2008年10月20日月曜日

ブロンテのピスタチオとニーノ・ビクシオ

今日はブロンテのピスタチオの話。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。

macro pistachios
ピスタチオ, photo by payhere


イタリアのピスタチオと言えば、ブロンテ産が有名。
と言うか、イタリアには、ピスタチオの産地と言える町が、ブロンテしかないんですねー。
しかも、ブロンテのピスタチオの生産量は、ブロンテ市の公式サイトによると、世界の総生産量のわずか1%。
それでいて、その品質の良さは世界的に認められているのだから、イタリア人が「緑の金」や「緑のダイヤモンド」と呼びたくなるのも分かります。

ブロンテは、ヨーロッパ最大の活火山、エトナ山の麓の町。
ピスタチオの収穫は2年に一度、奇数の年に行われます。
今年は収穫はないですね。
来年、8月末から9月にかけてブロンテを訪れれば、収穫の様子を見ることができるはず。

収穫はなくても、収穫祭は毎年行われています。
今年は9月25日から28日まで開催されました。


2006年の収穫祭




ブロンテのスペチャリタ、ピスタチオのペンネッテ





Bronte, Arancino al Pistacchio* del Bar dello Sport (*Pistachio croquette)
ブロンテのバール・デッロ・スポルトのピスタチオ入りアランチーノ, photo by cristiano corsini


Pesto di rucola con pistacchi di Bronte
ルーコラとブロンテのピスタチオのペースト, photo by marciespics


Foglie d'ulivo alla crema di asparagi acciughe pinoli e pistacchi di bronte
フォーリエ・ドリーヴォ(“オリーブの葉”という名前のパスタ)の、アスパラガス、アンチョビー、松の実、ブロンテのピスタチオのクレーマ和え, photo by Sandra


なぜブロンテでピスタチオの栽培が広まったのか不思議だったのですが、『ヴィエ・デル・グスト』の記事を読んでその理由が分かりました。
ピスタチオの栽培を広めた人物がいたんですね。

その人物、ニーノ・ビクシオは、ブロンテの農民の暴動を収めた人としても、ブロンテの歴史に名を残しています。
領主の搾取に苦しむブロンテの農民たちの怒りが、激しい暴動に発展したのは19世紀中頃のこと。
ガリバルディの千人隊の副官だったビクシオは、町にやってくるや抵抗を受けずに暴動を鎮め、5人(一人は心神喪失者)を首謀者として処刑して、事件を終わりにしました。
この日は、ブロンテの自由が死んだ日とも言われているそうです。
そんな彼が広めたピスタチオが、後に世界中に知られる名産品になるとは、歴史とは皮肉なものですねえ。

ニーノ・ビクシオという人は、リソルジメント時代の有名な軍人で政治家でもありました。
イタリアのあちこちに像が残っています。
イタリア海軍には、第一次大戦の頃、ニーノ・ビクシオという名前の偵察巡洋艦もありました。

Nino Bixio statue in Parma
パルマにあるニーノ・ビクシオの像, photo by Franco Folini


ローマのジャニコロの丘にもありますよ。
軍服姿の白い胸像を探してみてください。
これです。
 ↓
it.wikipedia.org



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2007年9月号
“ブロンテのピスタチオ”の記事は「総合解説」'06&'07年9月号、P.29に載っています。


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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私もピスタチオの産地は気になっていました。よくみかけるけどきっと輸入ものばかりかと。しかも2年に1回しか収穫しないというのも気が遠くなる話ですね。

このペースト、おいしそうですね。作れそうな気もするけど、別物になりそうだからやめよう(笑)。

でもブロンテって名前、なんかイタリアっぽくないような気がするのは気のせいでしょうか?

prezzemolo さんのコメント...

くるりさん
ブロンテって聞くと、私は映画の『嵐が丘』(古すぎ~)とか、BBCドラマの『ジェーン・エア』(これも古い~)のシーンが浮かんできまーす。
イタリアで、“ブロンテ産”て書いてないピスタチオは、全部輸入物ってことなんでしょうねえ。日本ではまったく育たないようだけど、火山つながりで、桜島あたりでトライしてたりして(勝手な想像)。
ルーコラとピスタチオのペースト、くるりさんなら絶対できるってー。

バッカラはノルウェーとイタリアを結ぶ干物貿易の主役で、この航路は1450年作成の世界地図にも記載されるほど重要でした。

(CIR12月号)によると、ヴィチェンツァでは、この料理はCが1つなんだそうです。普通はバッカラはbaccalàでも、ヴィツェンツァでは、Cがひとつのバカラ。んなばかな、と思ったけど、地元のこの料理の専門家たちは、C一つで呼んでました。会の名前の刺繍もC一つ。リチェッタはP.11...