2009年3月30日月曜日

ボッリート・ミスト

今日はボッリート・ミストの話。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』と『サーレ・エ・ペペ』の解説です。

ピエモンテなど北イタリアでおなじみの肉料理、ボッリート・ミスト。

牛、子牛、豚、鶏などの様々な部位を、香味野菜と一緒に長時間ゆでた料理。

こう言うと、ポトフみたいなものか、なんて思ったりもしますが、ピエモンテのレストランでこの料理がサービスされている様子を見ると、「あーここは肉食の国だったんだ」、ということを痛感します。
とにかく肉、肉、肉!
軽い気持ちで注文すると、後で泣く羽目に。



一人前はこの量!
ランゲ地方の南の端にあるカッルーという町の、オステリーア・デル・ボルゴ(hp)のボッリート・ミスト。






こちらもカッルーのトラットリーア・ヴァシェッロ・ドーロのボッリート・ミスト。
なんとボッリート・ミストの前に生肉の前菜食べてますよ!
1:50あたりにワゴンが登場します。
デカンターレしたワイン、飲みたくなりますねー。






オステリーア・デル・ボルゴのhpによると、この店は“グラン・ボッリート・ミスト”がスペチャリタ。
ピエモンテではただのボッリート・ミストではなくて、“グラン・ボッリート・ミスト”と呼ぶんでしたね。
一年中出しているそうです。

肉は7つの部位、サルサも7種類と、伝統のリチェッタをきっちりと守っていますねえ。
牛肉はピエモンテ牛だそうですよ。

リチェッタは、

材料/6人分
 牛かたばら・・300g
 牛そとばら・・300g
 牛すね肉・・300g
 牛頭肉・・300g
 牛舌・・1本
 牛尾
 サルシッチャ(多分)
 セロリ・・2本
 ポロねぎ・・1本
 にんじん・・1本
 ローズマリー・・1枝
 ローリエ

1.大鍋に水と塩適量を入れて沸騰させ、肉を入れる。
2.最低2時間ゆでて柔らかいものから取り出す。頭肉が一番時間がかかる。


サルサ・ヴェルデ
材料
 プレッツェーモロ・・1把
 にんにく・・1~2片
 アンチョビー・・2枚
 ケッパー
 ゆで卵の黄身・・2個
 ビネガーに浸したパンのクラム
 塩・・少々
 オリーブオイル

オリーブオイル以外の材料を一緒に刻み、オイルを加える。




見事なまでに牛肉、牛肉、牛肉!
野菜も食べないと~。
お勧めのワインは地元のドルチェット・ディ・ドリアーニ。



お口直しに、おまけの動画でもどうぞ。
でも、ボッリート・ミストとも、イタリアとも何の関係ありませ~ん。
去年日本で話題になった話がイタリアでも伝えられているのをたまたま見つけたもので。
タヴェルナ・ジャッポネーゼの「お猿のカメリエーレ」だって。





宇都宮の居酒屋「かやぶき」のやっちゃんとふくちゃんだそうです。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』、『サーレ・エ・ぺぺ』、'06年12月号(クレアパッソで販売中)
“ボッリート”と“ボッリート・ミスト”の解説とリチェッタは、「総合解説」'06&'07年12月号、P.17とP.21に載っています。


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5 件のコメント:

Vittorio さんのコメント...

わかります、量がハンパじゃないのは。
私は大食いなので、とても嬉しかったです、

ヴェローナのイベント会場の仕事の時、近くのトラットリアに、オーナーが夕食を予約してくれた時にボッリト·ミストが出てきました。

パティシェール達は『肉、ハァ~、ベルドゥーラ コッタが食べた~い』と、イタリア女性でも無理かも

オーナーに断って私もついでに赤ワインを頼んだら、イタリアの方には珍しく無口な

ルイジが『ヴィト、アルコールは明日にひびくよ、明日、俺のアシスタントなんだよ、この肉をいっぱい食べて、いっぱい寝て、明日たのむよ』

パティシェールが『そうだよ、ヴィトが明日、失敗したらルイジも失敗したことになるんだよ、来年クープドゥモンドも控えているかも知れないだからね、わかった?』

私『イオ ノン カピィースコ イタリアーノ』

みんな(笑)

パティ『ふざけないで』

私『わかったよ、飲みません、そういえば、来年のクープドゥモンド日本代表決まったみたいです』

みんな『誰?』

私『杉野さんと安藤さんとヴィトさん』

パティ『ふざけないで、ヴィトは今、イタリア側なんだよ』

みんな『そうだよ』

パティ『私のボッリートミストも食べていいから』

ルイジ『無理して食べないで、明日があるから』

私『大丈夫だよ、これだけ食べちゃうよ、フォーク取って、』

パティ『……』

私『フォーク取·っ·て』

パティ『イオ ノン カピィースコ イタリアーノ』

みんな笑ってました。

もう一度、イタリアでボッリートミストをビールか赤ワインでゆっくり食べてみたいです。

いつも携帯から失礼しているので、パソコンが出来る機会があったら、動画も拝見したいです。素人の私にはイタリア語をカタカナにするのは難しいです。

ちなみに91年のクープドゥモンドは日本が優勝しました、

ルイジいわく、『ピエスモンテなどは、俺なら型にはめて作っちゃうんだけど、彼達は竹串を箸にして、一粒、一粒、作ってた、凄い』と言ってました、でもいつかは、日本にはないセンスを持っているルイジ達が優勝することを信じてました。

prezzemolo さんのコメント...

Vittorioさん
わーヴィトさんて、あの人だったんですかー!
お菓子の世界には疎い私でも、超ビックリですよー。
イタリアでおばさんたちと一緒にトルテッリーニ作っていたこともあるなんて、色んなことやったんですねえ。

イベントの前日はアルコールも控えめにするとは、大変な世界ですね。
ルイジさんも、最強の助っ人に二日酔いになられちゃ困りますもんね。
ボッリート・ミストで相当体力つけさせて、っていうのも笑えます。
コンクールで優勝するには、体力だけでなく、洗練されたセンスも必要だし、心臓に毛が生えてないとだめだろうなあ。
ヴィトさんのすごい所は、世界中どこでも色んな人たちと一緒に充実した仕事ができることですねー。

Vittorio さんのコメント...

当時、ルイジに最高のアシスタントと言われたのは事実なんですが、冗談で日本代表の一人を、私の名前に置き換えただけなんです、

パティシエールが私にだけよくからかって来たので、可愛いシニョリーナだったんですけど、かなりしつこいイタズラが多くて、私も

私『パティ、アランチャータ飲みな、ここに置いとくね』

パティ『どうしたの?やさしいね』

しばらくして

パティ『プゥゥーオェーゴホンゴホン』
仕返しにそのイベント会場で頂いた塩を入れたんです、

そのまま、パティとは夕食までもつれて、クープドゥモンドの冗談話になったんです。

イタリアに来たきっかけは、NiceのMOFのお店で働かせてもらってた時に、イタリア人オーナーからスカウトされて、料理人としてコートダジュールの三ツ星店に決まってたんですが、イタリアもいいなぁ~って軽い気持ちでした、私もおっちょこちょいなので、vantimigliaだから近いやーっと思っていたのですが、MOFのオーナーに『ユーゴスラビアの女性には気を付けな』っと、私は『え?』、vantimigliaではなくて、Veneziaだったんです、『遠~いよ、マドーーンナ』って感じでしたね

イタリアから89年のパティシエ世界チャンピオンにスカウトされてアルザスの彼のお店に働かせてもらってた時に、

日本の機器メーカーからオファーが来て、最初はおことわりしたのですが、料理人とパティシエどちらも出来る条件でお受けしたんです、

料理人の私は休業して、93年のクープドゥモンドの日本予選に出場する予定でした、

自信はありました。
パティシエ皆さんは技術面はあまり変わらないと思うのですが、prezzemoloさんがおしゃっるように、精神的な部分だけだと思います。

いきなり社長が会社の事情があって洋菓子協会には入らないと言い出して出場出来なかったんです。
それからパティシエ専属はやめて、料理人も両立する仕事を選んで、再度ヨーロッパに行きました、
私は店を出して13年目に入ります。

ただの田舎のオヤジです、

日本で仕事をすると、国民性で料理が少しずつ変わってしまいます、prezzemoloさんのブログを拝見していると、『これだよねぇ~イタリア料理は』と忘れてたものが復活してしまったんです。面白い出来事がいっぱいありました。

prezzemolo さんのコメント...

Vittorioさん
あっまた早とちりしちゃいました~。
それにしてもアランチャータに塩って、子供みたいなイタズラしますねー(笑)
いったいどんなイタズラの仕返しだったのか・・・。
すごく楽しい職場だったんですね。

Vittorio さんのコメント...

イタズラは、ちょうどサッカーのワールドカップがイタリアで開催されていて、日本はまだ出ていなかったんですが、イベント会場に出場国の国旗ワッペンが売っていたんです。

パティは私のコックコートの肩の所に韓国国旗のワッペンを内緒で貼り付けたんものですから、

韓国のお客さんが何組かよってきて『アニヨセヨ???』

私『え???』韓国語で結構しゃべってこられ、韓国語全然できないんで、それで韓国のお客さんに肩のワッペンのことを教えてもらって


私『あーーパティ、てめー』

パティ『ししししし』って感じでした。
おっしゃるように、二人とも子供でしょうもなかったんです(^~^)。

バッカラはノルウェーとイタリアを結ぶ干物貿易の主役で、この航路は1450年作成の世界地図にも記載されるほど重要でした。

(CIR12月号)によると、ヴィチェンツァでは、この料理はCが1つなんだそうです。普通はバッカラはbaccalàでも、ヴィツェンツァでは、Cがひとつのバカラ。んなばかな、と思ったけど、地元のこの料理の専門家たちは、C一つで呼んでました。会の名前の刺繍もC一つ。リチェッタはP.11...