イタリア料理ほんやく三昧: 10月 2008

2008年10月31日金曜日

クスクス

今日はクスクスの話。
『ヴィエ・デル・グスト』の解説です。


Hands or spoon?
モロッコのクスクス, photo by KaliFire (Maroc)


クスクスは、北アフリカのマグリブ地域の主食として知られています。
国で言うと、アルジェリア、モロッコ、チュニジアあたり。
元々は、この地域の先住民、ベルベル人が食べていたもので、その後、様々な民族に支配されても、変わらずにずっとこの地に受け継がれてきました。


ヨーロッパでクスクスが広く知られるようになったのは、フランスがアルジェリアやチュニジアを支配した19世紀のこと。
イタリアの場合は、シチリアがアラブ人に支配された紀元1000年頃、シチリアに広まったと言われています。
でも、だからと言って、アラブ人がシチリアにクスクスを伝えた、とするのは早計。
クスクスは、シチリアの目と鼻の先の北アフリカ生まれです。
わざわざイスラム圏(中東や西アジア)経由で、遠回りをしてシチリアに伝わるというのは、少々不自然。

シチリアと北アフリカの関わりは、かなり古くからのこと。
有名なところでは、紀元前200年頃、ローマとカルタゴの間で繰り広げられたポエニ戦争がその一例。
カルタゴは、現在のチュニジアにあった古代国家です。
シチリアの西の端の町、マルサラから、海を渡ってすぐの場所にあり、シチリアに植民都市も築いていました。

カルタゴ軍がローマ軍を攻める拠点にしたのが、このマルサラ。
ひょっとしたら、マルサラで、毎日クスクスを作って食べていたのかも・・・。

クスクスは、おそらく、北アフリカとの草の根(?)の交流によって西シチリアに広まった、とするほうが、自然です。
そしてシチリアの海の幸と出会って、独特の進化を遂げました


Cuscus della nonna
シチリアのクスクス, photo by salvofiguccia



ヨーロッパに残る書物で、クスクスについて書かれた最初のものは、1630年のもの。
ジャン=ジャックン・ボシャールという作家が、南フランスのトゥーロンでクスクスを食べたことを書き記しています。
それでは、イタリアでは誰が最初にクスクスのことを書いたのでしょうか。
なんと、あのアルトゥージなんだそうです。
1891年の著書、『La Scienza in cucina e l'arte di mangiare bene』に、クスクスが出てきます。

その内容は、次回に・・・。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2007年9月号


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2008年10月29日水曜日

コルヴィーナとコルヴォ

今日はワインの話。
『V&S』の記事の解説です。

『V&S』で取り上げているのは、コルヴィーナ
主にヴェネト州で栽培されているコルヴィーナ種のぶどうを使った赤ワインです。
ぶどうのコルヴィーナは、アマローネ・デッラ・ヴァルポリチェッラにも使われる、ボディーとデリケートなアロマのある品種。


P1020821
ヴァルポリチェッラ地区のぶどう畑, photo by Marinus van Opzeeland


コルヴィーナとは、カラス(コルヴォ)という言葉が語源。
なんでカラスという名前がついたのか。
その由来を伝えるのは、こんな伝説・・・。

その昔、ヴァルポリチェッラの丘で栽培さていれたのは、すべて白ぶどうでした。
農民たちを悩ませていたのは、畑を荒らすカラスたち。
そこで農民たちは、ぶどうを守るためにカラスを一掃します。

ところがある日、一人の農民が傷ついて飛べずにいるカラスを見つけました。
哀れに思った彼は、そのカラスを手当してやりました。

やがて傷が癒えて、カラスは飛び立ちました。
去っていく際に、カラスはぶどう畑の上を低く舞いました。
するとなんと、畑のぶどうがすべて黒ぶどうに変わっていったのです。

こうして、ヴァルポリチェッラでは黒ぶどうが栽培されるようになったのでした・・・。


これがコルヴィーナの伝説。

そして、カラスがその上を舞ったと言われている丘は、“ラ・グローラ”という名前。
ヴェネトの方言で「カラス」という意味なんだそうです。
1978年、この丘の畑を、ジョヴァンニ・アッレグリーニという人物が買い取りました。
そして、そこで栽培したコルヴィーナを使って、イタリアで初めて、コルヴィーナ100%のワインを造りました。
La Poja(ラ・ポーヤ)というワインです。

アッレグリーニのhpのLa Pojaのページ
 ↓
www.allegrini.it


コルヴィーナの伝説は、いわばカラスの恩返し。
そう言えば、イタリアにはもう一つ、カラスと言う名前のワインがありましたねー。
そう、シチリアのコルヴォ。

このワインのカラスは、こんな言い伝えを残しています・・・。

その昔、パレルモ県のカステルダッチャという町のぶどう畑に、朝から晩までやかましく鳴き続ける一羽のカラスがいました。
あまりにうるさくて、農民たちはイライラして畑で仕事をすることもできません。
そこで、ある修道士に相談しました。
その修道士は、動物と話をすることができると評判だったのです。

修道士の説得で、カラスはもう畑では鳴かないと約束します。
ただし、一つだけ条件がありました。
嫌われ者のカラス、というイメージを改めてほしい、というのです。

そこで農民たちは、カラスが鳴かなくなった畑に“カラス(コルヴォ)”という名前をつけて、ぶどうを大事に育てたのでした。

19世紀初め、この地方の領主だったサラパルータ公のジュゼッペ・アッリアータは、この畑から造られたワインに“コルヴォ”という名前を付けました。
そして1824年に、ワインメーカー、ドゥーカ・ディ・サラパルータを創業し、館の客に出すことのできるような、上質なワインを造り始めます。

こうしてワインのコルヴォが誕生したのでした。


この修道士さん、動物と話ができるってのもすごいですが、カラスを説得できるってのはもっとすごい!


Almost winter
冬のカラス, photo by Andrea Zanivan



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関連誌;『V&S』2007年9月号(クレアパッソで販売中)
“コルヴィーナ”の解説は、「総合解説」'06&'07年9月号、P.35に載っています。


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2008年10月27日月曜日

魚のパルミジャーナ

今日は、パルミジャーナのバリエーションの話。
『クチーナ・エ・ヴィーニ』と『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。


Parmigiana 2.jpg
なすのパルミジャーナ, photo by Sara Maternini


パルミジャーナについては、以前にもこのブログで書いたことがあります。
こちらのページ

パルミジャーナと言えば、揚げたなす、チーズ、トマトソースを重ねてオーブンで焼く料理ですが、バリエーションも様々。
一般的なのは、トマトソースなしのビアンカや、なすではなくズッキーニを使うもの、ハムやゆで卵入りなど。


ズッキーニのパルミジャーナ





これだけでなく、揚げたなすと何かを重ねてオーブンで焼いた料理全般のことを、“・・・のパルミジャーナ”、と呼ぶこともよくあります。
この場合は、なすと何を組み合わせるかがポイント。

シチリアのロカンダ・ドン・セラフィーノ(ミシュラン1つ星)のシェフ、ヴィンチェンツォ・カンディアーノ氏は、『クチーナ・エ・ヴィーニ』で、なすとタチウオを組み合わせた料理を披露しています。

店のhpはこちら
www.locandadonserafino.it



タチウオとカチョカヴァッロのパルミジャーナ、なすのサルサ添え

(『クチーナ・エ・ヴィーニ』2007年9月号)


このタチウオのパルミジャーナ、型にタチウオの切り身、トマトの薄い輪切り、揚げたなす、にんにく風味のオイル、塩、こしょう、バジリコ、タチウオ、カチョカヴァッロ(若いプリーモ・サーレタイプ)の薄切りの順で重ね、冷蔵庫で数時間休ませてからオープンで焼きます。
サルサは、赤玉ねぎとにんにくのソッフリットに、赤ワイン、アンチョビーペースト、なすの皮、水を加えて40分煮て、ミキサーにかけて裏漉ししたもの。
これを皿に敷いて、その横にパルミジャーナを盛り付けます。
トマトソースを加えないので、一見するとシンプルな魚料理ですが、なすやチーズがしっかり詰まっていて、食べてみれば、立派にシチリアの味。


『ラ・クチーナ・イタリアーナ』には、もう少しお手軽な、メカジキのパルミジャーナという一品が載っています。


メカジキのパルミジャーナ Parmigiana di pesce spada


メカジキのパルミジャーナ

(『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年9月号)

材料/8人分
メカジキの薄い切り身・・700g
チェリートマト・・350g
なすの薄い輪切り・・3個分
バジリコ
EVオリーブオイル
塩、こしょう

・なすの輪切りに塩、こしょうをし、油をかけてグリル板で焼く。乾き過ぎないようにする。
・長さ28㎝の楕円形の耐熱皿になすを1段はみ出すように敷き込む。
・粗くちぎったバジリコ数枚と半分に切って軽く潰したチェリートマトをのせる。
・メカジキの切り身で覆って塩、こしょうをし、油をかける。
・さらになす、バジリコとチェリートマト、メカジキの順で重ね、最後はメカジキとなすで覆う。
・はみ出したなすをかぶせて閉じ、油、塩、こしょうをかける。
・180度のオーブンで20分焼き、10分休ませる。



チーズが入らず、なすも油で揚げるのではなくグリルするので、軽い仕上がりです。



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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2007年9月号(クレアパッソで販売中)
“タチウオのパルミジャーノ”のリチェッタは、「総合解説」'06&'07年9月号、P.26に載っています。

『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年9月号(クレアパッソで販売中)
“メカジキのパルミジャーナ”のリチェッタは、「リチェッタ日本語訳/ラ・クチーナ・イタリアーナ」2006年9月号、P.16に載っています。


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2008年10月23日木曜日

ペルージャのエウロチョコレート

今日は、クレアパッソのイタリア在住スタッフからのイタリアレポート、第2弾です。
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こんにちは、ポモドーロです。
今、ペルージャでは、もう恒例となったエウロチョコレートが開催されています。
10月18日から28日までで、今年は15回目となります。



リンツの新製品の試食ブース



手作りチョコメーカーのブース


エウロチョコレートは、1993年にこの街の一企業家が考案した、大規模なチョコレートフェアーです。
イタリア各地から出店されるチョコレートやそれを使ったお菓子を試食、購入できるだけでなく、チョコレートとカカオに関する講演会、展示会、遊びなど、チョコレート文化を満喫できます。
その為、3回目くらいからは全国から観光客が訪れるようになり、特に週末の中心街は前に進むのも困難なくらい混み合います。

このフェアーの期間中には様々な催しが行われるのですが、初回から毎年行われる人気のイヴェントはチョコレートの彫刻。
毎回、開催日はフェアー期間最初の日曜日です。

彫刻用のチョコレートは、一個1メートル立方。
今年は5人の彫刻家が腕をふるいました。
作品を作る為に削り取られたチョコレートは見物人にくばられるので(もちろん無料で)、それをもらうのも楽しみです。
このチョコレート、彫刻用だから大した物じゃないと思っていたのですが、結構美味しいのです。
はじめの頃は子供連れで行ったものですが、彼が大きくなってしまった今も、我が家の伝統はこのチョコレートのゲット。
もちろん今年もです。
できあがった彫刻は、期間中屋内に飾られていますが、その後は・・・?



チョコレートの彫刻制作中



削ったチョコレートのかけらを袋に詰めて配る


期間中は、町中にテントの出店が作られて、外国(少し)やイタリア各地のチョコレートを試食、購入することできます。
写真はトルタサーカー(ザッハトルテ)という有名なチョコレートケーキ(8センチ四方くらい)。
ホイップクリームかチョコレートをかけたのが一個3ユーロ。
これは、甘さがちょうどよくて美味しかったですが、私は一人じゃ食べきれません。





今年初めて味見したのは、チョコレートで作った小さいカップに入れて飲む25年物のグラッパ、1.5ユーロ。
食後に最適なので、カップだけ買ったら、15個袋入りが5ユーロでした。

この催しを見に行く度に、今年はあまり買わないぞ、と思うのですが、いつも沢山のチョコレートを買ってしまいます。
食欲の秋となりましたが、うれしいようなおそろしいような・・



(写真の日付が2007年になっていますが、すべて今年撮ったものです)


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2008年10月22日水曜日

カルボナーラのルーツ

今日はカルボナーラの話。
『ア・ターヴォラ』の記事の解説です。


spaghetti carbonara
ローマのトラットリーア、アルマンド・アル・パンテオンのカルボナーラ, photo by exile in suburbia


カルボナーラは、1950年代にローマのトラットリーアで人気が出て、それ以来、ローマを代表する名物料理として知られる料理。
でも、そのルーツは謎。
謎はルーツだけではありません。
なぜ、カルボナーラという名前なのか・・・。
卵を生で食べることを忌み嫌うイタリア人が、なぜ、生卵の料理を考え出したのか・・・。

『ア・ターヴォラ』では、この料理のルーツとしてよく知られている説を3つ紹介しています。

一番有名なのは、ラツィオの山で炭を焼いていた人たちが作っていたパスタ、という説。

2つ目はもう少し具体的で、チョチャリーア地方が発祥地、という説。
チョチャリーア地方は、ローマの西に広がる内陸部分。
以前はアブルッツォ州の一部だったところで、南隣りのカンパーニア州の影響も受けています。
このあたりでは、卵、グアンチャーレ、ペコリーノ、パスタと言うのは、昔から一般的な食材でした。
“カーチョ・エ・ウーヴァ”(チーズと卵)というパスタもあります。
この地方の料理が、なぜローマ料理として広まったのか。
その理由として有力なのが、第二次大戦時、ドイツ軍から逃れてローマから疎開してきた人たちがこのパスタを知って、ローマに広めたというもの。

『ア・ターヴォラ』では、その当時のチョチャリーア地方のことを知りたかったら、『ふたりの女』という映画がお勧め、と言っています。
ソフィア・ローレン主演の1960年のイタリア映画です。
監督はヴィットリオ・デ・シーカ。
この監督とソフィア・ローレンのコンビは、『ひまわり』という映画も有名。
この映画で、ソフィア・ローレンはアカデミー賞とカンヌの両方で主演女優賞を獲得しました。
原作はアルベルト・モラヴィア。


ソフィア・ローレンがこの映画でアカデミー賞を取った当時の映像を紹介している動画がありました。
映画の場面も一部出てきます。





いや~、ソフィア・ローレン、きれいですねえ。


カルボナーラのルーツの仮説、その3は、かなり奇想天外な話。
個人的にはそんなのありえないー!と思うのですが、本当だっだら楽しいかなあとも思ったりして。
なにしろ、米軍の支援物資にあった粉末の卵とベーコンの缶詰から、どこかの天才が閃いて考えだした、というんですからねえ。
この説、昔から有名で、『GRANDE ENCICLOPEDIA ILLUSTRATA DELLA GASTRONOMIA』にも載っています。



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関連誌;『ア・ターヴォラ』2006年9月号(クレアパッソで販売中)
“カルボナーラ”の記事の解説は、「総合解説」'06&'07年9月号、P.30に載っています。


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2008年10月20日月曜日

ブロンテのピスタチオとニーノ・ビクシオ

今日はブロンテのピスタチオの話。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。

macro pistachios
ピスタチオ, photo by payhere


イタリアのピスタチオと言えば、ブロンテ産が有名。
と言うか、イタリアには、ピスタチオの産地と言える町が、ブロンテしかないんですねー。
しかも、ブロンテのピスタチオの生産量は、ブロンテ市の公式サイトによると、世界の総生産量のわずか1%。
それでいて、その品質の良さは世界的に認められているのだから、イタリア人が「緑の金」や「緑のダイヤモンド」と呼びたくなるのも分かります。

ブロンテは、ヨーロッパ最大の活火山、エトナ山の麓の町。
ピスタチオの収穫は2年に一度、奇数の年に行われます。
今年は収穫はないですね。
来年、8月末から9月にかけてブロンテを訪れれば、収穫の様子を見ることができるはず。

収穫はなくても、収穫祭は毎年行われています。
今年は9月25日から28日まで開催されました。


2006年の収穫祭




ブロンテのスペチャリタ、ピスタチオのペンネッテ





Bronte, Arancino al Pistacchio* del Bar dello Sport (*Pistachio croquette)
ブロンテのバール・デッロ・スポルトのピスタチオ入りアランチーノ, photo by cristiano corsini


Pesto di rucola con pistacchi di Bronte
ルーコラとブロンテのピスタチオのペースト, photo by marciespics


Foglie d'ulivo alla crema di asparagi acciughe pinoli e pistacchi di bronte
フォーリエ・ドリーヴォ(“オリーブの葉”という名前のパスタ)の、アスパラガス、アンチョビー、松の実、ブロンテのピスタチオのクレーマ和え, photo by Sandra


なぜブロンテでピスタチオの栽培が広まったのか不思議だったのですが、『ヴィエ・デル・グスト』の記事を読んでその理由が分かりました。
ピスタチオの栽培を広めた人物がいたんですね。

その人物、ニーノ・ビクシオは、ブロンテの農民の暴動を収めた人としても、ブロンテの歴史に名を残しています。
領主の搾取に苦しむブロンテの農民たちの怒りが、激しい暴動に発展したのは19世紀中頃のこと。
ガリバルディの千人隊の副官だったビクシオは、町にやってくるや抵抗を受けずに暴動を鎮め、5人(一人は心神喪失者)を首謀者として処刑して、事件を終わりにしました。
この日は、ブロンテの自由が死んだ日とも言われているそうです。
そんな彼が広めたピスタチオが、後に世界中に知られる名産品になるとは、歴史とは皮肉なものですねえ。

ニーノ・ビクシオという人は、リソルジメント時代の有名な軍人で政治家でもありました。
イタリアのあちこちに像が残っています。
イタリア海軍には、第一次大戦の頃、ニーノ・ビクシオという名前の偵察巡洋艦もありました。

Nino Bixio statue in Parma
パルマにあるニーノ・ビクシオの像, photo by Franco Folini


ローマのジャニコロの丘にもありますよ。
軍服姿の白い胸像を探してみてください。
これです。
 ↓
it.wikipedia.org



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2007年9月号
“ブロンテのピスタチオ”の記事は「総合解説」'06&'07年9月号、P.29に載っています。


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2008年10月17日金曜日

ホテル・チプリアーニのティラミス

今日はヴェネチアの超高級ホテルの話。
『サーレ&ペペ』の記事の解説です。

そのホテルは、チプリアーニ。
あのハリーズ・バーの創業者と同じ名前ですね。
ということは、チプリアーニ一族が経営してる?
と考えがちですが、違います。

確かに、ハリーズ・バーの創業者、ジュゼッペ・チプリアーニ氏が、1958年にこのホテルを始めました。
でも、その10年後に、ホテルとチプリアーニという名前の使用権を、アメリカの海運王に売却してしまったんですねー。
ジュゼッペの息子のアッリーゴ・チプリアーニ氏が、ニューヨークで、“ハリー・チプリアーニ”というレストランを開こうとしたら、裁判沙汰になって、結局、海外でもチプリアーニという名前の権利はホテル側にある、ということになったのだそうです。
大人の事情って、複雑ですねえ。


という訳で、ハリーズ・バーとは今やなんの関係もないホテル・チプリアーニ。
5つ星です。
ジュデッカ島にあります。
hpはこちら
 ↓
www.hotelcipriani.com


Hotel Cipriani, Venice
ホテル・チプリアーニ, photo by Claire Croft


L'hôtel Cipriani sur l'île de la Giudecca (Venise)
少しアップで, photo by Jean-Pierre Dalbéra


メインダイニング
 ↓
www.flickr.com


ゴージャスな雰囲気のホテルですねえ。
ヴェネチア映画祭に参加するセレブが泊まったりするんだろうなあ。

このホテルの総料理長は、レナート・ピッコロット氏。
『サーレ&ペペ』では、ヴェネト料理をいくつか紹介していますが、中でも目を引くのがティラミス。
彼のティラミスは、チョコレートで作ったカップにサヴォイアルディとクレーマを詰めて、その上にチョコレートのゴンドラのシルエットを浮かべた、とても素敵なもの。
このゴンドラが、ホテル・チプリアーニのティラミスのトレードマークなんだそうです。

このティラミスの作り方を紹介している英語の動画がありました。
CMの後に始まります。
 ↓
www.gourmandia.com

ホテルでお茶する機会があったら、このゴンドラのティラミスを食べてみたいものです。


ホテル・チプリアーニでは、総料理長自らが教える料理教室も開いています。
ただし、普通の料理教室じゃありませんよー。
ホテル・チプリアーニに宿泊しながら行う、3泊4日のグルメ体験のようなもの。
今年は10月20日開催。
もうすぐですね。
ピッコロット総料理長の他に、フィレンツェのヴィッラ・サン・ミケーレの総料理長と、ポルトフィーノのホテル・スプレンディドの料理長も加わって、講師は3本立。

まず1日目は、ホテルにチェック・インし、特製エプロンのプレゼント。
夜はウエルカム・カクテルにディナー。

2日目は、朝食後、プライベートボートでリアルト橋のマーケットへ。
ピッコロット総料理長がガイドを務めます。
その後は、総料理長の料理レッスン。
昼食は自分たちの作品をいただきます。
その後は、終日フリータイム。

3日目は、トスカーナ料理のレッスン。
昼食はその作品。
その後は、終日フリータイム。

4日目はポルトフィーノのシェフが、ハーブの話なども交えながらレッスン。
昼食を食べて、レッスン終了。


ピッコロット総料理長が一人で3日間教えるコースもあります。

また、この総料理長、クリナリー・トラヴェル・アドヴェンチャーという小型の豪華客船でのグルメクルーズにも参加しています。
今年は、モンテカルロからスペインまでの約10日間のクルーズに、シェフとして加わったそうです。
ホテルの総料理長さんて、いろんな事をやるんですねえ。



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関連誌;『サーレ&ペペ』2006年9月号(クレアパッソで販売中)
レナート・ピッコロット総料理長のティラミスのリチェッタは、「総合解説」'06&'07年9月号、P.24に載っています。


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2008年10月15日水曜日

セナトーレ・カッペッリ小麦のスパゲットーニ、その2

今日は昨日の続きで、セナトーレ・カッペッリ小麦の話。

セナトーレ・カッペッリとは、カッペッリ上院議員、という意味です。
この人、ラッファエーレ・カッペッリという侯爵で、第一次世界大戦の頃の人物。
農学改革に取り組み、小麦を硬質と軟質に分類したことで知られています。
イタリア農業協会の会長も務めていました。

彼の名前をもらったセナトーレ・カッペッリ小麦は、硬質小麦です。
穀物栽培の分野では世界的に有名なナザレーノ・ストランペッリという人によって、1915年に作りだされました。
南部を中心にイタリア中に普及し、1960年代までは、イタリアでもっとも多く栽培されていた小麦です。
収穫量の多い品種で、重い小麦がたくさん実るのが特徴ですが、背が高いために風や雨などの影響を受けやすいのが欠点。

世界中の硬質小麦のほとんどは、このセナトーレ・カッペッリ小麦を改良したものなんだそうです。
そして、もっと生産性が高く、背の低い硬質小麦が作りだされるようになると、次第に姿を消していきました。

そんなセナトーレ・カッペッリ小麦に再び日の目を当てたのが、パスタ・メーカーたち。
特にラティーニ社は、1992年に、世界初のセナトーレ・カッペッリ小麦100%の製品を発表しています。
そのパスタは、薪で焼いたパンのような香りと、煮崩れしにくい腰の強さが特徴。

ラティーニのセナトーレ・カッペッリ小麦のパスタ
 ↓
www.latini.com

アップで見ると
 ↓
www.flickr.com


La pasta Latini
水色のパッケージがセナトーレ・カッペッリのパスタシリーズ, photo by Antonio Tombolini


ラティーニ以外にも、様々なメーカーがセナトーレ・カッペッリ小麦のパスタを作っています。

ラ・トルキーナ
ビオランド
マレッラ

小さくても意欲的なイタリアのパスタメーカーたち、これからも、おいしいパスタをどんどん作りだして欲しいですね。



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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2007年9月号(クレアパッソで販売中)
“セナトーレ・カッペリ小麦のスパゲットーニのアーリオ・エ・オーリオ”のリチェッタと写真は、「総合解説」'06&'07年9月号、P.13に載っています。


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2008年10月14日火曜日

セナトーレ・カッペッリ小麦のスパゲットーニ、その1

今日はパスタの話。
『ガンベロ・ロッソ』の記事、“小麦以外のパスタ”の解説です。

この記事は、普通の小麦粉以外の粉を使ったパスタの特集。
スペルト小麦のパスタ、カムート麦のパスタ、タガンログ小麦のパスタ・・・。
イタリアには様々なパスタがあるんですねえ。

今日取り上げるのは、セナトーレ・カッペッリ小麦のスパゲットーニ
パスティフィーチョ・ファッブリ社(ファブリ)の製品です。

ファッブリ社のhpはこちら。
 ↓
www.pastafabbri.it

ファッブリは、様々なこだわりのあるパスタを作っている興味深いメーカーで、トスカーナのキアンティ地方にあります。
製品は日本にも入っているようですね。
ギフト用の、“手で包んだパスタ”というのもあります。
下の動画は、社長のジョヴァンニ・ファッブリ氏が自ら包んで見せている様子。





ファッブリのパスタの中でも、有名なのはスパゲットーニ。
スパゲットーニだけで何種類もあります。

ファッブリのスパゲットーニを使った一品
 ↓
flickr.com


そんなファッブリのスパゲットーニを使ったメニューで有名なのが、イル・トルド・マットというレストラン。
ローマ近郊の、ザガローロという町のリストランテです。
店のhpはこちら。
 ↓
www.iltordomatto.com

ファッブリのスパゲットーニを使ったアーリオ・オーリオは、店のスペチャリタの一つ。
艶々でぷっくりした麺に、とろ~りとした煮汁がたっぷりからまって、主役は麺!という主張がバンバン伝わってくるような一品です。

『ガンベロ・ロッソ』の記事にもあるように、イル・トルド・マットのアーリオ・オーリオは、普通のアーリオ・オーリオとはまったく違う作り方をします。
フライパンににんにく、唐辛子、水を入れて沸騰させ、そこに乾麺と岩塩を入れて、熱湯を少量ずつかけながら、リゾットのように煮ていくのです。
その結果、パスタから澱粉が溶けだし、あたかも水と油が乳化したかのようなとろみが生まれて、それが麺を包みこんでいるわけです。

これだけのとろみを出すには、澱粉を多く含んだ太い麺が必要になります。
そこで選んだのが、直径が3mm以上という、イタリアでもっとも太いスパゲットーニ。
澱粉が多いと、麺を乾燥させる時間が長くかかります。
腰を残そうとすると、かなりの歯ごたえが要求されます。
そんなこんなで、かなりの手間暇をかけて作りだされた麺なんですねー。

この料理の写真(「総合解説」に載せました)を見ていると、スパゲットーニが食べたくなります。

スパゲットーニ・トンナータ

アンチョビーと香草パン粉のスパゲットーニ

シチリア風ペーストのスパゲットーニ



イル・トルド・マットのアーリオ・オーリオのスパゲットーニのために選ばれたのが、セナトーレ・カッペッリ小麦。
次回は、この小麦の話です。



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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2007年9月号(クレアパッソで販売中)
“セナトーレ・カッペリ小麦のスパゲットーニのアーリオ・エ・オーリオ”のリチェッタと写真は、「総合解説」'06&'07年9月号、P.13に載っています。


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2008年10月10日金曜日

モンゴルから麺を伝えたイタリア入

今日は、ジョヴァンニ・ダ・ピアン・デル・カルピーネの話。
『サーレ&ぺぺ』の記事、“リグーリア風ポルチーニのラザニェッテ”の解説です。

まず、ジョヴァンニ・ダ・ピアン・デル・カルピーネ Giovanni da Pian del Carpine って、誰?
『サーレ&ペペ』の記事によると、イタリア料理の歴史上、重要な人物。
でも、聞いたことない名前だなあ。

で、調べてみたら、なんと、モンゴル帝国の宮廷に入った最初のヨーロッパ人なんだそうです。

彼は、12世紀末にペルージャの近くのマジョーネという町で生まれて、フランシスコ会の修道士になりました。
1245年に、ローマ教皇の命でモンゴルに赴きす。
その目的は、表向きは、モンゴルとの同盟の道を探って、聖地解放のためのトルコとの戦いを優位にすること。
でも本音は、モンゴルによるキリスト教徒の殺戮を止めさせて、罪を悔い改めさせようというもの。

当時のモンゴル帝国は、チンギス・ハーンの孫の、第三代皇帝グユク・ハーンが治めていました。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』によれば、マルコ・ポーロが中国に行ったのは、1271年の元の時代のこと。
その時の元の皇帝は、第五代モンゴル皇帝のフビライ・カーン。
ジョヴァンニ・ダ・ピアン・デル・カルピーネの方が26年早かったわけです。

当時のヨーロッパは、チンギス・ハーンたちから攻め込まれて、戦々恐々としていました。
ジョヴァンニ神父の使命には、モンゴルの力を観察することも含まれていたようで、モンゴル滞在中は詳細に国を観察しています。
そして帰国後、『モンゴルの歴史』という本を書きました。
この本によってヨーロッパ人は、モンゴルの軍事力に対する認識が甘かったことを知らされます。

ジョヴァンニ神父は、軍事的なことだけでなく、人々の生活の様子も観察しました。
そして彼が伝えたものの中に、“麺”があったという訳です。

神父は1247年にイタリアに戻り、その5年後の1252年にモンテネグロで亡くなりました。

イタリアのパスタの歴史に、実際に彼がどれだけ貢献しているのかは謎ですが、少なくとも、マルコ・ポーロより先にオリエントの麺に出会った、ということは認められているようですね。


モンゴルの台所
 ↓
www.flickr.com

モンゴルの麺料理
 ↓
www.flickr.com



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関連誌;『サーレ&ペペ』2006年9月号(クレアパッソで販売中)
“リグーリア風ポルチーニのラザニェッテ”の解説は、「総合解説」'06&'07年9月号、P.4に載っています。


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2008年10月8日水曜日

カペッツォリ・ディ・ヴェーネレ

今日はヴィーナスの乳房の話、その2。

映画『アマデウス』で有名になったドルチェ、ヴィーナスの乳房。
イタリア語では、カペッツォリ・ディ・ヴェーネレ capezzoli di Venere 。

このドルチェ、映画のおかげで“サリエリのお菓子”、というイメージがすっかり定着しているようです。
いったいどんなドルチェなのか調べてみると、どうもヴェネト州ヴェローナ県の、レニャーゴ Legnago という町のドルチェらしい。

という訳で、レニャーゴについて調べてみると、サリエリ劇場というのが町にあるのを発見。
ん?これはもしかして、ここがサリエリの生まれ故郷?
で調べてみたら、やっぱりそうでした。

アントニオ・サリエリは、1750年、レニャーゴの裕福な商人の家庭に生まれました。
1770年にウイーンに渡り、33歳で宮廷楽長になり、30年以上ずっとその職にあったのだそうです。
甘いものが好きだったという話も残っています。

そうか、あれは彼の故郷のお菓子だったのか・・・。

イタリア各州のドルチェを網羅した本、『L'Italia dei dolci』(Touring Club Italiano)によると、カペッツォリ・ディ・ヴェーネレは、マロンペースト、ココア、砂糖、リキュールがベースの古い菓子。
しばらく忘れ去られていたのですが、レニャーゴの大手菓子メーカー、スカルパートが製造するようになって、再び日の目を浴びました。
2006年のモーツァルトイヤーのおかげで、イタリアよりオーストリアでよく売れた模様。

スカルパートのhpはこちら。
残念ながら、製品の中にカペッツォリ・ディ・ヴェーネレの名前はなし。
まだ作ってるのかなあ。
 ↓
www.scarpato.it


映画では「栗のお菓子」と言っているのですが、ネット上に唯一出回っているカペッツォリ・ディ・ヴェーネレのリチェッタには、なぜか栗は入っていません。
とりあえず訳してみます。
原文と写真はこちら。
 ↓
www.cookaround.com

材料/18個分
 アーモンド・・25g
 生クリーム・・90cc
 バター・・10g
 バニラビーンズ・・1/2本
 ホワイトチョコレート・・150g+コーティング用100~150g
 マジパン・・10g
 ビターココアパウダー
 ラム酒(または他のリキュール)

・アーモンドと砂糖少々を粉にする。
・生クリーム、バター、バニラ(開く)を沸騰させる。バニラを取り除き、チョコレート150gにかけてよく混ぜる。
・アーモンドの粉とリキュールも加えて混ぜる。水にあてて冷まし、こねられる程度に固める。
・コーティング用のチョコレートを溶かす。
・マジパンにココアパウダーを加えて小さく丸める。
・固まったチョコレートをくるみ大に丸め、やや円錐形にして冷蔵庫で軽く固める。
・溶かしたチョコレートでコーティングし、中央にマジパンをのせる。



おそらく、この中にマロンペーストを詰めれば、オリジナルのカペッツォリ・ディ・ヴェーネレに近いものになるのでしょうね。


そうそう、ヴィーナスの乳房はサリエリにまつわるチョコレートですが、モーツァルトにも有名なチョコレートがありました。
その名も、“モーツァルトクーゲルン MozartKugeln ”

MozartMania
モーツァルトクーゲルン, photo by Javier Pedreira


中はこんな風。
 ↓
commons.wikimedia.org

マジパンとヌガーをチョコレートで包んだもの。
ザルツブルグのチョコレートです。
多分、ビーナスの乳房よりはずっと有名。
モーツァルトとサリエリ、お菓子の世界でもライバル関係は同じようで。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年9月号(クレアパッソで販売中)
ヴィーナスの乳房の話が出てくる“グルメ紀行~ヴァッレ・イサルコ”の記事は、「総合解説」'06&'07年9月号、P.2に載っています。


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2008年10月6日月曜日

ヴィーナスの乳房

今日は映画に出てきたドルチェの話。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』のグルメ紀行、“ヴァッレ・イサルコ”の解説です。

ヴァッレ・イサルコというのは、イタリアの北の端、オーストリアに接した、トレンティーノ・アルト・アディジェの南チロル地方にある渓谷地帯。


Valle d'Isarco
ヴァッレ・イサルコ地方の風景, photo by rachel_thecat


この地方の秋の名物の一つが、栗。
秋になると、この地方のレストランやパスティッチェリーアには、栗を使った自慢の料理やドルチェがあれこれ登場します。
そんな中で、『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事でチラッと紹介されているのが、栗を使ったあるドルチェ。

その名も、ヴィーナスの乳房

1984年の映画、『アマデウス』の中に登場して有名になったドルチェです。

モーツァルトとサリエリという二人の作曲家を巡る、ミステリアスで絢爛豪華なこの映画、アカデミー賞の作品、監督、主演男優など8部門を受賞しています。
ヴィーナスの乳房が登場するのは、モーツァルトの妻コンスタンツェが、皇帝の姪の音楽教師の仕事に夫を推薦してもらおうと、サリエリの元を訪れた時。

この動画の02:20頃に出てきます。




サリエリはイタリア人。
コンスタンツェにお菓子を勧めて、
「これが何か、ご存じかな?
“カペッツォリ・ディ・ヴェーネレ Capezzoli di Venere ”、“ヴィーナスの乳房”です」

それを聞いたコンスタンツェの反応は、サリエリの期待通り。
「あ゛は・・・」
「ローマの栗のブランデー漬けの砂糖がけですよ。
お一つどうぞ」

コンスタンツェがお菓子を食べている間、サリエリはモーツァルトの楽譜を見て、その才能の完璧なまでの天才ぶりに驚愕し、打ちのめされます。
その間、コンスタンツェはひたすら食べ続けてますねー。
よっぽどおいしかったんでしょうねえ。


映画のヴィーナスの乳房はこれ。
 ↓
www.akakestrel.com


乳房をイメージしたイタリアのドルチェは、他にもあります。

これはカターニアのミニカッサータで、若くして殉教した聖女の乳房の形をしている“ミンヌッツェ minnuzze ”。

minnuzze di sant'aita
ミンヌッツェ, photo by Stefano Mortellaro


カッペッツォリ・ディ・ヴェーネレは、ヴェネトのドルチェのようですね。
リチェッタは次回にご紹介。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年9月号(クレアパッソで定期購読の方へは近日発送)
“グルメ紀行~ヴァッレ・イサルコ”の記事は、「総合解説」'06&'07年9月号、P.2に載っています。


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2008年10月3日金曜日

ファルソマーグロ

今日はシチリア料理のファルソマーグロの話。
『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事の解説です。

ファルソマーグロ falso magro (またはファルスマーグル falsumagru )は、シチリアの代表的な肉料理の一つ。

Farsu Magru
ファルソマーグロ, photo by Nick Lüthi

“ファルソ”とは、「うその」とか、「にせの」という意味。
“マーグロ”は、「やせた」とか、「肉が入らない、野菜や魚だけ」、「赤身」という意味。
つまりくだけて言うと、「一見、やせているように見える」(着やせする人?、隠れメタボ?)とか、「実はこってり」、ということ。
料理の言葉なら、「野菜のようでも実は肉」、または「あっさりしているようで実はこってり系」。
イメージとしては、逆精進料理?

でも、このファルソマーグロ、どこから見ても立派な肉料理。
肉が入っていないように見える料理には見えないです。
と言うか、ほとんど全部肉です。

実態にそぐわないこの名前。
でも、『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事にもあるように、その由来を知ると、なーるほどと納得します。

この“ファルソマーグロ”という言葉、フランス語の“ farce maigre ファルス・メーグル”が語源だったんですねー。
フランス語の“ファルス”は「詰め物」のこと。
“メーグル”はイタリア語の“マーグロ”と同じ。
つまり、“ファルス”というフランス語を、発音がよく似たイタリア語の“ファルソ”に置き換えてしまった訳です。
スペルはfarceとfalsoで、微妙に違うんですが、細かいことは見て見ないふりしたのか・・・。

この料理がシチリアに広まったのは、13世紀にフランスのアンジュー家が島を支配していた時代と言われています。
つまり、元々はフランスから伝わった貴族階級の料理だったらしい。
フランス料理の“ファルス・メーグル”は、野菜の詰め物をした料理のこと。
当然、当初はフランス語で“ファルス・メーグル”と呼ばれる、野菜の詰め物をした料理だったはず。
それが、シチリアの庶民階級に広まっていくにつれて、野菜が入っていないように見える料理、という、正反対の意味の名前に変身してしまったとは。
しかも例によって、各家庭ごとに無数のバリエーションがどんどん誕生しました。
その結果、野菜が入っていないように見えるどころか、野菜がほぼ入っていない肉料理になってしまったのでした~。
ただし、この料理、詰め物を覆うのは、子牛の“赤身”、つまりマーグロな肉。
だから、カットする前は赤身肉の料理のように見える、という、ちょっとあとづけ的な解釈も成り立っています。


ファルソマーグロのリチェッタは色々ありますが、シンプルなのを1つどうぞ。
カターニア風ファルソマーグロです。
原文はこちら。
 ↓
www.gennarino.org


カターニア風ファルソマーグロ Falsomagro alla catanese(Falsomagro in bianco:versione senza pomodoro)

材料/
 子牛もも肉・・400g
 スライスしたパンチェッタ・・100g
 赤身の牛挽肉・・250g
 卵・・5個
 パンのクラム・・50g
 牛乳
 パルミジャーノ・・70g
 ナツメグ
 塩、こしょう
 玉ねぎ・・1個
 白ワイン・・100cc
 オリーブオイル・・30cc
 小麦粉・・15g
 ブロード・ディ・カルネか野菜のブロード・・レードル2杯

・肉を開いて叩き、パンチェッタで完全に覆う。
・挽肉、卵1個、パン(牛乳に浸す)、パルミジャーノ、塩、こしょう、ナツメグをよくこねて肉の上に広げる。
・卵4個をゆでて殻をむき、肉の中央に一列に並べる。
・肉を巻いて(必要なら縫って閉じる)糸で縛る。
・ロールを油で焼く。
・玉ねぎのみじん切りを油で炒め、ロールを入れて熱する。ワインをかけてアルコール分を飛ばす。
・プロードを加えてアルミ箔で覆い、さらに蓋をする。とろ火で30分煮る。
・ロールを取り出して冷まし、厚くスライスする。
・一般的なコントルノは、玉ねぎのソッフリットに入れて炒めたグリーンピースにファルソマーグロの煮汁少々をかけてなじませたもの。



この他に、サルシッチャやサラミが入るリチェッタもあります。
このタイプの肉料理はイタリア各地にありますよね。
家庭料理の定番。
中央に燦然と輝くゆで卵を見ると、食べたくなるなあ。



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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2007年7/8月合併号(クレアパッソで販売中)
ファルソマーグロの話は、「総合解説」'06&'07年8月号、P.32に載っています。


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2008年10月1日水曜日

アスコリ風オリーブ

今日はアスコリ風オリーブの話。
前回に引き続き、『ガンベロ・ロッソ』の記事、“フリット・ミスト”の解説です。

『ガンベロ・ロッソ』のこの記事は、2005年以来、アスコリ・ピチェーノで開催されている「フリット・ミスト・アッラ・イタリアーナ」というイベントを紹介したものです。
イタリア各地や世界のフリットを味わおう、というこのイベント、そもそもは、アスコリ産オリーブのプロモーションの一つとして考え出されました。

フリット・ミスト・アッラ・イタリアーナのhp
 ↓
www.frittomistoallitaliana.it

イベントの紹介動画





アスコリ・ピチェーノは、マルケ州の南の端にある町。

ここで問題です。
マルケ料理と言えば、何?

・・・・・。

さーてどんな答えが出たでしょうか。

多分、一番多いのが、このアスコリ風オリーブじゃないでしょうか。
次はブロデットあたりかなあ。
で、次は・・・。
・・・・・。

うーん、思いつかない。

美味しいマルケ料理は星の数ほどあるのでしょうが、世界的な知名度となると、やっぱりこのアスコリ風オリーブ、オリーヴェ・アスコラーネ olive ascolane が、マルケで一番の有名料理。


Le olive all'ascolana
アスコリ風オリーブ, photo by Rosanna Galvani


Oliva all'ascolana
中身はグリーンオリーブの挽肉詰め, photo by Marina


アスコリ風オリーブの作り方



この動画によると、アスコリ風オリーブは、一家総出で作る料理だったのだそうです。
具体的なリチェッタは、01:35あたりから始まります。

材料/
 柔らかいグリーンオリーブ(アスコラーナ)の塩水漬け・・120粒
 牛赤身肉・・300g
 豚赤身肉・・300g
 鶏胸肉・・300g
 モルタデッラ・・100g(好みで)
 おろしたパルミジャーノ・・150g
 卵・・詰め物用2個+衣用8個
 ナツメグ
 パン粉・・800g
 小麦粉・・500g
 白ワイン・・1カップ
 玉ねぎ・・1個
 にんじん・・1本
 セロリ・・1本
 オリーブオイル・・150cc
 揚げ油(ピーナッツ油、またはひまわり油、ラード、オリーブオイル)・・2リットル
 レモンの皮

・香味野菜を油でソッフリットにする。
・肉を加えて塩、こしょうをし、30分以上炒める。
・モルタデッラを加え、ワインをかけてさらに炒める。必要なら鶏のブロードをかける。
・約1時間15分炒めたら冷まし、2回挽く。
・卵、パルミジャーノ、ナツメグ、レモンの皮1/3個のすりおろしを加える。塩味を整えて少し休ませる。
・オリーブを約12時間水に漬けておく。実を渦巻き状に切りながら種を取り除く。
・小さく丸めた詰め物を詰め、小麦粉、溶き卵(塩少々を加える)、パン粉をつけて揚げる。



この料理、アスコリのオリーブで作れば完璧ですね。
アスコリのオリーブはDOP製品。
今年、アスコリのデザイン学校の生徒たちによるコンクールが行われて、新しいロゴが決まりました。

優勝者とそのデザインはこちら。
www.provincia.ap.it

一目見ただけで、アスコリのオリーブだ!ということが分かりますねー。
素晴らしい!



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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2007年8月号(クレアパッソで販売中)
“フリット・ミスト”のリチェッタは、「総合解説」'06&'07年8月号、P.11に載っています。


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