2008年12月29日月曜日

ナポリの渋い伝統料理

ナポリ料理の話、今日もちょっと続けます。
『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事の解説です。

この記事には、あまり聞いたことのないディープなナポリ料理の名前が色々出てきます。
そこで、それらの料理の写真を探してみました。
でもさすがにディープ過ぎて、今では家庭では滅多に作らなくなった料理も多く、写真もちょっとしかないですねー。

■スカッリオッツィ scagliozzi (白いとうもろこしの粉のフリット。ナポリでポレンタと言うのはなんだか意外)
multiplayer.it

■ミネストラ・マリタータ minestra maritata (野菜、豚肉、豚の干し肉入りスープ。昔は祝日に食べるご馳走でした。マリタータとは“混ぜ合わせた”という意味)
chefdanielepriori.it

■マッケローニ・アッラ・ジェノヴェーゼ maccheroni alla genovese (15世紀末にジェノヴァ出身の料理人が考え出した料理とか、19世紀にジェノヴェーゼという名前の料理人が考え出した、など諸説ある。玉ねぎたっぷりで肉はちょっとのラグーをかけたパスタ)
carlocapone.altervista.org

■パッラ・ディ・ノーラ palla di Nora (大型サラミ)
cgi.ebay.it

■サラーメ・ムニャーノ・デル・カルディナーレ salame Mugnalo del Cardinale (ムニャーノ・デル・カルディナーレというアヴェッリーノ郊外の町のサラミ)
sito.regione.campania.it



マッケローニ・アッラ・ジェノヴェーゼは、ジェノヴァと言う名前でもナポリ料理。
ラグーをかけたパスタのことなんですが、このラグー、『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事によると、「玉ねぎが3/4で肉が1/4」。
つまり、たーっぷりの玉ねぎを、肉、サラミ、香味野菜、トマトペーストなどと一緒に5時間ぐらい煮込んだラグーです。
そして記事にもある通り、ナポリの庶民のラグーは、ラグーと言う名前でも「肉の姿は見えない」わけで、当然、肉は取り出してセコンドピアットに。
こんな料理を出しているレストランがまだナポリにはあるので、マッケローニ・アッラ・ジェノヴェーゼに出会ったら、ぜひお試しを。



今年のブログはここまで。
今年も楽しく書いてこれました。
コメントも、ありがとうございます!
とても励みになります。
また来年もよろしくお願いしますねー。

皆様、よいお年をお迎えくださ~い。
そしてまた来年、イタリア料理ほんやく三昧に、遊びに来てくださいませませ。
お待ちしておりますよん。



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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2007年10月号
“ナポリ”の記事の解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.28に載っています。


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2008年12月26日金曜日

100年前のナポリ

今日は昔のナポリの話。
『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事の解説です。

ナポリの料理とレストランを紹介する『クチーナ・エ・ヴィーニ』のこの記事に、こんな文章があります。

19世紀後半の有名な写真家兄弟、フラテッリ・アリナーリの写真には、100年前のナポリの路地で、大きな鍋から手づかみでスパゲッティを高く取り出して、皿に盛っている男の姿を写したものがある。
彼らは“マッケロナーロ”と呼ばれた。
ナポリの庶民は、チーズを軽くかけたゆでたてのパスタを彼らから買って、家の戸口で、麺を人差し指と親指でつまんで食べた。
貧しいストリートフードだ。
しかし、市民の顔は明るく、惨めさは全くない。
マッケロナーロは、まるでトロフィーのようにスパゲッティを高く掲げている。
貧しくても自分たちを憐れむ気持ちはみじんもなく、必要最低限のものがあれば十分だという心意気は、ナポリと食べ物の関係をよく表している。



その写真は、たぶんこれです。
 ↓
flickr.com

ちょっと衝撃的ですね~。

同じフラテッリ・アリナーリの写真で、こんなのもあります。
 ↓
napoliontheroad.it

こうやって路上でパスタを売って、それを手づかみで食べるというのは、19世紀末から20世紀初めにかけての南イタリアでは、別に珍しいことではありませんでした。

でも、なんだか食べにくそう。
spaghettitaliani.com

flickr.com

endlesssimmer.com


当時はイタリア中の広場や路上で、さまざまな人が店を出して商売をしていたそうです。
靴磨き、散髪屋さんやパーマ屋さんなどは想像つきますが、すごいのが牛乳屋さん。
なんと牛を連れていて、注文があったらその場で搾ってたんだそうですよ。
これがその写真。
 ↓
handprints.alinari.it

これもアリナーリの有名な写真、ナポリのフルーツ売り。
 ↓
shopping24.ilsole24ore.com


100年前のイタリアの様々な働く人々の姿を写したアリナーリの写真はこちら。
 ↓
handprints.alinari.it


フラテッリ・アリナーリ Fratelli Alinari とは、1852年にアリナーリ3兄弟がフィレンツェで始めたイタリアで最初の写真館で、現在も様々なメディアで活動を続けています。

フィレンツェのアリナーリ国立写真博物館
 ↓
mnaf.it



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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2007年10月号
“ナポリ~料理とレストランガイド”の記事は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.28に載っています。


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2008年12月24日水曜日

カチョカヴァッロ・ラグザーノとカミッレーリ

今日はラグザーノの話、その2。


ラグザーノDOP
 ↓
andreagraziano.wordpress.com

ラグザーノができるまで
 ↓
www.comune.ragusa.it


シチリアの牛乳のチーズ、ラグザーノDOPは、いわゆる“とろけるチーズ”で、カチョカヴァッロの一種。
とろけるチーズを使う料理にこのラグザーノを使えば、あっという間にシチリア風やラグーザ風の一品になる、という訳ですね。

とろけるチーズを使う料理と言うと、たとえば、アランチーニやなすのパルミジャーナなどにこのチーズを使っているリチェッタもあります。
古いリチェッタでは、スライスして溶き卵をつけて油で揚げる、なんていうのもあります。
前菜や食後の一品として食べるのも一般的。


有名シェフでは、ラグーザ・イプラのリストランテ・ドゥオモのシェフ、チッチョ・スルターノ氏は、さすがに地元だけあって、ラグザーノを使った様々な料理を出しています。

店のhpはこちら。
 ↓
ristoranteduomo.it


ラグーザ出身で、カターネ・パレス・ホテルのレストラン、イル・クチニエーレ(hpはこちら)のシェフ、カルメロ・キアラモンテ氏は、ラグザーノのメーカーが出した料理書にリチェッタを提供しています。

こんな本。
 ↓
vigata.org


この本には、イタリアの有名ミステリー作家、アンドレア・カミッレーリ氏が書いたカチョカヴァッロにまつわるエッセイも収録されています。

彼は、日本でも2冊出版されているモンタルバーノ警部シリーズで有名。
モンタルバーノ警部-悲しきバイオリン

イタリアではテレビシリーズにもなっているベストセラーで、以前、このブログでも取り上げたことがあります(こちら)。

シリチア料理に造詣の深いグルメとしても知られるカミッレーリ氏は、1925年にアグリジェント郊外の町で生まれています。
こんな人。
 ↓
flickr.com
 
その彼、カチョカヴァッロにはこんな思い出がありました・・・。


5歳の時のこと、ある朝私がマンガを読んでいると、母親から、「ナポリ人の店に行ってカチョカヴァッロを100g買ってきて」と使いを命じられた。
当時私の町では、食料品店はすべて「ナポリ人の店」と呼ばれていた。
彼らが皆ナポリ風のアクセントで話していたからなのだが、実際のところは、サレルノかアマルフィのなまりだったのかもしれない。
また、当時はまだ、100gのことを「ウン・エット」と呼ぶ習慣はなく、「チェント・グランミ」と呼んでいた。
「エット」は私がもっと大人になってから、「民主主義」や「共和国」、「投票」、プレゼーピオに取って代わった「クリスマスツリー」などと一緒に入ってきた言葉だ。

その時の私は、カチョカヴァッロなんて全然食べたくなかった。
そのカヴァッロ(馬)という名前から、私は馬肉の切り身を想像した。
しかも血が滴って皮も付いている生肉を。
カチョカヴァッロがチーズのことだとは知らなかったのだ。
父は「普通のチーズだよ」、と言いなだめるのだが、そんなのウソだと思った。
チーズは山羊や牛のお乳から作るもので、馬のお乳のチーズなんて、見たことない!
結局、母の命令に逆い通すことは難しく、私は憂鬱な気分でナポリ人の店に向かったのだった。

店で渡された包みを人気のない路地を通って家まで持って帰るのは、ちょっと怖かった。
私はふと立ち止まり、包みを開いて中の香りをかいでみた。
それは確かにチーズの香りだった。
しかもおいしいチーズの香りだった。
馬肉を想像させるものは何もない。
そこで私は思い切った行動に出た。
ちょっとなめてみたのだ。
少しピリッとしたが、おいしかった。

その日、母はカチョカヴァッロをテーブルに出した。
そしてなんと、父と二人で食べてしまった。
「えっ、僕の分は!?」
・・・・・。


小学2年生の時のこと、父がラグザーノを丸ごと一個持って帰ったことがあった。
当時一家は田舎の家で数ヶ月過ごしていて、私は彫刻を造ることに夢中になっていた。
ラグザーノが半分の大きさになったとき、私はこれを馬の形に彫ってちょっとした作品に仕立てることを思いついた。
まず一片を切り取って長方形にし、さらに四角にし、そして三角にし・・・。
出来はなかなかだった。

その晩、削りカスだけが残ったカチョカヴァッロの姿を見た父は怒り出した。
「誰がやったんだ」
「僕が馬の置物を作ってみたんだ」
「それはどうした」
「庭のベンチの上に飾ったよ」

翌朝、私の作品はなくなっていた。
絶望して泣き出した私に、母は、「きっとネズミが食べちゃったのよ」と言った。
だが、私は確信していた。
食べたのはネズミじゃない。
父さんだ!




イタリアの子供は、カチョカヴァッロと聞くと、やっぱり馬を想像するんですね。
大先生も昔は可愛かったんだなあ。
もちろん、カチョカヴァッロのカヴァッロは馬という意味ではなく、“またがる a cavallo ”という意味。
チーズ(カーチョ)を熟成させる時に、棒にまたがるようにチーズをかけて吊るしたことからついた名前ですよね。
馬のミルクのチーズではありません。
念のため(笑)。



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関連誌;『ア・ターヴォラ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“ラグザーノ”の記事の解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.323に載っています。


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2008年12月22日月曜日

ラグザーノ

今日もチーズの話。
前回はイタリアの北の端、アルト・アディジェのチーズでしたが、今度は南の端のシチリアのチーズ。
『ア・ターヴォラ』の記事の解説です。

シチリアには、DOPチーズ(産地が法律で定められているチーズ)が2つあります。
ペコリーノ・シチリアーノとラグザーノです。
今回取り上げるのは、ラグザーノ ragusano 。

元々はカチョカヴァッロ・ラグザーノと呼ばれていた歴史の古いチーズで、1996年にDOPになった時に、カチョカヴァッロが取れて、“ラグザーノ”という名前が公式名称となりました。
よく、「シチリアで一番古いチーズ」と言われます。

原料は牛乳で、モッツァレッラなどと同じパスタ・フィラータタイプのセミハードチーズ。
シチリア南東部のイブレイ山地のふもと、ラグーザ県全域とシラクーザ県南部で作られています。


Paesaggio Ragusano
ラグーザの風景, photo by Sebastiano Pitruzzello


前回取り上げたカルブルーは、典型的なチロル地方の風景の中で作られているチーズでしたが、このラグザーノは、いかにもシチリアンな風景の中で作られていますねえ。
出来上がったチーズも、やっぱりシチリア的。
こんな姿をしています。
 ↓
deliziedelpalato.it

1個10~16kgと大型で、形は無骨な長方形。


下の動画には、ラグザーノを作る過程が少しだけ出てきます。
作り方を簡単に説明すると、まず牛乳を固めて柔らかいチーズになったらスライスし、お湯に入れて休ませます。
これを練ってまとめ、大きな長方形に型押し。
仕上げは真ん中をひもで結び、天井に渡した梁から吊るして熟成させます。






司会の人、古代ギリシャ人も知っていた古いチーズで、シチリアの交易品の一つだった、と言っていますね。
かつてラグザーノは、モディカ牛のミルクから作られていました。
モディカ牛のミルクのチーズは、シチリアのチーズの中でも特に美味しいことで知られていたそうです。
ところが、シチリアの農業の不振などから飼育数が減少してしまい、現在のラグザーノは、100%モディカ牛のミルクから作られている訳ではありません。
現在はシチリア州やラグーザ県、スローフードなどもバックアップして、モディカ牛復活の道が模索されている最中。

モディカ牛でなくても、ラグザーノは、イブレオ高原の牧草を食べた牛のミルクから作られます。
しかも古い道具を使った昔ながらの作り方をしているので、北イタリアのチーズとはまた違った、シチリアならではの個性を持ったチーズになります。


中央にひもで縛った後が残っているのがこのチーズの特徴。
天井から大きな塊がいくつもぶら下がっているラグザーノの熟成室は、なかなか壮観です。
こんな様子。
 ↓
cicciapausi.it

熟成期間は3ヶ月から10ヶ月以上。
若いうちは甘さが感じられ、熟成が進むにつれて辛口になります。
『ア・ターヴォラ』には、「最上質のものは最低8ヶ月寝かせる」とあります。


ラグザーノの話、今日はここまて。
次回は、ラグザーノを使った料理の話です。



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関連誌;『ア・ターヴォラ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“ラグザーノ”の記事の解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.23に載っています。


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2008年12月19日金曜日

アルト・アディジェのチーズ、カルブルー

今日はチーズの話。
『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事の解説です。

南チロル地方のレストラン、シューネック schöneck のシェフ、カール・パウムガルトナー氏が、『クチーナ・エ・ヴィーニ』で、なかなかおもしろいコースメニューを披露しています。
店のhpはこちら

コースの最後の一品、つまりデザートが、カルブルー CaRuBlù というチーズ。

こんなチーズです。
 ↓
tommasofarina.com/images/carublu

レストランのあるプステリーア渓谷の、デグストというチーズ屋さんが作っている牛乳のブルーチーズで、カカオとラム酒をこねた生地で覆って熟成させるのが特徴。

店のhpはこちら。
 ↓
degust.com/it.html


このカルブルー、hpの商品説明によると、チョコレートのような強い香りとトースト香があり、甘さとほろ苦さのある複雑な味。
熟成は2~3ヶ月。
1個1.6kg。
お勧めのワインは、ポルト酒かラム酒。


シューネックのシェフは、このチーズに蜂蜜をかけ、ココアパウダーとラム酒入りのチョコレートパンを添えて、デザートに仕立てています。

こんな一品。

カルブルーのカッルーベの蜂蜜がけ、チョコレートパン添え
カルブルーのカッルーベ(イナゴ豆)の蜂蜜がけ、チョコレートパン添え


デグストでは、カルブルーのようなオリジナルのチーズの他にも、様々なチーズを熟成させています。
こちらのページは店の商品の一部。
 ↓
degust.com/it/galerie

どれもおいしそうですねえ。
事前にアポイントを取れば、ガイド付きで試食もできます。


実は、シューネックのシェフと、デグストの経営者は名字が一緒。
もしや?と思って調べてみたら、やっぱり兄弟でした。
チーズと料理とは、なかなかおもしろい分野を選んだ兄弟だなあ。


プステリーア渓谷はこんな場所。
おいしいチーズができそう~。





今日のおまけ。
「プステリーア渓谷の乳牛」というタイトルの動画があったから、どんな牛かと思って見てみたら・・・。







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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2007年10月号
カール・パウムガルトナーシェフのリチェッタは、「総合解説」'06&'07年10月号、P.18に載っています。


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2008年12月17日水曜日

コトレッタとラデツキー将軍

今日も、コトレッタ・アッラ・ミラネーゼにまつわる話。
『ア・ターヴォラ』の記事の解説です。

コトレッタ・アッラ・ミラネーゼの話をする時によく引き合いに出されるのが、ウィンナーシュニッツェル


Wiener Schnitzel
ウィンナーシュニッツェル, photo by Januschka


そしてウィンナーシュニッツェルの話が出ると必ず登場するのが、ラデツキー将軍

たいていは、「オーストリアのラデツキー将軍がミラノでコトレッタを食べて気に入り、ウイーンに伝えた」という話。
実際、この2つの料理にどんな関係があるのか、イタリア人もオーストリア人も、本当のことは知らないわけですが・・・。


で、このラデツキー将軍て、誰?

日本語のwikiにはこう書いてあります。
 ↓
ja.wikipedia.org


あれ、ウインナーシュニッツェルは「ナポリから持ち帰ったカツレツ」ということになってますねー。
まあそれはともかく、この人物、オーストリア軍の将軍で、音楽の世界では、ヨハン・シュトラウスの『ラデツキー行進曲』でよく知られる人。
日本でも毎年TV中継されているウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで、アンコールに演奏される、あの曲ですねー。


2008年のニューイヤーコンサートでのラデツキー行進曲





この曲、1848年に、ラデツキー将軍を讃えて作られたわけなんですが、なんで讃えたのかと言うと、実は、当時オーストリアが支配していた北イタリアで起こった独立運動を、この将軍が抑え込んだからなんですねー。

1815年のウィーン会議によって、ロンバルディアと旧ヴェネチア共和国の領土は、ロンバルド=ヴェネト王国となり、オーストリア皇帝が王座について、オーストリアの属国となりました。
1831年に、このロンバルド=ヴェネト王国の司令官に任命されたのが、ラデツキー。
1848年には、ロンバルド=ヴェネト王国の副王になっています。
きっと、独立運動鎮圧の働きが評価されたんでしょうねえ。

オーストリアから見れば、歴史に残る名曲が生まれてしまうほどの英雄でも、当時のイタリアからすれば、あくまでも自由を奪う占領軍。
オーストリアの支配からの独立を求める戦いは、かなり激しいものでした。
特に1848年は、ヨーロッパ各地で蜂起が起こってウィーン体制が崩壊へと向かった「1848年革命」の年。

ミラノでも、3月にはオーストリアからの独立が宣言されました。
それを受けてラデツキーの軍はミラノに攻め込むのですが、最初は破れてしまいます。
その勝利に活気づくイタリア軍、そしてヨーロッパ各地で起こる反乱の嵐。
ああオーストリアは、もはやこれまでか~。
と思っていた時、ラデツキーが部隊を補強して再登場し、8月にはミラノを再び取り返してしまいます。
さすがにこりゃあ、母国では英雄となるわけですねー。


ミラノの支配者として君臨していれば、コトレッタ・アッラ・ミラネーゼを食べる機会は、きっとたくさんあったはず。
そしてかなり気にいったようで、そのレシピを事細かに手紙に書き記した・・・。
というのが、よく知られている話。
その手紙、今はどこにあるのかなあ。


結局、ラデツキーは引退後もミラノに留まりました。
そして1858年に、ミラノで亡くなりました。
91歳でした。

翌年の1859年、サルデーニャ王国の首相カブール(後のイタリアの初代首相)が、フランス軍と同盟を結んでオーストリアと戦い、オーストリアはミラノを失います。
そしてその2年後の1861年、統一国家としてのイタリア王国の誕生が宣言されます。


もうすぐ年末、そして新年。
2009年のニューイヤーコンサートでも、きっとラデツキー行進曲が演奏されるんでしょうねえ。
陽気な曲、なんて思って聞いてたけど、当時のミラノの人は、いったいどんな思いでこの曲を聞いたのか・・・。
あー、今度コトレッタ・アッラ・ミラネーゼかウィンナーシュニッツェルを見たら、ラデツキー将軍のことを思い出してしまうかも~。



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関連誌;『ア・ターヴォラ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ”の記事の解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.12に載っています。


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2008年12月15日月曜日

ミラノのサヴィーニ

今日は、コトレッタ・アッラ・ミラネーゼにまつわる話。
『ア・ターヴォラ』の記事の解説です。


Cotoletta alla milanese
ザウィーニのコトレッタ・アッラ・ミラネーゼ, Fugu Tabetai


『ア・ターヴォラ』の記事、“コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ”は、この料理にまつわる様々な話題を取り上げています。
その中の一つが、ミラノのガッレリーアの中にある有名レストラン、サヴィーニの話。

サヴィーニは、1867年開業の老舗で、一時は一世を風靡した有名店でした。
記事にはこんな風に書いてあります。、

「1950年代から70年代にかけて、ミラノで一番スノッブ、とみなされていたのが、スカラ座でオペラを観て、その後にサヴィーニやピッフィで、コトレッタやリゾット・アッラ・ミラネーゼ(またはリゾット・アル・サルト)を食べることだった・・・」

スカラ座の黄金期も、1950年代から60年代にかけて。
サヴィーニとスカラ座は、切っても切れない関係にあったようですね。


こんな話も・・・。
「サヴィーニは、ふたりの有名ソプラノ歌手、レナータ・テバルディとマリア・カラスの女の戦いの舞台にもなった・・・」

マリア・カラスとレナータ・テバルディは、20世紀後半のイタリアオペラ界を代表する歌手。
カラスは、1950年にテバルディの代役としてスカラ座に立ったことが、一種のメジャーデビューでした。
その後、ルキーノ・ヴィスコンティが演出したオペラによって、歌だけでなく演技にも開眼し、「20世紀最高のソプラノ歌手」として羽ばたいていきます。
これに反発したのが、すでに人気者だったテバルディのファンや一部の批評家。
カラスに対してアンチ活動を行って、その結果世間では、二人はライバル、と言われるようになったのだそうです。


マリア・カラスの才能を開花させたルキーノ・ヴィスコンティは、有名映画監督で、オペラの演出家としても一流で、イタリアの超名門ヴィスコンティ家出身の伯爵で、高貴なルックス(そして誰もが知る美少年好き)。
こんな人なら、女子はみ~んな憧れちゃいますよねえ。
マリア・カラスもヴィスコンティにぞっこんだったとか・・・。
夫(30歳年上!)がいたのに、惚れちゃったらしい。
サヴィーニで、ヴィスコンティと二人で食事なんかしたんでしょうか。
妄想は広がる・・・。


マリア・カラスとヴィスコンティが一緒にインタビューを受けている動画


Morte a Venezia
ヴィスコンティの代表作の一つ、『ヴェニスに死す』の一場面
photo by kairin simo



こんな華やかで退廃的な社交界の舞台だったサヴィーニ。
さぞかし当時は輝いていたんでしょうね。

その後、時と共にサヴィーニの名声は急降下。
華やかなりし日々の記憶も、昔話や伝説の中でしか語られなくなってしまいました。

『ア・ターヴォラ』の記事には、「もうサヴィーニは存在しない」とはっきり書いてあるのですが、実は、まだサヴィーニはガッレリーアにあります。
ただし、記事が書かれた数ヶ月後の2007年の夏に、経営者もシェフも外見も店の方針も、すべて変わりました。

サヴィーニは過去10年間、トゥーリン・ホテルズというグループが所有していました。
トリノのパレス・ホテルを始めとする数々の高級ホテルを所有し、トリノの有名店、カンビオも所有している多国籍企業です。
そのトゥーリン・ホテルズに代わって新しい所有者となったのが、ミラノで3軒のカフェを経営するマルコ・ガット氏。
シチリアのアグリジェント出身で、1974年にミラノにやってきて叩き上げでのし上がった人。
「かつてのサヴィーニの栄光を取り戻したい」と、強い意欲を見せています。

今から1年前に店が再開した日は、スカラ座の初日と同じ12月7日。
新しいシェフは、クリスチャン・マグリ氏。
アイモ・エ・ナディアなどで腕をふるっていた人だそうです。
1年たった今、どんな店になっているのでしょうか・・・。
ガッレリーアという場所だけに、きっとすでに日本人で行ったことのある人も大勢いるんだろうなあ。
ちなみに、一番上のサヴィーニのコトレッタの写真は、2008年5月の撮影です。

サヴィーニのhpはこちら



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ”の記事は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.12に載っています。


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2008年12月12日金曜日

牛肉のブラザート

今日は牛肉のブラザートのリチェッタ編。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

ピエモンテの名物料理の一つ、バローロのブラザートは、正確には、“牛肉のブラザート、バローロ風味”とでも言うのでしょうか。
イタリア語では、Brasato al Barolo 。


A complete dish
このブラザート、付け合わせはきのこのソテーと定番のポレンタ, photo by Sara Maternini


Brasato al vino
ブラザート後, photo by Sara Maternini



バローロのブラザートの簡単な作り方の動画を1つご紹介。




材料は指をさしている順に
セロリ、塩、こしょう、クローブ、ナツメグ、牛肉、ローリエ、にんじん、玉ねぎ、バローロ

・にんじんはスティック状に切り、セロリは小口切り。玉ねぎは4つに切ってクローブを刺す。
・肉に野菜、こしょう、ナツメグを加えてバローロで覆い、蓋をして12時間マリネする。
・鍋にたっぷりのバターとローリエを熱し、肉を入れて数分焼く。
・野菜とマリネ液を加えて肉を8割がた覆い、塩をする。
・蓋をしてことことと2時間30分煮る。
・煮汁をハンディーミキサーで攪拌する。
・肉をスライスして煮汁をかける。



牛肉のブラザートの基本は、
肉を野菜とワインで長時間マリネし、肉を油で焼いてから野菜とワインを加えてじっくり煮る。
肉を繊維に垂直にスライスし、煮汁は裏漉ししてサルサに。


次は、アンニバーレ・マストロッディというローマの肉屋さんが、ブラザートに最適の部位とリチェッタを説明している動画。
肉は出てきますが料理は出てきません。





この肉屋さんお勧めの部位は、大きな塊のキアーナ牛の肩肉。
フィレンツェではコペルティーナ、北イタリアではカッペッロ・デル・プレーテと呼ばれている部位。
つまり、かたロースとかたばらを切り取った後のうで肉です。
ブラザートの作り方は、最初の動画のものとほぼ一緒ですが、一つだけ違うのは、肉にラルドを刺し込んでラルデッラーレしていること。


バローロ以外にも、様々なワインを使えますよね。

こちらはアマローネのブラザート Brasato all'amarone 。
abbuffone.it

肉はバターとラルドで焼いています。


そしてロッソ・ディ・モンタルチーノのブラザート Brasato al rosso di Montalcino 。
cookaround.com

・マリネ液はジュニパー、黒粒こしょう、クローブを刺した玉ねぎ、ローリエ、ロッソ・ディ・モンタルチーノ。
・肉は糸で縛る。マリネ時間は24時間。
・肉をバター、ローズマリー、タイムで焼き、粗く切った玉ねぎ、セロリ、にんじんを加えて数分炒める。
・マリネ液(漉す)をかけて塩を加え、とろ火で約3時間煮込む。
・肉を取り出し、アルミ箔で包んで保温する。
・煮汁を漉して野菜を別にし、煮汁にバターを加えてつなぐ。
・肉をスライスして煮汁をかける。付け合わせはポレンタと煮た野菜



すね肉もブラザートに適した部位。
でも、肩やもも肉とはリチェッタが違います。

これは豚のすね肉のブラザート。
 ↓
cookaround.com

マリネはせず、ブロード・ディ・カルネとトマトペーストを加えて煮ています。
ちなみに、『ラ・クチーナ・イタリアーナ』では、子牛のすね肉をオーブンでブラザーレするリチェッタを紹介しています。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
バローロのブラザートとすね肉のプラザートのリチェッタは、「総合解説」'06&'07年10月号、P.9~11に載っています。


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2008年12月10日水曜日

ブラザートとストゥファート

今日はブラザートの話。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。


brasato al barolo con fiori di purè, spinaci alla piemontese e cavolfiore gratinato
バローロのブラザート, photo by Silvio


記事によると、ブラザート brasato は、イタリア語で「炭」という意味の“ブラーチェ brace ”の古い呼び方、“ブラーザ brasa ”が語源だとか。
つまり、炭火でことこと煮込む料理をイメージすればいいわけですね。
暖炉で燃える炭の上に鍋をのせて、鍋の蓋にも炭を少量のせて、時間をかけて肉を煮込んでいく・・・、そんな料理。
ただし、煮る前に肉の表面を焼いてカラメッラーレするので、肉としての存在感もしっかり残っています。

イタリア語には、「煮込み」という意味でよく使われる言葉が他にもあります。
“ストゥファート stufato ”、“ストラコット stracotto ”、“ラグー ragù ”などですが、代表的なのはストゥファート。
ストゥファートの語源は、ストーブという意味の“ストゥーファ stufa ”。

ストゥファートとブラザートは、どこが違うんでしようか。

実は、この問題を考え出すと、あっという間に出口のない迷宮にはまりこんでします。
イタリアでも色んな意見があります。
ストゥファートは野菜を炒めないがブラザートは炒める、とか、ストゥファートには野菜を加えないがブラザートにはたっぷり加える、とか・・・。

「ストゥファートには野菜を加えない」、という説は意外と有力で、野菜を加えないためにストゥファートはブラザートより煮汁が濃く、色も黒い、という説明もよく目にします。


Guangialino stufato e polenta
2つ星店アンバッシャータの“頬肉のストゥファート”, photo by Sara Maternini
確かに、上のバローロのブラザートと比べると、煮汁が濃いかも・・・。


煮込み料理というと、日本の場合はシチューのような料理をイメージしませんか?
英語の“シチュー stew ”は、イタリア語に訳すとストゥファートや“ウミド umido ”。
ウミドとは、ストゥファートもブラザートも全部含めて、「煮た料理」という意味です。
日本のシチューとストゥファートの大きな違いは、日本のシチューはルーでつなぐのに対して、ストゥファートは必ずしもつなぎを加えないということ。
日本のシチューは、イタリア語なら“スペッツァティーノ spezzatino ”ですかね。


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一口大に切った肉を煮込むのがスペッツァティーノ, photo by Raphaela


ちなみにブラザートを英伊辞典で調べたら、英語では“ポットロースト pot roast ”と訳すのだそうです。


ブラザートとストゥファート、イタリアでもその違いは曖昧で、はっきりした答えはないようです。
野菜がたっぷり入っていてもストゥファートと名乗っている料理もあれば、キャベツのストゥファート、など野菜のストゥファートもあります。
ブラザートも、魚や野菜に「~のブラザート」と名付けた料理はよくあります。
要は、名前をつける人のセンス次第、ということでしょうか。
もちろん、バローロのブラザートはあくまでもブラザートで、バローロのストゥファートとは呼びたくない!


野菜のストゥファートやブラザートは、肉の場合とは調理方法が異なります。
その一例。
“アスパラガスのブラザート asparagi brasati ”という料理の動画です。
1.7kgのアスパラガスを隙間ができないサイズの鍋に入れ、水1カップ、塩少々でブラザーレしています。
煮汁にはオリーブオイル、塩、レモン汁を加えて混ぜ、これをアスパラガスにかけます。





次回はブラザートのリチェッタの話です。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“基本のチェッタシリーズ~ブラザート”の日本語訳は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.9に載っています。


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2008年12月8日月曜日

ナポリのじゃがいものガットー

今日はナポリ料理の話。
『サーレ&ペペ』の記事の解説です。

今回取り上げるナポリ料理は、じゃがいものガットー gattò di patate 。

これ、ガトー gateau じゃないですから。
あくまでも、ガットーですから。

こんな料理です。
kucinare.it
ricettedicucinamoderna.blogspot.com
gennarino.org


ゆでて潰したじゃがいもに、バター、牛乳、おろしチーズ、卵、生ハムの小角切り、プレッツェーモロなどを加えて濃いピューレにし、間にプローヴォラやモッツァレッラをはさみながら型に詰めて、パン粉を散らして焼いたじゃがいものケーキです。
とても家庭的な一品で、イタリアのあちこちのブログで自慢のガットーが紹介されています。


ガットーって、なんだか微妙になまってるなあと前々から思っていたのですが、『サーレ&ペペ』の記事を読んで、なるほど、そうだったのか!と納得しましたよー。
どうやらこの名前、広めたのはイッポリート・カヴァルカンティのようですね。

イッポリート・カヴァルカンティ Ippolito Cavalcanti 。
この人は、1787年ナポリ生まれの文人、かつ料理研究家で、ブオンビチーノ公という称号の貴族でした。
探してみたら、ブオンビチーノという名前の村がカラプリアにありました。
この村の領主だったのかどうかは知りませんが、ブオンビチーノ家は、ナポリにやってくる前はフィレンツェとカラブリアに領地を持つ一族だったそうです。

イッポリート・カヴァルカンティは、ナポリ料理の本としてはとても権威のある歴史的な本、『クチーナ・テオリコ・プラティコ(理論的、実践的料理)』(1837年初版)の著者として有名で、イタリア料理の歴史の中では重要な人物。

この本は19世紀のナポリ料理をシンプルな言葉で解説した本で、貴族向けのイタリア語の章と、平民向けのナポリ方言の章とで構成されています。
方言で書くというのは当時としては珍しいことでした。
彼は普段から、「貴族の義務」というものを大切に思っていた人だったそうで、貴族の間に広まっているおいしい料理を庶民にも伝えたい、という純粋な使命感からこの本を書いたのかもしれません。

中世からイタリアが統一されるまでの間、ナポリでは主にフランス人とスペイン人の王が交互に誕生しては消えていく状態を繰り返していました。
そして19世紀前半当時、貴族の間で流行していた料理というのがフランス風の料理です。
カヴァルカンティは、普段は標準イタリア語でさえ話さず、ましてやフランス語などほとんど理解しない庶民に、フランス風の料理を分かりやすく紹介しようとしたわけです。
そこで考えだしたのが、フランス語の発音をイタリア語にあてはめたオリジナルのネーミング。


この単語をイタリア語風にすると、どうなると思いますか?

charlotte
gratin
céleri
gateau

カヴァルカンティが考えた言葉は、

チャルロッタ
グラッテ
セッレーリ
ガットー


ずいぶん愛情あふれる経緯で生まれたネーミングだったんですねえ。
そう思って見てみると、「じゃがいものガットー」って、なまってるところが味があっていいかも・・・。
ナポリ料理の店で、“ gattò di patate ”というメニューを、ガトーじゃなくてガットーと読む人がいたら、きっとなかなかの通ですよん。



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関連誌;『サーレ&ペペ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“じゃがいものガットー”の記事の日本語解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.5に載っています。


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2008年12月5日金曜日

レ・カランドレ

パドヴァの話、その5。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

今日は、パドヴァから8㎞離れたルバーノという町にあるミシュランの三ツ星レストランの話です。

その店は、レ・カランドレ Le Calandre 。
hpはこちら。
calandre.com
東京にも支店があります。

ちなみに、2009年版ミシュラン・イタリアの3つ星店は、イル・ソッリーゾ、ダル・ペスカトーレ、エノテーカ・ピンキオッリ、ラ・ペルゴラ、そしてこのレ・カランドレの5軒。


Filetto impanato ma non cucinato

分厚い生の牛肉のカルパッチョに揚げたパン粉をまぶしたレ・カランドレの一品。
サルサは卵とビーツの汁がベースでスパイス入り
photo by Renée S.


レ・カランドレのシェフは、マッシミリアーノ・アライモ氏。
彼の話をする時は、その年齢が必ず話題に上ります。
とにかく若い!

今から7年前の2001年、マッシミリアーノ氏が『ア・ターヴォラ』に登場した時には、こんな風に紹介されていました。

・・・・・・

レ・カランドレのシェフ、マッシミリアーノ・アライモ氏、通商マックスは、26歳の若さにしてミシュランで2つ星が与えられているイタリアでただ一人のシェフだ。
しかも一つ目の星がついた時も新記録で、その時はわずか18歳だった。

アライモ家は4代に渡って飲食業を営んできた。
マックスの兄のラッファエーレ(2001年当時33歳)もレ・カランドレでサービスを担当し、店を繁盛させる原動力となった母親のリタ・キメットは、現在はパスティッチェリーアを受け持っている。
さらにマックスの婚約者はスー・シェフの妹で、ソムリエはアライモ兄弟の従妹と結婚することになっている。

リタの父親のヴィットリオはビアホールを経営していた。
そこでカメリエーレとして働いていたのが、リタの夫となったエルミニオ・アライモだ。
ヴィットリオは1960年代にアウロラというホテル・レストランを始めた。
子供たちも店を手伝っていたが、やがて長男のジョヴァンニが独立してリストランテを開き、エルミニオもその店に移る。
67年にはエルミニオがジョヴァンニから店を引き継ぎ、彼は81年まで店の経営を続けた。
この店はミシュランでは星が一つついていた。

リタの兄弟たちは次々と独立し、ヴィットリオが始めたアウロラには、リタの兄が一人だけ残っていた。
ある日、リタとエルミニオはその兄から、一人ではこれ以上続けられないので店を手放したい、と打ち明けられる。
二人は思いとどまるように説得し、リタが料理人としてアウロラで働くことになった。
それが1979年のこと。
2年後、兄はアウロラの経営から手を引き、エルミニオはそれまでやっていた店をやめて、リタと一緒にアウロアを引き継いだ。

この店がやがて、リストランテ・レ・カランドレとなる。
レ・カランドレとは、南イタリアに生息する茶色い羽根のヒバリの一種だが、あまり深い意味はないようだ。
経営コンサルタントから店名候補を5つあげてもらって、その中から一番響きのよいこの名前を選んだ、とリタは言う。

リタの直観的な感性は、息子のアライモにも受け継がれている。
彼のことをモーツァルトのようだと言った人がいるが、頭の中で鳴っている音をそのまま楽譜にしてしまうモーツァルトのように、彼も素材の香りをかいだ時に、出来上がる料理の味をイメージすることができるのだ。

彼はこう語る。
「たとえば牛肉なら、生肉を味見するだけでは足りません。
産地がどこで、どんな香草を食べて育ったかを知る必要があります。
そしてそれと同じ香草を料理に使うんです。
私は何年もずっとこうやってきました。
牛も子牛も、地元ヴェネトで有機飼料で育てられたものを使っています。
卸業者も信頼できる人で、彼の息子は一時ここで働いていたこともありました。
料理の成功は食材の質次第と信じていますが、最高のものに決まりはありません。
日本人のシェフが店に勉強にやってくると、ビックリすることがあります。
私たちなら捨ててしまうコウイカのくちばしやヒラメのひれを、しょうゆとしょうがに漬けて、片栗粉をつけて揚げたりするんです。
勉強になりますよ・・・」

マックスは小学生の頃から料理人になりたいと思っていた。
料理人以外の職業は考えられなかった。
パドヴァのホテル学校に通い、15歳でトレンティーノ地方のレストランに見習いとして入り、18歳の夏には初めてフランスの三ツ星店で修行した。
22歳の時にJeunes Restaurateurs d'Europe(ヨーロッパの若手オーナーシェフの団体)に加入を申請して、24歳からだと断られたというエピソードもある。

レ・カランドレに隣接するパスティッチェリーア、イル・カランドリーノは、リタの王国だ。
店では朝の7時から夜中まで、天然酵母を使った無添加のドルチェを焼いている。
さらに、ブラッセリー、ワインバー、ジェラテリーアを兼ねたバール・リストランテ、イル・カランドリーノもある。
ここで販売しているジェラートもリタの作ったもの。
ランチタイムにはレ・カランドレの軽食を味わうこともできる。
道の反対側には、ア・ヴィットリオという高級食材店がある。
ヴィットリオの店なら、“ダ・ヴィットリオ”だが、祖父のヴィットリオは95年に他界したため、彼にささげるという意味の“ア・ヴィットリオ”にしたのだという。

・・・・・


三ツ星になったのは、この記事の2年後のこと。
記事でも言っていますが、彼の感性と表現力は本当に素晴らしい!
ただ、残念ながら私は彼の料理を食べたことがないので、味のことはなんとも言えませんが。
店のhpを見る限りでは、ア・ヴィットリオはイン・グレディエンティという名前に変わったようですね。


彼はこんな人。





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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
レ・カランドレの話もちらっと出てくる“グルメ紀行~パドヴァ”の日本語解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.2に載っています。


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2008年12月3日水曜日

ガッリーナ・パドヴァーナとガッリーナ・ポルヴェラーラ

パドヴァの話、その4。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

今日は鶏の話。
記事でも紹介していますが、パドヴァには、ガッリーナ・パドヴァーナ gallina padovana と、ガッリーナ・ポルヴェラーラ gallina polverara という、数の少ない貴重な品種の鶏がいます。

ガッリーナ・パドヴァーナは、なんといってもその姿が超個性的。
一度見たら目が釘付けになります。

全身がもこもこのタイプ
頭がふさふさのタイプ
連獅子タイプ
白黒タイプ
鷹の羽タイプ

ここまでゴージャスな姿だと、食べる気にならないですねえ。
実際、観賞用としても飼育されているようです。
優しくて人懐こい性格なんだそうですよ。
飼う時は、羽根のお手入れなどもこまめに必要。
それでも敢えて食べてしまう人もいるわけで・・・。
肉は脂肪が少なく、かなりデリケートな味なんだとか。
雉やホロホロ鳥に似ているそうです。

昔からイタリアで飼育されている品種ですが、原産地は不明で、14世紀にポーランドからパドヴァに伝わったとか、オランダ産だとか、最初からイタリアにいたとか、諸説あります。
19世紀ごろから数が減り始め、一時は絶滅寸前まで行きました。
現在は厳しい規定の下で飼育されていて、一羽につき最低4㎡の広さが必要。


そしてこちらはガッリーナ・ポルヴェラーラ。

黒いタイプ
白いタイプ

なかなか精悍な姿をしています。
ポルヴェラーラはパドヴァのやや東にある町。
この鶏も原産地については色々説がありますが、ポーランドから伝わったガッリーナ・パドヴァーナの元祖を地元の半野生の鶏と掛け合わせたもの、という説が有力です。

実際、この鶏は野生の血を濃く残していて、飼う時は放し飼い。
木の枝で寝るのだとか。
肉はデリケートな味。


ガッリーナ・パドヴァーナもポルヴェラーラも、代表的な料理は、ガッリーナ・アッラ・カネヴラ。
丸鶏を袋や豚の膀胱に入れて、直接湯に触れないようにしてゆでる一品です。
デリケートな味の鶏にはぴったりの調理方法ですね。

ポルヴェラーラ市のガッリーナ・ポルヴェラーラのサイトで紹介されているリチェッタをどうぞ。
原文と写真はこちら

ガッリーナ・アッラ・カネヴラ/LA GALLINA ALLA CANEVRA

 鶏・・1羽(2.5kg)
 オリーブオイル・・50cc
 にんにく・・1片
 こしょう
 好みのスパイス
 にんじん・・1本
 玉ねぎ・・小1個
 セロリ・・1本
 レモンのくし切り・・1片

・全部の材料を鶏に詰める。
・鶏をオーブン用の袋に入れる。竹の細長い小片も入れ、蒸気穴になるように竹をはみ出せて袋の口を閉じる。
・湯に入れて約4時間ゆでる。
・ホースラディッシュとサルサ・ヴェルデを添える。



ガッリーナ・パドヴァーナもガッリーナ・ポルヴェラーラも数が少ない鶏なので、パドヴァに行ったら要チェックですね。


次はパドヴァ近郊の三ツ星レストランの話です。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“グルメ紀行~パドヴァ”の日本語解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.2に載っています。


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2008年12月1日月曜日

パドヴァのカフェ・ペドロッキとスプリッツ

パドヴァの話、その3。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

パドヴァの有名なカフェというと、老舗のペドロッキ。
店のhpはこちら


PADUA (12)
カフェには見えない外観, photo by Mario


I leoni del Caffé Pedrocchi
ライオンまでいます, photo by Fabiana Vernero


Caffè Pedrocchi
店内, photo by Matteo Riondato


PADUA (14)
グランドピアノも, photo by Mario


店は1831年に建てられたもので、ネオクラッシコ(新古典)様式。
こちらのページで見たい場所をクリックすると、店内の写真を見ることができます。

ゴージャスなインテリアと共に有名なのが、カフェ・ペドロッキというコーヒー。
コーヒーの上に冷たいミントクリームを浮かべてココアパウダーを散らしたもの。


Caffé Pedrocchi
カフェ・ペドロッキ, photo by Mike Scoltock


様々な種類がある店の飲み物の写真はこちら


そしてもう一つ有名なのが、ザバイオーネ。
これ、“ザバイオーネ・スタンダール”という名前です。
店の飲み物の写真の中にもありますが、外見はごく普通のザバイオーネ。
これがどうして有名かと言うと、フランスの作家スタンダールが、ペドロッキのザバイオーネを絶賛した、という話が世間に広まっているからなんですねー。

噂にはかなり尾ひれがついて、彼の代表作『パルムの僧院』の中に、ペドロッキのザバイオーネが出てくる、なんて話にまでなっているようです。
実際に『パルムの僧院』を読んでペドロッキのザバイオーネがどんな風に出てくるか探そうとする人のためにアドバイスしておきますが、ペドロッキのザバイオーネの話は確かに出てきますが、本文の中ではありませんよ~。
出てくるのは、小説の前の序文の中ですから。
しかも、別に絶賛はしていません。
「パドヴァでお世話になった人が、ペドロッキのザバイオーネをご馳走してくれた」程度の内容です。

でもまあ、パドヴァのペドロッキに行ったら、カフェ・ペドロッキとザバイオーネ・スタンダールは要チェックですね。


カフェと言えば、パドヴァに限らず、ヴェネト地方には、スプリッツ spritz というポピュラーな食前酒がありますよね。
辛口白ワインやスプマンテ、炭酸水やガス入りミネラルウオーター、アルコール飲料という組み合わせのこの食前酒、バリエーションは地方によって様々。
wikiにはワイン40%、炭酸水30%、アルコール飲料30%が一般的、と書いてあります。
アルコール飲料は、カンパリ、アペロー(アペロール)など。
これにレモンやオレンジの輪切り、オリーブ、氷などを加えます。


アペロー・スプリッツの作り方(スプマンテバージョン)




カンパリ・スプリッツの作り方(白ワインバージョン)





Spritz, the Venetian aperitif
オーソドックスなヴェネチア風スプリッツ, photo by Filippo


Spritz Campari& Aperlo con Oliva
カンパリ入りとアペロー入り, photo by Ona Riisgaard


spritz e crostini
スプリッツとクロスティーニ, Stefania


local delicacies
ムール貝と生ハムとスプリッツ, photo by elina


Lunch at Florian
ヴェネチアのカフェ・フローリアンのスプリッツ, photo by Adriaan Bloem


アペロー・スプリッツのCM




あー、一杯やりたくなってきたなあ。
パドヴァの話、次回に続く~。


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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“グルメ紀行~パドヴァ”の記事は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.2に載っています。


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マリア・ルイジアの小さな街、パルマのバターとグラナの娘、アノリーニ。本物は牛と去勢鶏のブロードでゆでます。

昨日の最後にサラっと登場したアノリーニですが、このパスタ、(CIR12月号P.5)にもリチェッタが載っていました。クルルジョネスの次の料理です。花の形の可愛い詰め物入りパスタ、なんていうのがこのパスタの印象ですが、イタリア人は、こんな風に思ってるんですね。 「マリア・ルイジアの小...