと思っていたら、つい最近、地元のスーパーでセールになっているのを見つけました。
もうすぐパスクアです。ポテトサラダは万人受けする一品なので、シ―ラのじゃがいもでポテトサラダを作ろうかな、と思っています。もちろん、日本風で!!
segnalibroさん、grazie。
皆様のコメントお待ちしてまーす。
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それでは、よろしくお願いしまーす。
去年の秋、初めて隣町Oreno産のじゃがいもを買いました。
それまで知らなかったのですが、毎年9月にはじゃがいも祭りを開催しているほど、じゃがいも作りに力を入れているようです(写真はお借りしています)。
土を落とそうとタワシでゴシゴシすると、皮までむけちゃうほど新鮮で、ホクホク。
12kgも買ってしまってどうしようかと思いましたが、おいしくてあっという間に食べちゃいました。
イタリアに来たばかりの頃はどれを買っていいか分からず、お店でじゃがいもを選ぶのにも一苦労。
日本でメークイン系や男爵系があるのと同様に、イタリアにも煮崩れしにくいパスタ ジャッラとホクホク系のパスタ ビアンカがあると知りました。
これはパスタ ビアンカ、ケネベックという品種でした。
さて、数年前からミラノでは、こんなフランチャイズ店が増えてきました。
アムステルダム チップス。
ベルギー人が聞いたら、気分を害してしまいそうなネーミングです。
じゃがいもは店内で洗ってカットし、2度揚げするのがおいしさの秘訣だそうで、いつも観光客や地元の人で賑わっています。
揚げたてのポテトには、14種類あるソースの中から、1つを選んでかけてもらいます。
ホームページによると、じゃがいもはオランダ産のビンチェという品種。
オランダ産のフライヤーを使い、ピーナッツ油で揚げているそうです。
飲み物はLa Trappeというオランダビールがラインナップされており、ますますお腹いっぱいになること間違いなしです。
ところで、イタリアに来て不思議だったことの一つが、なぜポテトサラダのことをインサラータ ルッサ、ロシアのサラダだと言うのだろう、ということ。
友人のロシア女子に聞くと、ロシアでは年越しにポテトサラダを食べるのが定番になっているくらい伝統的なお料理なのに、Wikiではオリヴィエ サラダ、とかいうフランス語風な名前になっていてけしからん、と、プリプリ怒っていました。
曰く、ロシアのポテトサラダは、イタリアのものよりお野菜の具がたくさん入っているそうです。 ルーマニア女子も、ポテトサラダのことをロシアのサラダと言い、ルーマニア版ではお肉とキュウリのピクルスを必ず入れると言います。
ペルー女子も、ポテトサラダのことをロシアのサラダと言い、ペルー版はバルバビエトラ(ビーツ)を加えるのが定番だと教えてくれました。
ポテトサラダのことをロシアのサラダと呼ぶ国は多いようですが、調べてみると、フランスのサラダとかイタリアのサラダと呼ぶ国もあるようです。
世界ポテトサラダ選手権なんて開催されたら、お国柄が出て面白そうですね。
クレアパッソでご購入いただける地方料理の本La Grande Cucina Regionale italianaシリーズのロンバルディアでは、最初に掲載されているレシピがインサラータ ルッサです。
ポテトサラダは16C初め、ミラノのスフォルツァ家からポーランドに嫁いだボナ・スフォルツァ妃が、イタリアのルネッサンス文化と共にポーランドに持ち込んだのが始まりかも・・・などという、楽しい妄想を掻き立てられるような注釈もついています。
じゃがいもがヨーロッパに伝わったのはおそらく16C半ばで、広く栽培されるようになったのは更に後の時代ですが、昔の人々も、もしかしたらポテトサラダを食べていたのかも、などと考えるのは楽しいです。
ボナ・スフォルツァは、バーリ公爵とカラブリアのロッサーノ王女の称号を持っており、ポーランドから帰国後、人生の終焉はバーリで迎えています。
カラブリアのロッサーノの町はシ―ラ台地のふもとにあるのですが、シ―ラ台地の標高1200m付近で栽培されるじゃがいもは、現在、シ―ラのじゃがいもとしてIGP認定を受けています。 やっぱり、もしかするとすると、ボナ・スフォルツァがこのじゃがいもでポテトサラダを・・?(笑)
この地にじゃがいもがもたらされたのは19Cに入ってからのようですが、水も空気も澄んだこんな高地で育つじゃがいもは、おいしいに違いありません。
土壌はミネラル分を多く含み、一日の寒暖差も大きいため、他の土地で育つじゃがいもに比べると澱粉質が高く、丈夫なものが収穫できるのだそうです。
ミラノ近郊でよく見かけるのは、ボローニャのじゃがいもDOP。
南のじゃがいもは見かけないなぁと思っていたら、つい最近、地元のスーパーでセールになっているのを見つけました。
もうすぐパスクアです。ポテトサラダは万人受けする一品なので、シ―ラのじゃがいもでポテトサラダを作ろうかな、と思っています。もちろん、日本風で!!
segnalibroさん、grazie。
皆様のコメントお待ちしてまーす。
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2016年3月17日木曜日
軟質小麦粉と水の生地
今日は今月の「総合解説」の地方料理2品目、チェーチのファリナータの話です。
ファリナータはリグーリア(ジェノヴァ)の料理ですが、トスカーナのチェチーナや、プロヴァンスのソッカなど、そっくりな料理が各地にあります。
ファリナータ
↓
チェチーナ
↓
ソッカ
↓
三者の共通点は、テストと呼ばれる浅い型で焼くこと。
現代版テスト。
↓
クレープや薄焼き卵も焼けます。
粉を水で溶いて生地にするというのは、人類がかなり昔に覚えた技術ですよね、多分。
粉に水を加えてこねればパスタになりそうですが、粉が軟質小麦粉だと、グルテンが少なくて固まりません。
チェーチの粉もグルテンが少ない粉。
軟質小麦粉を固めてパスタにするには、卵や湯を加えるなどしてタンパク質を粘らせてつなげるという科学的な工夫が必要です。
でも、型に入れて焼けば、まとまらなくても問題ありません。
という訳で、おそらく、その起源はパスタより古いのではないでしょうか。
しかも、パスタよりずっと質素。
テストさえあればできます。
ちなみに、とうもろこしのファリナータというのもあります。
とうもろこしの粉もグルテンがないですよね。
そういえば、小麦粉と水の生地をテストで焼いた料理がありました。
テスタローリです。
偶然、今月の「総合解説」では“テスタローリ”の記事も訳しています。
テスタローリ
↓
出来上がりだけ見れば、パスタですね。
軟質小麦粉と水のパスタです。
でも、分類的には無酵母パン、あるいは発酵させないフォカチャ。
記事の中にもありますが、この料理が生まれた当時のテストは、テラコッタ製でした。
タステローリと同じポデンツァ地方のパニガッチョという料理は、テラコッタ製のテストで作ります。
軟質小麦粉と水の生地で作るパニガッチョ。
↓
ちなみに、写真が秀逸なトスカーナ料理の本、“Gli illustrati”シリーズ『ラ・クチーナ・トスカーナ』には、チェチーナもとうもろこし粉のファリナータも、パニガッチョも、全部載っています。
軟質小麦粉の食文化を発展させた国は、グルテンの少ない小麦粉と水の生地をどう変化させていったのか・・・、興味深いテーマです。
軟質小麦粉と硬質小麦粉は、それぞれが根付いた地域に大きく違う食文化をもたらしたのですねー。
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“チェーチのファリナータ”、“テスタローリ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年5月号に載っています。
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ファリナータはリグーリア(ジェノヴァ)の料理ですが、トスカーナのチェチーナや、プロヴァンスのソッカなど、そっくりな料理が各地にあります。
ファリナータ
↓
チェチーナ
↓
ソッカ
↓
三者の共通点は、テストと呼ばれる浅い型で焼くこと。
現代版テスト。
↓
クレープや薄焼き卵も焼けます。
粉を水で溶いて生地にするというのは、人類がかなり昔に覚えた技術ですよね、多分。
粉に水を加えてこねればパスタになりそうですが、粉が軟質小麦粉だと、グルテンが少なくて固まりません。
チェーチの粉もグルテンが少ない粉。
軟質小麦粉を固めてパスタにするには、卵や湯を加えるなどしてタンパク質を粘らせてつなげるという科学的な工夫が必要です。
でも、型に入れて焼けば、まとまらなくても問題ありません。
という訳で、おそらく、その起源はパスタより古いのではないでしょうか。
しかも、パスタよりずっと質素。
テストさえあればできます。
ちなみに、とうもろこしのファリナータというのもあります。
とうもろこしの粉もグルテンがないですよね。
そういえば、小麦粉と水の生地をテストで焼いた料理がありました。
テスタローリです。
偶然、今月の「総合解説」では“テスタローリ”の記事も訳しています。
テスタローリ
↓
出来上がりだけ見れば、パスタですね。
軟質小麦粉と水のパスタです。
でも、分類的には無酵母パン、あるいは発酵させないフォカチャ。
記事の中にもありますが、この料理が生まれた当時のテストは、テラコッタ製でした。
タステローリと同じポデンツァ地方のパニガッチョという料理は、テラコッタ製のテストで作ります。
軟質小麦粉と水の生地で作るパニガッチョ。
↓
ちなみに、写真が秀逸なトスカーナ料理の本、“Gli illustrati”シリーズ『ラ・クチーナ・トスカーナ』には、チェチーナもとうもろこし粉のファリナータも、パニガッチョも、全部載っています。
軟質小麦粉の食文化を発展させた国は、グルテンの少ない小麦粉と水の生地をどう変化させていったのか・・・、興味深いテーマです。
軟質小麦粉と硬質小麦粉は、それぞれが根付いた地域に大きく違う食文化をもたらしたのですねー。
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“チェーチのファリナータ”、“テスタローリ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年5月号に載っています。
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2016年3月14日月曜日
ローマ人に人気だったアスコリのオリーブ
「総合解説」、5月号発売しました。
5月号の特集記事は、『サーレ・エ・ペペ』の記事、サルデーニャのパンです。
パーネ・カラザウを初めとする個性的なパンの作り方が、豊富な写真付きで詳細に説明されています。
参考になる貴重な写真が一杯の記事なので、サルデーニャのパンに興味がある方は、『サーレ・エ・ペペ』5月号をぜひ見ていただきたいです。
少しですが在庫もあります。
詳細は後日、改めて。
今日は今月の「総合解説」で一番最初に取り上げている地方料理の話です。
マルケ料理です。
地方料理を州ごとに写真付きでコンパクトにまとめた“ラ・グランデ・クチーナ・レジョナーレ・イタリアーナ”シリーズの『マルケ』では、この料理が表紙を飾っています。
マルケ料理を代表する料理、オリーヴェ・アッラ・アスコラーナです。
それにしても、この可愛い料理に、壮大な歴史があったなんて、思ってもいませんでした。
古代ローマ時代から、偉大な人々のお気に入りの料理だったんですねー。
イタリア料理の場合、大物の古代ローマ人にちょっとでも気に入られると、文書の形で後世にその話が伝わって、半永久的にエピソードが語り継がれるという、とてもラッキーな結果になります。
イタリア料理は、どちらかというと、宮廷や貴族の料理とは無縁の家庭料理がルーツのものが多いので、主婦の行動範囲と経済圏の狭い地域の中で広まりました。
だからイタリア料理は地方料理の集合体ということができます。
ところが、ここに古代ローマ人がからんでくると、とたんにこの理論は崩壊します。
なにしろ地中海全域を支配して、ヨーロッパ中に大きな影響を与えた帝国です。
その中心地、ローマとなると、地元の食文化どころか、征服した広大な地域の貴重な食材が流れ込んで、大都市のデパ地下みたいななんでもあり状態。
このアスコリ風オリーブも、地元の主婦が地元で採れたオリーブを美味しく食べる方法として考え出したのでしょうが、そもそもアスコリのオリーブは生産量が少なくて、地元以外にはあまり広まりませんでした。
でも、大粒で柔らかくて甘いアスコリのオリーブが、手に入れにくいこともあって貴重度がアップしたのか、古代ローマ人にいたく気に入られて、有名な詩人や政治家プリニウス、果ては皇帝ネロの名までファンリストに登場して、すっかり高級料理になってしまいました。
現存する最古のリチェッタが19世紀末のアスコリの貴族の館の料理人が書いたもので、当時は最も富裕な階級が特別な機会に作るような料理だったというのも、うなずけます。
古代ローマで人気があった料理は、地方(ラツィオ)料理というよりイタリア料理の元祖と言えるのではないかと私は考えていますが、どうでしょう。
記事によると、農家の主婦が作っていた最初のアスコリ風オリーブの詰め物は、野草だったそうですが、今は数種類の肉のミックスです。
今ではこの料理は、代わりになるオリーブが色々あるためか、マルケだけでなくイタリア中に広まりました。
現代の家庭ではこの料理をどんな風にアレンジしているのでしょう。
家庭料理の本、『マンマ・ミーア』には、“オリーヴェ・リピエーネ”という名前で、詰め物をして揚げたオリーブのリチェッタが載っています。
それによると、オリーブは手に入りにくいアスコラーネとは書かずに、甘くて柔らかいグリーンオリーブ、詰め物は牛肉と豚肉となっています。
レバーやトマトペーストは加えませんが、他はだいたい「総合解説」のリチェッタと同じ。
つまり、材料で多少手を抜いても、とても手間暇かけて作る料理です。
なので、作るときはたっぷり作って冷凍する、というアドバイスもあります。
最後のほうにオリーブの種の取り方の説明があります。
リンゴの皮をむくように、と言っています。
始めてそれを聞いて以来、オリーブの種を取るときはスパイラルに切るのが習慣になっていますが、かなり大粒でないと、きれいに切れないものですね。
包丁、野菜は切りにくそうだけど、肉はよく切れてますねー。
パン粉は細かくないと、別物になります。
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“アスコリ風オリーブ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年5月号に載っています。
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5月号の特集記事は、『サーレ・エ・ペペ』の記事、サルデーニャのパンです。
パーネ・カラザウを初めとする個性的なパンの作り方が、豊富な写真付きで詳細に説明されています。
参考になる貴重な写真が一杯の記事なので、サルデーニャのパンに興味がある方は、『サーレ・エ・ペペ』5月号をぜひ見ていただきたいです。
少しですが在庫もあります。
詳細は後日、改めて。
今日は今月の「総合解説」で一番最初に取り上げている地方料理の話です。
マルケ料理です。
地方料理を州ごとに写真付きでコンパクトにまとめた“ラ・グランデ・クチーナ・レジョナーレ・イタリアーナ”シリーズの『マルケ』では、この料理が表紙を飾っています。
マルケ料理を代表する料理、オリーヴェ・アッラ・アスコラーナです。
それにしても、この可愛い料理に、壮大な歴史があったなんて、思ってもいませんでした。
古代ローマ時代から、偉大な人々のお気に入りの料理だったんですねー。
イタリア料理の場合、大物の古代ローマ人にちょっとでも気に入られると、文書の形で後世にその話が伝わって、半永久的にエピソードが語り継がれるという、とてもラッキーな結果になります。
イタリア料理は、どちらかというと、宮廷や貴族の料理とは無縁の家庭料理がルーツのものが多いので、主婦の行動範囲と経済圏の狭い地域の中で広まりました。
だからイタリア料理は地方料理の集合体ということができます。
ところが、ここに古代ローマ人がからんでくると、とたんにこの理論は崩壊します。
なにしろ地中海全域を支配して、ヨーロッパ中に大きな影響を与えた帝国です。
その中心地、ローマとなると、地元の食文化どころか、征服した広大な地域の貴重な食材が流れ込んで、大都市のデパ地下みたいななんでもあり状態。
このアスコリ風オリーブも、地元の主婦が地元で採れたオリーブを美味しく食べる方法として考え出したのでしょうが、そもそもアスコリのオリーブは生産量が少なくて、地元以外にはあまり広まりませんでした。
でも、大粒で柔らかくて甘いアスコリのオリーブが、手に入れにくいこともあって貴重度がアップしたのか、古代ローマ人にいたく気に入られて、有名な詩人や政治家プリニウス、果ては皇帝ネロの名までファンリストに登場して、すっかり高級料理になってしまいました。
現存する最古のリチェッタが19世紀末のアスコリの貴族の館の料理人が書いたもので、当時は最も富裕な階級が特別な機会に作るような料理だったというのも、うなずけます。
古代ローマで人気があった料理は、地方(ラツィオ)料理というよりイタリア料理の元祖と言えるのではないかと私は考えていますが、どうでしょう。
記事によると、農家の主婦が作っていた最初のアスコリ風オリーブの詰め物は、野草だったそうですが、今は数種類の肉のミックスです。
今ではこの料理は、代わりになるオリーブが色々あるためか、マルケだけでなくイタリア中に広まりました。
現代の家庭ではこの料理をどんな風にアレンジしているのでしょう。
家庭料理の本、『マンマ・ミーア』には、“オリーヴェ・リピエーネ”という名前で、詰め物をして揚げたオリーブのリチェッタが載っています。
それによると、オリーブは手に入りにくいアスコラーネとは書かずに、甘くて柔らかいグリーンオリーブ、詰め物は牛肉と豚肉となっています。
レバーやトマトペーストは加えませんが、他はだいたい「総合解説」のリチェッタと同じ。
つまり、材料で多少手を抜いても、とても手間暇かけて作る料理です。
なので、作るときはたっぷり作って冷凍する、というアドバイスもあります。
最後のほうにオリーブの種の取り方の説明があります。
リンゴの皮をむくように、と言っています。
始めてそれを聞いて以来、オリーブの種を取るときはスパイラルに切るのが習慣になっていますが、かなり大粒でないと、きれいに切れないものですね。
包丁、野菜は切りにくそうだけど、肉はよく切れてますねー。
パン粉は細かくないと、別物になります。
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“アスコリ風オリーブ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年5月号に載っています。
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2016年3月10日木曜日
聖ジョルジョと牛乳配達人
『総合解説』4月号のメニュー、2コース目は、“オルトレポーのパスクエッタ“というテーマのコース料理でした。
パスクエッタは、パスクアの翌日の月曜日のこと。
キリスト教の国々では祝日で、春の訪れを満喫するため、ピクニックなどに出かける習慣があります。
オルトレポーは、ポー河の向こう側の地方のことで、ロンバルディア州の南西部を横断しているポー河を、ミラノから見て河の向こう側(南)の地方。
逆三角形をしたパヴィア県の南半分にあたります。
エミリア・ロマーニャやジェノヴァに近く、地理的にも、食文化的にもその影響が感じられます。
ロンバルディアの人が、パスクエッタのピクニックに出かけたくなるような場所なんですね。
北国のロンバルディアというより、豊穣なエミリア・ロマーニャの雰囲気を漂わせています。
オルトレポー・パヴェーゼのスペチャリタ。
↓
コース料理のテーマは、“春の訪れを祝う”。
復活と春をイメージした食材と盛り付けを駆使します。
まず最初は、“ブッラータとうずらの卵のヴォロヴァン”。
最近は、北イタリアの料理でもブッラータを使うものをよく見るようになりました。
小さなパイ生地にうずらの卵と小さく切ったブッラータを入れ、オーブンで焼いて卵白だけ固めた巣仕立ての1品です。
鳥の巣と卵、フレッシュチーズは新しい命の象徴。
次はオルトレポーの特産品、米を使った地元の伝統料理、トルタ・ディ・リーゾです。
牛乳で煮た米を卵、グラナ・パダーノ、バターでつないでタルト生地に流し入れて焼きます。
プリーモ・ピアットもテーマは卵、カルボナーラです。
ただし、畑で採れたアスパラガス入りで、仕上げにグラナ・パダーノを散らしてオーブンで焼きます。
野菜料理は、畑の色とりどりな野菜のオーブン焼きですが、ペコリーノ入りのクランプルを散らして、香ばしさとボリュームをアップさせています。
セコンドは、生ハムのコトレッタと、子羊のコストレッタの蜂蜜焼き。
いやーどちらも美味しそうですが、生ハムのコトレッタ、つまり生ハムカツは美味しそうですねー。
厚切りの生ハムに小麦粉、溶き卵、パン粉をつけてバターで揚げるという、ありそうでなかった料理です。
子羊は、マローという、ペコリーノ入りのソラマメのクリームを添えます。
鮮やかな緑色がいかにも春。
これからの季節、ソラマメとペコリーノはイタリア料理には欠かせない食材。
乾燥ソラマメを使ったプーリアのリチェッタが知られていますが、生のソラマメを使ったリグーリア風のリチェッタをどうぞ。
↓
最後にドルチェですが、定番のコロンバはお客さんが持ってきてくれるから、それ以外の物を1品、と当然のように言っています。
なるほど、パスクアの時期に招待されたらコロンバは必携ですね。
という訳で、作ったのはパン・デ・メイ。
ロンバルディアの農家のお菓子と言えば、これです。
メイとはアワのこと。
昔は粟の粉で作ってサン・ブーコを散らしましたが、今はとうもろこしの粉で作って粉糖を散らすビスコッティです。
ロンバルディアでは、牛乳配達人の守護聖人、サン・ジョルジョの日(4月23日)に、このドルチェを作る伝統があるそうです。
サン・ジョルジョの日と言えば、本を贈るサン・ジョルディの日としても知られていますが、世界的には、聖ゲオルギオスの日と呼ばれるんですね。
イングランドの守護世人でもあります。
この日が祝日の国も多いようです。
それにしても牛乳配達人の守護聖人の日とは、どんだけ牛乳配達人リスペクトなのかと思ったら、聖ジョルジョさんは、ローマの軍人でドラゴン退治の伝説まであるすごい人だったんですね。
ドラゴンを退治するということは、現代でいえばスーパーヒーローだったわけで、多分、すごい人気だったんでしょうね。
それで、いろんな職業の守護聖人に祭り上げられたんだろうなあ、とは思いますが、それにしても、なぜ牛乳配達、なぜ、アワのビスコッティ。
なんでも、ロンバルディアでは牛乳配達人と酪農農家の間で毎年契約が行われたのですが、その日がたまたま聖ジョルジョの日でした。
それがきっかけで聖ジョルジョと牛乳配達人が結びつき、牛乳配達人の守護聖人となったもよう。
契約締結日は、農家にとって1年の収入が決まる日なので、めでたい日で、お祝いをしました。
その時に食べていたのがパン・デ・メイですが、このビスコッティは生クリームに浸して食べるものです。
そこで、牛乳配達人は生クリームを農家に贈ったのだそうです。
粋な計らいですねー。
実は、ロンバルディアの言い伝えでは、竜退治と聖ジョルジョの日には関係があって、サン・ブーコの花にまつわる伝説もあって、パン・デ・メイともかかわってくるのですが、一般的には聖ジョルジョの日は聖ジョルジョが殉教した日となっているので、ちょっと矛盾しちゃいますね。
とにかく、諸説あるのですが、伝説によると、聖ジョルジョはローマの騎士で、ドラゴンの生贄にされるブリアンツァのお姫様がサンブーコの木に縛り付けられていました。
そこでお菓子でドラゴンをおびき寄せてドラゴン退治に成功します
それを祝ってお姫様はパン・デ・メイにサンブーコの花を散らしたのだそうです。
その出来事を記念して、聖ジョルジョの日にパン・デ・メイを作るのだとか。
とにかくいろいろな説がありますが、半分伝説上の人物なので、一番気に入ったものを信じるしかないようです。
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“オルトレポーのパスクエッタ”のリチェッタの日本語訳は、「総合解説」13/14年4月号に載っています。
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2016年3月7日月曜日
ダウラ・ダム
今日はビールの話題。
クラフトビールのブームは世界的な傾向のようですが、イタリアも、例外ではありません。
イタリアの料理関係の雑誌を見渡すと、ビールの情報に一番熱心な業界が、浮かび上がってきました。
それはピッツァ業界です。
そこで、専門誌『ピッツァ・エ・コーレ』のビールの連載記事の日本語訳を、「総合解説」に載せることにしました。
4月号のビールは、“ダム”です。
イタリア料理通にはあまりなじみがない名前じゃないでしょうか。
それもそのはず、スペインの主要ビールメーカーのビールです。
代表的なビールは、エストレージャ・ダム。
エストレージャ・ダムのPV。
↓
どうやらエル・ブジに料理修行に行った若者たちの青春のひと時をスタイリッシュに描いたもののよう。
こんな素敵な修業時代を過ごしちゃう人もいるんですねー。
誰ですか、遠い目をしてる人は?
とにかく、エストレージャ・ダムは世界的に人気のヒットビール。
で、今回取り上げるのは、ダウラ・ダム。
グルテンフリービールです。
イタリアでは、このダウラ・ダムがグルテンフリービールのマーケットリーダーだそうです。
グルテンフリー製品の欧米での注目度は日本の比ではないですねー。
3月号の「総合解説」で、グルテンフリーのパンのリチェッタを訳した時も、グルテンフリー製品のあまりの多さと普及ぶりに、ドン引きしたものです。
グルテンフリーの粉だけでなく、天然酵母までグルテンフリー。
立派なグルテンフリーパンが家庭でもできてしまいます。
イタリアはグルテンフリー先進国、ということを確信しました。
以前、アルト・アディジェのドクター・シェアーというメーカーが、ヨーロッパのグルテンフリーメーカーのリーダーだという話を書きましたが、次号、5月号の「総合解説」にはパンに関する興味深い記事があります。
『ガンベロ・ロッソ』の小麦粉特集なんですが、この記事を読むと、イタリアの小麦粉は特別だ、ということがよーくわかります。
このような研究熱心な体質の業界だからこそ、グルテンフリーの粉の研究も、ヨーロッパを引っ張るぐらいに先を行っているのでしょう。
それにしても、世界中で市場がズンズン拡大中のグルテンフリー製品。
日本は、今のところ、まったく蚊帳の外のようですが、それは需要がない、ということで、よいことととらえるべきですかね。
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“ダム”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年4月号に載っています。
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クラフトビールのブームは世界的な傾向のようですが、イタリアも、例外ではありません。
イタリアの料理関係の雑誌を見渡すと、ビールの情報に一番熱心な業界が、浮かび上がってきました。
それはピッツァ業界です。
そこで、専門誌『ピッツァ・エ・コーレ』のビールの連載記事の日本語訳を、「総合解説」に載せることにしました。
4月号のビールは、“ダム”です。
イタリア料理通にはあまりなじみがない名前じゃないでしょうか。
それもそのはず、スペインの主要ビールメーカーのビールです。
代表的なビールは、エストレージャ・ダム。
エストレージャ・ダムのPV。
↓
どうやらエル・ブジに料理修行に行った若者たちの青春のひと時をスタイリッシュに描いたもののよう。
こんな素敵な修業時代を過ごしちゃう人もいるんですねー。
誰ですか、遠い目をしてる人は?
とにかく、エストレージャ・ダムは世界的に人気のヒットビール。
で、今回取り上げるのは、ダウラ・ダム。
グルテンフリービールです。
イタリアでは、このダウラ・ダムがグルテンフリービールのマーケットリーダーだそうです。
グルテンフリー製品の欧米での注目度は日本の比ではないですねー。
3月号の「総合解説」で、グルテンフリーのパンのリチェッタを訳した時も、グルテンフリー製品のあまりの多さと普及ぶりに、ドン引きしたものです。
グルテンフリーの粉だけでなく、天然酵母までグルテンフリー。
立派なグルテンフリーパンが家庭でもできてしまいます。
イタリアはグルテンフリー先進国、ということを確信しました。
以前、アルト・アディジェのドクター・シェアーというメーカーが、ヨーロッパのグルテンフリーメーカーのリーダーだという話を書きましたが、次号、5月号の「総合解説」にはパンに関する興味深い記事があります。
『ガンベロ・ロッソ』の小麦粉特集なんですが、この記事を読むと、イタリアの小麦粉は特別だ、ということがよーくわかります。
このような研究熱心な体質の業界だからこそ、グルテンフリーの粉の研究も、ヨーロッパを引っ張るぐらいに先を行っているのでしょう。
それにしても、世界中で市場がズンズン拡大中のグルテンフリー製品。
日本は、今のところ、まったく蚊帳の外のようですが、それは需要がない、ということで、よいことととらえるべきですかね。
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“ダム”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年4月号に載っています。
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2016年3月3日木曜日
牛の背肉
「総合解説」のイタリア料理の基礎シリーズという連載記事は、現在牛肉編の真っ最中ですが、だんだん高級な部位に移っていき、今月の4月号で取り上げたのは背肉でした。
その中でも美味しそうなのが、フラコステのビステッカ。
ステーキのソースは、サルサ・サポリータという抽象的な名前だったので訳に困りましたが、ブロードにハーブ、白ワイン、バルサミコ酢を加えて煮詰め、ハーブを取り除き、小麦粉をつけて焼いた肉のフライパンに入れたらオリーブとケッパーを加えてなじませるという、イタリアンなものばかりでできています。
(写真)
ビステッカにする牛肉の部位はフラコステ。
これは、背肉の頭に近い部位。
ちなみに尾に近い部位は、コントロフィレット。
背肉のイタリア語は、ご存じロンバータ。
さらに記事では、骨付き背肉の第6肋骨~第13肋骨の間から切り取るコスターテも紹介しています。
コスタータ
↓
フィオレンティーナはキアニーナ牛の子牛の背肉とヒレ肉をT字型の骨をつけて厚さ4㎝以上にカットしたもの。
フィオレンティーナ
↓
フィオレンティーナのタリアータは、なんてゴージャス(写真)。
これらの部位の写真と記事の原文はこちら。
BUEとMANZO、VITELLONEの違いも説明されています。
ブーエとマンゾの違いなんて考えた事なかったですが、全然違うものだったんですね。
記事には関係ないけど、生のフィオレンティーナを見ると、香ばしく焼き上がった姿を見ないと満足できません。
見ているだけで幸せになりますねー。
ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ
↓
次号の5月号は、ヒレ肉ですよー。
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“牛の背肉3種”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年4月号に載っています。
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その中でも美味しそうなのが、フラコステのビステッカ。
ステーキのソースは、サルサ・サポリータという抽象的な名前だったので訳に困りましたが、ブロードにハーブ、白ワイン、バルサミコ酢を加えて煮詰め、ハーブを取り除き、小麦粉をつけて焼いた肉のフライパンに入れたらオリーブとケッパーを加えてなじませるという、イタリアンなものばかりでできています。
(写真)
ビステッカにする牛肉の部位はフラコステ。
これは、背肉の頭に近い部位。
ちなみに尾に近い部位は、コントロフィレット。
背肉のイタリア語は、ご存じロンバータ。
さらに記事では、骨付き背肉の第6肋骨~第13肋骨の間から切り取るコスターテも紹介しています。
コスタータ
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フィオレンティーナはキアニーナ牛の子牛の背肉とヒレ肉をT字型の骨をつけて厚さ4㎝以上にカットしたもの。
フィオレンティーナ
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フィオレンティーナのタリアータは、なんてゴージャス(写真)。
これらの部位の写真と記事の原文はこちら。
BUEとMANZO、VITELLONEの違いも説明されています。
ブーエとマンゾの違いなんて考えた事なかったですが、全然違うものだったんですね。
記事には関係ないけど、生のフィオレンティーナを見ると、香ばしく焼き上がった姿を見ないと満足できません。
見ているだけで幸せになりますねー。
ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ
↓
次号の5月号は、ヒレ肉ですよー。
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“牛の背肉3種”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年4月号に載っています。
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