2008年12月5日金曜日

レ・カランドレ

パドヴァの話、その5。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

今日は、パドヴァから8㎞離れたルバーノという町にあるミシュランの三ツ星レストランの話です。

その店は、レ・カランドレ Le Calandre 。
hpはこちら。
calandre.com
東京にも支店があります。

ちなみに、2009年版ミシュラン・イタリアの3つ星店は、イル・ソッリーゾ、ダル・ペスカトーレ、エノテーカ・ピンキオッリ、ラ・ペルゴラ、そしてこのレ・カランドレの5軒。


Filetto impanato ma non cucinato

分厚い生の牛肉のカルパッチョに揚げたパン粉をまぶしたレ・カランドレの一品。
サルサは卵とビーツの汁がベースでスパイス入り
photo by Renée S.


レ・カランドレのシェフは、マッシミリアーノ・アライモ氏。
彼の話をする時は、その年齢が必ず話題に上ります。
とにかく若い!

今から7年前の2001年、マッシミリアーノ氏が『ア・ターヴォラ』に登場した時には、こんな風に紹介されていました。

・・・・・・

レ・カランドレのシェフ、マッシミリアーノ・アライモ氏、通商マックスは、26歳の若さにしてミシュランで2つ星が与えられているイタリアでただ一人のシェフだ。
しかも一つ目の星がついた時も新記録で、その時はわずか18歳だった。

アライモ家は4代に渡って飲食業を営んできた。
マックスの兄のラッファエーレ(2001年当時33歳)もレ・カランドレでサービスを担当し、店を繁盛させる原動力となった母親のリタ・キメットは、現在はパスティッチェリーアを受け持っている。
さらにマックスの婚約者はスー・シェフの妹で、ソムリエはアライモ兄弟の従妹と結婚することになっている。

リタの父親のヴィットリオはビアホールを経営していた。
そこでカメリエーレとして働いていたのが、リタの夫となったエルミニオ・アライモだ。
ヴィットリオは1960年代にアウロラというホテル・レストランを始めた。
子供たちも店を手伝っていたが、やがて長男のジョヴァンニが独立してリストランテを開き、エルミニオもその店に移る。
67年にはエルミニオがジョヴァンニから店を引き継ぎ、彼は81年まで店の経営を続けた。
この店はミシュランでは星が一つついていた。

リタの兄弟たちは次々と独立し、ヴィットリオが始めたアウロラには、リタの兄が一人だけ残っていた。
ある日、リタとエルミニオはその兄から、一人ではこれ以上続けられないので店を手放したい、と打ち明けられる。
二人は思いとどまるように説得し、リタが料理人としてアウロラで働くことになった。
それが1979年のこと。
2年後、兄はアウロラの経営から手を引き、エルミニオはそれまでやっていた店をやめて、リタと一緒にアウロアを引き継いだ。

この店がやがて、リストランテ・レ・カランドレとなる。
レ・カランドレとは、南イタリアに生息する茶色い羽根のヒバリの一種だが、あまり深い意味はないようだ。
経営コンサルタントから店名候補を5つあげてもらって、その中から一番響きのよいこの名前を選んだ、とリタは言う。

リタの直観的な感性は、息子のアライモにも受け継がれている。
彼のことをモーツァルトのようだと言った人がいるが、頭の中で鳴っている音をそのまま楽譜にしてしまうモーツァルトのように、彼も素材の香りをかいだ時に、出来上がる料理の味をイメージすることができるのだ。

彼はこう語る。
「たとえば牛肉なら、生肉を味見するだけでは足りません。
産地がどこで、どんな香草を食べて育ったかを知る必要があります。
そしてそれと同じ香草を料理に使うんです。
私は何年もずっとこうやってきました。
牛も子牛も、地元ヴェネトで有機飼料で育てられたものを使っています。
卸業者も信頼できる人で、彼の息子は一時ここで働いていたこともありました。
料理の成功は食材の質次第と信じていますが、最高のものに決まりはありません。
日本人のシェフが店に勉強にやってくると、ビックリすることがあります。
私たちなら捨ててしまうコウイカのくちばしやヒラメのひれを、しょうゆとしょうがに漬けて、片栗粉をつけて揚げたりするんです。
勉強になりますよ・・・」

マックスは小学生の頃から料理人になりたいと思っていた。
料理人以外の職業は考えられなかった。
パドヴァのホテル学校に通い、15歳でトレンティーノ地方のレストランに見習いとして入り、18歳の夏には初めてフランスの三ツ星店で修行した。
22歳の時にJeunes Restaurateurs d'Europe(ヨーロッパの若手オーナーシェフの団体)に加入を申請して、24歳からだと断られたというエピソードもある。

レ・カランドレに隣接するパスティッチェリーア、イル・カランドリーノは、リタの王国だ。
店では朝の7時から夜中まで、天然酵母を使った無添加のドルチェを焼いている。
さらに、ブラッセリー、ワインバー、ジェラテリーアを兼ねたバール・リストランテ、イル・カランドリーノもある。
ここで販売しているジェラートもリタの作ったもの。
ランチタイムにはレ・カランドレの軽食を味わうこともできる。
道の反対側には、ア・ヴィットリオという高級食材店がある。
ヴィットリオの店なら、“ダ・ヴィットリオ”だが、祖父のヴィットリオは95年に他界したため、彼にささげるという意味の“ア・ヴィットリオ”にしたのだという。

・・・・・


三ツ星になったのは、この記事の2年後のこと。
記事でも言っていますが、彼の感性と表現力は本当に素晴らしい!
ただ、残念ながら私は彼の料理を食べたことがないので、味のことはなんとも言えませんが。
店のhpを見る限りでは、ア・ヴィットリオはイン・グレディエンティという名前に変わったようですね。


彼はこんな人。





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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
レ・カランドレの話もちらっと出てくる“グルメ紀行~パドヴァ”の日本語解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.2に載っています。


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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

この記事を読むとすごい人だとわかるんですが、ニューオータニが呼んだ時はいただけませんでした。きっと最高の素材ではなかったのでしょう。私的にはサーブのおねえちゃんも気さくで好きでしたが、それ以来オータニのイタリアフェアには行かなくなりました(笑)
きっとイタリアの本店なら比較にならないほどおいしいものが食べられるんでしょうねぇ。
いつか本店に行ってみたいもんだ。と思いながら新丸の売店でせいぜいいちぢくを買う程度。

prezzemolo さんのコメント...

くるりさん
あちゃー、残念でしたねー。天才でもちょっと気合いが足りなかったのか・・・。きっと他の店で作るのは勝手が違うもんなんでしょうねえ。特に外国まで行って作るとなると、大変なんだろうなあ。
大昔、フィレンツェのエノテーカ・ピンキオッリで食べた時はあの雰囲気に酔いしれたもんですが、日本ではさすがに、あの濃厚で退廃的な、社交界的な空気は出せません・・・。
うーんとお洒落して、一流のサービスを受けながら、感動するような料理を食べてみたい!と思う今日この頃です。

バッカラはノルウェーとイタリアを結ぶ干物貿易の主役で、この航路は1450年作成の世界地図にも記載されるほど重要でした。

(CIR12月号)によると、ヴィチェンツァでは、この料理はCが1つなんだそうです。普通はバッカラはbaccalàでも、ヴィツェンツァでは、Cがひとつのバカラ。んなばかな、と思ったけど、地元のこの料理の専門家たちは、C一つで呼んでました。会の名前の刺繍もC一つ。リチェッタはP.11...