2010年7月29日木曜日

ポルポ・アッラ・フォルケッタ

今日はタコの話。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

タコと言えば、最近は大活躍でしたねえ。
ところで、ナポレオンが追放された島、エルバ島の名物が、タコなんです。


代表的な料理は2つ。

1つは、ポルポ・アッラ・フォルケッタ Polpo alla forchetta。

シンプルなゆでダコです。
島のタコは新鮮なので叩く必要がありません。
丸ごとを、バスタに使う量の3倍の塩(海水程度)と唐辛子を加えたたっぷりの湯でゆでるだけ。
ただし、ゆで方には作法があって、まず、頭にフォークを刺して湯に3回浸します。
こうして足をカールさせてから再び湯に入れ、タコ1㎏につき20分ゆでます。
火を止めたら蓋をして、ゆで汁に漬けたまま、ゆで時間と同じ時間冷まします。
これを何も味付けせずに食べます。






もう1つはタコのカッチャトーラ Polpo alla cacciatora。
トマト煮です。

こちらのサイトのリチェッタを訳してみます。

・1~1.2㎏の新鮮なタコ1杯を適当な大きさに切ります(小ダコの場合はそのまま)。
・玉ねぎ大1個を厚めのくし切りにして炒め、タコを加えて炒めます。
・白ワイン1カップをかけてアルコール分を飛ばし、皮と種を取って刻んだトマト2~3個、唐辛子1片を加えます。
・蓋をして30分煮ます。
・必要なら湯を加え、味を見てから塩を加えます。



エルバ島に行ったらタコを食べるのをお忘れなく。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2007年7月号
「エルバ島」の解説は、総合解説'07&'08年7月号に載っています。

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2010年7月26日月曜日

鶏肉のマレンゴ風

今日はナポレオンの話。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

イタリア料理の世界でナポレオンと言えば、ポッロ・アッラ・マレンゴ Pollo alla Marengo、鶏肉のマレンゴ風

こんな料理


マレンゴの戦いでナポレオンが勝利した時に食べたと言われる料理ですね。

マレンゴとは、ピエモンテ州南部の、アレッサンドリアのすぐ隣にある町です。
1800年6月14日、ここでナポレオン率いるフランス軍とオーストリア軍が戦いました。

戦いは朝に始まり、劣勢だった戦況をひっくり返してナポレオン軍が勝利したのは夜。
ナポレオンの料理人でスイス人のデュナンDunandは、戦いに勝利したナポレオンのために料理を作ろうとしました。
ところが、戦いの混乱で軍の食糧が失われてしまったのです。
そこでデュナンは、地元の農家から食糧を調達して(アルトゥーシは「盗んだ」と書いています)料理を作りました。
それがこの鶏肉料理。
それ以来、鶏肉のマレンゴ風はナポレオンのお気に入りの料理となり、勝利の後にはよく食べていたのだそうです。



ダヴィド作『サン・ベルナール峠を超えるナポレオン』
Originally uploaded by dalbera


有名なこの肖像画は、マレンゴの戦いのひと月前に、3万の軍を率いてスイスとイタリアの国境を超えてイタリアに入るナポレオンの姿を描いたもの。
この時に大量のワイン、チーズ、肉などを徴用したそうですが、わずか1ヶ月後には失っていたんですねえ。



『ラ・クチーナ・イタリアーナ』のグルメ紀行で紹介しているエルバ島は、ナポレオンが追放された島として有名。
彼がエルバ島にやってきたのは1814年5月。
マレンゴの戦いから14年後のことでした。

エルバ島はシチリア、サルデーニャに次いでイタリアで3番目に大きな島で、トスカーナ州に属しています。

ナポレオンがエルバ島にいたのはわずか10ヶ月でしたが、この間彼は囚人として隔離されていたのではなく、領主として島を統治しました。
島民は賛美の歌で元皇帝を迎え、ナポレオンも島のインフラ整備に取り組んだそうです。


「10分、それがナポレオンが食事にかけた時間だ」

そう記事には書かれています。
決してグルメではなく、食べることに興味を抱かなかったナポレオン。
そんな彼が気に入ったマレンゴ風。
ナポレオンなりのげんかつぎだったのでしょうか。


鶏肉のマレンゴ風のリチェッタには様々なバージョンがあるようですが、ザリガニや目玉焼きは省略することが多いようです。
ザリガニと目玉焼きは見た目にインパクトがあるためにそちらに気を奪われがちですが、この料理はやはり鶏肉料理。
鶏が主役です。

1800年当時のマレンゴは、各国の軍隊に蹂躙されてひどい食糧難だったという記録が残っているそうです。
だから、ナポレオンの料理人が手に入れた食材も、決して贅沢なものではなかったはずです。
鶏肉のマレンゴ風も、余りにも質素な料理だったので、後にザリガニや目玉焼きが付け加えられた、とも言われています。
ゴージャス版のリチェッタは、エスコフィエのものが知られています。


アルトゥージもリチェッタを書いています。
それによると・・・

・若い鶏1羽は首と足を切り落として関節でぶつ切りにする。
・これをバター30gと油大さじ1で焼き、塩、こしょう、ナツメグで調味する。
・両側に焼き色が付いたら余分な油を取り除き、小麦粉大さじ1を散らして白ワイン100mlをかける。
・さらにブロードをかけ、蓋をして煮る。
・火から下ろす直前にプレッツェーモロのみじん切りを散らす。
・器に盛り付けたらレモン汁をかける。


アンナ・ゴゼッティ・デッラ・サルダの『ラ・クチーナ・レジョナーレ』では、
トマト、マッシュルーム、卵、ザリガニ、にんにく、バジリコ、食パンが加わります。

・若鶏1羽を均一に切り分けて小麦粉をまぶす。
・フライパンに油1カップ弱を熱し、鶏肉を固い部位(まずもも)から入れる。
・塩、こしょうをし、裏返しながら弱めの火で焼いていく。
・胸肉は焼き色が付いたら取り出し、残りはさらに火を通す。
・半分火が通ったら油の半量を別のフライパンに移し、トマト500g(皮をむいて刻む)、潰したにんにく2かけ、束ねたバジリコ、白ワイン1カップを加える。
・蓋をして15分煮たら胸肉を戻してスライスしたマッシュルームを加え、蓋をして10分煮る。
・白ワインに塩少々を加えて沸騰させ、ザリガニ4尾を入れて5分ゆでる。
・フライパンに取り出した油でパン4枚を揚げ、同じ油で卵4個も白身を黄身に寄せながら揚げる。
・鶏肉にレモン汁をかけてプレッツェーモロのみじん切りを散らし、混ぜて塩味を調える。
・鶏肉を皿の中央に盛り付けてマッシュルームを添え、全体に煮汁をかける。横にパンのクロストーニを置いて卵をのせ、ザリガニも添える。




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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2007年7月号
「エルバ島」の解説は、総合解説'07&'08年7月号に載っています。

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2010年7月23日金曜日

ISO認定エスプレッソ

今日もコーヒーの話。

イタリア語では、コーヒーは“カッフェcaffè”。
そしてカッフェとはすなわち、エスプレッソのこと。
彼らが英語風に“コーヒー”と言うのは、アメリカンなコーヒーのことを上から目線で語る時。

イタリアには、イタリアンエスプレッソ協会という団体があります。
エスプレッソという名の飲み物が世界中に無秩序にあふれる中で、エスプレッソはイタリアが生み出した世界に誇る文化であり、正しいエスプレッソを世界に広めなくてはならない、という立場で活動している団体です。

hpはこちら

彼らは、エスプレッソとはこうあるべき、という基準を定めています。
ISO 45011によって認可されている規定なんだそうです。

それによると、イタリアのエスプレッソとは、
量は約25mlのコーヒーで、ヘーゼルナッツ色のきめの細かい濃いクリームで縁取られている。
テスタ・ディ・モーロ色を帯び、黄褐色の輝き。
香りは強く、花、フルーツ、チョコレート、トーストしたパンの豊かな香り。
味はボディーがあってなめらか、適正なほろ苦さ。

色については、かなり細かく指定していますねえ。


ヘーゼルナッツ


Hazelnuts, photo by marcusfrieze


“テスタ・ディ・モーロ”とは「ムーア人の頭」という意味で、こんな色。


D&G. DM0024 en Testa di moro, Originally uploaded by eToscana Blog


黄褐色はこの子犬たちの色。


i 3 cuccioli di Banshee e Fox, photo by fugzu





ローマのエスプレッソ。一口飲んで、その美味しさに思わず写真を。
photo by jonathanjonl




バリスタのエスプレッソ講座。








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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年7月号
「コーヒー」の記事の解説は総合解説'07&'08年7月号に載っています。

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2010年7月20日火曜日

モカとエスプレッソマシン

今日はコーヒーメーカーの話。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。

イタリアに本部がある国際カフェテイスティング協会(国際とは言っても、実際にはイタリアのエスプレッソを広めることを目的とした機関ですが)によると、イタリアで消費されるコーヒーの60%は家庭の“モカ”でいれたものだそうです。

直火式のエスプレッソメーカー“モカ”は、イタリアの家庭の必需品。



モカへの愛情を7分に渡って詩的に、ボケを交えながら語る動画。







コーヒーメーカーのコレクション。







家庭用のエスプレッソマシンには美しいものがたくさんあります。

1935年頃のエスプレッソマシン。







1950年代の“ガッジャ・ジルダ”







カフィタリーの最新モデル、“ノーチラス”。







ランボルギーニの創業者の息子、トニーノ・ランボルギーニのエスプレッソマシン


加圧がコントロールできるマシンを考え出してエスプレッソマシンの本当の発明者と言わるピエール・テレジオ・アルドゥイーノが、1905年に創業したヴィクトリア・アルドゥイーノ。
こちらはヴィクトリア・アルドゥイーノの家庭用エスプレッソマシン、“ビーナス・ファミリー”。
てっぺんには翼を広げた鷲が燦然と輝いています。




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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年7月号
「コーヒー」の記事の解説は総合解説'07&'08年7月号に載っています。

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2010年7月15日木曜日

スターバックスとイタリア

今日はスターバックスの話。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。

世界最大のカフェチェーン、スターバックス。
シアトルスタイルのカフェの本家で、そのコーヒーはエスプレッソがベース。
なんでも、創業者のハワード・シュルツ氏がミラノのバールを体験して、これだ!と思ったのがそもそものきっかけだったとか。

イタリアのバールを見て、これだ!と思う人は世界中にたくさんいるようですね。
日本でも、イタリアのバールスタイルの店がいくつも生まれました。
でも、なかなか簡単には成功しないんですよね、これが。

シュルツ氏が成功したのは、どうやらバールに対する目の付け所が他の人と違っていたからのようです。

彼は、イタリアのバールをアメリカで、単純にそっくりそのまま再現しようとは思いませんでした。
物や雰囲気ではなく、バールがイタリアの社会で果たしている役割の“大きさ”に注目したのです。
イタリアのバールは「広場」、言い換えれば人々が集う場所、彼はそう分析しました。
そしてこれこそが、アメリカ人が魅了される「イタリア風」ライフスタイルだと考えたのです。

その後、彼がマーケティングの優れた才能を発揮して、スターバックスが成功していったのはご存知の通り。
エスプレッソがベースとなっていながら、イタリアンスタイルではなく、シアトルスタイルとして独自のカフェ文化を造り上げ、今も常に新しいものを模索し続けています。


さて、世界中に広まったスターバックスですが、なんとイタリアには1軒もないんですねえ。
ハワード・シュルツ氏は、自らにこれほどの啓示を与えた国にスターバックスを出店しない理由について、「イタリアではコーヒーをバールの外に持ち出したり、歩きながら飲むスタイルは受け入れられないだろう」と言っています。

『ヴィエ・デル・グスト』の記事の口調は、スターバックスに対してかなり辛口です。

「そもそもスターバックスの戦略は、アメリカ人が憧れるイタリアのイメージに合致した商品を提供する、というものであって、それが実際のイタリアのものとは違っていても、あるいはそういう店がイタリアには一軒もなくても重要ではない」

「もしイタリアで失敗すれば、ブランドイメージが大きく傷つくことは避けられない。
それを考えればおそらくこれ(イタリアには出店しないこと)も、彼らの戦略上の判断なのだろう」


確かに、スターバックスのメニューには、フラペチーノだのラテだのマキアートだの、英語なまりのイタリア語がたくさんあります。
おそらく世界中のスターバックスで、これが(英語なまりの)イタリア語だと意識して注文する人はほとんどいないと思うのですが、イタリア人に取ってはそうはいかないようです。
イタリアのコーヒー文化を真似たものと感じて、少々鼻につくのかもしれませんねえ。

さらに、もしイタリアに出店すれば、イタリア中のバールがスターバックスのライバルと化す訳です。
スターバックスが出店する可能性が皆無という訳ではないでしょうし、スターバックスに興味のあるイタリア人だっているでしょうから、そうなったら見ものですねえ。



イギリスのスターバックス







イタリアのとあるバール








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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年7月号
「コーヒー」の記事の解説は総合解説'07&'08年7月号に載っています。

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2010年7月12日月曜日

イリー

今回からは、イタリアがパスタに負けず劣らずプライドを持っているメイド・イン・イタリー製品、コーヒーの話です。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。

前回、パスタメーカー、ラティーニの株を49%取得していた、という話でちらっと登場したイリーグループという名前。
イリーグループは、イタリアのコーヒー関連ブランド、イリーカフェの株を100%所有しています。
他に、チョコレートのドモリ、紅茶のダマンフレール、トスカーナのワイナリーのマストロヤンニなどを所有しています。

コーヒー、チョコレート(カカオ)、紅茶・・・。
これらは、いわゆる植民地製品と呼ばれるもの。
イリーの創業者、フランチェスコ・イリーはハンガリー人で、オーストリア・ハンガリー帝国の軍人でした。
第一次大戦後に、当時オーストリア領だったトリエステにやってきて、トリエステの女性と結婚。
そこでカカオとコーヒー豆の商売を始めます。
そして1933年にイリーカフェを創業。
ちなみに、トリエステは1920年にイタリアに併合されました。


イリーのCM






下の写真は、現在のイリーグループの社長で3代目のリッカルド・イリー氏。



リッカルド・イリー氏, photo by Niccolò Caranti


実はこの人、2008年まではフリウリ・ヴェネチア・ジューリアの州知事でした。
さらにその前は、トリエステの市長を2期務めています。

そんなリッカルド氏、『ヴィエ・デル・グスト』のインタビューで一日に何杯コーヒーを飲むかときかれて、2杯と答えています。
午前中に1回、午後の食後に1回なんだそうです。
意外と少ない?
朝食の後に飲むのは紅茶だそうで。
さすがはイリーグループの社長。
紅茶もグループの大事な商品ですからね。


おまけの動画。
イリーの家庭用エスプレッソマシン、イーペルエスプレッソ。






コーヒーの話、次回に続きます。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年7月号
「コーヒー」の記事の解説は「総合解説」'07&'08年7月号に載っています。

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2010年7月10日土曜日

パスタ・ラティーニ

スパゲッティの歴史編でグラニャーノのことを書きましたが、上質乾燥パスタの作り手は、グラニャーノ以外にもいますよね。
中でもマルケのラティーニは有名。
前回のブログ、「アサリのパスタ、ベスト10」で紹介した店のうち、ヴェネチアのヴィッラ・マルゲリータもラティーニのパスタを使っていました。

ラティーニは、乾燥パスタの話をする時には必ず登場するブランドです。
以前、小麦の話を書いた時にも、イタリア産小麦にこだわったメーカーとして紹介しました。

ラティーニのパスタの中でも特選品の“セナトーレ・カッペッリ”というシリーズは、「小麦の男」と呼ばれてイタリア中から尊敬されている農学者、ナザレノ・ストランペッリが開発した品種、セナトーレ・カッペッリを復活させたもの。
この小麦は、世界の硬質小麦のベースになった歴史的な品種です。
現在の世界中の硬質小麦は、これを改良していったものなんだそうです。
当然、改良品種が出るとセナトーレ・カッペッリは役目を終えて、一時はほとんど栽培されなくなりました。
ラティーニはそれをわざわざそれを復活させて、セナトーレ・カッペッリ100%のパスタを作った訳です。
小麦に対する大いなるこだわりが感じられますねえ。

もう一つ、ラティーニは“タガンログ”というシリーズも作っています。
これも面白い品種ですよ。
スパゲッティの歴史編では省略してしまったのですが、実は中世のイタリアでは、硬質小麦と言えば、このタガンログが主流だったのです。
タガンログは黒海北部にあるロシアの町。
この地方で栽培されていた硬質小麦がイタリアのパスタメーカーの好みにぴったり合ったようで、船で大量に輸入されていました。
ロシア革命の頃までタガンログ人気は続いていたようです。



ラティーニのパスタ。
赤い箱はスタンダートシリーズ、青はセナトーレ・カッペッリ、黄色はタガンログ。
photo by antonio.tombolini


ラティーニのhpはこちら


話は変わりますが、現在配本中の『ヴィエ・デル・グスト』の記事、「コーヒー」の中にラティーニの名前が出てきます。
コーヒーとラティーニ?
全然関係なさそうですが、実はあるんです。
少なくとも、『ヴィエ・デル・グスト』の記事が出た時点ではまだありました。
2002年に、コーヒーで知られるイリーグループが、ラティーニの株の49%を取得していたんです。
セナトーレ・カッペッリシリーズなどに取り組んでいたラティーニが、大手のイリーグループとの提携によって販路を広げようとしたのでしょうねえ。
その後、2008年にラティーニが株を買い戻したので、現在は独立経営となっています。


さて、一方のイリーですが、こちらも面白い話があるんです。
それは次回に。



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2010年7月6日火曜日

アサリのパスタ、ベスト10

今日はガンベロ・ロッソのベスト10シリーズから、アサリのパスタが美味しい店の話です。



アサリのリングイーネ, photo by digitalnoise



アサリのパスタ部門で栄えある1位に選ばれたのは、トスカーナのビッボーナBibbonaという町にあるレストラン、ラ・ピネータLa Pineta。
リヴォルノから40kmほど南に行ったところにあります。
ミシュランでは1つ星。
トスカーナの有名レストランの1つです。


下の動画はシェフのルチアーノ・ザッゼリ氏。
実家はレストラン兼漁師で、シェフは3代目。
シェフ自身も漁師の経験があるそうです。
披露している料理は2種類のエビのインサラータ。
アンチョビーソース、燻製塩、マルツオーロ種の白トリュフをかけています。







それにしても、アサリのパスタのナンバー1がトスカーナの店というのはちょっと意外ですねえ。
この店のアサリのスパゲッティは、マンテカーレする時に生のまま開けたアサリも加えているのだそうです。
スパゲッティは、グラニャーノの“ジェラルド・ディ・ノーラGerardo di Nola”。

2位に選ばれたウリアッシUliassi(アンコーナ県セニガッリア)でも、アサリのスパゲッティにはジェラルド・ディ・ノーラを使っています。

ウリアッシのhpはこちら

ジェラルド・ディ・ノーラのhpはこちら


ベスト10の店のうち何軒かは、パスタのブランドが紹介されています。

4位のカンピエッロCampiello(hp)はマンチーニのスパゲッティ。

5位のベッカチェーチBeccaceci(hp)はヴェッリーニのスパゲッティ・アッラ・キタッラ。

7位のダル・コルサーロ(hp)のスパゲッティは手打ち。

8位のヴィッラ・マルゲリータ(hp)はラティーニのスパゲッティ。

9位のオステリーア・サーラOsteria Sara(アンコーナ県シローロ)はマンチーニのスパゲッティ。



マンチーニのhp
ヴェッリーニのhp
ラティーニのhp





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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2008年6月号
“アサリのパスタ、ベスト10”の記事の解説は「総合解説」07&08年6月号に載っています。

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2010年7月1日木曜日

原点回帰する乾燥パスタ

スパゲッティの歴史編、その8。



ナポリのストリートフードだった頃のマッケローニ売り
uploaded by Cristiano Porqueddu


スパゲッティは、イタリアが世界に誇る食材。
輸出も可能な本格的な工場が最初に造られたのは、カンパーニア地方でした。
特に、麺を乾燥させるための気候に恵まれたトッレ・アンヌンツィアータとグラニャーノで、イタリアのパスタ産業は本格的に始動します。
1882年には水圧によるプレス機が発明されるなど、徐々に機械化が進んでいきました。

1905年頃のナポリのパスタ工場の風景
まだ乾燥過程は天日干しです。


ナポリには、パスタにまつわる様々な伝説があります。
生地の塊を細い麺にする道具を考え出したのは、ヴェスヴィオ火山の地中深くに住む火の神ウルカヌス。
パスタ作りの秘伝は、ナポリの民を愛した豊穣の女神ケーレスによって我々に授けられた。
フェデリコ2世の宮廷の皿洗いの妻が、ナポリのコルテッラーリ通りに住むキコという魔術師からパスタ作りの秘密を盗み出し、フェデリコ2世に初めてパスタ料理を出した・・・。
などなど。
マッケローニと言えばナポリ、そんな時代でした。

ところが、20世紀になって、乾燥設備を持った工場がイタリア各地に作られるようになります。
スパゲッティがナポリでしかできなかった時代は終わりました。
やがて工場は、イタリア以外の国にも広まっていきます。
もはや、スパゲッティがイタリア産である必要さえなくなってしまいました。


機械化、そしてグローバル化。
外へ外へと広がっていった乾燥パスタ。
スパゲッティはイタリアの登録商標ではないので、外国でどんな材料を使ってどんな作り方をされていようと、スパゲッティという名前をつけることができます。
イタリアのパスタにも、産地限定を意味するDOPやIGPの認定を受けたものはありません。
今や、乾燥パスタの産地はさほど重要ではなくなりました。
普段食べているスパゲッティがどこで作られているのか、はたしてどれくらいの人が知っているでしょうか。


けれどその一方で、原点に戻る傾向も目立ってきました。
パスタ産業が誕生した頃の製法で作られるスパゲッティが、高く評価されているのです。
つまり、天日による乾燥に近い、低温で長時間乾燥させる製法などを用いた、“アルティジャナーレ”と呼ばれるパスタです。

その代表格が、グラニャーノのパスタ。

普通、一般的な工場では80度前後の高温で6時間ほどで乾燥させます。
それを、グラニャーノの場合は43~48度で、24~48時間かけて乾燥させます。

低温で長時間かけて乾燥させると、高温の場合と比べて栄養価や風味への影響が少なくなります。
値段は高くても、こうした製法のパスタは美味しい、という評判が生まれ、今や“グラニャーノ”は立派なブランド名になりました。

グラニャーノは、麺を乾燥させるために町の造り自体を変えてしまうほど、乾麺に多くを捧げてきた町です。
1845年にはフェルディナンド2世から宮廷御用達パスタのお墨付きももらいました。
20世紀になって一時パスタ作りの火が消えかけた時もありましたが、今は復活の時を迎えています。



グラニャーノのパスタ職人たち






機械で作るパスタに職人の経験と技を加えたパスタ・アルティジャナーレ。
もちろん、グラニャーノ以外でもパスタ・アルティジャナーレは作られています。
逆に、グラニャーノのパスタがDOP製品でない現状では、グラニャーノ以外の場所で低温乾燥を用いないで作ったものでも、グラニャーノと名乗ることは可能な訳で、名前だけで品質を判断することもできません。



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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2008年6月号
“パスタ”の記事の解説は「総合解説」07&08年6月号に載っています。

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