2008年9月3日水曜日

ロッシーニ、その1

今日からは、『ラ・クチーナ・イタリアーナ』のグルメ紀行、“ペーザロ;ロッシーニの生まれ故郷”の解説です。


「総合解説」より、“ペーザロ;ロッシーニの生まれ故郷”


まずは、ロッシーニの話。

この人、当然、音楽の世界では誰もが知っている有名人ですが、西洋料理の世界でも、なかなかの有名人。
料理に携わる人なら、ロッシーニのオペラは聞いたことがなくても、彼の名前の付いたあのステーキなら、知ってますよね。


R0012396
トゥルヌド・ロッシーニ, photo by YAMASHITAS


この超ゴージャスなトゥルヌド・ロッシーニは、いわゆるインターナショナル料理ですが、イタリア料理で人の名前がついているものって、何かあるでしょうか。
私は、カルパッチョとノルマ風パスタぐらいしか思いつかないんですが・・・。
自分の名前が料理の名前になってしまうなんて、すごいですよねえ。
ロッシーニって、いったいどんな人なんでしょう。

ジョアキーノ・ロッシーニ
1792年、マルケ州の海辺の町、ペーザロ生まれ。
幼少期は、ナポレオンがイタリアを次々と手中に収めていった時代です。
ロッシーニの父親は親ナポレオン派で、占領フランス政府の通達文を、文字が読めない人々のために、市中で読み聞かせて告知する仕事をしていました。
その際、人を集めるために、まずラッパを吹いたのだそうです。
町のオーケストラにも属していました。
母親は歌手でした。

ナポレオン没落後、反ナポレオン派が実権を握ったペーザロでは、ロッシーニの父親は仕事ができなくなってしまいます。
そのため、ロッシーニはまだ幼いうちに母に連れられて町を出て、ラヴェンナ、フェッラーラ、ボローニャなどを転々とします。
ペーザロとロッシーニの関係は、人生の始まりの部分だけだったんですね。

ロッシーニはボローニャの音楽学校で学びました。
18歳で既にオペラを発表して、しかも大成功を収めています。
20歳の時にはもう、ヨーロッパの偉大なオペラ作家としての名声を手に入れていました。
24歳で、代表作、「セビリアの理髪師」を発表。
1823年、彼はイタリアを後にします。
そして、ウイーンやロンドンを経て、パリに移り住みました。

1829年、「ウィリアム・テル」を発表。
ロッシーニ36歳。
これが彼の最後のオペラとなりました。
もう十分稼いだし、やることはやった、というわけです。
その後、1868年に76歳で亡くなるまでの40年間、フィレンツェやパリの豪邸で、友人たちに囲まれて過ごしました。
トゥルヌド・ロッシーニが誕生したのはパリ時代のこと。
彼の遺体は、フィレンツェのサンタ・クローチェ教会に眠っています。
遺産は、生誕地のペーザロ市に寄付されました。


オペラのことはまったく知らない私でも、「フィ~ガロ、フィガロ、フィガロ♪」のアリアは聞いたことがあります。
『セビリアの理髪師』から、その一節。




『ウィリアム・テル』のこの序曲も、よく耳にしますよね。
カラヤンでどうぞ。




ロッシーニの話、次回に続きます。



-------------------------------------------------------

関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年8月号(クレアパッソで販売中)
“ペーザロ;ロッシーニの生まれ故郷”の日本語訳は、「総合解説」'06&'07年8月号、P.2に載っています。

翻訳アルバイト募集中。
詳しくはcreapasso.comをご覧ください。


[creapasso.comへ戻る]

==============================================

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ペーザロ行こうかとも思ったのですが、ロッシーニのお勉強してから行こう(笑)
ヌマーナの近くまで行ったのですが、急遽予定が変更になって移動。念願のズッパディペッシェはおあずけです。内陸に移ったので肉ばっかりですが、昨日は羊の串刺しをバーベキュー形式で食べましたよ。チャラスオーロを鬼のように飲みました。新鮮な羊肉ってうまいですね。それから肉屋さんがもってきたciaiuscoloとventricina,salciccia di carne e fegatoなんかが出ました。あまり得意ではない肉三昧ですが、どれもめちゃうまでしたので、苦にはなりませんでした。

まだ未定ですが、ナポリには行く予定なので、ポッツォーリまで足をのばせればいいかなぁ。まあ、普通にカプリとかかもしれませんが。それからプーリアの例のブッラータの店には、もし近くに行ったらぜひ。名前なんでしたか?あとマテーラ周辺で名物料理となるとなんでしょうか?行くかいかないか未定なのですが、教えて頂けると幸いです

prezzemolo さんのコメント...

肉三昧ですか。“新鮮な羊肉”って、いい響きだあ。たっぷり食べて、飲んできてくださーい。
ポッツオーリに行ったら魚三昧が待ってますね。
ブッラータの店は、Caseificio Asseliti & De Fato: via Bisceglie 13, Andria, tel.0883541513
です。
アンドリアに行ったらお勧めですよー。

マラテーア周辺の名物は、まず、州は違うけど、すぐ隣で作ってるパーネ・ディ・アルタムーラ。
それと、ワインのアリアニコ・デル・ヴルトゥレ。バジリスコBasiliscoやパテルノステルPaternosterあたりが有名だけど、日本では手に入らないカメルレンゴCamerlengoがお勧め。
料理は子羊とかサルシッチャ(ルガーネガ)かなあ。パスタはプーリアと同じでオレッキエッテやカヴァテッリなんか。
それと、そろそろきのこの季節ですかね。カルドンチェッリCardoncelli(エリンギの一種でしたよね)あたりがポピュラーだけど、オーヴォリとか、珍しいきのこもあるんじゃないかなあ。
それと、苦いのが大丈夫なら、ランパッショーニLampascioniを食べてみそ。小玉ねぎみたいなんだけど、苦いぞー。

prezzemolo さんのコメント...

間違えた、マラテーアじゃなくてマテーラでした。

匿名 さんのコメント...

アンドリアの店ありがとうございます。
こっちはアリアニコしかないので、そればっかり。でも昨日はロゼをいただきましたよ。カンティーナディヴェノーザの。でもこれを見る前だったので、明日から教えていただいたカンティーナのものを注意して見てみます。

カルドンチェッリとサルシッチャは大好きなので、いっぱい食べてます。オーヴォリは日本で一度だけたべたことありますが、本場はまだ。楽しみだなぁ。

アルタムーラは寄ろうかどうしようか迷っていますが。時間次第ですが。

パスタはやっぱりプーリアと似ていますね。苦手な部類のショートパスタ系が多いです。

ランパッショーニLampascioniはぜひ味わってみたいなぁ!!苦いの全然平気です。

ほかに、名前がわからない大根菜とほうれん草の中間みたいな野菜があったのですが、これもおいしかったです。


色々ありがとうございます!!
また書き込みしますね〜。

prezzemolo さんのコメント...

くるりさん
大根菜とほうれん草の中間というと、チコーリアかな。これ、栽培ものと、野生のチコーリア・セルヴァティカの2種類があって、セルヴァティカの方はほろ苦いんですよね。私も大好きです。
空豆のピューレとか、バールでお酒のつまみに出てくる干し空豆(日本みたいに塩まみれじゃなくて美味)もいけてる味ですよん。
ロゼのお勧めはプーリアのMichele calòのAlezio Mjère。
とにかく色がきれいです。

匿名 さんのコメント...

チコーリアではなく、チコーリア・セルヴァティカのほうかなぁ。名前がよく聞き取れなかったんです。でもチコーリアとはいわなかったです。空豆多いですね。ちょっと避け気味ですが、トライしてみよう。

アルタムーラのパン、やっぱりおいしいですね。前菜はプーリアちっくのお食べ地獄ですが(笑)パンのサラダがうまかったです。あと、野菜をめっちゃたくさん食べますね。ハーブがきいているので飽きません。

カメルレンゴはなかったので、パテルノステルにしましたが、おいしかったです。実はBarile行ったんですが(笑)

バッカラはノルウェーとイタリアを結ぶ干物貿易の主役で、この航路は1450年作成の世界地図にも記載されるほど重要でした。

(CIR12月号)によると、ヴィチェンツァでは、この料理はCが1つなんだそうです。普通はバッカラはbaccalàでも、ヴィツェンツァでは、Cがひとつのバカラ。んなばかな、と思ったけど、地元のこの料理の専門家たちは、C一つで呼んでました。会の名前の刺繍もC一つ。リチェッタはP.11...