2018年2月2日金曜日

リゾット・アッラ・ピロータ

前回のブログでは、ヴェローナの米、ヴィアローネ・ナノを取り上げました。

イタリアは、ヨーロッパで最大の米の産地ですが、その中心地は、経済圏の強さからいってもピエモンテで、ヴェネトはやや後れを取っている存在かも。
ヴェネトでも、ヴェローナの限られた地域、イゾラ・デッラ・スカラ周辺でのみ栽培されているヴィアローネ・ナノ・ヴェロネーゼIGP。

そうそう、ピエモンテの米の産地では、米は水の中で生まれてワインの中で死ぬ/il riso nasce nell'acqua e muore nel vino、と言うのです。
ピエモンテのお米は垢ぬけてますねー。

リチェッタを訳す時、その名前の意味が分からないで困ることが時々あります。
リゾット・アッラ・イゾラ―ナと、リゾット・アッラ・ピロータもそんな名前。
島風リゾット?パイロット風リゾット?
なんかしっくりこないなあ、と思っていたのですが、今回の記事を訳して、ようやくスッキリしました。

まず、イゾラ風は、ヴェローナ県の米の産地、イゾラ・デッラ・スカラ風のこと。
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前回も登場した米メーカーの社長さんが作ります。
こちらのページによると、このリチェッタを完成させたのは街出身の料理人。
ヴィアローネ・ナノ米のプロモーションのため、1967年に町公認の料理になりました。
1985年には、もっと華やかでモダンな観光客受けしそうなリチェッタに改定されています。

2つ目の疑問。
ピロータは、パイロットではなく、脱穀係のこと。
前回のブログでも動画で紹介したように、米を脱穀する機械を動かして脱穀した米を集め、後を掃除する係の人です。
脱穀機はピーラpilaで、この係のことをピロータpilotaと呼びました。
イタリアの農民は、農奴と呼ばれる制度で、領主に隷属していました。
領主から借りた土地を耕してその収穫を領主におさめ、領主から許されたものだけを自分たちで食べていました。
例えば豚肉なら赤身が入った脂身、つまり一番価値が低いラルド。
米なら脱穀の間にこぼれ落ちた粒です。

自分たちが汗水たらして作ったものなのに、商品価値のないものしか食べることが許されない、そんな厳しい暮らしの中で、知恵を絞って生み出されたのが、リゾット・アッラ・イゾラーナやリゾット・アッラ・ピロータだったのです。
多少地味なのも仕方がない。

リゾットはマンテカーレする料理なので、米の粒に残った澱粉も味のうち。
この澱粉を残すように精製するのが、ピロータの腕。

ところが、地方料理の分類では、リゾット・アッラ・ピロータは隣のマントヴァ料理。
この料理の歴史は、ロンバルディアの視点でも調べる必要がありそうですね。
スッキリしたはずが、また謎が残ってしまった。
でも、これがイタリアの地方料理です。

リゾット・アッラ・ピロータ
 ↓



米は日本人には最も身近な食べ物ですが、イタリアにどう伝わって、どう広まっていったのかは意外と知らない。
8世紀にヨーロッパ(スペイン)に米を伝えたのはムーア人(アラブ人)でした。
イタリアに伝えたのは十字軍とか、ナポリ王国を支配したスペイン人経由でムーア人、シチリアにやって来たアラブ人、中東や極東と交易していたベネチア人など、エキゾチックな話が様々伝わっています。
イタリアに根付いた後は、持ち前の職人技と創造力が大いに刺激される食材だったらしく、各地で個性的で興味深い発展を遂げていきます。
イタリアの米は、極めるととても面白い食材です。

ヴィアローネ・ナノ・ヴェロネーゼIGP のリゾット、アマローネ風味。
野菜もブロードもワインもすべて地元産。
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ピエモンテの人は米はワインの中で死ぬと言いましたが、ヴェネトの人は米が酔っぱらってると言っていますねー。


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"ヴィアローネ・ナノ"の記事とリチェッタの日本語訳は「総合解説」2015年9月号に載っています。
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