イタリア料理ほんやく三昧: 9月 2010

2010年9月30日木曜日

プリーミ・ディタリア

今日はジェラートの話は一休み。
久しぶりに、クレアパッソのイタリア在住スタッフ、ポモドーロさんのイタリア便りをお届けします。
日本ではB級グルメのイベントが話題ですが、イタリアでも、何やら楽しそうな食のイベントがあったようですよ。
プリーモ・ピアットの祭り、「プリーミ・ディタリア」です。
では、どうぞ。

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イタリア中部、ウンブリア州にあるフォリーニョで、プリモピアットのフェアーがありました。

フォリーニョは古くから栄えていた都市です。
ローマ時代は、近くにローマからアドリア海に至る街道が通り、15世紀の法王支配下では、その造幣局がおかれていました。
その為、印刷技術も発達、ここにイタリアで最初の印刷所が作られました。
1472年にはここから、有名なダンテの神曲300冊が出版されました。

現在の街の中心部には、中世の記念建築物が多く残り、観光にも力が注がれています。
有名な催し物は、クインターナという馬上競技です。
1613年から1800年代まで続けられたものが戦争などにより中断、1946年に再開されました。
その一部をなす時代行列は、伝統的な衣装をつけた市民の参加による、総勢1000人を超す華麗なものです。
この期間、街の各地区毎に、タベルナという庶民的な食堂が開かれ、伝統的かつ地元名物の料理を楽しむことができます。


クインターナ










この有名な催しが9月の第2日曜日に終わると、パスタのお祭りです。



会場入り口の一つ



”I Primi d’Italia” は全国プリモピアット・フェステイバルで、今年は12回目となります。

9月23日から26日まで開催された催しのプログラムは、単品の試食7種(1種類2.5ユーロ)、数品試食できる地方別は11種類(7.5ユーロ)、有名シェフの試食会(ガエターノ・トロヴァート、マルコ・グッビオッティ、25ユーロ)、スペシャルイベントー11種類。

これらは街の歴史地区すべてに分散されているので、人々はフェスティバルのロケーション地図を片手に食べ歩きすることになります。

単品の試食は、①クリエイティブなレシピのパスタ ②伝統的なパスタ ③ポレンタ ④グルテンフリー ⑤ニョッキとフレッシュパスタ ⑥イタリア統一の料理 ⑦前菜と冷たいプリモ、アペルティーヴォ。

クリエイティブなレシピで試食したのは、ショートパスタをプロシュートコットとオリーブヴェルデの入ったペースト・アッラ・ジェノヴェーゼであえた物。
見かけよりは美味しかったです。

もう一種類は同じくショートパスタをズッキーニ、ニンジン、トマト等のソースであえた物ですが、これは全くバツ。
2.5ユーロ損した気がしました。

ポレンタは、サルチッチャが入りゴルゴンゾーラのような味のするクリームであえてあって、これも良かったです。



パスタ会場の一つ・ポレンタの会場



大失敗したのは、プログラムを見ないで、出会った物を試食してしまった事。
美味しそうな地方のプリモに気が付いたときは 既にお腹が一杯になってしまっていました。

その逃したプリモは、①ピエモンテのリゾット ②ウンブリアのズッパと特産 ③ヌラギとサルデーニャの特産 ④マルケのシーフードパスタ ⑤トスカーナのプリモ ⑥トリフ ⑦山と畑(キノコ、アスパラガスと新鮮な野菜を使ったプリモ)⑧プーリアのオレキエッテと特産 ⑨ヴェネトのリゾットと特産 ⑩ロマーニャのラビオリとストゥリンゴッツィ ⑪ 甘いプリモ。


歴史あるトリンチ宮殿の中庭で開かれたスペシャルベントは、パスタのブティックと名付けられた、高級パスタの市です。
手作りのトルテッリーニやラビオリ、生産量も少ない手作りに近いパスタの店では、工場生産されるパスタの数倍の値がするものが売れていきます。



職人的パスタ



中庭の一部には、珍しい形のパスタが展示され、パスタを使った飾り物も売られています。



パスタのネームカード飾り



ソンブレロ形のパスタ


サン・ジャコモ修道院の中庭は香草と香料の市です。






その他、子供用のミニ料理教室、演芸や音楽のショー、フードアートなど盛沢山。
その上、全国の特産食品を販売する大きなブースもあって、プリモの食べ歩きの締めくくりに、チーズやサラメ、ドルチェなどをタップリ購入してしまう事になります。

パスタ大好き人間にはとても楽しいフェスティバル。来年はプログラムを良く研究してから試食しましょう!



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ポモドーロさんいわく、「試食用の皿にのっていたパスタの量が少なかったので、写真!と思った時にはもう食べ終わっていた」そうです。
肝心のパスタの写真がないのは、そのせいです(笑)。

I PRIMI D'ITALIAのweb pageはこちら


今年のプリーミ・ディタリアの様子







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2010年9月27日月曜日

ジェラートとアイスクリーム

今日は、「イタリア人が愛してやまないメイド・イン・イタリー」シリーズ、その3。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。


今まで、「イタリア人が愛してやまないメイド・イン・イタリー」として、パスタとコーヒーを取り上げてきました。
そして第3弾は、ジェラートです。


Another gelato
フィレンツェで


The Venetian Dream - il gelato
ヴェネチアで


イタリアの路地にジェラートはよく似合いますねえ。

イタリア人は、1人当たり年間約15㎏のジェラートを食べているのだそうです。
(Coldiretti-Eurisko調べ)

総売り上げは50億ユーロに上り、イタリア人の54%が、1週間に最低1回ジェラートを食べます。

ジェラートのフレーバーは約600種類あって、一番人気があるのは、チョコレート。
そして、ヘーゼルナッツ、レモン、ストロベリー、クレーマ、ストラッチャテッラ、ピスタチオの順で続きます。

最近の傾向として、地元の旬の素材や自家栽培のものだけを使ったジェラートや、野菜、花、薬草、スパイスといった自然の素材のフレーバーが増えているのだそうです。


イタリアのジェラートと、アメリカスタイルのアイスクリームは、材料も製法も、基本となる所はだいたい一緒。
大きな違いは、空気の含有量と脂肪分です。
アイスクリームと比べて、ジェラートの方が、空気含有量も脂肪分も、少なくできています。


大量生産されるアイスクリームは、冷やす時にフリーザーで大量の空気を含ませて急速に冷やします。
出来上がった製品の約50%が空気なのだそうです。
一方、ジェラートの空気含有量は20~35%。
空気含有量が少ないということは、濃厚で、舌触りがなめらかで、味や香りが濃く、溶けにくいということ。

アイスクリームはジェラートより乳脂肪分が多く、冷凍庫で長期間保存することができます。
保存期間が短いジェラートは、ジェラテリーアで買って、その場で食べる、という習慣が広まりました。
濃厚だから、コーンにこんもり盛ることが出来て、溶けにくいので、歩きながら食べる、ということも可能。
イタリアでは、ジェラートの総売り上げのうちの60%を、ジェラテリーアのジェラートが占めているのだそうです。



ローマのジェラテリーア・デッラ・パルマ








サン・ジミニャーノのジェラテリーア・ディ・ピアッツァのメロンのジェラート。







同じ店の、オリジナルジェラートの数々。
サン・ジミニャーノのサフランと松の実、香草の“ドルチェアマーロ”、シャンパンとルビーグレープフルーツの“シャンペルモ”、ヴェルナッチャワインのソルベット、10年以上寝かせたヴィンサントと卵の“ヴィンサント・エッグノック”など。









ジェラテリーアって、楽しい商売ですねえ。


ジェラートの話、次回に続きます。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年8月号
「ジェラート」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年8月号に載っています。

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2010年9月24日金曜日

サン・マルツァーノ、その4

サン・マルツァーノの締めくくりは、シェフの話。

『ガンベロ・ロッソ』がサン・マルツァーノ料理のエキスパートとして選んだのは、トッレ・デル・サラチーノのシェフ、ジェンナーロ・エスポージト氏。

トッレ・デル・サラチーノは、ソッレント近くの、ヴィーコ・エクエンセという町にある高級店です。
web pageはこちら

シェフは現在36歳。
彼が作るのは、カンパーニアの風土と伝統をベースにした、洗練されていながらぬくもりを感じる料理で、見えないところでよく考え込まれています。


トッレ・デル・サラチーノ






また、彼は若手シェフのリーダー的存在の一人で、毎年、「フェスタ・ア・ヴィーコ」というイベントも主催しています。
イタリア中から50人以上のシェフがヴィーコ・エクエンセに集まって、3日間にわたって料理を作るというもので、コンクールではなく、純粋に料理することを楽しむためのお祭りです。

イベントの参加者たち



店で使うサン・マルツァーノは、シェフのお父さんが栽培しているそうです。

生のサン・マルツァーノを使った定番の一つが、「トマトのカンディート」。

完熟したサン・マルツァーノの皮をむいて半分に切り、種を取ります。
天板に並べ、タイムと丸ごとのにんにくをのせて塩を振り、80度のオーブンで5時間乾燥させます。

これをどんな料理に仕上げるかと言うと、例えば、トマトのカンディートをムール貝の殻に見立てて、間にムール貝をはさんで、大きな「ムール貝のリピエーノ仕立て」にします。

ムール貝は、殻をナイフで開け、なすのピューレ(オーブンで蒸し焼きにしてからにんにく、オレガノで炒めて塩で調味。裏漉しして急速冷却)、裏漉ししたリコッタ、フルール・ド・セルを詰め、殻を閉じてアルミホイルで包んでから180度のオーブンで3分焼きます。
これを殻から出して4個ずつトマトのカンディートで挟みます。
ソースはバジリコ、松の実、オリーブオイルをすり潰したペースト。

リコッタとなすのピューレを詰めたムール貝のトマトのカンディート添え

食べた人によると、この料理の主役はムール貝ではなく、「スタンディングオペ―ションしたくなるようなトマトとリコッタの絶妙な組み合わせ」なんだそうです。


他に、サン・マルツァーノではないですが、サラダ用のトマトから“トマト水”を作って(裏漉ししてから布で漉して分離させた汁)、ソースにしたり、ゼラチンにして料理に使っています。
ちなみに、トマト水は、イタリア語では“acqua di pomodoro/アックア・ディ・ポモドーロ”。



おまけの動画。
サン・マルツァーノDOPができるまで(音声なし)。









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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2008年8月号
「サン・マルツァーノ」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年8月号に載っています。

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2010年9月21日火曜日

サン・マルツァーノ、その3

サン・マルツァーノの話、その3

一時は消えかかったトマト、サン・マルツァーノ。
それを復活させるきっかけになったのは、なんと日本人なんだそうです。

『ガンベロ・ロッソ』によると、30年以上前のある日、トマト業界のコンサルタントに、日本から、サン・マルツァーノのホールトマトが欲しいという打診がありました。
当時すでに、オリジナルのサン・マルツァーノは栽培されなくなっていました。
けれど、日本側がサン・マルツァーノに相応の金額を支払う姿勢を示すと、カンパーニアのトマト業界は動きだします。

農家の中には、オリジナルのサン・マルツァーノの種を保管しているところがありました。
チリオリサーチセンターには、サン・マルツァーノの生殖質が保管されていました。
これらの手がかりから、サン・マルツァーノ復活の研究がスタートしたのです。

でも、失われたサン・マルツァーノを復活させるのには、時間がかかりました。
さらに、このトマトは、特定の環境に適した品種でした。
つまり、ヴェズヴィオ山のふもとの、ミネラルと有機物を豊富に含んだ土壌と、海に近い塩気を含んだ温暖な気候が必要だったのです。

長い時をかけて試行錯誤が繰り返され、サン・マルツァーノの唯一のDOP製品、サン・マルツァーノ・ディ・アグロ・サルネーゼ・ノチェリーノの管理組合が出来たのは、1999年のことでした。


日本でなく、アメリカあたりが声をかけてもよさそうなものですが、考えてみれば、アメリカは当時は世界一のトマトの生産国。
イタリアとはライバル関係にある訳で、そのあたりに、食品輸入国の日本が、この役割を果たした理由があるのかもしれません。


ところで、サン・マルツァーノ・ディ・アグロ・サルネーゼ・ノチェリーノDOPは、ホールトマトのみです。
生や、カットトマトや、パッサータは、DOPではないのです。
それはどうしてでしょう。

管理組合のサイトには、こう書かれています。

「サン・マルツァーノは、楕円形の、固く実の締まったトマトです。
加工過程で崩れない唯一のトマト、言いかえれば、丸ごとの形を保っているトマトで、言うなれば、缶の中でも生きているのです。
だからこそ、サン・マルツァーノはホールトマトの中でも最高の品質を保つことができるのです」

なるほど、サン・マルツァーノは、生ではなく、カットトマトでもなく、皮むきホールトマトとなって初めて、本領が発揮される訳なんですね。


トマトは、遠く新大陸からヨーロッパに伝わって、イタリアでは、17世紀初めに、パルマ大公のエステ家が、無償で農民に種を配ったことによって、まずその周辺に広まったのだそうです。

サン・マルツァーノという品種が認知されたのは、1902年のこと。
フィアスコーネ、フィアスケッラ、レ・ウンベルトという3種類のトマトを交配させて作られました。
そして20世紀初めには、サン・マルツァーノ村周辺で広く栽培されるようになります。

戦後、ウイルスによって激減。
さらに新種の台頭による消滅の危機。
それが、東の果ての国からの注文をきっかけに、数十年かけて復活。

その歴史は、長いようで意外と短いんですね。


現在、世界一のトマトの生産国は中国なんだそうです。
2005年にイタリアに輸入された中国産のトマトピューレは10万トンというから、驚きますねえ。
これを、イタリア産ピューレとミックスして溶かし、パッサータとして出荷するのだそうです。
イタリアで、トマトのパッサータに、原産州と原産国の表示義務ができたのは2006年のこと。
やはり加工品は、原産地の表示があるかないかが、品質保証のポイントになりますねえ。



おまけの動画です。
1996年のチリオのCM。







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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2008年8月号
「サン・マルツァーノ」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年8月号に載っています。

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2010年9月16日木曜日

サン・マルツァーノ、その2

サン・マルツァーノの話を続けます。

大きく分けると、トマトには、生食用、ホールトマト(皮むきトマト)やソース用、ジュース用があります。

生食用は、丸い形のものが多く、食べる時に完熟するように出荷されます。
色は赤や緑など様々。

ホールトマトやソース用は、楕円形のものが多く、果肉が厚くて種が少なく、色は鮮やかな赤色。

ジュース用は、丸くて果肉が固く、香りの強い品種です。


サン・マルツァーノは、ホールトマトやソース用の最も有名な品種。

日本で知られている外国のトマトの品種としては、一番有名。
というか、これ以外の名前は、スーパーの缶詰売り場ではあまり見ないような・・・。


Bolognese: tomatoes
フランスでも


san marzano
アメリカでも



イタリア産トマトの代名詞のようなサン・マルツァーノ。
実はこのトマト、戦後に、ウイルスによって生産量が激減しました。
さらにその後、病気に強くて機械化に適したハイブリッド種が続々と登場したことによって、ほどんど消滅しかけます。
市場に出回っていたのは、サン・マルツァーノではなく、サン・マルツァーノタイプのトマトだったのです。
それが、あることがきっかけになって保護活動が始まり、30年かけて、サン・マルツァーノは復活しました。


現在、法律によって産地と名前が保障されているサン・マルツァーノの製品は、DOPのホールトマト、1種類のみ。
“サン・マルツァーノ・デル・アグロ・サルネーゼ・ノチェリーノ”と言います。

管理組合のweb page

このホールトマトに使用されている品種は、サン・マルツァーノ2とキロス(旧チリオ3)。
これらを、特定の地域で栽培・加工したものに限られています。

栽培・加工地域はこちら

ナポリからグラニャーノにかけての、ヴェズヴィオ山の麓の東側一帯です。
ちょうどパスタの産地と一致するのが、興味深いですねえ。

名前の由来になったサン・マルツァーノ村は、ヴェズヴィオ山の東側の、サルノとノチェーラの中間にあります。
復活したオリジナルに近いサン・マルツァーノは、この地域以外の場所で栽培しても、本来の美味しさが出ないのだそうです。


もう一つ、DOPではないのですが、スメック20という品種もあります。
こちらは、スローフードが後援食材に認定している品種です。
ホールトマトだけでなく、生食用もあります。

スローフードのサン・マルツァーノ



ちなみに、サン・マルツァーノのハイブリッドの代表的な品種は、“ローマ”。
皮が固いために病気や虫に強く、機械による加工に適した丈夫な品種です。

こんなトマト


サン・マルツァーノの話、次回に続きます。




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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2008年8月号
「サン・マルツァーノ」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年8月号に載っています。

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2010年9月14日火曜日

サン・マルツァーノ、その1

今日はトマトの話。
『ガンベロ・ロッソ』の記事の解説です。

イタリアの料理雑誌では、真夏には必ずトマト特集が組まれます。

「イタリアのトマトの生産量はヨーロッパで最も多く、世界ではアメリカに次いで2位、トマトの加工品の販売量は世界一」
by『ガンベロ・ロッソ』

なのだそうです。

トマトには様々な品種がありますが、用途によって個性がかなり違います。

今回取り上げるのは、「サン・マルツァーノ」。

「加工用トマト」、つまり、缶詰やパッサータにするトマトの中で、最上質と言われているトマトです。


Pomodoro San Marzano dop
サン・マルツァーノDOP


Cardoon Gratin
サン・マルツァーノのコンポート



サン・マルツァーノのホールトマト








なんと驚いたことに、サン・マルツァーノのホールトマトの最上質のものは、日本に輸出されているのだそうです。

カンパーニア地方を代表するシェフの一人、トッレ・デル・サラチーノのジェンナーロ・エスポージト氏は、店で使っているホールトマトのことをこう語っています。

「これは日本向けのサン・マルツァーノなんですよ。
最高品質のサン・マルツァーノです。
これほど良いものは、イタリア国内ではまず手に入りませんよ。
ただし、見て分かるように大きさがバラバラです。
昔なら2級に分類されていたでしょうね」

実は、この短い言葉の中には、サン・マルツァーノの歴史が詰まっています。
いったいなぜ、日本にイタリア国内より上質のサン・マルツァーノが入って来るのか。
そもそも、サン・マルツァーノとは、どんなトマトなのか。
その話は次回に。




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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2008年8月号
「サン・マルツァーノ」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年8月号に載っています。

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2010年9月9日木曜日

イタリア料理の歴史、その3

『L'ITALIANO È SERVITO!』を元に、イタリア料理の歴史を知るシリーズ、前回はイタリアが都市に分裂して発展していった所まででした。
イタリアが輝いていた時代、いわゆるルネサンスですね。

この時代、都市は権力を握った一族によって支配されています。
それらの一族の名前は、料理の分野でもよく登場します。
本に登場したサヴォイア、スフォルツァ、ヴィスコンティ、エステ、ゴンザーガ、メディチは、料理の世界でもよく登場するので、覚えておいて損はありません。

中世のイタリアの町は、どこも壁でがっちりと囲まれていて、町に出入りできる場所は門だけ。
言ってみれば、ちょっとした鎖国状態です。
鎖国時の日本で独特の文化が開花したように、壁で囲まれたイタリアの町の中でも、独特の風習や伝統がはぐくまれていきました。
こうして、様々な個性を持ったイタリア地方料理が誕生します。

ルネサンス後、イタリア料理の歴史はどうなっていったのでしょうか。
それでは、本の続きをどうぞ。



地方

1861年、イタリア王国が誕生します(まだヴェネチアとイタリア北東部は含まれていません)。
トスカーナとローマを除けば、イタリア語を話すのは、人口のわずか2.5%。
各地方には、自分たちの方言、歴史、芸術様式、伝統、そして料理がありました。

現在のイタリアでは、みんなが同じ言葉を話しています。
誰もがサッカーのイタリア代表やフェラーリに熱狂します。
でも、エミリア人に「フィレンツェでもトルテッリーニは美味しい」とか、ナポリ人に「ミラノでもピッツァは美味しい」とは言わないでください。
イタリア人は、今でも伝統料理にこだわりがあるのです。
スーパーやパン屋に並んだパンの名前を見ても、それはよく分かります。
パーネ・ディ・アルタムーラ(プーリアの町)、パーネ・フェッラレーゼ、パニョッティーネ・マントヴァーネ、パーネ・トスカーノ、パーネ・カラザウ・デッラ・サルデーニャ・・・、といった具合なのです。


イタリア料理は存在する?

答えはノーであり、イエスです。
イタリア全国に共通のイタリア料理は存在しません。
もし、パレルモのレストランで、ローマやトリノのレストランと同じ料理が出てきたら、イタリア人は死んでしまいます。
イタリア人は、イタリア料理は望んでいないのです。
イタリア人が望むのは、「彼らの」料理、つまり彼らの町の料理であり、彼らの地方の料理なのです。

でも、イタリア料理は存在します。
イタリア人も、カンパーニアのバッティパーリアに行けば水牛のモッツァレッラを買い、バーリに行けば“チーメ・ディ・ラパのオレッキエッテ”を注文し、ボローニャでは“トルテッリーニ”、サルデーニャでは“ポルチェッドゥ”(炭火で焼いた乳飲み子豚)を注文するのです。





イタリア料理の歴史の話は、ここでひとまず終わっています。

「イタリア料理とは、地方料理の総合体である」という結論ですね。

どの料理も、たどっていけば、必ずどこかの町や地方に行きつく、それがイタリア料理だ、という訳です。


本では、この後、各地の食材名の違いについて説明しています。


“ブランジーノbranzino”(スズキ)は、イタリアの沿岸部ではよく知られた美味しい魚です。
でも、サルデーニャやナポリでは、メニューにブランジーノという名前は見かけません。
実は、ティレニア海沿岸では、スズキは“スピーゴラspigola”と呼ばれているのです。
他にも、ヴェネチアではシャコ(チカーレ・ディ・マーレcicale di mare)は“カノーチェcanocie”、または共通語化して“カノッキエcanocchie”、小ダコ(polpetti)は“フォルペーティfolpeti”、といった具合です。

これは観光客にとってはかなり厄介なことですが、やはりイタリア人にとっても厄介です。

イタリアには、何世紀にも渡るモザイクのような歴史があります。
港ごと、町ごと、地域ごとに方言があって、料理や食材についても、方言で語ってきたのです。
また、イタリア人は地元の伝統料理に執着する傾向があります。
こだわりは、食材や調理方法だけでなく、名前にも及んでいます。





このように、この本では、ジョークを交えながら、比較的分かりやすいイタリア語で、イタリア料理が語られていきます。

次の章は、「水とワイン、オイルとビネガー、塩とこしょう」。
そして「パン」、「サルーミの前菜」、「魚の前菜」と続いていきます。
どの章もなかなか面白い内容なので、おいおいご紹介していく予定です。



『L'ITALIANO È SERVITO!』
著者/Maria Voltolina
出版社/Guerra Edizioni
価格/3,500円(税込・送料込)


近々販売予定です。
クレアパッソで予約受付中。
お問い合わせは、info@creapasso.comまでどうぞ。



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2010年9月6日月曜日

イタリア料理の歴史、その2

『L'ITALIANO È SERVITO!』から、イタリア料理の歴史について書かれた部分のご紹介、その2です。

前回は、イタリア料理のルーツは、ケルト、ラテン、ギリシャの3つの文化だ、という話でした。
確かにこれは、イタリア料理は地方料理の集まりで、1つではない理由を、ずばり説明しています。

イタリアと日本は、縦長の海に囲まれた地形や緯度など、地理的に比較的似ています。
でも、日本の食文化では、北はバターと肉、南はオリーブオイルと野菜、といった大きな違いは見られません。
イタリアではなぜ、地方ごとにこんなにも食文化が違うのでしょうか。
それを説明するためにも、イタリア料理の歴史は、ローマ料理以前から始めなくてはなりません。

ケルトとは、ブリテン諸島からドナウ河一帯の中央ヨーロッパに勢力を広めた民族です。
イギリスやフランスの歴史でも、ケルトの文化は主要な存在でした。
ちなみに、スコットランドのサッカーチームの名前、セルティックは、「ケルト人」という意味。

イタリアから見ると、ケルトは北からやってきました。
彼らは、紀元前400年頃、ミラノ、ヴェローナ、アンコーナなどパダナ平野(ポー河流域)に定着します。
紀元前387年にはローマに侵略し、町をほぼ壊滅状態にしています。

ラテンは、後のローマ文明のルーツです。
青銅器時代にイタリアにやってきて、イタリア中部を本拠地として発展しました。

ギリシャは、ローマ建設とほぼ同じ頃、シチリアやイタリア半島南部に都市を築きました。


ケルト、ラテン、ギリシャ、この3つの文明の食文化は、イタリア北部、中部、南部に、それぞれ定着します。
外からやってきた異なる民族。
そのそれぞれの食文化が、イタリアの地方料理のルーツなんですねえ。
もし日本でも、北、中、南で異なる民族が住みついていたら、個性的な地方料理が生まれていたかもしれません。


そしてローマ時代。
ラテンを元祖とするローマは、イタリア中部から領土を拡大して、地中海とヨーロッパを手中に収めました。
でも、ローマに支配された国々には、どこもみなローマ料理が広まったでしょうか?
確かに少なからず影響は与えたでしょうが、各国の食文化が大きく変わることはなかったはずです。
北イタリアでも、その食文化が完全にローマ化することはありませんでした。

逆に、ローマには各地から食材や食文化が入ってきました。
帝国拡大の影響をもっとも多く受けたのは、ローマの食文化だったのです。

やがて、余りにも巨大になったローマ帝国は、西と東に分裂します。
イタリア中部が帝国に及ぼす影響力は、どんどん小さくなっていきました。


以下は『L'ITALIANO È SERVITO!』から。


当時知られていた世界を統一し、各地からの産物と食文化をイタリアにもたらしたローマ帝国は、約1,600年前に崩壊しました。
イタリアは、極貧状態になります。
人口は減少し、ゲルマン人や近隣からの侵略を受けて、村や町は、自分たちで戦わなくてはなりませんでした。


コムーネ

悲惨な貧困の時代は、約500年間続きました。
その後、いくつかの町でゆっくりと再建が始まります。
地中海地域では商取引が行われるようになり、商品の輸送と人の移動が再び始まりました。
こうして“コムーネ”が誕生します。
コムーネとは、住民の集会によって統治される自律的な都市のことです。
各都市は、近隣の都市に吸収されないように、防御を固めました。
軍事的防御(どのコムーネも、壁、塔、門で守られていました)だけでなく、文化的にもです。
コムーネごとに個性が強調され、祭りや伝統、そして料理も、各町ごとに特色のあるものが生まれます。


シニョリーア

1300~1400年頃、コムーネの中でも力のある都市は、小さなコムーネを吸収して、一つの地方としての勢力を持つようになります。
こうして、市民による民主制の時代は終わり、いくつかの一族がコムーネを支配するようになります。
血なまぐさい内乱の後、大きなコムーネは一つの一族が権力を握り、権力は世襲されるようになりました。
トリノのサヴォイア、ミラノのスフォルツァとヴィスコンティ、フェッラーラのエステ、マントヴァのゴンザーガ、フィレンツェのメディチなどが主なシニョリーアです。

そんな中でも、例外が3つあります。
ヴェネチアは、共和政を千年続けました。
ローマと中部イタリアの一部は、ローマ教皇領として残ります。
南部は、ノルマン人が支配し、さらにアラゴン王国、スペインと支配者が変わりました。

地方ごとに分裂したイタリアは、地方同士で戦いを繰り返しました。
当時のイタリアは、長く続いた古代ローマの後で、最も輝いていた時代です。
イタリアのシニョリーア制の都市は、ヨーロッパと地中海で強大な権力を誇りました。
それぞれが自立していて、ただ言語と文化だけが共通でした。
この時代に、イタリア地方料理の基礎ができます。





イタリア料理の歴史、次回に続きます。




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2010年9月2日木曜日

イタリア料理の歴史、その1

今日は本の話。

クレアパッソで近日中に販売予定の『L'ITALIANO È SERVITO!』という本をご紹介します。


『L'ITALIANO È SERVITO!』
著者/Maria Voltolina
出版社/Guerra Edizioni
価格/3,500円(税込・送料込)


この本、副題は、「外国人のための料理で覚えるイタリア語」。

外国人にイタリアの様々な文化を紹介しながら、ついでにイタリア語も覚えてしまいましょう、というユニークなシリーズの一冊です。
料理のほかには、「美術史で覚える」、「歴史で覚える」、「地理で覚える」などがあります。

内容は、外国人向けにイタリア料理や食文化を教えるテキストブックといったところ。
写真も比較的豊富で、写真だけ眺めているのも楽しいかもしれません。
ただし、内容は全てイタリア語です。
勉強しようと言う気がないと、イタリア語初心者には読むのは少し難しいでしょう。
逆に、イタリア語の教材として使うには最適です。


内容は、まず、調理器具の写真と、そのイタリア語名のページから始まります。
次は、調理方法とそのイタリア語。

そしてその次が、イタリア料理の歴史です。

なかなか興味深い内容なので、この部分をざっと訳してみます。

日本では、イタリア料理の歴史と言うと、古代ローマ料理から始めることが多いようですが、この本ではこう説明しています。


イタリアは、何世紀にも渡って、北ヨーロッパや(小)アジア、地中海諸国から侵略を受けてきました。
それらの国々は、イタリアにその習慣や言語を伝え、さらに野菜や果物、家畜を伝えました。
その結果、イタリア料理には二つの世界が共存するようになったのです。
一つは北ヨーロッパと(小)アジア。
そしてもう一つは地中海世界です。


ケルト料理

魚は少し、豚肉はたっぷり、オイルは少し、バターはたっぷり。
これがケルト人の料理の特徴です。

彼らは、紀元前5~6世紀にイタリアに侵入し、ローマまで侵略してから北に戻っていきました。
その間に、マルケ、パダナ平野、フランス、イギリスの一部を占領しています。

ケルト人は遊牧民で、家畜をつれて移動しました。
牛は荷物を引かせたり、乳を搾り、豚は全ての部位を食べて、さらに燻製や塩漬けにして保存しました。

彼らが使う油脂は動物性、つまり牛乳から作ったバターや、豚の脂身の“ラルド”です。
植物性の油脂は、使ったとしてもわずかで、主にひまわりの種などから取っていました。
一般的な酒は発酵させた小麦から造ったもので、とても軽いビールの一種でした。


地中海料理

イタリア南部はギリシャ人が征服し、イタリア中部はラテン人の文明が発展しました。
2つは違う文明ですが、料理はとてもよく似ています。

ギリシャ・ラテン文化圏でも、牛は荷車を引いたり、畑を耕すのに用いられ、乳牛からは乳を搾りました。
牛肉を食べるのは、神に捧げものをする特別な時だけで、神へは焼いた骨と脂身を捧げ、人間はローストした肉を食べたのでした。

食用にした肉は、羊です。
そして魚も食べました。
ただ、量は少しです。
その代わり、野菜をたっぷり食べました。
アメリカ大陸が発見されるまで、じゃがいも、ピーマン、トマトといった野菜はなかったということも忘れてはいけません。

豚は、ケルト人の侵略以来、イタリア全土で知られていました。
しかし、イタリア中部と南部は暑すぎて、豚肉の安全な保存には不向きでした。

バターは知られておらず、調理にはオリーブオイルを使いました。
地中海沿岸には野生のぶどうが生えていて、一般的な酒はワインでした。
ラテン人が“自分たちの海”と呼んだ地中海は、あらゆる果物や野菜をもたらし、イタリア料理を豊かなものにしました。


二つの世界の融合

2千年以上たった現在でも、イタリア料理は、二つの世界の融合から成り立っています。
南部、特にシチリアの料理には、ここにアラブの影響が加わりました。

さらに現在では、各種のインターナショナル料理も入ってきました。
ヌーヴェル・キュイジーヌ、ファースト・フード、オリエンタル料理など様々です。
けれど、他の西洋諸国と違って、イタリアでは、これらの食文化はいつまでたってもどこかよそ者の扱いです。




イタリア料理の歴史の話、次回に続きます。



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