今日は、今月の「総合解説」でリチェッタを取り上げた個性的なシェフ、ジョルジョーネさんの話。
ガンベロ・ロッソのテレビ番組で爆発的な人気者になり、ガンベロ・ロッソが社を挙げてバックアップしているシェフです。
本名はジョルジョ・バルキエージ。
まん丸に膨れたお腹をオーバーオールに包んだ愛嬌満点の姿から、ジョルジョーネというニックネームがついたんだろうなあとは、容易に想像できます。
こんな人物。
彼の料理書のPV。
番組のPV
料理。
いやー何をやっても面白くて絵になりますね。
まさにテレビ向きの人だなあ。
彼の人柄は、料理からも感じられます。
シンプルでダイナミック、泥臭いけれど説得力抜群。
ウンブリアのペルージャ県にある、粉ひき小屋を改装したレストランで、畑を耕し、様々な家畜を飼育し、その収穫を料理して、飲み物別で約3500円のコース料理を出しています。
「総合解説」に載せた料理を見ても、農家風ソースのタリオリー二は、
豚のスペアリブ、平飼い野鶏の足、とさか、砂肝、レバー、牛の軟骨付きブリスケ、香味野菜をラルドとオリーブオイルで炒めてワインとトマトを加えて煮込む、などなど。
テレビでフランス人シェフと料理対決しても、その上品な料理に勝ってしまうのが、わかる気がします。
イタリア人は、もうすっかり彼に夢中です。
彼の人柄を知ったうえでそのリチェッタを見ると、面白いですよ。
彼の料理本『オルト・エ・クチーナ』も販売中です。
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“ジョルジョーネ”のリチェッタの日本語訳は「総合解説」12/14年3月号に載っています。
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2016年1月28日木曜日
2016年1月25日月曜日
フォークの歴史
今日は、今月の「総合解説」を訳していて、一番へえ~、と思った記事の話です。
それは“フォルケッタ”の話。
宙に浮かぶフォークとスパゲッティ。
この切っても切れない関係にも、実は意外な歴史がありました。
西洋で最初に普及した食事の道具はナイフとスプーン。
フォークは最後に伝わりました。
フォークが最初に普及していたのはビザンチウム(現イスタンブール)の宮廷。
そこから、フィレンツェ、ピサ、ヴェネチアといった富裕な市民や商人がいるイタリアの都市に伝わります。
11世紀に、ビザンツ帝国の王女がヴェネチアの大公の息子と結婚した時に、料理を手で触らずに、小さな二またの道具を使ったという記録が残っているそうです。
時は流れて、今度はフィレンツェのカテリーナ・デ・メディチがフランスに嫁いだ時、フランスにフォークが伝わったそうです。
まあ、ここらへんはそんなものかなあ、ぐらいなのですが、面白いのは、フォークを使って食事したビザンツのお姫様に対して、ドミニコ修道会が怒ったという話。
当時のイタリアの宮廷では、食事のマナーは、固形料理は皿から直接手で取るのが正しいとされていました。
手で食べることは洗練されている、と考えられていたのです。
ドミニコ会というのは、清貧を重んじて、ガリ勉の学者がたくさんいるような、ストイックな宗派でした。
その人たちが、料理を手で取らずに道具を使うとは、
“悪魔的な贅沢、貴族の弱さの証明だ、スキャンダルだ、手で堂々と食べろ!”
と猛然と抗議したのだそうです。
手で食べることが洗練されていると人々が頑なに信じている時代に、フォークを使うことは、行き過ぎたスノビズムと取られて、世間から白い目で見られたのですね。
うわー、こりゃ、初めてフォークを使ったイタリア人は、すごい勇敢な人だったということですね。
たかがフォークがこれほどまでにおおごとだったなんて。
ところが、一度普及すると、その便利さからスプーンやナイフよりも深く広まっていきました。
とはいっても現在のような4本歯になったのは18世紀後半のこと。
スパゲッティをフォークに巻きつけるようになったのは、それから。
考えてみれは、スパゲッティとフォークの結びつきも深いですよね。
フォークがなければ、スパゲッティは今ほど普及していなかったと思いませんか。
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“フォルケッタ”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年3月号に載っています。
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それは“フォルケッタ”の話。
宙に浮かぶフォークとスパゲッティ。
この切っても切れない関係にも、実は意外な歴史がありました。
西洋で最初に普及した食事の道具はナイフとスプーン。
フォークは最後に伝わりました。
フォークが最初に普及していたのはビザンチウム(現イスタンブール)の宮廷。
そこから、フィレンツェ、ピサ、ヴェネチアといった富裕な市民や商人がいるイタリアの都市に伝わります。
11世紀に、ビザンツ帝国の王女がヴェネチアの大公の息子と結婚した時に、料理を手で触らずに、小さな二またの道具を使ったという記録が残っているそうです。
時は流れて、今度はフィレンツェのカテリーナ・デ・メディチがフランスに嫁いだ時、フランスにフォークが伝わったそうです。
まあ、ここらへんはそんなものかなあ、ぐらいなのですが、面白いのは、フォークを使って食事したビザンツのお姫様に対して、ドミニコ修道会が怒ったという話。
当時のイタリアの宮廷では、食事のマナーは、固形料理は皿から直接手で取るのが正しいとされていました。
手で食べることは洗練されている、と考えられていたのです。
ドミニコ会というのは、清貧を重んじて、ガリ勉の学者がたくさんいるような、ストイックな宗派でした。
その人たちが、料理を手で取らずに道具を使うとは、
“悪魔的な贅沢、貴族の弱さの証明だ、スキャンダルだ、手で堂々と食べろ!”
と猛然と抗議したのだそうです。
手で食べることが洗練されていると人々が頑なに信じている時代に、フォークを使うことは、行き過ぎたスノビズムと取られて、世間から白い目で見られたのですね。
うわー、こりゃ、初めてフォークを使ったイタリア人は、すごい勇敢な人だったということですね。
たかがフォークがこれほどまでにおおごとだったなんて。
ところが、一度普及すると、その便利さからスプーンやナイフよりも深く広まっていきました。
とはいっても現在のような4本歯になったのは18世紀後半のこと。
スパゲッティをフォークに巻きつけるようになったのは、それから。
考えてみれは、スパゲッティとフォークの結びつきも深いですよね。
フォークがなければ、スパゲッティは今ほど普及していなかったと思いませんか。
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“フォルケッタ”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年3月号に載っています。
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2016年1月21日木曜日
リゾット・アッラ・チェルトジーナとカエル
さて、リゾット・アッラ・チェルトジーナですが、写真や動画を探したのですが、なかなか見つかりません。
『サーレ・エ・ぺぺ』の記事にもある通り、“調理は複雑で細かい作業、昇華されたリゾット作りの技が必要、時間もかかかる”ので、地元のシェフでも作るのをためらう、というだけあります。
取りあえず、その料理が生まれた美しい修道院、チェルトーザ・ディ・パヴィアは、こんなところ。
私が思うに、この料理の醍醐味は、稲作地帯にふさわしい、地産地消そのものの材料です。
記事によると、
「畑の野菜と豆、沢のザリガニ、家の裏の穴のカエル、周囲の水田の貴重な米」
これは、昭和の日本なら、どこにでもあったような風景が目に浮かびますねー。
というか、ほんのちょっと前のご近所の風景のような・・・。
これらの文字通り泥臭い食材から、修道士たちは、洗練された料理を作り出したわけです。
多分TOKIOだったら喜んで食材調達して作ってくれそうな料理ですね。
でも、いまいちイメージがわきませんねえ。
本を探してみたら、カルロ・クラッコシェフの『地方料理』のロンバルディアの章に、この料理がありました。
ほんとにこの人は、あらゆる料理に精通しています。
本には、こう書かれていました。
「“リゾット・アッラ・チェルトジーナ”のことを初めて聞いたのは、通っていたホテル学校でだった。
プランゾのメニューに毎週1回登場したのだ。
それは、グリーンピース、トマト、たっぷりのパルミジャーノのリゾットにワインをかけた料理だった。
しかし実際の料理は、修道院で修道士たちが作り出した“マーグロ”の米料理だった。
修道院では肉を食べることは日曜日にしか許されていなかった。
この料理の特徴は、グリーンピースとトマトのベースから始まって様々あり、材料のバリエーションも豊富だ。
例えば、淡水魚を加えたり(昔はこのリチェッタが多かった)、生のきのこ、ザリガニ、カエルを加えたりもした」
ここでリチェッタと、ぷりぷりのザリガニとカエルがのった美味しそうなリゾットの写真があり、最後にこう続きます。
「カエルは目にすることが減ってきた食材だが、北イタリアで昔はたくさん捕れたので、庶民的なトラットリーアでは、よく登場した。
フランスではアルタ・クチーナの食材と考えられている。
今でも北タリアではカエルの収穫祭などが行われているが、生の物は手に入りにくく、冷凍が主流だ。しかし、冷凍でも美味しい。
カエルは脂肪分が少なくて小骨がないので、昔はフリットにすることが多かった。
私個人的には、この種の料理は衣が厚すぎてカエルのデリケートな味を消していることが多いので、あまり好きではない。
カエルは、バター少々と塩一つまみでさっと焼いたのが好きだ。
カエルからは美味しいスープも取れる。
このスープはカエルのスープや煮込み、あるいはリゾットにも使える」
そしてこの後、カエルのスープの取り方の説明が細かく書いてあります。
カエルのリゾット。
↓
カエルだけでも十分美味しそうですが、これにザリガニの赤とグリーンピースの緑が加わると、もっと美味しそう。
「総合解説」には、川魚の切り身も加えるバージョンのリチェッタを載せています。
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“リゾット・アッラ・チェルトジーナ”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年3月号に載っています。
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『サーレ・エ・ぺぺ』の記事にもある通り、“調理は複雑で細かい作業、昇華されたリゾット作りの技が必要、時間もかかかる”ので、地元のシェフでも作るのをためらう、というだけあります。
取りあえず、その料理が生まれた美しい修道院、チェルトーザ・ディ・パヴィアは、こんなところ。
私が思うに、この料理の醍醐味は、稲作地帯にふさわしい、地産地消そのものの材料です。
記事によると、
「畑の野菜と豆、沢のザリガニ、家の裏の穴のカエル、周囲の水田の貴重な米」
これは、昭和の日本なら、どこにでもあったような風景が目に浮かびますねー。
というか、ほんのちょっと前のご近所の風景のような・・・。
これらの文字通り泥臭い食材から、修道士たちは、洗練された料理を作り出したわけです。
多分TOKIOだったら喜んで食材調達して作ってくれそうな料理ですね。
でも、いまいちイメージがわきませんねえ。
本を探してみたら、カルロ・クラッコシェフの『地方料理』のロンバルディアの章に、この料理がありました。
ほんとにこの人は、あらゆる料理に精通しています。
本には、こう書かれていました。
「“リゾット・アッラ・チェルトジーナ”のことを初めて聞いたのは、通っていたホテル学校でだった。
プランゾのメニューに毎週1回登場したのだ。
それは、グリーンピース、トマト、たっぷりのパルミジャーノのリゾットにワインをかけた料理だった。
しかし実際の料理は、修道院で修道士たちが作り出した“マーグロ”の米料理だった。
修道院では肉を食べることは日曜日にしか許されていなかった。
この料理の特徴は、グリーンピースとトマトのベースから始まって様々あり、材料のバリエーションも豊富だ。
例えば、淡水魚を加えたり(昔はこのリチェッタが多かった)、生のきのこ、ザリガニ、カエルを加えたりもした」
ここでリチェッタと、ぷりぷりのザリガニとカエルがのった美味しそうなリゾットの写真があり、最後にこう続きます。
「カエルは目にすることが減ってきた食材だが、北イタリアで昔はたくさん捕れたので、庶民的なトラットリーアでは、よく登場した。
フランスではアルタ・クチーナの食材と考えられている。
今でも北タリアではカエルの収穫祭などが行われているが、生の物は手に入りにくく、冷凍が主流だ。しかし、冷凍でも美味しい。
カエルは脂肪分が少なくて小骨がないので、昔はフリットにすることが多かった。
私個人的には、この種の料理は衣が厚すぎてカエルのデリケートな味を消していることが多いので、あまり好きではない。
カエルは、バター少々と塩一つまみでさっと焼いたのが好きだ。
カエルからは美味しいスープも取れる。
このスープはカエルのスープや煮込み、あるいはリゾットにも使える」
そしてこの後、カエルのスープの取り方の説明が細かく書いてあります。
カエルのリゾット。
↓
カエルだけでも十分美味しそうですが、これにザリガニの赤とグリーンピースの緑が加わると、もっと美味しそう。
「総合解説」には、川魚の切り身も加えるバージョンのリチェッタを載せています。
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“リゾット・アッラ・チェルトジーナ”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年3月号に載っています。
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2016年1月18日月曜日
「ヴェネト州のスーパー」
今日はイタリア便りをどうぞ。
それではSegnalibroさん、お願いしま~す。
1956年に冬季オリンピックが行われたところですが、今年は暖冬で全く雪がありません。
ゲレンデの一部に人工雪があるのみで、元旦は大勢の人が町の散策を楽しんでいました。
ウィンターリゾートとして人気がある町です。
某高級ホテルのロビーには、猟師がいたら間違いなく撃たれるであろう、と思われるような毛皮を着たマダムが数多く生息していました。
そして、愛犬連れの家族がとても多かったです。
そんなお山のリゾート地で庶民が過ごすには、平地で食料を買い込んでから向かわなければなりません。
入山前に、スーパーマーケットに立ち寄りました。 入った途端、山積みになっているラディッキオ タルティーヴォが目に入り、ヴェネト州にいるんだと実感します。
ヴェネト産を主張する手書きのポップがいろんな商品に付けられていて、ひしひしと地元愛を感じます。
ミラノ近郊では見かけないものがたくさんあって面白く、それほど大きくないお店なのに、ガッツリ1時間もウロウロしてしまいました。
Fondi di carciofo。大きなカルチョフィのお尻の部分だけ売っているのを初めて見ました。
いつもは丸ごと生花?で買っていますが、どこからが可食部か分からず、迷いながら下処理していたら、結局トゲトゲに刺されてしまう私。とっても心惹かれます。
お店の人にレシピを聞いてみたところ、詰め物をしてリピエーノにしたり、小さく切ってリゾットに入れたり。どう使ってもいいけれど、一番のお勧めはFondi di carciofo alla Venetaというヴェネト風のレシピだと言います。
フライパンにオリーブ油とにんにくを入れ、カルチョフィとともに半カップの水を加えたら蓋をして20分蒸し焼き。最後にイタリアンパセリを散らすのだそうです。
なるほど、おいしそう。
そして、お肉のコーナーにはこんなものが!
Nervetti semicotti bovino adulto。これって牛スジですよね?
おでんにいれたーい!ミラノ近郊でもみつけたーい!!
でも牛スジって、牛のどの部分のことを指すのでしょう。
ハラミ捜索の時もそうでしたが、日本にいた時は完成形しか知らなかったから、お肉の部位探しには苦労します。
牛スジって、茹でたらこんな風に白くなるものもあったし、どて焼きには赤身がついたものが使われていた気がします。
これはおでんにいれても大丈夫でしょうか?
州が変われば食も変わって、さすがイタリア、面白いと思ったのですが、関東出身の在伊お友達に牛スジの話をしたところ、おでんには牛スジなんて入れないと言われてしまいました。
関西限定?
また、静岡県出身の別のお友達は、静岡ではプール後におでんを食べるのが定番で、黒はんぺんは欠かせない。
魚が入っているから黒いのだと教えてくれました。
日本も地方によっていろんな食文化があって、面白いですよね。
ネットでNervetti semicotti bovino adultoを検索したところ、ヴェネト州のなかでもパドヴァ県の辺りで食べられており、2~4時間茹でたものを冷やして角切りにし、ニンニクとイタリアンパセリ、または玉ねぎと豆類、もしくは野菜の酢漬けとあえて食べるとのこと。
さらに調べてみると、私の住むロンバルディア州でもNervetti in insalataという、牛スジを使った地方料理があることが分かりました。 そういえば、近所のスーパーのお惣菜コーナーに、なにかよくわからないゼラチンっぽいサラダがあるんですよね。
あれって、牛スジのサラダだったんだ。
今度買ってみよう。 で、後は、角切りになっていない牛スジを探すのみ。
イタリアで牛スジ入りおでんを食べられる日は近いかもしれません。
カルチョフィのお尻もおでんに入れてみようかな。おいしいかも。(笑)
牛すじに詳しい皆さま、イタリアの迷える子羊に、牛すじ情報を教えてやっておくんなせい。
よろしくー。
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それではSegnalibroさん、お願いしま~す。
2016年の年明けは、ヴェネト州の山奥にある町、コルティーナ・ダンペッツオで迎えました。
1956年に冬季オリンピックが行われたところですが、今年は暖冬で全く雪がありません。
ゲレンデの一部に人工雪があるのみで、元旦は大勢の人が町の散策を楽しんでいました。
ウィンターリゾートとして人気がある町です。
某高級ホテルのロビーには、猟師がいたら間違いなく撃たれるであろう、と思われるような毛皮を着たマダムが数多く生息していました。
そして、愛犬連れの家族がとても多かったです。
そんなお山のリゾート地で庶民が過ごすには、平地で食料を買い込んでから向かわなければなりません。
入山前に、スーパーマーケットに立ち寄りました。 入った途端、山積みになっているラディッキオ タルティーヴォが目に入り、ヴェネト州にいるんだと実感します。
ヴェネト産を主張する手書きのポップがいろんな商品に付けられていて、ひしひしと地元愛を感じます。
ミラノ近郊では見かけないものがたくさんあって面白く、それほど大きくないお店なのに、ガッツリ1時間もウロウロしてしまいました。
Fondi di carciofo。大きなカルチョフィのお尻の部分だけ売っているのを初めて見ました。
いつもは丸ごと生花?で買っていますが、どこからが可食部か分からず、迷いながら下処理していたら、結局トゲトゲに刺されてしまう私。とっても心惹かれます。
お店の人にレシピを聞いてみたところ、詰め物をしてリピエーノにしたり、小さく切ってリゾットに入れたり。どう使ってもいいけれど、一番のお勧めはFondi di carciofo alla Venetaというヴェネト風のレシピだと言います。
フライパンにオリーブ油とにんにくを入れ、カルチョフィとともに半カップの水を加えたら蓋をして20分蒸し焼き。最後にイタリアンパセリを散らすのだそうです。
なるほど、おいしそう。
そして、お肉のコーナーにはこんなものが!
Nervetti semicotti bovino adulto。これって牛スジですよね?
おでんにいれたーい!ミラノ近郊でもみつけたーい!!
でも牛スジって、牛のどの部分のことを指すのでしょう。
ハラミ捜索の時もそうでしたが、日本にいた時は完成形しか知らなかったから、お肉の部位探しには苦労します。
牛スジって、茹でたらこんな風に白くなるものもあったし、どて焼きには赤身がついたものが使われていた気がします。
これはおでんにいれても大丈夫でしょうか?
州が変われば食も変わって、さすがイタリア、面白いと思ったのですが、関東出身の在伊お友達に牛スジの話をしたところ、おでんには牛スジなんて入れないと言われてしまいました。
関西限定?
また、静岡県出身の別のお友達は、静岡ではプール後におでんを食べるのが定番で、黒はんぺんは欠かせない。
魚が入っているから黒いのだと教えてくれました。
日本も地方によっていろんな食文化があって、面白いですよね。
ネットでNervetti semicotti bovino adultoを検索したところ、ヴェネト州のなかでもパドヴァ県の辺りで食べられており、2~4時間茹でたものを冷やして角切りにし、ニンニクとイタリアンパセリ、または玉ねぎと豆類、もしくは野菜の酢漬けとあえて食べるとのこと。
さらに調べてみると、私の住むロンバルディア州でもNervetti in insalataという、牛スジを使った地方料理があることが分かりました。 そういえば、近所のスーパーのお惣菜コーナーに、なにかよくわからないゼラチンっぽいサラダがあるんですよね。
あれって、牛スジのサラダだったんだ。
今度買ってみよう。 で、後は、角切りになっていない牛スジを探すのみ。
イタリアで牛スジ入りおでんを食べられる日は近いかもしれません。
カルチョフィのお尻もおでんに入れてみようかな。おいしいかも。(笑)
牛すじに詳しい皆さま、イタリアの迷える子羊に、牛すじ情報を教えてやっておくんなせい。
よろしくー。
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2016年1月14日木曜日
イタリアの米
このとろのリゾットの話で、参考にしている本があります。
その名も『リーゾ』。
ピエモンテ州とイタリアの米業界が総力を結集して作った立派で豪華な本です。
後援者たちの一人、ピエモンテ・ヴィニャイオーリ協会会長(当時)の寄稿文は、
「子供のころから、母が、米は水の中で生まれてワイン中で死ぬ のよ、というのを聞いて育った」という文章から始まります。
こういった幼い頃の体験から、ピエモンテのぶどう栽培農家の組合も、この本に全面協力することを決めたのだそうです。
この本の米の説明の中で、ずっと頭に引っかかっていた文章がありました。
それは、
「外国では、米は基本的に粒の長さによって分類される。
長・中・短の3種類だ。
一方イタリアでは市場の習慣から4つに分類している。
コムーネ、セミフィーノ、フィーノ、スーペルフィーノの4つだ。
これは、品質による分類ではなく、完全に外見による分類だ」
イタリアには、長・中・短の他に、長太と長細という分類もあるのです。
日本は米の生産量が多い割には種類は偏っていて、その結果、米料理も偏ってしまいました。
私たちが普段食べているのは短粒種。
イタリアの分類でいうと、一番短いコムーネ(長さ5.4㎜以下)が近いでしょうか。
でも、そもそも米の分類の仕方が違うので、そのものずばりではありません。
コムーネは、ゆでるとでんぷんが溶け出るので、ミネストラ、ティンバッロ、ドルチェに適している品種です。
一方、リゾット用の米はスーペルフィーノです。
4つに分類した中で一番細長い品種です。
ゆでてもでんぷんははあまり溶け出さず、ねばらないので米が一粒ずつ分かれています。
短粒種が主流の日本では、細長い米というと、米不足の時のタイ米ぐらいしか口にした記憶がないし、しかも当時はまずいと不人気でした。
あの騒動で、図らずも、日本人の遺伝子の中には、細長い米をおいしく食べる能力が乏しいということが明らかになりましたねー。
だいたい、食べるものが無い時に、代替品として手に入れた食材を活かせないで、日本古来の食べ方に固執してまずいと言うのは、いかがなものでしょうねー。
日本食は外国の食文化を取り入れて豊かになってきたという説も、あまり説得力無いなあ。
あれ以来、私の頭の中では、日本人は米に関しては超保守的という固定概念が出来上がりました。
一方イタリアでは、長・中・短という一般的な特徴を持った米以外にも、自分たちの食文化、リゾットに合わせて独自の品種を改良するほど米に対する姿勢が柔軟です。
もちろん日本食に合う米もかなり前から流通しています。
なので、リゾットの話をする時は、ジャポニカ米のことはきっぱり忘れて、長細粒の米を念頭に置いてください。
日本の米で作ったリゾットは、根本的に別の料理。
あれ、また余計な話が長くなってしまったー。
次回こそは、リゾット・アッラ・チェルトジーナの話です。
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“リゾット”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年3月号に載っています。
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その名も『リーゾ』。
ピエモンテ州とイタリアの米業界が総力を結集して作った立派で豪華な本です。
後援者たちの一人、ピエモンテ・ヴィニャイオーリ協会会長(当時)の寄稿文は、
「子供のころから、母が、米は水の中で生まれてワイン中で死ぬ のよ、というのを聞いて育った」という文章から始まります。
こういった幼い頃の体験から、ピエモンテのぶどう栽培農家の組合も、この本に全面協力することを決めたのだそうです。
この本の米の説明の中で、ずっと頭に引っかかっていた文章がありました。
それは、
「外国では、米は基本的に粒の長さによって分類される。
長・中・短の3種類だ。
一方イタリアでは市場の習慣から4つに分類している。
コムーネ、セミフィーノ、フィーノ、スーペルフィーノの4つだ。
これは、品質による分類ではなく、完全に外見による分類だ」
イタリアには、長・中・短の他に、長太と長細という分類もあるのです。
日本は米の生産量が多い割には種類は偏っていて、その結果、米料理も偏ってしまいました。
私たちが普段食べているのは短粒種。
イタリアの分類でいうと、一番短いコムーネ(長さ5.4㎜以下)が近いでしょうか。
でも、そもそも米の分類の仕方が違うので、そのものずばりではありません。
コムーネは、ゆでるとでんぷんが溶け出るので、ミネストラ、ティンバッロ、ドルチェに適している品種です。
一方、リゾット用の米はスーペルフィーノです。
4つに分類した中で一番細長い品種です。
ゆでてもでんぷんははあまり溶け出さず、ねばらないので米が一粒ずつ分かれています。
短粒種が主流の日本では、細長い米というと、米不足の時のタイ米ぐらいしか口にした記憶がないし、しかも当時はまずいと不人気でした。
あの騒動で、図らずも、日本人の遺伝子の中には、細長い米をおいしく食べる能力が乏しいということが明らかになりましたねー。
だいたい、食べるものが無い時に、代替品として手に入れた食材を活かせないで、日本古来の食べ方に固執してまずいと言うのは、いかがなものでしょうねー。
日本食は外国の食文化を取り入れて豊かになってきたという説も、あまり説得力無いなあ。
あれ以来、私の頭の中では、日本人は米に関しては超保守的という固定概念が出来上がりました。
一方イタリアでは、長・中・短という一般的な特徴を持った米以外にも、自分たちの食文化、リゾットに合わせて独自の品種を改良するほど米に対する姿勢が柔軟です。
もちろん日本食に合う米もかなり前から流通しています。
なので、リゾットの話をする時は、ジャポニカ米のことはきっぱり忘れて、長細粒の米を念頭に置いてください。
日本の米で作ったリゾットは、根本的に別の料理。
あれ、また余計な話が長くなってしまったー。
次回こそは、リゾット・アッラ・チェルトジーナの話です。
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“リゾット”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年3月号に載っています。
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2016年1月7日木曜日
リゾットと米
『サーレ・エ・ペペ』誌の“リゾット・アッラ・チェルトジーナ”の記事では、この料理をこんな風に説明しています。
この料理は
「昇華されたリゾットの技が必要で時間もかかるため、作るのをためらうシェフも多い」
なんだかずいぶん大げさな。
そもそも、リゾット作りに特別な技が必要?
この疑問の答えになりそうなことが、同じ「総合解説」の“リゾット”の記事にありました。
これも『サーレ・エ・ペペ』の記事ですが、それによると、
「リゾットの基本的な調理は、まず米を炒める。
玉ねぎのみじん切りとバターのソッフリットで米を炒めるというのは、無名の天才料理人の発明だ」
とあります。
なんだか、リゾットに対する姿勢が、根本的に違うような。
伝統料理のバックグラウンドを知らない外国人は、とかく表面的にとらえがち。
イタリア料理において、リゾットは、パスタ、ピッツァと同等の柱なんですよね。
煮物の鍋に残った汁に冷ご飯を入れてリゾットと呼ぶ発想は、そこにありません。
まず米を油で炒めて表面に膜を作ることによって、米は煮崩れしなくなります。
だから、沸騰したブロードを少しずつかけながらじっくり煮て、柔らかくしながら歯ごたえを保つというリゾット独特の米の硬さを作り出すことが可能になるわけです。
「最初に炒めないとお湯でゆでた米と同じ状態に煮上がる」
確かに、ごもっともです。
深く考えたことなかったですが、リゾットの調理方法は、火が通っているのに一粒一粒存在感のある歯ごたえを残すもの。
もちろん、この調理方法を活かすために、イタリアの米の生産者は、大粒で煮崩れしにくいというリゾット用の米をわざわざ作りだしたのです。
日本の米では、リゾットの米のアルデンテは、簡単には生み出せないわけです。
リゾットの主役は、まぎれもなくお米ですね。
そして具は、当然ながら、手に入りやすい畑の野菜。さらに川の多い水田地方の川魚など。
その後は、パスタやピッツァとよく似た歴史をたどります。
海沿いの地方で、魚や甲殻類を使ったアッラ・マリナーラやアッラ・ペスカトーラとスプマンテというのが流行し、イカ墨の黒、トマトの赤、香草の緑、フルーツの香りなどが加わって、何でもありになったのです。
そしてそっくり同じ現象が、世界中に広まりました。
この時点で無国籍料理化していますね。
さらに記事では、大学でリゾットを研究している学者の、コんな説も紹介しています。
「リゾットはイタリア料理の発明の一つで、イタリアの食文化、習慣、農業、経済と結びついている。
アラブ、オリエント、スペインの影響を受け、サヴォイア家の料理人を通してフランスの宮廷にも広まった」
いやー、壮大ですねー。
リゾットを語るときは、このくらいの敬意を持ってのぞまないと。
さて、リゾット・アッラ・チェルトジーナですが、リゾットの壮大なバックグラウンドを知って、少しはこの料理のすごさが分かるかも、という訳で、次回に続きます。
寿司に適したヨーロッパ産の米を作る努力も始まっています。
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“リゾット・アッラ・チェルトジーナ”と“リゾット”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年3月号に載っています。
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2016年1月4日月曜日
リゾット・アッラ・チェルトジーナ
2016年ですね。
今年も元気で行きましょー。
さて、今年最初のお題は、リゾットです。
リゾット・アッラ・チェルトジーナ。
年初の割には地味な料理ですが、この料理、イタリアの米の栽培のスタート地点で生まれた、由緒正しきリゾットです。
この料理とイタリアの米栽培の歴史は「総合解説」に書いてありますが、まずはそもそも、イタリアの米栽培について、補足説明。
そもそも、米をアジアから地中海に伝えたのは、マケドニアからインドまで遠征したアレキサンダー大王という説や、ギリシャ人という説があります。
古代ローマ時代は食料としてよりも、高価な薬として利用されていました。
栽培を広めたのはエジプト人。
そしてスペインがイスラム勢力に支配された時、ヨーロッパに米の栽培が伝わります。
シチリアにもアラブ人がやってきて米を伝えましたが、栽培の普及に成功した人はいませんでした。
誰がイタリアに米を伝えたのかは不明ですが、最も広まっている節では、最初に栽培されたのは、1475年のこと。
その証拠は、ミラノ公のガレアッツォ・マリア・スフォルツァの手紙です。
この人です。
米はロンバルディアから、ポー河沿岸の湿地帯に広まり、他の穀物より収入額が大きいために急速に広まり、ロンバルディアの経済をささえる大切な産物にまでなりました。
16世紀の大飢饉やペストの大流行で食糧難になった時も、米によって救われました。
エミリア地方やトスカーナにも伝わりましたが、これらの地方は治水対策が米に適さず、あまり大々的には普及しませんでした。
ちなみに、フランスで米の栽培が始まったのは13世紀という説と17世紀という説があるようです。
ところがその後、フランスの米は病気にやられて第2次大戦頃まで普及しませんでした。
アメリカで栽培が始まったのは1647年です。
どうやら、米の栽培には治水事業がつきもので、支配者と農民が地域を挙げて取り組まないと普及しないようです。
その結果、イタリアは、ヨーロッパで最も重要な米の産地となったのでした。
米の栽培が始まった場所と言われるロメッリーナ(パヴィア県)の米栽培。
↓
ロメッリーナには広い森、川、湿地があり、狩猟をするにはもってこいの場所でした。
そのため、ミラノの支配階級の狩りの館もたくさんありました。
湿地帯を耕して米を作ることに取り組んだ領主の一人がスフォルツァ家です。
そして問題のリゾット、アッラ・チェルトジーナは、チェルトーザ・ディ・パヴィアというパヴィア県の町の修道院で生まれました。
リゾットの中でもすごいリゾットとイタリア人が言うわりには、どんなリゾットなのか、ほとんど知られていないような気もしますが、今では、イタリア一の米の産地となったパヴィアを代表する米料理なのですから、きっとすごいのでしょう。
詳しくは次回に。
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“リゾット・アッラ・チェルトジーナ”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年3月号に載っています。
[creapasso.comへ戻る]
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今年も元気で行きましょー。
さて、今年最初のお題は、リゾットです。
リゾット・アッラ・チェルトジーナ。
年初の割には地味な料理ですが、この料理、イタリアの米の栽培のスタート地点で生まれた、由緒正しきリゾットです。
この料理とイタリアの米栽培の歴史は「総合解説」に書いてありますが、まずはそもそも、イタリアの米栽培について、補足説明。
そもそも、米をアジアから地中海に伝えたのは、マケドニアからインドまで遠征したアレキサンダー大王という説や、ギリシャ人という説があります。
古代ローマ時代は食料としてよりも、高価な薬として利用されていました。
栽培を広めたのはエジプト人。
そしてスペインがイスラム勢力に支配された時、ヨーロッパに米の栽培が伝わります。
シチリアにもアラブ人がやってきて米を伝えましたが、栽培の普及に成功した人はいませんでした。
誰がイタリアに米を伝えたのかは不明ですが、最も広まっている節では、最初に栽培されたのは、1475年のこと。
その証拠は、ミラノ公のガレアッツォ・マリア・スフォルツァの手紙です。
この人です。
米はロンバルディアから、ポー河沿岸の湿地帯に広まり、他の穀物より収入額が大きいために急速に広まり、ロンバルディアの経済をささえる大切な産物にまでなりました。
16世紀の大飢饉やペストの大流行で食糧難になった時も、米によって救われました。
エミリア地方やトスカーナにも伝わりましたが、これらの地方は治水対策が米に適さず、あまり大々的には普及しませんでした。
ちなみに、フランスで米の栽培が始まったのは13世紀という説と17世紀という説があるようです。
ところがその後、フランスの米は病気にやられて第2次大戦頃まで普及しませんでした。
アメリカで栽培が始まったのは1647年です。
どうやら、米の栽培には治水事業がつきもので、支配者と農民が地域を挙げて取り組まないと普及しないようです。
その結果、イタリアは、ヨーロッパで最も重要な米の産地となったのでした。
米の栽培が始まった場所と言われるロメッリーナ(パヴィア県)の米栽培。
↓
ロメッリーナには広い森、川、湿地があり、狩猟をするにはもってこいの場所でした。
そのため、ミラノの支配階級の狩りの館もたくさんありました。
湿地帯を耕して米を作ることに取り組んだ領主の一人がスフォルツァ家です。
そして問題のリゾット、アッラ・チェルトジーナは、チェルトーザ・ディ・パヴィアというパヴィア県の町の修道院で生まれました。
リゾットの中でもすごいリゾットとイタリア人が言うわりには、どんなリゾットなのか、ほとんど知られていないような気もしますが、今では、イタリア一の米の産地となったパヴィアを代表する米料理なのですから、きっとすごいのでしょう。
詳しくは次回に。
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“リゾット・アッラ・チェルトジーナ”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年3月号に載っています。
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