イタリア料理ほんやく三昧: 2010

2010年12月28日火曜日

ajo e ojo

今日はパスタの話。

『ガンベロ・ロッソ』の記事の解説です。

ローマ近郊のレストラン、イル・トルド・マットのリチェッタを訳していたら、いきなりこんな料理が出てきました。

“ajo e ojo”。

スペイン語?
アホ・エ・オホ?

ajoはスペイン語で「にんにく」ですよね。
でも、ojoはスペイン語だと「目」という意味なので、これだと料理名になっていませんねえ。

ということは、これはれっきとしたイタリア語、というか、ローマなまりのイタリア語なんですね。
イタリア語で読むと、「アーヨ・エ・オーヨ」?
つまり、「アーリオ・エ・オーリオ」です。

ちなみに、このレストラン、イル・トルド・マットは、以前このブログで紹介したことがあります。
その時の記事はこちら

この店のアーリオ・オーリオは、特殊な麺を特殊な調理方法で作ることで有名でした。
特殊な麺とは、ファッブリ社(web page)の、セナトーレ・カッペッリ小麦を使った、イタリアでもっとも太いスパゲットーニ。
そして特殊な調理方法とは、リゾットの要領でフライパンで乾麺をマンテカーレしながらゆで上げるというもの。

残念ながら、その後この店は閉店してしまいました。
シェフだったアドリアーノ・バルダッサッレ氏は、現在は、ティヴォリのラ・シビッラというホテル・レストランのシェフをしています。
店のwebページはこちら
この店に移ってからの評判も上々で、早くも、得意の詰め物入りパスタが名物になっているようです。
ただ、アーリオ・オーリオは出していないようで、極太スパゲットーニのアーヨ・エ・オーヨは、幻の料理になってしまったのかもしれません。


ちなみに、ローマなまりのアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノは、ajo ojo e peperoncino(アーヨ・オーヨ・エ・ペペロンチーノ)。
ペペロンチーノはなまらないんですね。


おまけ。
シチリアなまりのアーリオ・オーリオは、
“l'agghia e l'ogghiu”。

ラッギア・エ・ロッギュでしょうか。



おまけの動画。

パレルモなまりの「アーリオ・オーリオのパスタ」の歌。
「パスタ・コン・ラッギア・エ・ロッギオ~♪」と歌っています。









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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2008年10月号
“アーヨ・エ・オーヨ”のリチェッタは「総合解説」'07&'08年10月号に載っています。

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2010年12月24日金曜日

スペッツレ作り

前回の続きです。


ドイツ語圏の料理、シュペッツレ。
これがイタリアに来ると、スペッツレ、さらに複数形になってスペッツリ、と名前が微妙にイタリアなまりに変わります。

イタリアでは、生地をスライサータイプの型に入れて作る人が多いようですね。


下の動画は、アルト・アディジェの料理で、きのことスペックとゴルゴンゾーラのスペッツリ。





生地の配合は、小麦粉400g、水100ml、牛乳100g、卵4個、塩。
これらを混ぜて(水分は少しずつ加える)クレープ生地のような濃度になったら冷蔵庫で1時間休ませる。
型を通して熱湯に落とし、浮かびあがったら取り出してソースに入れる。

ソースは、きのこ、ゴルゴンゾーラ・ドルチェ、スペック、生クリーム、バター。
刻んだスペックをバターでソッフリットにし、きのこを入れて炒める。
生クリームを加えてなじませ、ゴルゴンゾーラを加えて溶かす。


こちらはボローニャの人が作ったほうれん草入りのスペッツレ。
ニョッキに近いですね。



おまけの動画。
明日はクリスマス。
クリスマスソングのイタリア語版をどうぞ。










Buon Natale!




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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2007年9月号
“ポルチーニとスカンピのスペッツレ”のリチェッタは「総合解説」'07&'08年9月号に載っています。

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2010年12月20日月曜日

シュペッツレとスペッツレ

今日はプリーモ・ピアットの話。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

シュペッツレって知ってますか?
spätzle、またはspaetzleと書きます。
ドイツ語です。

小麦粉、卵、塩がベースのゆるい生地を、成形しながら湯に落としてゆでたもの。
成形の仕方は、包丁で削ったり型を使ったりと様々で、それによって形も違います。
これを調味して一品料理にしたり、肉料理の付け合わせにしてグレイビーソースをかけるのが代表的な食べ方。


Nachgekocht - Linsen mit Spätzle fascht wie em Schwobeland
ソーセージの左にあるのがシュペッツレ


Goulash and Spaetzle
グーラッシュの付け合わせの定番


Ham, Steamed Vegetables and Homemade Pesto Spaetzle
これはペースト和え




シュペッツレには様々な作り方があります。

Making the Spätzle
包丁で削り落とす


Barb's delicious homemade spätzle - 0103201016582
スライサー型


Spätzle-Ass
鍋蓋型


Out comes the späztle
マッシャー


乾麺の市販品は、整ったこんな形をしています。



シュペッツレ作りの動画






この料理、ドイツ、スイス、オーストリアなど、ドイツ語圏に広まっています。
ということは、イタリアのドイツ語圏、アルト・アディジェ地方にも伝わっているということ。

ドイツ南部のシュヴァーベン地方が発祥地、という説が有力で、そうなると、ホーエンシュタウフェン朝つながりで、イタリアとも少なからず縁があったかもしれません。
ホーエンシュタウフェン家はシュヴァーベン大公の家系で、シチリア王国の王様だったこともある一族ですから。

あまり有力ではない説ですが、シュペッツレという名前は、イタリア語で「細かくする」という意味の“スペッツァーレspezzare”が、シュヴァーベン地方でドイツ語なまりになったもの、とも言われているそうです。
ちなみに、上の動画のタイトルは、「シュヴァーベン風シュペッツレ」。
それにしても、ドイツ語ってほんと頭に入りませんねえ。


イタリアでは、spaetzleと書いて“スペッツレ”と呼びます。
ドイツ語のイタリアなまりですね。

アルト・アディジェは、ドイツとイタリアの文化が微妙に溶け合った地方です。
“スペッツレ”も、「イタリアで独自の進化をしたシュペッツレ」、と考えることができるかも。

次回は“スペッツレ”の話です。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2007年9月号
“ポルチーニとスカンピのスペッツレ”のリチェッタは「総合解説」'07&'08年9月号に載っています。

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2010年12月16日木曜日

ブロッコロ・ロマネスコとエイのミネストラ

前回の続きで、ラツィオのエイ料理の話です。

エイは、イタリア語ではrazza(ラッザ)。
ローマなどラツィオでは、ガンギエイのことをarzilla(アルジッラ)と呼びます。

そして、ラツィオの代表的なアルジッラ料理は、ミネストラです。
エイの軟骨から取った出汁を使う一品。


この料理には、ブロッコロ・ロマネスコも入ります。

Broccolo
broccolo romanesco


ローマの名物ミネストラの一つに、“パスタ・エ・ブロッコリpasta e broccoli”というのがあります。
パスタと白いんげんのスーブ、“パスタ・エ・ファジョーリ”のブロッコロ・ロマネスコ版ですね。
パスタ・エ・ブロッコリは豚の皮とそのゆで汁を入れて煮ますが、豚皮の代わりにエイのブロードで煮たのがこの料理。


l'aggiustafeste, minestra broccoli e arzilla
ブロッコロ・ロマネスコとエイのミネストラ



下の動画は、やたら長い意味不明の小芝居の後、2:50頃、エイのミネストラの話が始まります。




ローマのクリスマス料理でもあるんですね。



こちらの料理番組でもエイのミネストラを作っています。
時間が押しまくって、最後は何が何だか分からない状態ですが、2:35頃、エイヒレの姿は確認できます。




じゃがいもも加えたミネストラを裏漉ししたパッサータ版ですね。
エイの柔らかい部分はソテーして仕上げにトッピング。
軟骨部分はミネストラに入れて煮ます。


それでは、『La cucina romana e del Lazio』Livio Jannattoni著から、ブロッコロ・ロマネスコとエイのミネストラのリチェッタをどうぞ。

『Minestra di broccoli con l'arzilla』

材料:6人分
 エイ・・1尾(2kg)
 ブロッコロ・ロマネスコ・・1個(1.5kg)
 パスタ・・300~400g
 ホールトマト・・500g
 セロリ
 玉ねぎ 
 にんにく・・2玉
 アンチョビー・・3枚
 EVオリーブオイル
 塩、唐辛子
・塩、セロリ、玉ねぎを加えた湯でエイをゆでる。
・ブロッコロ・ロマネスコを小房に分ける。
・たっぷりのオリーブオイルに刻んだにんにくとアンチョビーを入れてソッフリットにし、ブロッコロ・ロマネスコを入れる。
・唐辛子と塩で調味して白ワインを振りかけ、トマトを加えて3~4分煮る。
・エイのブロードをかけて煮る。
・ブロッコロ・ロマネスコが柔らかくなったらパスタを加えて煮る。
・パスタはミネストラ用のストルティーニstortiniかペンニーネpennine。





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関連誌;『サーレ・エ・ペペ』2007年9月号
“エイヒレとパスタのミネストラ”を含む「漁師料理」のリチェッタは、「総合解説」'07&'08年9月号に載っています。

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2010年12月13日月曜日

エイの漁師料理

漁師料理の話、続けます。
『サーレ・エ・ペペ』の記事の解説です。


ここまで登場した漁師料理は、船の上で作る料理と、売り物にならない魚(小魚)で作る料理でした。
いわば、漁師ならではの作り方をする料理で、使う魚の種類は特に限定されません。

そして、今回の料理は、売れ残った、というか、売れてもあまり儲からないというか、そんな売りにくい魚で作る料理。
つまり、魚の種類が限定される漁師料理です。


売りにくい魚は色々あると思いますが、その代表格の一つが、エイ。

ray (エイ) #0296


確かに、泳いでいるのを見ている分には面白い魚ですが、食べるとなると、別に無理して食べなくてもいいような・・・。

『Grande enciclopedia illustrata della gastronomia』によると、エイは毒性のある体液で覆われているので、釣ってすぐは食べることができないのだそうです。
12時間は置かないといけないんだとか。
しかも、12時間たったら、今度はすぐに食べないといけないんです。
傷みやすいんだそうですよ。
おまけに、時間がたつとアンモニア臭がするようになる。
さらに、皮が分厚くてぬるぬるしています。
エイヒレには軟骨があるので、フカヒレのように柔らかくない。

踏んだり蹴ったりな魚ですねえ。
素人が扱うには、ちょっと荷が重い。

ちなみに、こちらのイタリアのサイトには、
「日本の侍は、刀のつかをエイのざらざらした皮で覆ってしっかり握れるようにしていた」
とありますよ。


つか作りの動画。
3:25頃エイの皮が出てきます。





刀一本にエイ一匹使うんですね。



フランス料理ではエイはよく使われる食材のようですが、イタリアンではマイナー。
ただ、ラツィオにはエイを使った伝統料理があって、それは比較的知られています。
『サーレ・エ・ペペ』で紹介しているのもそんな一品です。

その話は次回に。



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関連誌;『サーレ・エ・ペペ』2007年9月号
エイヒレ料理を含む「漁師料理」のリチェッタは、「総合解説」'07&'08年9月号に載っています。

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2010年12月9日木曜日

シチリアの漁師料理

漁師料理のお題、続けます。
『サーレ・エ・ペペ』の記事の解説です。


今回は、“シャッバケッドゥ”の話。

そう、シャッバケッドゥ、です。
カタカナで書くと、とてもイタリア語には見えませんねえ。

イタリア語で書くと、“Sciabbacheddu”。
まあ、これもあまりイタリア語には見えないですね。
正確に言うと、シチリア語です。
もっと細かく言うと、メッシーナ海峡あたりを中心としたシチリアの漁師用語です。
標準語だと、“Fritto di pesciolini minuti”。

で、どういう料理かと言うと、シンプルな小魚のフリットです。
ただし、5匹や6匹揚げるのではなく、計600gから1㎏ぐらいの小魚を揚げます。

残念ながら料理の写真は適当なものが見つからなかったのですが、見た目はごく普通の小魚のフリットの盛り合わせです。


このシャッバケッドゥについて、『Il diamante della grande cucina di Sicilia』(Pino Correnti著)では、こう説明しています。

「シチリアの漁師は、“シャッビカsciabbica”という大型の網を使って漁をした。
この網を浜に引き上げるには、大勢の人手と2隻の船が必要だった。
“シャッバケッドゥ”は、もっと小型の目の詰まった網で、1隻の船と3人いれば扱うことが出来る。
この網を海岸沿いの入り江にしかけると、網には小魚がたくさんかかる。
10cm以上の魚は滅多にないが、これらを集めると、美味しいフリットになる。
小魚は、骨も頭も内臓もつけたままさっと洗って小麦粉をつけ、たっぷりの熱い油で揚げる。
油を切ったら塩をして、レモンは添えずにすぐに食べる」


シャッパケッドゥは、主にイワシの稚魚などの漁に使われているようです。
極小の小魚の場合は、『サーレ・エ・ペペ』で紹介しているようなフリットゥーラ(一種のかき揚げ)にします。
特大サイズのかき揚げです。


こちらのサイトによると、シャッビカは、長いものでは1kmもあり、20人がかりの漁だったようです。

まず、大きな船に網をのせて海に運びます。
それを小さな船で海に下ろして袋状に広げます。
そして浜辺にいる漁師たちが素手で引き上げます。
いわゆる地引き網ですかね。

この漁は、水産資源の保護のため、80年代半ば以降は行われなくなりました。
もっと小さなシャッバケッドゥを使った漁は生き残っていて、2月から4月の間のみ行われているそうです。

シャッビカ漁



このように網の名前がついた魚料理というのは他にもいくつかあるはずなんですが、名前が思い出せない!



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関連誌;『サーレ・エ・ペペ』2007年9月号
“シャッバケッドゥ・フリット”を含む「漁師料理」のリチェッタは、「総合解説」'07&'08年9月号に載っています。

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2010年12月6日月曜日

アックア・パッツァの由来は?

アックア・パッツァの話、その2です。

シンプルな魚料理には似つかわしくない、「狂った水」というその名前。
いったいなぜこんな名前がついたのか。

もっともよく知られているのは、「アックア・パッツァとは海水(塩辛い水)のこと」という説。
そしてもう1つ、こんな説もあります。

影響力の大きいこちらの英語のサイトから。
2004年に出版されたCarole Counihan著『Around the Tuscan table』という本が引用元です


「アックア・パッツァという料理のルーツは、ナポリの漁師がその日に捕った魚を海水、トマト、オリーブオイルで煮た料理だが、アックア・パッツァという名前のルーツはトスカーナにあると思われる。

トスカーナの小作農たちは、造ったワインの大部分を地主に納めていたので、自分たちで飲むワインはわずかしかなかった。
その代わり、ワイン造りで残ったぶどうの枝や種、搾りかすをたっぷりの水で煮て、テラコッタの壺に入れて発酵させたものを飲んでいた。
この飲み物は、アックエレッロacquerelloとか、アックア・パッツァと呼ばれた。
その実態は、ワインでかすかに色をつけた水のようなものだったが、漁師が、トマトとオリーブオイルで煮汁に軽く色がついた料理を見て、この名前を思い浮かべたのだろう」


なるほど、薄く色がついた飲み物ですか。
すごくもっともらしいですねえ。
でも、ナポリの漁師料理に、トスカーナの飲み物の名前をつけるというのは、なんだか不自然な気もします。

うーん、どうなんでしょうねえ。
個人的には、海水がしょっぱすぎて、思わず「It's crazy!」と言っちゃった説が好きですが。


こちらのサイトでは、確たる証拠はないけれど、と断って、独自の海水説を唱えています。
それによると、これは塩の専売に対するナポリ人の抗議の現れなんだとか。

かつてイタリアでは、塩は政府の専売品で、高い税金が課せられていました。
人は塩がなくては生きていけません。
南部の貧しい農民にとって、塩の専売は貧しさの元凶とも言えるものだったのです。

漁師は昔から塩の代わりに海水を使うことがよくありました。
ところが、政府は塩を専売にするだけでなく、海水を使って料理することも禁じました。
だから、南部の人たちは、料理に海水を使ったこの料理を「狂った水」風と呼んで無言の抗議をした、というのがこの説です。
海水は海塩とは違ってさまざまなものが含まれているため、実際に料理しても、美味しくはないのだそうです。
それで結局は、海水ではなく塩を使うようになって、名前だけが残った、と言うわけです。


うーん、この話ももっともそうですねえ。
どれを信じたらいいんだか。

とにかく、質素な漁師料理だったアックア・パッツァは、1960年代にカプリに観光客が押し寄せるようになってメジャーになり、売れない魚ではなく、タイやスズキなどの高級魚を使った一品となっていったのでした。


漁師料理の話、次回に続きます。



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関連誌;『サーレ・エ・ペペ』2007年9月号
“ホウボウのアックア・パッツァ”を含む「漁師料理」のリチェッタは、「総合解説」'07&'08年9月号に載っています。

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2010年12月3日金曜日

漁師料理、アックア・パッツァ

今日は新しいお題、「漁師料理」です。
『サーレ・エ・ペペ』の記事の解説です。


漁師料理・・・。
どんなものが思い浮かびますかねえ。

まずは有名どころから、アックア・パッツァ(アクア・パッツァ)なんてどうでしょう。

ホウボウのアックア・パッツァ


この料理、一番インパクトがあるのは、料理よりもむしろその名前じゃないでしょうか。
アックア・パッツァ。
パッツァとは、「気が狂った」とか、「ばかげた」といった意味ですよね。
英語ではクレイジー・ウオーターなんて呼びます。
狂った水?
いったいどんな水なんでしょうか。

アックア・パッツァの基本の材料は、魚、トマト、にんにく、オリーブオイル、塩、こしょう、それに水。
特に恐ろしそうなものはないですよねえ。
どうすれば、これが狂った水になるのか・・・。

それを知るには、この料理のルーツを探ってみる必要があります。
ルーツとは言っても、この料理も多くのイタリア料理の例にもれず、誰がいつこう呼びだしたのか、確かなことは分かっていません。
おそらく永遠に分からないでしょう。
結論はないけれど、説は色々あります。
そのどれもがもっともらしくて、しかもなかなか面白くて、どれか一つしか知らなければ、すんなり信じてしまうかもしれません。
という訳で、ルーツを探るというのは、つまり、色々な説を探し出す、ということに他なりません。


まず、この料理はカンパーニアの漁師料理として知られています。
ただし、ラツィオ、カラブリア、サルデーニャなど各地にアックア・パッツァと呼ばれる料理、もしくは同じ作り方をする料理があります。


こちらのサイトで紹介されているのは、アマルフィ海岸の漁師の老人から聞いた、という話。
おそらく、最も一般的な説です。

それによると・・・。

昔は、漁に出たまま数日船の上で過ごすような時、食糧は必要最小限のものだけを持って行きました。
例えば、オリーブオイル、トマト、パーネ・ガゼレッチョ、そして鍋2つ。
あとは捕りたての魚です。
飲み水は貴重品だったので、魚を煮るのに使ったのは海水でした。
その海水のことを、漁師たちは“アックア・パッツァ”と呼んでいたのです・・・。


海水がなぜ「狂った水」なのか、この説明では今ひとつ分かりませんが、『サーレ・エ・ペペ』では、「試しにこの煮汁を飲んでみれば分かる」と、面白い解説を加えています。
ただでさえ塩分の多い海水をさらに煮詰めたわけですから、相当塩辛いものになってますよねえ。
それを飲んだらどうなるか。

・・・。

なるほどねえ。



ヘダイ(オラータ)のアックア・パッツァ、フレゼッレ・スプニャーテ添え







アックア・パッツァの話、次回に続きます。



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関連誌;『サーレ・エ・ペペ』2007年9月号
“ホウボウのアックア・パッツァ”を含む「漁師料理」のリチェッタは、「総合解説」'07&'08年9月号に載っています。

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2010年11月29日月曜日

きのことじゃがいものティエッラ

南イタリアのきのこ料理編。
今日は、プーリアのきのこ料理の話、その2です。


プーリアの名物料理の1つ、ティエッラ。
一番有名なのは、じゃがいも、お米、ムール貝のティエッラ。
プーリア人が愛してやまない料理ですよね。

作り方の動画はこちら

この料理、スペインのパエリアに似ているので、スペインから伝わったと思いがち。
ですが、“ティエッラtiella”とは、テラコッタのオーブン皿のこと。
それが転じて、オーブン皿に材料を積み重ねて焼く料理のことを、ティエッラと呼ぶようになりました。

ティエッラは、プーリアやカラプリアでは、“ティエッダtiedda”となまります。
同じテラコッタのオーブン皿でも、イタリアの標準語だと一言でズバッと言える言葉がなく、“テガーメ・ディ・コッチョtegame di coccio”と、長ったらしくなります。
それほどこの鍋は、南イタリアでは必需品、ということなんですね。

ティエッラ(ティエッダ)は、プーリア料理を作るなら、欠かせない道具。
タジン鍋もいいけれど、イタリア料理ならティエッラ、ですね。


さてこのティエッラ、材料の名前ではなく、土鍋の名前なので、どんなものでもティエッラで調理すれば、ティエッラという名前の料理になります。
だから、お米やムール貝が入っていないティエッラもあります。
ただし、じゃがいもは必ず入ります。

ちなみに、じゃがいも、お米、ムール貝のティエッラの場合、3者のうちどれか一つだけが目立ってはいけないんですねー。
どの材料も、味のバランスは均等にするのがポイント。


きのこのティエッラの場合も、基本はきのことじゃがいもです。
これに米が加わる場合もあります。


Giovanna Quaranta著『LA CUCINA PUGLIESE』から、きのことじゃがいものティエッラのリチェッタをどうぞ。


きのことじゃがいものティエッラ』Funghi e patate

材料:4~6人分
 カルドンチェッリ(エリンギ)・・1kg
 じゃがいも・・700g
 おろしたペコリーノ・・80g
 プレッツェーモロ
 パン粉
 にんにく・・1かけ
 EVオリーブオイル
 塩、こしょう
・じゃがいもは皮をむいて厚さ0.5cmの輪切りにする。
・オーブン皿に油を塗り、じゃがいもを1段敷いてオイル、塩、こしょうをかける。
・きのこで覆い、プレッツェーモロとにんにくのみじん切り少々、パン粉、ペコリーノ、オイル、塩、こしょうを散らす。
・残りのじゃがいもで覆ってオイルと塩をかけ、残りのきのこで覆う。
・パン粉、ペコリーノ、オイル、塩、プレッツェーモロのみじん切りを散らし、200度のオーブンで1時間焼く。




米も加える場合はじゃがいもときのこの間に散らし、最後に水をかけてから焼きます。



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関連誌;『サーレ・エ・ペペ』2007年9月号
関連記事「ポルチーニ」のリチェッタ(「ポルチーニ、豚肉、じゃがいものカラプリア風ティエッラ」を含む)は、「総合解説」'07&'08年9月号に載っています。

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2010年11月25日木曜日

カルドンチェッリ

南イタリアのきのこ料理の話です。

今日はプーリア編。

きのこ料理でプーリア色を出すなら、使うきのこはイタリアのエリンギ、カルドンチェッリ。

エリンギは日本では自生していないきのこで、日本では柄を太く改良した人工栽培のものが出回っていますよね。
イタリアに自生するエリンギ(つまりカルドンチェッリ)は、かさが大きいタイプ。

産地の中心地は、プーリアからバジリカータにかけての丘陵地帯、ムルジャ地方です。
栽培ものもあります。


ルーヴォ・ディ・プーリアのカルドンチェッロの収穫祭。
今年は11月13~14日でした。
きのこ料理のほかにも、ムルジャ地方の名物が勢ぞろいするお祭りです。





さて、このカルドンチェッリをプーリアではどう調理するのか。

まずは、カルドンチェッリの大手栽培業者、デ・ビアージのwebサイトに載っているリチェッタをご紹介。

デ・ビアージのwebページはこちら

余談ですが、なんとこの会社、カルドンチェッリを自宅で栽培できるキットを通販してます。
水をやって2週間ぐらいで最初のきのこが生えきて、10月から5月頃まで、新鮮なカルドンチェッリを食べることができるんだそうです。

こちらがその、カルドンチェッリ栽培通販セット。


そしてリチェッタの原文はこちらこちら


まずは一番シンプルなリチェッタ。

カルドンチェッリのフンゲット』Cardoncelli al funghetto

材料:6人分
 カルドンチェッリ・・600g
 乾燥オレガノ
 オリーブオイル
 にんにく
 塩
・きのこを小角切りにする。
・浅鍋にオリーブオイルとにんにを入れてソッフリットにする。
・ここにきのこを入れて塩、こしょうをし、強火で水気がなくなるまで炒める。
・オレガノ一つまみを散らし、蓋をして25分蒸し煮にする。



フンゲットとは、きのこ風味ということ。
きのこがきのこ風味というのは奇妙ですが、きのこの味がさらに強まる、というような意味があるようです。

オレガノではなくプレッツェーモロを散らせば、カルドンチェッリのトリフォラーティ(cardoncelli trifolati)になります。



次はクリーム煮。

カルドンチェッリのクリーム煮』Cardoncelli alla panna
材料:6人分
 カルドンチェッリ・・600g
 生クリーム・・200g
 牛乳
 バター
 塩、こしょう
・きのこをスライスして耐熱皿に並べ、塩、こしょうをする。
・小片にしたバターをのせる。
・生クリームを牛乳少々で伸ばしてきのこにかけ、きのこを覆う。
・耐熱皿に覆いをし、余熱したオーブンに入れて高温で25分焼く。



カルドンチェッリは生で食べることもできます。


カルドンチェッリのカルパッチョ』Carpaccio di Cardoncelli
材料:6人分
 カルドンチェッリ・・500g
 エメンタール
 オリーブオイル
 レモン
 プレッツェーモロ
 塩、こしょう
・きのこを掃除して洗い、薄くスライスする。
・きのこをボールに入れてプレッツェーモロのみじん切りを散らす。
・オリーブオイル、レモン汁、塩、こしょうをホイップしてシトロネットにし、きのこにかけて和える。


原文では材料にエメンタールと書いてあるのですが、仕上げにかけるんでしょうかね。



今回はシンプルなリチェッタを集めてみました。
次はもう少しプーリア色の濃いリチェッタを取り上げます。




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関連誌;『サーレ・エ・ペペ』2007年9月号
関連記事「ポルチーニ」のリチェッタは「総合解説」'07&'08年9月号に載っています。

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2010年11月22日月曜日

きのこのマルサラ煮

きのう、何かの番組の再放送を見て、唖然としましたよー。
何と、クラテッロのことを「イベリコ豚の生ハム」と紹介してるじゃあーりませんか。
耳を疑うとはこのことだあ!
さらに、「乾燥パスタはグラニャーノで400年前に発明された」、と言い切ってますよー。
いったいどこの学会で発表されたんですかあ。

「ミートソースはイタリア語ではボロネーゼ」とか(ボロネーゼは日本語か英語だがね。イタリア語ならボロニェーゼだがね)、bucoを「ブッコ)」と言っている(ブーコですだよ)のは大目に見るとしても、こんなに超適当なことを、再放送までして日本中に広めているとは(日曜夜8時の番組だって!)、見ているこっちの方が恥ずかしくなってくるじゃないかあ。

ふう、これだけ書いたらちょっとすっきりしました。



それでは気を取り直して、元のお題に戻ります(汗)。
横道にそれまくったので、もう忘れ去られているかもしれませんが、きのこの話ですよ~。
今回も、南イタリアのきのこ料理の続きです。


シチリアのきのこ料理をもう1つ。
『IL DIAMANTE DELLA GRANDE CUCINA DI SICILIA』から。

シチリア人だったらきのこをどう料理するか・・・。

前回紹介したその答えの1つは、パン粉とアンチョビでしたね。
そしてもう1つは・・・。

なるほどそうきたか、マルサラです。


きのこのマルサラ・ヴェルジネ煮
Fungi cu Marsala/Funghi al Marsala vergine

・きのこを薄く切って陶器の鍋に入れ、バターとオリーブオイルで炒める。
・約5分炒めたらマルサラ・ヴェルジネ1/2カップをかけて30分煮る。
・小麦粉少々を少量のブロードで溶いて加える。
・火を止める直前に、もし水分が足りなくなっていたらマルサラを振りかける。




マルサラ・ヴェルジネですか。

ここで少し、マルサラの種類の話でも。

マルサラは、やたらと種類の多いワインですよねえ。

まず、色は3種類。
 オーロoro(白ぶどうを使用)
 アンブラambra(白ぶどう+モスト・コット)
 ルビーノrubino(黒ぶどう+白ぶどう)

(モスト・コットはぶどうの果汁を煮詰めたもの)


甘さ辛さも3種類。
 セッコsecco
 セミセッコsemisecco
 ドルチェdolce


熟成期間は5種類。
 フィーネFine(最低1年、アルコール度は最低17%)
 スーペリオーレSuperiore(最低2年、18%)
 スーペリオーレ・リゼルヴァSuperiore Riserva(最低4年、18%)
 ヴェルジネ、またはソレーラスVergine/Soleras(最低5年、18%)
 ヴェルジネ、またはソレーラス・ストラヴェッキオ、またはリゼルヴァVergine/Soleras Stravacchio/Riserva(最低10年、18%)


これを組み合わせて・・・
 フィーネ・オーロ
 フィーネ・ルビーノ
 フィーネ・セッコ
 フィーネ・セミセッコ
 スーペリオーレ・オーロ
 スーペリオーレ・アンブラ
 スーペリオーレ・リゼルヴァ・アンブラ
 スーペリオーレ・リゼルヴァ・セッコ
 ・・・
と、この調子で永遠に続きます。



20090330 Marsala di Florio
左はヴェルジネ、右はスーペリオーレ・リゼルヴァ・セミセッコ


マルサラ・ヴェルジネは、熱く乾いた味で、バランスが取れているのが特徴。
子牛のスカロッピーネや豚肉にも合います。


また話が脱線しましたねー。
きのこの話でしたねー。


次は、プーリアのきのこ料理の話です。



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関連誌;『サーレ・エ・ペペ』2007年9月号
関連記事「ポルチーニ」のリチェッタは「総合解説」'07&'08年9月号に載っています。

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2010年11月19日金曜日

地中海式ダイエット、ユネスコの無形文化遺産に

きのこの話の途中ですが、ここで地中海式ダイエットの話です。

例の、スペイン、イタリア、ギリシャ、モロッコが共同で、地中海式ダイエットのユネスコの無形文化遺産登録に立候補、という話ですが(このブログの記事はこちら)、先日、決まりましたよ。
登録だそうです。


登録決定を伝えるイタリアのニュース。





登録決定を祝して、ローマのカンピドーリオ広場では、イタリア産のスパゲッティ、オリーブオイル、トマトを使ったスパゲッティがふるまわれました。
インタビューに答えているのは、イタリアで立候補の中心となった団体、コルディレッティ(全国自営農業者連盟)の会長。







スペインも盛り上がっているようです。
スペインはフラメンコも無形文化遺産に登録が決定しましたよ。


ユネスコの無形文化遺産に食文化が登録されるというのは初めてのことですが、実は、今回登録された食文化は、地中海式ダイエットだけではないんですねえ。
フランス料理(フランスの美食文化)も、登録されることが決定しました。
いや~ヨーロッパ勢は積極的ですねえ。
日本はどうするんですかね。


今はめでたい気分で盛り上がっている地中海式ダイエットですが、将来の展望は、やや厳しそう。
こちらの記事によると、数日前のウオールストリートジャーナルで、「地中海式ダイエットは消滅の危機にある」と書かれていたそうです。

地中海式ダイエットが健康に良い、という根拠となったのは、1960~80年代のデータです。
先日のブログにも書きましたが(こちら)、現在のイタリアの食生活は、当時とはかなり変わってきています。
イタリア人でさえ、地中海式ダイエットはお金がかかる、と実感しています。

これは、イタリアの話とばかりも言っていられません。
地中海式ダイエットに次いで健康的と評価され、世界で最もご長寿の国、日本でも、ハンバーガーやフライドポテトに代表される大量生産型、無地域型の食生活は、着実に勢いを増しています。

地中海式ダイエットがユネスコの無形文化遺産に登録されたことは、スペイン、イタリア、ギリシャ、モロッコの人々自身が、伝統の食生活を守ることへの責任を認識するきっかけになっているのではないでしょうか。
これによって農業製品の輸出が増えるのでは、という皮算用より、自国の食文化にプライドを持つことができる、ということこそが、おそらく最大の効果ですね。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年9月号
「地中海式ダイエット」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年9月号に載っています。

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2010年11月15日月曜日

きのこのスフィンチョーネ風

きのこ料理の話、続けます。

前回は、ピッツァのパレルモ版、“スフィンチョーネ”の話でした。
炭水化物×炭水化物の中でもかなり高度な、パン×パンという、ある意味関西的なパンでしたねえ。
トマトソースも、アンチョビーとカチョカヴァッロ入り。
パルミジャーノやモッツァレッラなんて入れませんよー。
この食材選びのセンスが身につけば、あなたもシチリア人!

さて、いよいよ本題の「きのこのスフィンチョーネ風」。
大元のパンのスフィンチョーネのリチェッタが分かれば、ある程度は想像できますね。

出典は『IL DIAMANTE DELLA GRANDE CUCINA DI SICILIA』です。
『Il diamante della grande cucina di Sicilia』


きのこのスフィンチョーネ風
Fungi a sfinciuni/Funghi "a sfincione" alla palermitana

・オーブン皿に油を塗る。
・たっぷりのパン粉、にんにくとプレッツェーモロのみじん切り、フレッシュのオレガノ、塩、こしょう、オリーブオイル少々を混ぜる。
・きのこを粗く切ってオーブン皿に入れ、パン粉をかける。
・これをオーブンで焼く。
・レモン汁にアンチョビーペースト少々を溶いてきのこに添える。



やっぱりねえ。
トマトソースやチーズをかけなくても、パン粉をたっぷり散らせば、立派に“スフィンチョーネ風”という訳ですね。
きのこにアンチョビーというのも、地中海風ですねえ。


そうそう、このパン粉、あのシチリアの美味しいパンの粉、というのもポイントですね。

リチェッタを引用した本、『IL DIAMANTE DELLA GRANDE CUCINA DI SICILIA』では、一番最初に、シチリアのパンについて語られています。
「6千年前からシチリアの主食はパン」なのだそうです。
実は、著者のPino Correntiは、シチリアのパン屋兼パスタ屋の生まれ。
だから、粉物料理はDNAにしみ込んでいます。

イタリア語には、companatico(コンパナーティコ)という言葉があります。
「パンのおかず」という意味です。
シチリアの人にとって、究極のパンのおかずは、“ナイフ”なんだそうです。
「パンとナイフpani e cutieddu」という言葉まであります。
究極にもほどがありますねー。


ついでですから、そんなシチリアのパンのリチェッタも紹介しておきます。
『IL DIAMANTE DELLA GRANDE CUCINA DI SICILIA』からです。

シチリアの基本のパン生地
Pane speciale di pasta lievitata siciliana dai molteplici usi
材料:
 硬質小麦粉(rimacinato)・・500g
 00タイプの小麦粉(maiorca)・・500g
 生イースト・・25g
 新鮮な卵・・1個
 油脂(ラード、またはオリーブオイル、バター、マーガリン)・・100g
 細粒の塩・・大さじ1弱(塩気が弱いパンの場合は10g)
 砂糖・・5g
・イーストを37度(唇の温度)のぬるま湯1カップで溶く。
・2種類の小麦粉を混ぜて台に盛る。中央をくぼませ、小片にした油脂、塩、砂糖、イースト、卵を入れて手早くこねる。
・生地を丸くまとめ、打粉をしたボールに入れて表面に十文字のクープを入れる。
・軽く粉を散らし、半分に折った布巾をかぶせて1時間発酵させる。
・生地が2倍に膨らんだら完成。



シチリアのパーネ・カゼレッチョ

パレルモの脾臓のパニーニ

シチリア内陸部で、ノヴェッロ・ワインと一緒に食べる塩気のないパン、ムッフリエッテ
具をはさんで食べます。



次回はまたきのこの話に戻ります(汗)。



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関連誌;『サーレ・エ・ペペ』2007年9月号
関連記事「ポルチーニ」のリチェッタは「総合解説」'07&'08年9月号に載っています。

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2010年11月11日木曜日

パレルモのスフィンチョーネ

きのこの話の続きです。
今回のお題は「南イタリアのきのこ料理」。


まずは、基本を押さえておきましょうか。

そもそも、イタリア風のきのこ料理とは?

やはり、オリーブオイル、にんにく、プレッツェーモロで炒める“トリフォラート trifolato”ですかね。

トリフォラートは、ロンバルディアの方言でトリュフという意味の「trifola」が語源で、トリュフのような香りがするところから、こう呼ばれるようになったと言われています。

きのこの他に、腎臓にもよく使われる調理方法です。

腎臓のトリフォラートはこんな料理


下の動画はフンギ・トリフォラーティ Funghi Trifolatiの作り方の一例。
オリーブオイル大さじ4、バター20g、にんにく2かけにきのこをたっぷり(600g)入れて強火で10分炒める。
塩とたっぷりのプレッツェーモロのみじん切りを加えてさらに5分炒める。




これを手打ちパスタのソースにしても美味しいし、肉や魚のコントルノにしたり、バールではサンドイッチの具にしていますよね。



では、きのこはどう調理すれば南イタリア風になるのでしょうか。

南イタリアの有名なきのこ料理・・・。
うーん、ちょっと思い浮かばない。

そこで、南イタリアのきのこ料理を本で探してみました。


まずはシチリア料理。

シチリア料理のリチェッタ集として最も評価されている本の一つ、『IL DIAMANTE DELLA GRANDE CUCINA DI SICILIA』から、きのこのリチェッタを紹介します。

この本の著者、ピーノ・コッレンティ氏は、シチリアの食文化の研究家としても知られる作家で、イタリア調理師協会(Federazione Italiana Cuochi)シチリア支部(Unione Regionale Cuochi Siciliani)の名誉会長。
ちなみに、会長は別の人です。



まずは、FUNGHI A SFINCIUNI(フンギ・ア・スフィンチューニ)という一品。

この料理名、イタリアの標準語で言うと、Funghi “a sfincione” alla palerminata(フンギ・ア・スフィンチョーネ・アッラ・パレルミターナ)となります。
つまり、「パレルモのスフィンチョーネ風きのこ」。


スフィンチョーネとは、パレルモのストリートフードで、トマト、玉ねぎ、アンチョビー、チーズ、パン粉のトッピングのフォカッチャの一種。

イタリアのWikipediaのこちらのサイトによると、ラテン語で“スポンジ”という意味のspongiaか、アラビア語の“sfang”が語源だとか。
発酵させた柔らかいパンだったから、こう呼ばれるようになったと考えられているそうです。


Sfincione fatto in casa
スフィンチョーネ


スフィンチョーネは、パン屋、ロスティッチェリーア、パスティッチェリーア、家庭など、様々な場所で作られていて、リチェッタも色々あります。

スフィンチョーネの屋台


きのこのスフィンチョーネ風を理解するには、まず、パンのスフィンチョーネのリチェッタを知っておく必要があります。

バリエーションは様々ですが、とりあえず一例を動画でどうぞ。
家庭料理バージョンです。






そして、『IL DIAMANTE DELLA GRANDE CUCINA DI SICILIA』から、ロスティッチェリーア版のリチェッタです。



材料:
 発酵させたパン生地・・500g
 ソース用トマト・・400g
 細くおろしたカチョカヴァッロ・・150g
 おろしたペコリーノ・・50g
 パン粉・・50g
 塩漬けアンチョビー・・6尾
 玉ねぎ・・50g
 プレッツェーモロ
 オレガノ
 レモン汁・・1個分
 オリーブオイル
 塩、こしょう
・レモン汁を熱し、オリーブオイル1/2カップを加えながらホイップする。
・パン生地、ペコリーノ、ホイップしたレモン汁とオイル、塩、こしょうをこねてまとめ、中央にクープを入れる。布巾で覆って数時間休ませる。
・玉ねぎを薄く切って油でしんなり炒め、プレッツェーモロ、皮と種を取って小さく切ったトマト、塩、こしょうを加えて煮る。
・丸いオーブン皿に油をたっぷり塗り、生地を厚さ約3cmになるように敷き込む。火を入れたばかりのオーブンに入れ、通風口を開けたまま温める。
・トマトソースにアンチョビー(骨を取る)の半量とカチョカヴァッロを加えてさらに煮る。
・生地が温まったら指で深い穴をあける。
・ソースの半量を生地にかけながら穴にも詰める。熱くなったオーブンに入れて焼く。
・パン粉をフライパンに入れてオリーブオイルをたらし、炒める。
・生地を30分焼いたところで残りのソースをかけ、残りのアンチョビーを小片にしてのせる。パン粉をかけてオレガノを散らし、再びオーブンに入れて焼く。




どうですか、スフィンチョーネ。
パンの上にパン粉ですよ!
いかにもシチリア、と言うか、いかにもパレルモですねえ。

パレルモの人は、パン粉のことを貧乏人のチーズとか言ってスパゲッティにかけますが、パンをパン粉で調味するとは、男前な料理が多いパレルモならではの発想。
スフィンチョーネがパレルモの外に広まらないのは、このあたりのセンスに原因があるのかも(笑)。

チーズはモッツァレッラではなくカチョカヴァッロ、というのもシチリア風。

このスフィンチョーネ、ルーツはサン・ヴィートの修道院で作られていた古いフォカッチャです。
サン・ヴィートのスフィンチョーネは、中にラグーが詰まっていて、パレルモの大晦日の定番。


きのこの話をするはずが、すっかり横道にそれてしまいました。
次回こそは、スフィンチョーネ風きのこの話です。



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2010年11月8日月曜日

今年のきのこ

今日はきのこの話。

今年は松茸が大豊作だそうですね。
イタリアでは、こちらのインタビューによると、今年のきのこは「去年と同じくらい豊作」だったそうです。







mediocre pasta with porcini
きのこ料理の定番の一つ、ポルチーニのパスタ


Porcini e Fegato di Vitello al Burro e Rosmarino
こちらは3つ星店、ダル・ペスカトーレの“ポルチーニと子牛のレバー”。




イタリアのきのこと言えば、ポルチーニ。
もうすぐ配本予定の『サーレ・エ・ペペ』では、ポルチーニの地方料理を紹介しています。

ポルチーニは、松茸と同じで、人工的に栽培することができないきのこですが、北から南まで、イタリア中で採れます。
記事の中では、カラプリアのポルチーニ料理も紹介されています。


こちらはシチリアのポルチーニ。
もっと採れる、と言ってますねえ。


南イタリアのきのこの代表格は、カルドンチェッリ cardoncelli。
プーリアの名物きのことして知られています。
学術名はPleurotus eryngii。
エリンギです。


下はカルドンチェッリを紹介する動画。






Funghi Cardoncelli gratinati con patate
カルドンチェッリとじゃがいものオーブン焼き



と言う訳で、次回はシチリアとプーリアのきのこ料理をご紹介。



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関連雑;『サーレ・エ・ペペ』2007年9月号

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2010年11月4日木曜日

地中海式ダイエットとイタリア

地中海式ダイエットの話の続きです。

「地中海式ダイエット」は世界的に知れ渡りましたが、一番影響を受けたのは、当のイタリアかも知れません。
なにしろ、自分たちの食生活が世界的に見ても優れていて、健康で長寿の元である、というお墨付きをもらったのですから。
自分たちの食生活を再評価しようという気も起きると言うものです。

それに、地中海以外に住んでいる人には、地中海式ダイエットを取り入れるのは少々困難な場合もあります。
なによりお金がかかります。
日本ではオリーブは簡単には育たないし、羊飼いもいません。
地中海式ダイエットを文字通り真似しようと思ったら、輸入品だらけの食生活になってしまいます。

つまり、地中海式ダイエットが最も身近で現実的なのは、地中海の人々、という訳です。

地中海式ダイエットの概念の生みの親とも言えるアンセル・キーズ博士はアメリカ人ですが、彼が引退後に南イタリアに移り住んだのは、ある意味、象徴的です。
地中海以外の場所で、地中海式ダイエットで長生きするのではなく、地中海で長生きする道を選んだのですから。


ただ、『ヴィエ・デル・グスト』によると、最近はイタリアでも、地中海式ダイエットはお金がかかる、という意見が多いようです。
web上で行ったアンケートでは、約半数の人が、地中海式ダイエットはお金がかかる、と答えています。

実際に、地中海式メニューとコンチネンタルメニューの食事の費用を試算したところ、
地中海式は、トマトとバジリコのスパゲッティ、白身魚のオーブン焼きとズッキーニのグリル、フルーツのマチェドニア、ワインで、約26.5ユーロ。
コンチネンタルは、サラミの盛り合わせ、ハンバーガーとフライドポテト、ジェラート、ダイエットコーラ、ミネラルウオーターで、約15.5ユーロ。
という結果に。

やはり、地中海式ダイエットは、ユネスコの無形文化遺産にでもならないと、消えてしまうんでしょうか。


アンセル・キーズ博士は、母国アメリカでは、コレステロールや飽和脂肪酸の役割の解釈を巡って風当たりがきつそうですが、イタリアではとても高く評価されています。
彼の業績の中で、地中海ダイエット以外に、もう一つ知られているものがあります。

それは、「K-レーション」というものです。

レーションとは、軍用の携帯食のこと。
カロリーが補給でき、日持ちがして、コンパクトで、手間がかからず、食べやすく、さらに食事をする楽しみも与える、そんな役割を持った食糧です。

French Combat Ration
フランス軍のコンバットレーション


K-レーションのKは、アンセル・キーズAncel KeysのK。

栄養と人体の関係を生理学的に研究するという分野では、20世紀を代表する科学者の一人だったキーズ博士は、第二次大戦時に、このKレーションを考案しました。


K Rations
K-レーションのパッケージ


K-レーションの詳細な解説はこちらのページ。


こういうものを背負って、空挺部隊はパラシュートで飛び降りて行ったんですかねえ。
栄養価など、様々な研究の結果、作られているものなんですね。

実はこの補給食は、第二次大戦時にイタリアに上陸したアメリカ軍も持っていました。
当時のイタリアでは、米兵からこのK-レーションをもらって飢えをしのいだ人も、少なくないのだそうです。


以前、小麦の品種改良をして、「世界で最も多くの人命を救った」としてノーベル平和賞を受賞したノーマン・ボーローグ博士のことを紹介しましたが、食の分野と言うのは、時として、大勢の命を救うことができる分野でもあるんですねえ。
物理学や医学にだって匹敵する、奥の深い分野です。

さて、地中海式ダイエットは、ユネスコの無形文化遺産になるのでしょうか。




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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年9月号

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2010年11月1日月曜日

地中海式ダイエットとアンセル・キーズ博士

地中海式ダイエットの話の続きです。

地中海地域の食スタイルは健康で長生きの元、という考えは、世界各地の食事と健康の関係を科学的に分析することで生まれました。

もっと細かく言うと、アメリカ人の死因の第1位である心臓病を減らすには、どうすればよいのか、という研究がそのベースにありました。

さらに具体的に言うと、そもそもは、アンセル・キーズというアメリカ人博士が、第二次大戦直後に、当時世界で最も栄養状態が良いと思われるアメリカのビジネスエリートと比べて、食糧不足に直面していたヨーロッパ人は、心臓病の発生率が急激に減少している、ということに気付いたのが、始まりでした。


ミネソタ大学の教授だったキーズ博士は、栄養と健康の関係を生理学的に分析するという学問の開拓者です。
当時はまだ、この分野は確立されていはなかったのです。


戦争直後の心臓疾患の発生率について興味を持った博士は、これはコレステロールレベルと関係があるのではないかと考えて、大学で研究を開始します。

それは、7カ国をピックアップして、心臓疾患の状況を調べるというものでした。
選ばれた国は、アメリカ、イタリア、ギリシャ、フィンランド、オランダ、ユーゴスラビア、そして日本。
40歳から59歳の約12000人を、20年に渡って調査しました。

その結果、心臓血管系の病気の発生率と血中コレステロール値、飽和脂肪酸の摂取量の間には、強い関連性があるということが分かります。


これ以降、コレステロールは下げた方がよい、という考えが急速に広まります。

1960年代には、不飽和脂肪酸は飽和脂肪酸を減らし、血中コレステロールを減らす、という考えがアメリカで広く受け入れられるようになりました。
さらに、動物性のものには飽和脂肪酸、植物性のものには不飽和脂肪酸が含まれる、というイメージが徐々に固まっていきます。
実際には動物性、植物性で単純に分けられるものではないのですが。


調査の結果は、1980年に本になって出版されました。
人々は、地中海地域では、脂肪分はたっぷり摂るのに心臓病の発生率は低いということ、それに対してアメリカでは発生率が10倍も多いということを知ります。
そしてそれは、野菜と果物とオリーブオイルをたっぷり取る、一昔前の地中海地域の食生活のおかげ、ということをすぐに受け入れました。

ちなみに、この調査では、日本は地中海地域に次いで2番目に心臓病の発生率が低い国となっています。


コレステロールが人体に及ぼす影響については、いまだに議論が絶えませんが、アンセル・キーズ博士の研究がなければ、地中海式ダイエットという食スタイルがこれほど広まることはなかったでしょう。


アンセル・キーズ博士は、戦後に一度ナポリに滞在していますが、1975年から2003年までの約30年間、カンパーニア州南部のピオッピという町で暮らしました。
そして2004年に、100歳と10カ月で亡くなっています。
まさに、身を持って地中海式ダイエットを証明したかのようなご長寿でした。


アンセル・キース博士と地中海式ダイエットの動画。




アンセル・キース博士の業績を紹介する動画は、圧倒的にイタリアで作られたものが多いですねえ。
やはりイタリア人には強く支持されています。
博士は地中海式ダイエット以外にも有名な業績があるのですが、それはイタリアとも少なからず関係がありました。
次回はその話です。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年9月号

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2010年10月28日木曜日

地中海式ダイエットと無形文化遺産

今日は地中海式ダイエットの話。
次回配本の『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。

2008年9月に、イタリアは、スペインなどと共同で、「地中海式ダイエット」をユネスコの無形文化遺産に登録するよう申請しました。

いよいよその審査が、11月14日から19日に、ナイロビで行われます。
果たして、地中海式ダイエットは、無形文化遺産になるのでしょうか。


「無形文化遺産」というのは、「世界遺産」とはちょっと違って、厳格な基準があるわけではないのだそうです。
それにしても、一地域の食生活を文化遺産とみなすとは、思いついた人もたいしたもんですねえ。

そもそも、この立候補は、スペインの現政権(サバテロ首相)の発案で実現しました。
参加したのは、スペイン、イタリア、ギリシャ、モロッコ。


「地中海式ダイエット」というのは、みなさんよくご存じの、アンセル・キーズ博士の研究成果などが元になって生まれた食スタイルの概念のこと。

大雑把にまとめてしまえば、

野菜や果物をたっぷり採って、魚を食べて、オリーブオイルを使い、ワインを少量飲む。
そうすれば健康で長生きできる。

現在ではこの理論も様々な形で検証されて、長所も短所も見つかっているようですが、イタリアでは断然支持されています。
今回の立候補では、イタリア人が自分たちの国の食スタイルに、揺るぎない誇りを持っていることがよく分かりましたねえ。

イタリア人の平均寿命は、男性が78.1歳、女性が84.1歳。
世界のトップ10に入る長寿国。
まあ、平均寿命世界一の日本から見ると、だからどうなんですか、ということなんですが。

それと、こんな数字もあります。
EUの統計では、イタリア人の平均身長は、168.1cm。
ヨーロッパ人の平均は169.9cmなので、約2cm低い。
でも、平均体重は68.7kgで、ヨーロッパの平均は72.2kg。
身長と体重の割合からすると、一般的なヨーロッパ人よりスリム。

まあはっきり言って、日本人は、多分、身長はイタリア人より少し低くて、体重はかなり少ないので、イタリア人よりスリム。
地中海式ダイエットが文化遺産なら、和食も文化遺産でいいじゃないかって話ですよねえ。
やっぱりここは、思いついて実行に移した人が勝ち、ということでしょうか。


スペインの提案を受けて、イタリアで動いたのは、コルディレッティ(全国自営農業者連盟)という経済団体です。
つまり、立候補の根本には、自国の農業を守ろう、という意図があります。

『ヴィエ・デル・グスト』では、立候補当時、イタリアの農業省の大臣だったルーカ・ザイア氏にインタビューしています。
その中で、ザイア氏は、ずばりこう言っています。

「地中海式?イタリア式と呼びましょうよ」

ザイア氏の所属政党は北部同盟。
農業省の大臣になる前は、トレヴィーゾ県知事、ヴェネト州副知事を歴任。
そして今年、ヴェネト州の知事になっています。
まさに、どっぷり北部人。
当然、「地中海式ダイエット」には、地中海に浸っていない北イタリアも入っていなければ困ります。
つまり、イタリア人にとっては、地中海式ダイエットは、イコール、イタリア式ダイエット、なんですね。
イタリア料理は地方料理の集まりで、一つではない、といつも言っているイタリア人も、こと、地中海式ダイエットに関しては団結するようです。


下の動画は、地中海式ダイエットの無形文化遺産登録についての審議が11月に行われることを伝えるニュース。






地中海式ダイエットの話、次回に続きます。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年9月号

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2010年10月25日月曜日

イタリアのハロウィン

今日はハロウィンの話。

ハロウィンて、アメリカのお祭り?
なんでも、元を正せばヨーロッパが起源で、そもそもは、キリスト教の諸聖人の日(万聖節)の前夜祭なんだそうです。

諸聖人の日は、諸聖人を祝う日で、11月1日。
イタリアでは祝日です。

翌、11月2日は、「il giorno dei morti」、死者の日。
この日は祝日ではありませんが、菊の花を持って墓参りをします。
そのため、午後は休みにするオフィスも少なくありません。

ルーツはキリスト教のイベントでも、ハロウィン自体は、イタリアにはあまり所縁のない行事ですよね。

ところが、ここ数年で、ハロウィンはイタリアにぐんぐん浸透しているのだそうです。
いっそ10月31日を祝日にして、連休に、という声もあります。


ハロウィンはイタリアでも“ハロウィン”。
アンコーナ県のコリナルドという、人口5000人あまりの町は、ハロウィンのイベントで有名。
毎年今頃は、盛り上がってます。






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2010年10月21日木曜日

アルト・アディジェの伯爵のワイナリー、マニンコール

今日もカンティーナの話。
『VS』の記事の解説です。

ワイナリーを経営する貴族の話をしていますが、今日は、アルト・アディジェでマニンコールを経営する伯爵家をご紹介。

マニンコールは、ピノ・ノワール100%のマソンなどで知られるカンティーナ。

そして経営者はこの方。

Count Michael Goëss-Enzenberg


ミヒャエル・ゴーエス=エンツェンベルク伯爵。

なんでも、父方は、オーストリアの爵位の高い貴族の家系。
母方は、18世紀に女帝マリア・テレジアの代わりにチロル地方を治めてアルト・アディジェを開拓した伝説の人物、カシアン・イグナツ・エンツェンペルクの家系なんだそうです。
エンツェンベルク家は、この伝説のご先祖の功績で伯爵に叙せられました。
ミヒャエル氏の国籍は、オーストリアでしょうか。
奥様のソフィーさんもオーストリア人。

愛妻家のワイナリーには必ずありますねえ、奥様の名前のワイン。
マニンコールのソフィーは、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、ヴィオニエの白。


マニンコールというのは、アルト・アディジェにある農場の名前です。
1608年に、ヒエロニムス・マニンコール・ツー・エーレンハウゼンによって造られました。
1662年に、マニンコール家とエンツェンベルク家が結婚して、農場はエンツェンベルク家の所有になります。

まったく、イタリアワインの話とは思えない、聞きなれない名前が並びますねえ。
もっとも、南チロル地方は、第一次大戦でイタリア領になるまでは、ずっとオーストリア領でした。
第二次大戦終了時に、住民が、イタリアの一部でいるよりオーストリア領に復帰したい、と望むほど、オーストリアとの結びつきは強い地域です。


さて、ミヒャエル伯爵ですが、この人、すごいです。
まず、ドイツでワイン醸造学を学び、その後、カリフォルニアのワイナリーで1年働き、フィレンツェで1年間イタリア語を勉強し、アルト・アディジェワイン業界の大物、アロイス・ラゲーデルの流通部門アシスタントとして2年間働いています。

こうして様々な分野で経験を積み、さて、いよいよ自分のワイナリーに着手。
50年間一族の間では忘れ去られていたマニンコールの農場を、復活させたのです。

しかも、ただワインを造るだけではありません。
あっと驚く発想でワイナリーを建てて、年間1万人が訪れる注目の場所にしてしまったのです。

その発想とは、カンティーナを畑の下にもぐらせる、というもの。

カンティーナもテロワールの一部、という思いを形にしたものなのだそうです。
自然との共生というテーマが、見事に具現化されています。

こちらがカンティーナを上から見たところ。

中央の黒い部分が、ワイナリーの入り口。
その真上はぶどう畑です。

こちらはテイスティング室。


そして下は、先週upされた動画。
マニンコールの畑から、「日本のみなさん、コンニチハ♪」
伯爵もかい。






いろんな伯爵がいるもんですねえ。


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関連誌;『VS』2008年7月号
「マニンコール」の記事は「総合解説」'07&'08年7月号に載っています。

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2010年10月18日月曜日

プーリアの伯爵家、コンティ・ゼッカ

今日はワインを造る伯爵家の話。
『VS』の記事の解説です。


プーリアのワイナリー、コンティ・ゼッカは、日本語に訳せば、「ゼッカ伯爵家」。
自ら「伯爵」と名乗っているワインメーカーですねえ。

そのワインは、シンプルでスタイリッシュなラベルが特徴。

こちらはドンナ・マルツィア・プリミティーヴォ2006。

Donna Marzia Primitivo Conti Zecca 2006


コンティ・ゼッカのweb pageはこちら


ゼッカ伯爵家は、16世紀にナポリからプーリアのレヴェラーノにやってきました。
ブーツ型のイタリアの、ヒールの部分です。
そして、レヴェラーノに広い領地を所有して、ぶどう栽培を行っていました。

アルチビーアデ・ゼッカ伯爵が、所有地で栽培されたぶどうを自らで醸造するためにカンティーナを造ったのは、1935年のこと。

戦争中は、土地の一部が軍用地として強制的に買い上げられ、そのために所有地全体が同盟軍の爆撃にさらされたのだそうです。
しかも戦後は、農地解放で大土地所有が制限されて、多くの土地を手放すことになり、踏んだり蹴ったり。
気がつけば、ゼッカ伯爵家の土地は、町から集落にまで没落していました。

けれど、そこでめげなかったんですねえ。
40年代末、息子のジュゼッペ・ゼッカ伯爵が、コンティ・ゼッカブランドのワインの販売を始めます。
土地も少しずつ買い戻して、失った土地の約半分を取り戻したのだそうです。
現在は800ヘクタールの畑を所有しています。
東京ドーム約170個分。

そしてワインビジネスは、現在、ジュゼッペ・ゼッカ伯爵の4人の息子たちに受け継がれています。


下の動画で話をしているのは、長男のアルチビーアデ・ゼッカ伯爵。





伯爵の雰囲気、あります?


次回は、北イタリアの伯爵家のワイナリーの話です。




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関連誌;『VS』2008年6月号
「コンティ・ゼッカ」の記事は「総合解説」'07&'08年6月号に載っています。

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2010年10月15日金曜日

イタリア貴族

今日はワインの話。
『VS』の記事の解説です。

イタリアって、お貴族さまが多いですよねえ。
特にワイン業界には、伯爵だの侯爵だのがわんさかいるような気がします。

イタリアは、1861年から1946年までは、「イタリア王国」でした。
王様はサヴォイア家。
でも、第二次大戦後の1946年、国民投票によって廃位が決定。
王家は全員国外追放となりました。
1948年には、貴族の称号も非公認となります。

現在のイタリアでは、貴族を名乗ることは違法ではありませんが、法的な特権はありません。
伯爵や侯爵という称号に高貴さの違いは特になく、力関係で重要なのは、家柄の古さ、歴史的な業績、婚姻関係、所有地の広さや安定性などなんだそうです。


サヴォイア家は、2002年に帰国が許されました。
イタリア最後の国王、ウンベルト2世の息子、ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイアは、2003年に帰国しましたが、マフィアがらみで逮捕されるなど、黒い疑惑が絶えない人で、分家筋から家長宣言をされて裁判になるなど、どろどろのお家騒動になっています。


サヴォイア家当主、ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア





息子のエマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイアは実業家。
ここでは踊っていますが、サンレモ音楽祭で歌も歌いました。





国民からの支持はかなり低いサヴォイア家ですが、イタリア中に貴族の称号を持つ人はたくさんいて、地元ではそれなりに敬意を払われています。
外国人から見れば、「貴族」という言葉はなんともリッチでセレブな響き。
ワインのイメージには、まさにぴったりですねえ。

イタリアワインによくある貴族の称号は、
コンテ Conte(伯爵)
マルケーゼ Marchese(侯爵)
プリンチペ Principe(王子)
ドゥーカ Duca(公爵)
あたりでしょうか。

次回は、ある伯爵家のワインの話です。




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2010年10月12日火曜日

ジェラートの話、その4

ジェラートの話、続けます。

パルマに美味しいジェラテリーアがありますよ~、と情報をいただきました。
Italiamamaさん、Grazie!!

ピンボケで申し訳ないのですが、パルマのドゥオモの横、「K 2」(カッパ ドゥエ)というジェラテリア、毎日のように食べていたので、すっかりお店の人と顔なじみになりました。
グロムもパルマにはありましたが、私はこちらの方が気に入っていました。
本来は、2種類のGeratoをバラの花びらにようにきれいに盛り付けていてまさに、芸術的なのですが写真ではよくわからず残念です。
Italiamama 












ほお~、バラの花のように盛るんですね。
アップで

こちらは3種盛り。

さすがは本場、色んなジェラテリーアがありますねえ。


さて、前回紹介した動画、『Storia del Gelato』ですが、これには続きがあります。

こちらはPart2。
まず、映画監督のアンソニー・ミンゲラが、イギリスに渡った移民の職業について、こう語っています。
「中国人はクリーニング屋、インド人はレストラン、そしてイタリア人はジェラート売りと言うのが一般的でした」

次に、ジェラート研究の第一人者と言われる人物が、ジェラートの考案者について、カテリーナ・デ・メディチの料理人説、マルコ・ポーロ説、ベルナルド・ブオンタレンティ説は、全て単なる言い伝えで、何の根拠もない、ときっぱり切り捨てています。
さらに、コーンが発明されたのは1904年のセントルイス万博、という有名な説も、1807年に描かれた版画に、コーンに入ったジェラートを食べる女性が描かれているのを見せて、ばっさり。
結局、確かな説は何一つない、ということですね。

Part4では、1850年当時の、機械を使わない文字通り手作業のジェラート作りを実演して見せています。
なんと、アフガニスタンでも、ナポリでも、露店のジェラートは、今でもこの原理で作っているんですねえ。
後半は、ジェラート製造の機械化の話。
サッチャー元首相は、オックスフォード大では化学が専攻で、企業に就職してアイスクリームに空気を含ませる研究をしていたこともあるそうです。







おまけの動画。
Part1で紹介されていたフィレンツェのヴィヴォリ。






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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年8月号
「ジェラート」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年8月号に載っています。

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2010年10月7日木曜日

ジェラート物語

ジェラートの話の続きです。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。


古代ローマの、雪に蜂蜜や果汁を加えた原始的なソルベットは、中世には、液体を氷と硝酸カリウムで冷やして凍らせるソルベットへと進化しました。
なんでも、氷と硝酸カリウムを混ぜると、-25度まで冷えるのだそうです。

さらに、液体の入った容器を氷にあてながら回転させることによって、肌理の細かい氷の粒ができるようになりました。

そしてルネッサンスの頃、クリームを凍らせて作るジェラートの原形が登場します。
その考案者として名前がよく引き合いに出されるのが、ベルナルド・ブオンタレンティです。

彼は、16世紀にフィレンツェの宮廷で活躍した画家、作家、建築家で、典型的なルネサンスの才人でした。
リヴォルノの都市計画も手掛けています。

そんな天才が、なぜか料理の世界では、ジェラートの考案者として知られています。
おそらく、言い伝えが言い伝えを生んで、一種の都市伝説になってしまったのでしょうねえ。

彼はメディチ家のために様々な仕事をしましたが、その中には、スペインからやってきた客人の一団をもてなすための、余興の演出というものまでありました。
ブオンタレンティは、庭園やアルノ川で芝居を催し、花火を上げ、ベルガモットと柑橘果汁入りのクリームを、自らが発明した設備で凍らせてふるまったのだそうです。
当時の記録が残っているのは、凍らせる設備の方なのですが、なぜかジェラートの方が伝説に・・・。

ちなみに、その設備は、フィレンツェの街の壁の内側に、冬の間に降った雪を保存するという画期的なもので、現在でも、Via delle ghiacciaieという名前の通りとして残っています。


もう一人、ジェラートの歴史の話に必ず登場するのが、フランチェスコ・プロコピオ・デ・コルテッリという人物。
1651年にシチリアに生まれた彼は、パリで最古のカフェ、「ル・プロコープ」の創業者で、「ジェラートの父」と呼ばれる人です。

彼は、現在のジェラートとジェラテリーアの直接のルーツとなるものを考案したと言われています。
1686年にル・プロコープがオープンすると、ジェラートは一躍大人気になりました。
ルイ14世にもお墨付きをもらったことでさらに有名になり、ヨーロッパ中にジェラートの評判が広まります。


それ以降、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本へと、ジェラートとジェラテリーアは拡大していったのでした。


下の動画は、「ジェラート物語1」。
ジェラートにまつわるドキュメンタリーです。

イタリアで最も古いジェラテリーア、ブルストロン(ヴィチェンツァ)の5代目(!)は、
「1960年代まで、40歳以上の大人はジェラートなんて買わなかった」
と言っています。
フィレンツェで一番有名なジェラテリーア、ヴィヴォリでは、祖父と父親から技を受け継いだシルヴァーナさんが、祖父のリチェッタのスペチャリタ、マルサラのザバイオーネのジェラートを作っています。
ヴェネトの山の中にあるゾルドという村は、ジェラート売りの故郷と言われています。
毎年2月になると、大勢の人がジェラートの行商に出て行きました。
外国に行く人もいたそうです。
そして帰って来るのは10月でした。
移民となって、牧畜の盛んな国でジェラテリーアを始める人もいました。
イギリス人映画監督、故アンソニー・ミンゲラ(代表作は『イングリッシュ・ペイシェント』)は、イタリア人とスコットランド人のハーフで、父親はジェラテリーアを営んでいました。








『ジェラート物語』はまだ先があります。
それは次回に。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年8月号
「ジェラート」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年8月号に載っています。

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2010年10月4日月曜日

ジェラートのルーツ

ジェラートの話に戻ります。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。


イタリアが世界に誇るメイド・イン・イタリーの1つ、ジェラート。
そのルーツは、古代ローマにあるというのが定説です。
ただし、当時のそれは、現在の、牛乳、砂糖、卵黄がベースのジェラートとはまったく別のものでした。
細かく刻んだ氷に蜂蜜や果汁を加えてクリーム状にしたもので、どちらかというとソルベットに似ています。

ローマ人は、雪と氷を食べる習慣と、これらで食べ物を冷やすことを、ギリシャ人から教わったと言われています。
エジプトやアジアにも、雪に蜂蜜や果汁をかけて食べる習慣はありました。

Istituto del Gelato Italiano(イタリアンジェラート協会)のサイト(hpはこちら)によると、聖書にも、ジェラートのような食べ物が出てくるのだそうです。
旧約聖書の『創世記』の登場人物、イサクが、父のアブラハムに、山羊のミルクと雪を混ぜたものを出す場面があるのだとか。

Maestri della Gelateria Italiana(イタリアンジェラートマスター協会)のサイト(hpはこちら)では、冷たい食べ物や、冷やして食糧を保存する技術は、中国からインド、ペルシャ、アラブ経由で地中海に伝わったのでは、という説が紹介されています。


古代ローマ人が食べていた雪は、ローマから100km離れたテルミニッロ山や、ナポリのヴェズヴィオ山、シチリアのエトナ山から運ばれて、氷室で保存されていました。


Monte Terminillo
標高2217mのテルミニッロ山(ラツィオ州)



古代のソルベット文化は、ローマ帝国の崩壊と共に消え去ります。
没落したイタリアに、遠くの山から雪を運んで保存するほどの金と力を持った人はいなかったのでしょう。


果汁を刻み氷にあてて凍らせる技術は、アラブ人によってシチリアに伝わったと言われています。
一説では、アラビア語で「甘い雪」という意味のscherbetと言う言葉が、ソルベットの語源と言われています。
「すする」という意味のsharberが語源とする説もあります。


Etna Volcano, Sicily
シチリアのエトナ山は標高3340m。



塩を使って氷の温度を下げ、人工的に物を凍らせる方法は、どういう訳か、マルコ・ポーロが中国から伝えた、という言い伝えが広まっているようです。

ところで、蜂蜜って凍らないんですか?
蜂蜜を使ってグラニータはできないので、シチリアでグラニータが誕生したのは、砂糖が登場してからなのだそうです。
サトウキビから作る砂糖は、10世紀頃にアラブからイタリアに輸入されるようになりました。
当時は「アラブの塩」とも呼ばれる高級品です。
13世紀になって、シチリアで栽培が試みられるようになりましたが、量はごくわずかでした。


シチリアで洗練された食べ物となったソルベットは、イタリア各地の宮廷に広まりました。
さらに、回転させながら凍らせてもっとクリーミーにする方法が考え出されて、ソルベットは徐々にジェラートに近づいていきます。



ジェラートメーカーなしでレモンのグラニータを作る方法







ジェラートの話、次回に続きます。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年8月号
「ジェラート」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年8月号に載っています。

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2010年9月30日木曜日

プリーミ・ディタリア

今日はジェラートの話は一休み。
久しぶりに、クレアパッソのイタリア在住スタッフ、ポモドーロさんのイタリア便りをお届けします。
日本ではB級グルメのイベントが話題ですが、イタリアでも、何やら楽しそうな食のイベントがあったようですよ。
プリーモ・ピアットの祭り、「プリーミ・ディタリア」です。
では、どうぞ。

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イタリア中部、ウンブリア州にあるフォリーニョで、プリモピアットのフェアーがありました。

フォリーニョは古くから栄えていた都市です。
ローマ時代は、近くにローマからアドリア海に至る街道が通り、15世紀の法王支配下では、その造幣局がおかれていました。
その為、印刷技術も発達、ここにイタリアで最初の印刷所が作られました。
1472年にはここから、有名なダンテの神曲300冊が出版されました。

現在の街の中心部には、中世の記念建築物が多く残り、観光にも力が注がれています。
有名な催し物は、クインターナという馬上競技です。
1613年から1800年代まで続けられたものが戦争などにより中断、1946年に再開されました。
その一部をなす時代行列は、伝統的な衣装をつけた市民の参加による、総勢1000人を超す華麗なものです。
この期間、街の各地区毎に、タベルナという庶民的な食堂が開かれ、伝統的かつ地元名物の料理を楽しむことができます。


クインターナ










この有名な催しが9月の第2日曜日に終わると、パスタのお祭りです。



会場入り口の一つ



”I Primi d’Italia” は全国プリモピアット・フェステイバルで、今年は12回目となります。

9月23日から26日まで開催された催しのプログラムは、単品の試食7種(1種類2.5ユーロ)、数品試食できる地方別は11種類(7.5ユーロ)、有名シェフの試食会(ガエターノ・トロヴァート、マルコ・グッビオッティ、25ユーロ)、スペシャルイベントー11種類。

これらは街の歴史地区すべてに分散されているので、人々はフェスティバルのロケーション地図を片手に食べ歩きすることになります。

単品の試食は、①クリエイティブなレシピのパスタ ②伝統的なパスタ ③ポレンタ ④グルテンフリー ⑤ニョッキとフレッシュパスタ ⑥イタリア統一の料理 ⑦前菜と冷たいプリモ、アペルティーヴォ。

クリエイティブなレシピで試食したのは、ショートパスタをプロシュートコットとオリーブヴェルデの入ったペースト・アッラ・ジェノヴェーゼであえた物。
見かけよりは美味しかったです。

もう一種類は同じくショートパスタをズッキーニ、ニンジン、トマト等のソースであえた物ですが、これは全くバツ。
2.5ユーロ損した気がしました。

ポレンタは、サルチッチャが入りゴルゴンゾーラのような味のするクリームであえてあって、これも良かったです。



パスタ会場の一つ・ポレンタの会場



大失敗したのは、プログラムを見ないで、出会った物を試食してしまった事。
美味しそうな地方のプリモに気が付いたときは 既にお腹が一杯になってしまっていました。

その逃したプリモは、①ピエモンテのリゾット ②ウンブリアのズッパと特産 ③ヌラギとサルデーニャの特産 ④マルケのシーフードパスタ ⑤トスカーナのプリモ ⑥トリフ ⑦山と畑(キノコ、アスパラガスと新鮮な野菜を使ったプリモ)⑧プーリアのオレキエッテと特産 ⑨ヴェネトのリゾットと特産 ⑩ロマーニャのラビオリとストゥリンゴッツィ ⑪ 甘いプリモ。


歴史あるトリンチ宮殿の中庭で開かれたスペシャルベントは、パスタのブティックと名付けられた、高級パスタの市です。
手作りのトルテッリーニやラビオリ、生産量も少ない手作りに近いパスタの店では、工場生産されるパスタの数倍の値がするものが売れていきます。



職人的パスタ



中庭の一部には、珍しい形のパスタが展示され、パスタを使った飾り物も売られています。



パスタのネームカード飾り



ソンブレロ形のパスタ


サン・ジャコモ修道院の中庭は香草と香料の市です。






その他、子供用のミニ料理教室、演芸や音楽のショー、フードアートなど盛沢山。
その上、全国の特産食品を販売する大きなブースもあって、プリモの食べ歩きの締めくくりに、チーズやサラメ、ドルチェなどをタップリ購入してしまう事になります。

パスタ大好き人間にはとても楽しいフェスティバル。来年はプログラムを良く研究してから試食しましょう!



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ポモドーロさんいわく、「試食用の皿にのっていたパスタの量が少なかったので、写真!と思った時にはもう食べ終わっていた」そうです。
肝心のパスタの写真がないのは、そのせいです(笑)。

I PRIMI D'ITALIAのweb pageはこちら


今年のプリーミ・ディタリアの様子







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2010年9月27日月曜日

ジェラートとアイスクリーム

今日は、「イタリア人が愛してやまないメイド・イン・イタリー」シリーズ、その3。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。


今まで、「イタリア人が愛してやまないメイド・イン・イタリー」として、パスタとコーヒーを取り上げてきました。
そして第3弾は、ジェラートです。


Another gelato
フィレンツェで


The Venetian Dream - il gelato
ヴェネチアで


イタリアの路地にジェラートはよく似合いますねえ。

イタリア人は、1人当たり年間約15㎏のジェラートを食べているのだそうです。
(Coldiretti-Eurisko調べ)

総売り上げは50億ユーロに上り、イタリア人の54%が、1週間に最低1回ジェラートを食べます。

ジェラートのフレーバーは約600種類あって、一番人気があるのは、チョコレート。
そして、ヘーゼルナッツ、レモン、ストロベリー、クレーマ、ストラッチャテッラ、ピスタチオの順で続きます。

最近の傾向として、地元の旬の素材や自家栽培のものだけを使ったジェラートや、野菜、花、薬草、スパイスといった自然の素材のフレーバーが増えているのだそうです。


イタリアのジェラートと、アメリカスタイルのアイスクリームは、材料も製法も、基本となる所はだいたい一緒。
大きな違いは、空気の含有量と脂肪分です。
アイスクリームと比べて、ジェラートの方が、空気含有量も脂肪分も、少なくできています。


大量生産されるアイスクリームは、冷やす時にフリーザーで大量の空気を含ませて急速に冷やします。
出来上がった製品の約50%が空気なのだそうです。
一方、ジェラートの空気含有量は20~35%。
空気含有量が少ないということは、濃厚で、舌触りがなめらかで、味や香りが濃く、溶けにくいということ。

アイスクリームはジェラートより乳脂肪分が多く、冷凍庫で長期間保存することができます。
保存期間が短いジェラートは、ジェラテリーアで買って、その場で食べる、という習慣が広まりました。
濃厚だから、コーンにこんもり盛ることが出来て、溶けにくいので、歩きながら食べる、ということも可能。
イタリアでは、ジェラートの総売り上げのうちの60%を、ジェラテリーアのジェラートが占めているのだそうです。



ローマのジェラテリーア・デッラ・パルマ








サン・ジミニャーノのジェラテリーア・ディ・ピアッツァのメロンのジェラート。







同じ店の、オリジナルジェラートの数々。
サン・ジミニャーノのサフランと松の実、香草の“ドルチェアマーロ”、シャンパンとルビーグレープフルーツの“シャンペルモ”、ヴェルナッチャワインのソルベット、10年以上寝かせたヴィンサントと卵の“ヴィンサント・エッグノック”など。









ジェラテリーアって、楽しい商売ですねえ。


ジェラートの話、次回に続きます。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年8月号
「ジェラート」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年8月号に載っています。

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2010年9月24日金曜日

サン・マルツァーノ、その4

サン・マルツァーノの締めくくりは、シェフの話。

『ガンベロ・ロッソ』がサン・マルツァーノ料理のエキスパートとして選んだのは、トッレ・デル・サラチーノのシェフ、ジェンナーロ・エスポージト氏。

トッレ・デル・サラチーノは、ソッレント近くの、ヴィーコ・エクエンセという町にある高級店です。
web pageはこちら

シェフは現在36歳。
彼が作るのは、カンパーニアの風土と伝統をベースにした、洗練されていながらぬくもりを感じる料理で、見えないところでよく考え込まれています。


トッレ・デル・サラチーノ






また、彼は若手シェフのリーダー的存在の一人で、毎年、「フェスタ・ア・ヴィーコ」というイベントも主催しています。
イタリア中から50人以上のシェフがヴィーコ・エクエンセに集まって、3日間にわたって料理を作るというもので、コンクールではなく、純粋に料理することを楽しむためのお祭りです。

イベントの参加者たち



店で使うサン・マルツァーノは、シェフのお父さんが栽培しているそうです。

生のサン・マルツァーノを使った定番の一つが、「トマトのカンディート」。

完熟したサン・マルツァーノの皮をむいて半分に切り、種を取ります。
天板に並べ、タイムと丸ごとのにんにくをのせて塩を振り、80度のオーブンで5時間乾燥させます。

これをどんな料理に仕上げるかと言うと、例えば、トマトのカンディートをムール貝の殻に見立てて、間にムール貝をはさんで、大きな「ムール貝のリピエーノ仕立て」にします。

ムール貝は、殻をナイフで開け、なすのピューレ(オーブンで蒸し焼きにしてからにんにく、オレガノで炒めて塩で調味。裏漉しして急速冷却)、裏漉ししたリコッタ、フルール・ド・セルを詰め、殻を閉じてアルミホイルで包んでから180度のオーブンで3分焼きます。
これを殻から出して4個ずつトマトのカンディートで挟みます。
ソースはバジリコ、松の実、オリーブオイルをすり潰したペースト。

リコッタとなすのピューレを詰めたムール貝のトマトのカンディート添え

食べた人によると、この料理の主役はムール貝ではなく、「スタンディングオペ―ションしたくなるようなトマトとリコッタの絶妙な組み合わせ」なんだそうです。


他に、サン・マルツァーノではないですが、サラダ用のトマトから“トマト水”を作って(裏漉ししてから布で漉して分離させた汁)、ソースにしたり、ゼラチンにして料理に使っています。
ちなみに、トマト水は、イタリア語では“acqua di pomodoro/アックア・ディ・ポモドーロ”。



おまけの動画。
サン・マルツァーノDOPができるまで(音声なし)。









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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2008年8月号
「サン・マルツァーノ」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年8月号に載っています。

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2010年9月21日火曜日

サン・マルツァーノ、その3

サン・マルツァーノの話、その3

一時は消えかかったトマト、サン・マルツァーノ。
それを復活させるきっかけになったのは、なんと日本人なんだそうです。

『ガンベロ・ロッソ』によると、30年以上前のある日、トマト業界のコンサルタントに、日本から、サン・マルツァーノのホールトマトが欲しいという打診がありました。
当時すでに、オリジナルのサン・マルツァーノは栽培されなくなっていました。
けれど、日本側がサン・マルツァーノに相応の金額を支払う姿勢を示すと、カンパーニアのトマト業界は動きだします。

農家の中には、オリジナルのサン・マルツァーノの種を保管しているところがありました。
チリオリサーチセンターには、サン・マルツァーノの生殖質が保管されていました。
これらの手がかりから、サン・マルツァーノ復活の研究がスタートしたのです。

でも、失われたサン・マルツァーノを復活させるのには、時間がかかりました。
さらに、このトマトは、特定の環境に適した品種でした。
つまり、ヴェズヴィオ山のふもとの、ミネラルと有機物を豊富に含んだ土壌と、海に近い塩気を含んだ温暖な気候が必要だったのです。

長い時をかけて試行錯誤が繰り返され、サン・マルツァーノの唯一のDOP製品、サン・マルツァーノ・ディ・アグロ・サルネーゼ・ノチェリーノの管理組合が出来たのは、1999年のことでした。


日本でなく、アメリカあたりが声をかけてもよさそうなものですが、考えてみれば、アメリカは当時は世界一のトマトの生産国。
イタリアとはライバル関係にある訳で、そのあたりに、食品輸入国の日本が、この役割を果たした理由があるのかもしれません。


ところで、サン・マルツァーノ・ディ・アグロ・サルネーゼ・ノチェリーノDOPは、ホールトマトのみです。
生や、カットトマトや、パッサータは、DOPではないのです。
それはどうしてでしょう。

管理組合のサイトには、こう書かれています。

「サン・マルツァーノは、楕円形の、固く実の締まったトマトです。
加工過程で崩れない唯一のトマト、言いかえれば、丸ごとの形を保っているトマトで、言うなれば、缶の中でも生きているのです。
だからこそ、サン・マルツァーノはホールトマトの中でも最高の品質を保つことができるのです」

なるほど、サン・マルツァーノは、生ではなく、カットトマトでもなく、皮むきホールトマトとなって初めて、本領が発揮される訳なんですね。


トマトは、遠く新大陸からヨーロッパに伝わって、イタリアでは、17世紀初めに、パルマ大公のエステ家が、無償で農民に種を配ったことによって、まずその周辺に広まったのだそうです。

サン・マルツァーノという品種が認知されたのは、1902年のこと。
フィアスコーネ、フィアスケッラ、レ・ウンベルトという3種類のトマトを交配させて作られました。
そして20世紀初めには、サン・マルツァーノ村周辺で広く栽培されるようになります。

戦後、ウイルスによって激減。
さらに新種の台頭による消滅の危機。
それが、東の果ての国からの注文をきっかけに、数十年かけて復活。

その歴史は、長いようで意外と短いんですね。


現在、世界一のトマトの生産国は中国なんだそうです。
2005年にイタリアに輸入された中国産のトマトピューレは10万トンというから、驚きますねえ。
これを、イタリア産ピューレとミックスして溶かし、パッサータとして出荷するのだそうです。
イタリアで、トマトのパッサータに、原産州と原産国の表示義務ができたのは2006年のこと。
やはり加工品は、原産地の表示があるかないかが、品質保証のポイントになりますねえ。



おまけの動画です。
1996年のチリオのCM。







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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2008年8月号
「サン・マルツァーノ」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年8月号に載っています。

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2010年9月16日木曜日

サン・マルツァーノ、その2

サン・マルツァーノの話を続けます。

大きく分けると、トマトには、生食用、ホールトマト(皮むきトマト)やソース用、ジュース用があります。

生食用は、丸い形のものが多く、食べる時に完熟するように出荷されます。
色は赤や緑など様々。

ホールトマトやソース用は、楕円形のものが多く、果肉が厚くて種が少なく、色は鮮やかな赤色。

ジュース用は、丸くて果肉が固く、香りの強い品種です。


サン・マルツァーノは、ホールトマトやソース用の最も有名な品種。

日本で知られている外国のトマトの品種としては、一番有名。
というか、これ以外の名前は、スーパーの缶詰売り場ではあまり見ないような・・・。


Bolognese: tomatoes
フランスでも


san marzano
アメリカでも



イタリア産トマトの代名詞のようなサン・マルツァーノ。
実はこのトマト、戦後に、ウイルスによって生産量が激減しました。
さらにその後、病気に強くて機械化に適したハイブリッド種が続々と登場したことによって、ほどんど消滅しかけます。
市場に出回っていたのは、サン・マルツァーノではなく、サン・マルツァーノタイプのトマトだったのです。
それが、あることがきっかけになって保護活動が始まり、30年かけて、サン・マルツァーノは復活しました。


現在、法律によって産地と名前が保障されているサン・マルツァーノの製品は、DOPのホールトマト、1種類のみ。
“サン・マルツァーノ・デル・アグロ・サルネーゼ・ノチェリーノ”と言います。

管理組合のweb page

このホールトマトに使用されている品種は、サン・マルツァーノ2とキロス(旧チリオ3)。
これらを、特定の地域で栽培・加工したものに限られています。

栽培・加工地域はこちら

ナポリからグラニャーノにかけての、ヴェズヴィオ山の麓の東側一帯です。
ちょうどパスタの産地と一致するのが、興味深いですねえ。

名前の由来になったサン・マルツァーノ村は、ヴェズヴィオ山の東側の、サルノとノチェーラの中間にあります。
復活したオリジナルに近いサン・マルツァーノは、この地域以外の場所で栽培しても、本来の美味しさが出ないのだそうです。


もう一つ、DOPではないのですが、スメック20という品種もあります。
こちらは、スローフードが後援食材に認定している品種です。
ホールトマトだけでなく、生食用もあります。

スローフードのサン・マルツァーノ



ちなみに、サン・マルツァーノのハイブリッドの代表的な品種は、“ローマ”。
皮が固いために病気や虫に強く、機械による加工に適した丈夫な品種です。

こんなトマト


サン・マルツァーノの話、次回に続きます。




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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2008年8月号
「サン・マルツァーノ」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年8月号に載っています。

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2010年9月14日火曜日

サン・マルツァーノ、その1

今日はトマトの話。
『ガンベロ・ロッソ』の記事の解説です。

イタリアの料理雑誌では、真夏には必ずトマト特集が組まれます。

「イタリアのトマトの生産量はヨーロッパで最も多く、世界ではアメリカに次いで2位、トマトの加工品の販売量は世界一」
by『ガンベロ・ロッソ』

なのだそうです。

トマトには様々な品種がありますが、用途によって個性がかなり違います。

今回取り上げるのは、「サン・マルツァーノ」。

「加工用トマト」、つまり、缶詰やパッサータにするトマトの中で、最上質と言われているトマトです。


Pomodoro San Marzano dop
サン・マルツァーノDOP


Cardoon Gratin
サン・マルツァーノのコンポート



サン・マルツァーノのホールトマト








なんと驚いたことに、サン・マルツァーノのホールトマトの最上質のものは、日本に輸出されているのだそうです。

カンパーニア地方を代表するシェフの一人、トッレ・デル・サラチーノのジェンナーロ・エスポージト氏は、店で使っているホールトマトのことをこう語っています。

「これは日本向けのサン・マルツァーノなんですよ。
最高品質のサン・マルツァーノです。
これほど良いものは、イタリア国内ではまず手に入りませんよ。
ただし、見て分かるように大きさがバラバラです。
昔なら2級に分類されていたでしょうね」

実は、この短い言葉の中には、サン・マルツァーノの歴史が詰まっています。
いったいなぜ、日本にイタリア国内より上質のサン・マルツァーノが入って来るのか。
そもそも、サン・マルツァーノとは、どんなトマトなのか。
その話は次回に。




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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2008年8月号
「サン・マルツァーノ」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年8月号に載っています。

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2010年9月9日木曜日

イタリア料理の歴史、その3

『L'ITALIANO È SERVITO!』を元に、イタリア料理の歴史を知るシリーズ、前回はイタリアが都市に分裂して発展していった所まででした。
イタリアが輝いていた時代、いわゆるルネサンスですね。

この時代、都市は権力を握った一族によって支配されています。
それらの一族の名前は、料理の分野でもよく登場します。
本に登場したサヴォイア、スフォルツァ、ヴィスコンティ、エステ、ゴンザーガ、メディチは、料理の世界でもよく登場するので、覚えておいて損はありません。

中世のイタリアの町は、どこも壁でがっちりと囲まれていて、町に出入りできる場所は門だけ。
言ってみれば、ちょっとした鎖国状態です。
鎖国時の日本で独特の文化が開花したように、壁で囲まれたイタリアの町の中でも、独特の風習や伝統がはぐくまれていきました。
こうして、様々な個性を持ったイタリア地方料理が誕生します。

ルネサンス後、イタリア料理の歴史はどうなっていったのでしょうか。
それでは、本の続きをどうぞ。



地方

1861年、イタリア王国が誕生します(まだヴェネチアとイタリア北東部は含まれていません)。
トスカーナとローマを除けば、イタリア語を話すのは、人口のわずか2.5%。
各地方には、自分たちの方言、歴史、芸術様式、伝統、そして料理がありました。

現在のイタリアでは、みんなが同じ言葉を話しています。
誰もがサッカーのイタリア代表やフェラーリに熱狂します。
でも、エミリア人に「フィレンツェでもトルテッリーニは美味しい」とか、ナポリ人に「ミラノでもピッツァは美味しい」とは言わないでください。
イタリア人は、今でも伝統料理にこだわりがあるのです。
スーパーやパン屋に並んだパンの名前を見ても、それはよく分かります。
パーネ・ディ・アルタムーラ(プーリアの町)、パーネ・フェッラレーゼ、パニョッティーネ・マントヴァーネ、パーネ・トスカーノ、パーネ・カラザウ・デッラ・サルデーニャ・・・、といった具合なのです。


イタリア料理は存在する?

答えはノーであり、イエスです。
イタリア全国に共通のイタリア料理は存在しません。
もし、パレルモのレストランで、ローマやトリノのレストランと同じ料理が出てきたら、イタリア人は死んでしまいます。
イタリア人は、イタリア料理は望んでいないのです。
イタリア人が望むのは、「彼らの」料理、つまり彼らの町の料理であり、彼らの地方の料理なのです。

でも、イタリア料理は存在します。
イタリア人も、カンパーニアのバッティパーリアに行けば水牛のモッツァレッラを買い、バーリに行けば“チーメ・ディ・ラパのオレッキエッテ”を注文し、ボローニャでは“トルテッリーニ”、サルデーニャでは“ポルチェッドゥ”(炭火で焼いた乳飲み子豚)を注文するのです。





イタリア料理の歴史の話は、ここでひとまず終わっています。

「イタリア料理とは、地方料理の総合体である」という結論ですね。

どの料理も、たどっていけば、必ずどこかの町や地方に行きつく、それがイタリア料理だ、という訳です。


本では、この後、各地の食材名の違いについて説明しています。


“ブランジーノbranzino”(スズキ)は、イタリアの沿岸部ではよく知られた美味しい魚です。
でも、サルデーニャやナポリでは、メニューにブランジーノという名前は見かけません。
実は、ティレニア海沿岸では、スズキは“スピーゴラspigola”と呼ばれているのです。
他にも、ヴェネチアではシャコ(チカーレ・ディ・マーレcicale di mare)は“カノーチェcanocie”、または共通語化して“カノッキエcanocchie”、小ダコ(polpetti)は“フォルペーティfolpeti”、といった具合です。

これは観光客にとってはかなり厄介なことですが、やはりイタリア人にとっても厄介です。

イタリアには、何世紀にも渡るモザイクのような歴史があります。
港ごと、町ごと、地域ごとに方言があって、料理や食材についても、方言で語ってきたのです。
また、イタリア人は地元の伝統料理に執着する傾向があります。
こだわりは、食材や調理方法だけでなく、名前にも及んでいます。





このように、この本では、ジョークを交えながら、比較的分かりやすいイタリア語で、イタリア料理が語られていきます。

次の章は、「水とワイン、オイルとビネガー、塩とこしょう」。
そして「パン」、「サルーミの前菜」、「魚の前菜」と続いていきます。
どの章もなかなか面白い内容なので、おいおいご紹介していく予定です。



『L'ITALIANO È SERVITO!』
著者/Maria Voltolina
出版社/Guerra Edizioni
価格/3,500円(税込・送料込)


近々販売予定です。
クレアパッソで予約受付中。
お問い合わせは、info@creapasso.comまでどうぞ。



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2010年9月6日月曜日

イタリア料理の歴史、その2

『L'ITALIANO È SERVITO!』から、イタリア料理の歴史について書かれた部分のご紹介、その2です。

前回は、イタリア料理のルーツは、ケルト、ラテン、ギリシャの3つの文化だ、という話でした。
確かにこれは、イタリア料理は地方料理の集まりで、1つではない理由を、ずばり説明しています。

イタリアと日本は、縦長の海に囲まれた地形や緯度など、地理的に比較的似ています。
でも、日本の食文化では、北はバターと肉、南はオリーブオイルと野菜、といった大きな違いは見られません。
イタリアではなぜ、地方ごとにこんなにも食文化が違うのでしょうか。
それを説明するためにも、イタリア料理の歴史は、ローマ料理以前から始めなくてはなりません。

ケルトとは、ブリテン諸島からドナウ河一帯の中央ヨーロッパに勢力を広めた民族です。
イギリスやフランスの歴史でも、ケルトの文化は主要な存在でした。
ちなみに、スコットランドのサッカーチームの名前、セルティックは、「ケルト人」という意味。

イタリアから見ると、ケルトは北からやってきました。
彼らは、紀元前400年頃、ミラノ、ヴェローナ、アンコーナなどパダナ平野(ポー河流域)に定着します。
紀元前387年にはローマに侵略し、町をほぼ壊滅状態にしています。

ラテンは、後のローマ文明のルーツです。
青銅器時代にイタリアにやってきて、イタリア中部を本拠地として発展しました。

ギリシャは、ローマ建設とほぼ同じ頃、シチリアやイタリア半島南部に都市を築きました。


ケルト、ラテン、ギリシャ、この3つの文明の食文化は、イタリア北部、中部、南部に、それぞれ定着します。
外からやってきた異なる民族。
そのそれぞれの食文化が、イタリアの地方料理のルーツなんですねえ。
もし日本でも、北、中、南で異なる民族が住みついていたら、個性的な地方料理が生まれていたかもしれません。


そしてローマ時代。
ラテンを元祖とするローマは、イタリア中部から領土を拡大して、地中海とヨーロッパを手中に収めました。
でも、ローマに支配された国々には、どこもみなローマ料理が広まったでしょうか?
確かに少なからず影響は与えたでしょうが、各国の食文化が大きく変わることはなかったはずです。
北イタリアでも、その食文化が完全にローマ化することはありませんでした。

逆に、ローマには各地から食材や食文化が入ってきました。
帝国拡大の影響をもっとも多く受けたのは、ローマの食文化だったのです。

やがて、余りにも巨大になったローマ帝国は、西と東に分裂します。
イタリア中部が帝国に及ぼす影響力は、どんどん小さくなっていきました。


以下は『L'ITALIANO È SERVITO!』から。


当時知られていた世界を統一し、各地からの産物と食文化をイタリアにもたらしたローマ帝国は、約1,600年前に崩壊しました。
イタリアは、極貧状態になります。
人口は減少し、ゲルマン人や近隣からの侵略を受けて、村や町は、自分たちで戦わなくてはなりませんでした。


コムーネ

悲惨な貧困の時代は、約500年間続きました。
その後、いくつかの町でゆっくりと再建が始まります。
地中海地域では商取引が行われるようになり、商品の輸送と人の移動が再び始まりました。
こうして“コムーネ”が誕生します。
コムーネとは、住民の集会によって統治される自律的な都市のことです。
各都市は、近隣の都市に吸収されないように、防御を固めました。
軍事的防御(どのコムーネも、壁、塔、門で守られていました)だけでなく、文化的にもです。
コムーネごとに個性が強調され、祭りや伝統、そして料理も、各町ごとに特色のあるものが生まれます。


シニョリーア

1300~1400年頃、コムーネの中でも力のある都市は、小さなコムーネを吸収して、一つの地方としての勢力を持つようになります。
こうして、市民による民主制の時代は終わり、いくつかの一族がコムーネを支配するようになります。
血なまぐさい内乱の後、大きなコムーネは一つの一族が権力を握り、権力は世襲されるようになりました。
トリノのサヴォイア、ミラノのスフォルツァとヴィスコンティ、フェッラーラのエステ、マントヴァのゴンザーガ、フィレンツェのメディチなどが主なシニョリーアです。

そんな中でも、例外が3つあります。
ヴェネチアは、共和政を千年続けました。
ローマと中部イタリアの一部は、ローマ教皇領として残ります。
南部は、ノルマン人が支配し、さらにアラゴン王国、スペインと支配者が変わりました。

地方ごとに分裂したイタリアは、地方同士で戦いを繰り返しました。
当時のイタリアは、長く続いた古代ローマの後で、最も輝いていた時代です。
イタリアのシニョリーア制の都市は、ヨーロッパと地中海で強大な権力を誇りました。
それぞれが自立していて、ただ言語と文化だけが共通でした。
この時代に、イタリア地方料理の基礎ができます。





イタリア料理の歴史、次回に続きます。




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2010年9月2日木曜日

イタリア料理の歴史、その1

今日は本の話。

クレアパッソで近日中に販売予定の『L'ITALIANO È SERVITO!』という本をご紹介します。


『L'ITALIANO È SERVITO!』
著者/Maria Voltolina
出版社/Guerra Edizioni
価格/3,500円(税込・送料込)


この本、副題は、「外国人のための料理で覚えるイタリア語」。

外国人にイタリアの様々な文化を紹介しながら、ついでにイタリア語も覚えてしまいましょう、というユニークなシリーズの一冊です。
料理のほかには、「美術史で覚える」、「歴史で覚える」、「地理で覚える」などがあります。

内容は、外国人向けにイタリア料理や食文化を教えるテキストブックといったところ。
写真も比較的豊富で、写真だけ眺めているのも楽しいかもしれません。
ただし、内容は全てイタリア語です。
勉強しようと言う気がないと、イタリア語初心者には読むのは少し難しいでしょう。
逆に、イタリア語の教材として使うには最適です。


内容は、まず、調理器具の写真と、そのイタリア語名のページから始まります。
次は、調理方法とそのイタリア語。

そしてその次が、イタリア料理の歴史です。

なかなか興味深い内容なので、この部分をざっと訳してみます。

日本では、イタリア料理の歴史と言うと、古代ローマ料理から始めることが多いようですが、この本ではこう説明しています。


イタリアは、何世紀にも渡って、北ヨーロッパや(小)アジア、地中海諸国から侵略を受けてきました。
それらの国々は、イタリアにその習慣や言語を伝え、さらに野菜や果物、家畜を伝えました。
その結果、イタリア料理には二つの世界が共存するようになったのです。
一つは北ヨーロッパと(小)アジア。
そしてもう一つは地中海世界です。


ケルト料理

魚は少し、豚肉はたっぷり、オイルは少し、バターはたっぷり。
これがケルト人の料理の特徴です。

彼らは、紀元前5~6世紀にイタリアに侵入し、ローマまで侵略してから北に戻っていきました。
その間に、マルケ、パダナ平野、フランス、イギリスの一部を占領しています。

ケルト人は遊牧民で、家畜をつれて移動しました。
牛は荷物を引かせたり、乳を搾り、豚は全ての部位を食べて、さらに燻製や塩漬けにして保存しました。

彼らが使う油脂は動物性、つまり牛乳から作ったバターや、豚の脂身の“ラルド”です。
植物性の油脂は、使ったとしてもわずかで、主にひまわりの種などから取っていました。
一般的な酒は発酵させた小麦から造ったもので、とても軽いビールの一種でした。


地中海料理

イタリア南部はギリシャ人が征服し、イタリア中部はラテン人の文明が発展しました。
2つは違う文明ですが、料理はとてもよく似ています。

ギリシャ・ラテン文化圏でも、牛は荷車を引いたり、畑を耕すのに用いられ、乳牛からは乳を搾りました。
牛肉を食べるのは、神に捧げものをする特別な時だけで、神へは焼いた骨と脂身を捧げ、人間はローストした肉を食べたのでした。

食用にした肉は、羊です。
そして魚も食べました。
ただ、量は少しです。
その代わり、野菜をたっぷり食べました。
アメリカ大陸が発見されるまで、じゃがいも、ピーマン、トマトといった野菜はなかったということも忘れてはいけません。

豚は、ケルト人の侵略以来、イタリア全土で知られていました。
しかし、イタリア中部と南部は暑すぎて、豚肉の安全な保存には不向きでした。

バターは知られておらず、調理にはオリーブオイルを使いました。
地中海沿岸には野生のぶどうが生えていて、一般的な酒はワインでした。
ラテン人が“自分たちの海”と呼んだ地中海は、あらゆる果物や野菜をもたらし、イタリア料理を豊かなものにしました。


二つの世界の融合

2千年以上たった現在でも、イタリア料理は、二つの世界の融合から成り立っています。
南部、特にシチリアの料理には、ここにアラブの影響が加わりました。

さらに現在では、各種のインターナショナル料理も入ってきました。
ヌーヴェル・キュイジーヌ、ファースト・フード、オリエンタル料理など様々です。
けれど、他の西洋諸国と違って、イタリアでは、これらの食文化はいつまでたってもどこかよそ者の扱いです。




イタリア料理の歴史の話、次回に続きます。



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2010年8月30日月曜日

フィレンツェの老舗カフェ

今日はフィレンツェのカフェの話。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。

この記事で、「イタリアの老舗カフェ」として紹介されている8軒のうちの3軒が、フィレンツェのレプッブリカ広場(共和国広場)にある店。

レプップリカ広場は町の中心部にあって、周囲を建物に囲まれた長方形をしています。
フィレンツェはイタリア王国の首都だったことがあるのですが(1865~1871)、その当時、現在の姿に整備されました。
歴史や芸術の香りが漂うドゥオモ広場やシニョリーア広場と違って、レプッブリカ広場は商業スペースとして多くの人々を集めています。

フィレンツェを訪れた人なら、多分一度はこの広場に足を踏み入れたことがあるのでは。
しかも、この中のどこかのカフェで一服したことがある人も多いはず。


ピアッツァ・デッラ・レプッブリカ Piazza della Repubblica






この広場の老舗カフェの1つが、パスコフスキ Paszkowski。
1846年にビアホールとして開業し、ほどなくして、現在のようなライブ演奏も行うカフェとなります。
内装は20世紀初頭の雰囲気。
1991年に国の文化財に指定されています。

hpはこちら


Paszkowski restaurant



この日の演奏はサンタナのコピー。







2軒目のジュッベ・ロッセ Le Giubbe Rosseは、1897年に、ドイツビール製造業者のライニングハウス兄弟が始めた店。
カメリエーレがウイーン風の赤い上着(ジュッベ・ロッセ)を着ていたところから、言いにくい外国語の正式名ではなく、「ジュッベ・ロッセの店」という呼び方が広まったんだとか。

1913年にフィレンツェの未来派の本拠地に選ばれて以来、著名な文化人の集まる場所として有名。
文学的なイベントの会場にもなっていて、討論会や本の紹介イベントなどがよく開かれています。

hpはこちら








そしてもう1軒は、ジッリ Gilli。
記事では、「もっとも上流志向の店」と紹介しています。
確かに、お値段も上流志向。
1733年に別の場所で開業して、1920年代に現在の場所に移転。
フィレンツェで唯一のベルエポックスタイルの店。

hpはこちら


Firenze


Valentine in Florence
バレンタインのケーキ




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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年8月号
「コーヒー」の記事は総合解説'07&'08年8月号に載っています。

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2010年8月27日金曜日

魚のフリットのナンバー1の店

ガンベロ・ロッソが選ぶベスト10シリーズ、前回のフリットナンバー1の店に続いて、今日は2位に選ばれた店の紹介です。

1位はピエモンテ風フリットミストの店で、肉と内臓のオンパレードでしたが、2位は魚のフリット。


2位に選ばれたのは、ダ・ヴィットーリオ Da Vittorio。

ミシュランで3つ星の店ですねえ。
ベルガモ県(ロンバルディア)のブルーザポルトという町にあります。
海のない町の、魚料理が自慢の超高級店の料理がナンバー2とは、ある意味、ガンベロ・ロッソの好みが強く出てますね。

店のhpはこちら

hpによると、店は1966年創業。
創業者は先代のヴィットーリオとブルーナ・チェレーア夫妻で、当時から魚料理を出す店でした。
1970年にはミシュランで1つ目の星がついています。
夫妻には子供が5人いて、長男のエンリコ(通称キッコ)が現シェフ。
ロベルトもシェフ。
フランチェスコはソムリエ。
ロゼッラはホテルとレストランの接客。
バルバラはベルガモ・アルタにあるパスティッチェリーア経営。



Second Generation Family Business - Personal Impressions
店のエントランス。
グランドピアノの上に飾ってあるのはチェレーア家の写真。



Empty Dining Room
店内




魚のフリットゥーラ



インタビューに答えるエリンコの動画。
土曜の夜は110席が埋まるそうで、繁盛してますねえ。
料理を始めたのは7、8歳の時。
お薦めの自慢料理はフラゴリーネ・ディ・マーレ(小型のイイダコ)・アル・ヴェルデ、ベルガモ風ポレンタ添え。







次の動画は、ダ・ヴィットーリオの春のメニュー。
ズッキーニのロワイヤル
じゃがいものクリームと頬肉の煮込み
アスパラガスとスクアックエローネ(フレッシュチーズ)のオルゾット(大麦のリゾット)
ヒラメと子牛の頭肉のテリーヌ
クレーマ・ブリュレ、ピエタチオのクリームとスプーマ・アマーラ、自家製ピッコラ・パスティッチェリーア








ちなみに、ダ・ヴィットーリオは高級店過ぎて手が出ない、という人には、第3位の店はどうでしょうか。

「最高のヴェネチアの海の幸のフリットを出す店」と評された、ヴェネチアのアル・コーヴォ Al Covo。

hpはこちら

“地元の魚と甲殻類のグラン・フリット”
“モエケのフリット”
などがお薦め。

フリットの写真はこちらのページに。
美味しそう!



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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2008年7月号
「フリット、ベスト10」の解説は、「総合解説」'07&'08年7月号に載っています。

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