2009年4月27日月曜日

イタリアワインの20年、その1

まずはクレアパッソからのお知らせです。
次回の配本は5月2日に発送の予定です。
いつも遅くなってすみません。


さて、今日はワインの話。
『ガンベロ・ロッソ』の記事の解説です。

ご存じの通り、ガンベロ・ロッソはワインの格付け本、『ヴィーニ・ディ・イタリア』を毎年出版していますが、21冊目となる2008年版を出した時に、過去20年のイタリアワインの歴史を簡単に振り返る記事を『ガンベロ・ロッソ』に載せました。

それを読むと、イタリアワインは、頂点が見えたかと思ったら急降下と、まるでジェットコースターのように上がったり下がったりを繰り返してきたことが分かります。

この20年のイタリアワインの歴史は、どん底からスタートしました。
1986年、イタリアのワイン業界を揺るがした大事件、いわゆる“メタノールワイン事件”が起きます。

その1年前の1985年は、「ワインスキャンダル」が起きた年です。
これは、オーストリアのワインにジエチレングリコールが混入されていたというもの。
日本でも、「不凍液」という言葉が頻繁にニュースに登場していました。
今ではどれくらいの人が覚えているでしょうか。
当時の日本は、ワインの売り上げが伸びてきた時期だったと思うのですが、この事件の後、店からドイツやオーストリアのワインがすっかり姿を消して、イタリアワインも影響を受けましたよね。

イタリアでは、「ワインスキャンダル」というと、1986年の「メタノールワイン事件」を指すようです。
これは、イタリアの複数のワイン関連業者が、ワインに塗料用のメチルアルコールを混入させていた事件で、19人が死亡し、15人が視力を失うという、イタリアの食品業界がそれまでに経験したことのない大スキャンダルでした。
人の命より利益の追求のほうが大事、と考える人がいる、ということを、イタリアワインの消費者たちは知ってしまった訳です。
この事件でイタリアワイン全体のイメージが低下し、前年は17%もの伸びを見せていた輸出量は、この年には37%減少したそうです。

この後の10年間は、イタリアワインがひたすらイメージの回復に努めた時代です。
ワインスキャンダルが起きるような、ぶどうを栽培している人が販売に直接関わらない、というそれまでのシステムが見直され、栽培から販売まで、全てを行う小さなワインメーカーが次々に誕生しました。
この時代の象徴として、ガンベロ・ロッソはランゲ地方を挙げています。
そしてランゲ地方の新人たちが目標とした造り手が、バルトロ・マスカレッロだったと言っています。
バルトロさんは2005年に亡くなっていますが、いまだに多くの人に影響を与え続けています。
彼のワインだけでなく、ワイン造りの哲学が、他の造り手たちの共感を呼ぶのでしょうね。

有名な「ノー・バリック、ノー・ベルルスコーニ」のラベル。
普段からラベルを自ら作っていたバルトロさん(こんな方)。
これは1995年に書いたラベル。
2001年の選挙の時に有名になりました。
こちらもコレクターズアイテム、彼を描いたラベル


この他にこの10年間を象徴するのが、スーパータスカンの成功です。
さらに、フリウリのワインも頭角を現してきました。
その代表としてガンベロ・ロッソが挙げているのは、イエルマン、ガッロ、グラヴネル(グラヴナー)、ドリーゴ(ドリゴ)。


イタリアワインの20年の話、次回に続きます。



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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2007年12月号
“ヴィーニ・ディ・イタリア2008”関連の記事は、「総合解説」'06&07年12月号、P.38に載っています。


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